第四話
ウズル迷宮の入り口は、岩を三角形に削り出したような形をしている。見上げるほど天井が高く、ゴツゴツした岩肌が剥き出しのままだ。
強そうな冒険者達に混じって順番を待ちながら進んでいく。一階層はユグド領の周辺とよく似ていた。柔らかな草原に小さな森。出てくるモンスターは弱く、虫型や動物型だけだ。ゴブリンなどの有名なモンスターは三階層から出てくる。
小川には幻想蝶の群れが飛んでいる、ミルの親指の爪位の大きさしか無い。攻撃力は無く、鱗粉で痺れるがそれだけだ。地上でもよく見かけるので恐ろしさを感じない。
「それにしても綺麗な空……ずっと晴天が続いてるなんて不思議。ここは迷宮の中なのに、空も風も感じるわ」
と、視線を感じ横を向いた。
手に乗るくらいの大きさの兎だ。けれど兎は体が薄青く、額に角がある。角持つ兎だ。思わず杖を構えると、角持つ兎は鼻をヒクつかせてじっとミルを見ていたかと思うと、長く伸びた草陰に潜り込んで見えなくなった。
「何だったのでしょう……。とにかく水を汲まなくちゃ」
ミルは周囲をよく見ると杖を振った。
「<障壁>!」
無属性魔法を唱えると、足下から背中まで透明な壁ができる。杖でつつくと堅い音がした。強度はわからないが、上層のモンスターなら防げると聞いたのでしっかり自分を覆う。
マジックバッグから水差し魔導具を取り出して小川に沈めると、どんどん水が中へ入っていく。
「よし、満杯」
水滴を拭ってマジックバッグに入れ立ち上がろうとした時だった。背後から足音がしたかと思えば堅い物を叩くような音が連続する。
ぎょっとして振り返れば、角持つ兎が七匹も目を回して倒れていた。
「もしかしてお尻狙ってました!?」
おののいていると、草陰からのそりと目に傷のある角持つ兎が姿を現す。普通の角持つ兎より二回りも大きく、歴戦の戦士の風格を持っていた。
「ピィー!」
「きゃあああ!」
突撃してきた角持つ兎が<障壁>に当たり、角の先が食い込んだ。
殺されると思ったものの<障壁>に埋まった角が抜けないようで、角持つ兎は慌てたように藻掻いていた。
「……こ、これも自然の定め」
周囲を注意深く窺いながら<障壁>を動かし、腰から解体用ナイフを抜くと、藻掻いている角持つ兎の首に滑らせた。
力なく垂れ下がっている角持つ兎をもの悲しく見ながら、他の角持つ兎が起き上がらないうちに同じように処理していく。勢いよくぶつかりすぎて角が折れている個体や、首の骨を折って死んでいる個体もあった。
<障壁>の強度が証明されたが、なんとなく釈然としない。
毛皮を剥いで内臓を分類して瓶に詰め、綺麗に洗って素材を取っていく。小川の一部が赤く染まるほどの収穫量だった。
「初めてにしては上出来かな! そろそろ薬草を探さないと」
錬金貴族は素材の処理も仕事のうちだ。ミルもよく父親の手元を見ていたので、簡単な解体なら、数回繰り返せば滑らかにできるようになった。
地図にはここから南に行ったところに群生地があると書いてある。
手を拭いてマジックバッグに戻すと、森の中に入った。
「これかな」
しゃがもうとしたミルははっとして周囲を<障壁>で覆った。
薬草の特徴と一致しているし、色も良い。
教えて貰ったとおりの処理方法で採取し、マジックバッグに入れる。納品は十本一束からなので、あと九本必要だ。
ときどき上を警戒しながら進んでいくと、森が切れて見晴らしの良い場所にでた。木の根元に座ってお昼ご飯を食べようとしたとき、地面が不自然にかき回されてる事に気付く。
「土蜂の巣? <障壁>!」
杖の先をゆっくり鎮めると、灰色の蜂が現れた。
土蜂は障壁に弾かれるが何度も突進してくる。やがてお尻の針を飛ばしてくるが、それも弾かれた。針を飛ばした土蜂は次々に絶命していく。
やがて巣から女王蜂が出てきて、飛び去っていった。
「自爆するモンスターが多いのかな」
再びもの悲しい表情で見送った後、周囲の土蜂を集めて瓶に入れた。お酒に入れる素材になるし、針は裁縫用に加工するため、定期的な需要があると聞いている。
集め終わったミルは手袋を填めて土をかき分けた。
中には巣があり、ゆっくりと持ち上げる。中には白い幼虫が蠢いていたので、そのまま布にくるんだ。マジックバッグには生きものは入れられない。
「薬草はまた今度にしようかな」
ミルは虫が這い出てこないうちにと、慌てて迷宮ギルドへ戻った。
+
「次の方どうぞ」
丸眼鏡の青年が疲れたように顔を上げた。
買い取りカウンターは休み無く続いていて、昼過ぎからは長蛇の列だ。この一週間市場が開放された影響で、需要が上がりこの機会に迷宮産の品物を買いためようとしている商人を狙って、迷宮に潜る者が多くなっている。
「こちらをお願いします」
ギルドカードをちらりと見た青年は、布を剥いで目を丸くした。
「土蜂ですか? 珍しいですね」
土蜂の蜂蜜は高級食材だ。
しかし中を見て蠢いている幼虫を見て、真顔に戻る。
「……生きてますね」
「駄目ですか!?」
「駄目じゃないですが驚きました。少し失礼します。――おーい! 幼虫の数お願いします!」
後ろで買い取り品を運んでいた職員達が「うえー!」と嫌そうな声を出した。
「すみません、今かき入れ時でして。他のも全て出してください」
「あ、はい。土蜂と角持つ兎です」
「これは全部解体されてますね。解体料を取られるのでやった方がお得です。全て別の瓶に移し替えさせていただきますね」
さらさらと書類に文字を記入する。と、後ろの職員に二、三言葉をかけてその場で中身を移し変えていく。
「それでは全部で二十四銀貨と七十八銅貨です。またのご来店をお待ちしております」
丁寧に頭を下げて見送られる。
ミルは銀貨は全て預け、銅貨を財布に入れると迷宮ギルドを出た。
(帰りに紙を買って帰らないと)
それに、市場も見てみたかった。
+
大通りは恐ろしく混んでいた。
「ま、前が見えない……」
なんとか人にぶつからないよう進んでいたが、よろよろだ。時間も夕方近くで冒険者も迷宮から出てくる。一番混んでいる時間帯だ。
「あった! 紙のお店」
小さいながらもしっかりした木造の店に入ると、カウンターの奥に敷き詰められた大量の引き出しがあった。店主はそこからお客に紙や便箋を取り出してコインと交換している。
恰幅の良い店主はきちんとした身なりをしている。紙は高級品だからだ。店の左右には警備に男が二人立っていた。
「ほら客が来たんでな、帰った帰った!」
「そこをなんとか頼むよおっさん! 急いでるんだってばー!」
冒険者の身なりをした少年がカウンターに乗り出すように言った。五月蠅そうに顔をしかめた店主は犬を追い払うように手を振った。
「客じゃない奴は帰れ!」
「代筆代は出すよ! ちゃんとあるのわかってんだろ」
「ここは紙を売る店だ。代筆ならちゃんと店に行けばいいだろう。――お客様、すみませんねお待たせして。どのような商品をお求めですか?」
「え、ええと……」
チラリと横を見るとブスくれた少年がミルを睨んでいる。
「白インク一つと白紙の紙を。両面に文字を書くので透けない物がほしいんです」
枚数を聞くと、店主はほくほく顔になった。
「それから表紙用の物も四枚つけると、全部でおいくらでしょうか?」
「銀貨二十四枚になります」
「ま、待って下さい! その紙は白い紙の中でも質が悪くありませんか? さすがに二十四枚は暴利です。表紙もインクも二つ合わせて銀貨二枚と銅貨三十枚が妥当です。銀貨十四枚!」
「何を仰いますか! この白インクは上質な白炭から作り上げた物ですし、表紙用の紙も表面はツルツル。破れにくく分厚い、良い品ですよ」
「ええ、わかっています。元値が銅貨二十枚なのもわかっています」
「う、そりゃお客様、なかなかの目利きで……」
錬金貴族は紙も作るし、購入することもある。研究用に使用するからだ。よく父が商人とやり合っているのを見ていたので、適正価格は町民よりわかっているつもりだ。
ジト目になったミルにほろ苦い顔の店主。
駄目押しとばかりにミルは言う。
「店主さん、今市場にお店がたくさん来てますよね。こんなときに高く売るだなんて噂がたったら、あっという間に広まりますよ。海を渡った先まで」
「うぅ……銀貨十六枚でお売りします。これ以上は輸送費もあって赤字になっちまいます。勘弁してください!」
「わかりました!」
そんなものだろうと手を打った。
所持金が足りて良かった、と思いながら店主が枚数を数えるのを待つことになる。ミルは相変わらず自分を見ている少年を、そろそろと見た。
睨んでいたのが戸惑ったような物に変わっている。
首をかしげると、少年は意を決したように話しかけてきた。
「アンタ、その……字が書けるのか?」
「はい。あ、ええとその……どうして代筆屋に行かないんですか?」
「店の兄ちゃんが喧嘩に巻き込まれて折っちまったんだ。俺、村に仕送りしてるから遅れると困るんだよ」
「そうだったんですね」
それは大変だ。
両手を差し出したミルは、少年から便箋を貰うと店主に問いかけた。
「数え終わるまでペンを借りても良いですか?」
「ええいいですよ。お客様ですしね」
ちょっと気まずい顔をした店主はチラリと少年を見た。店主も代筆屋が怪我をしたのは知らなかったのだろう。
「お名前と内容を教えてください」
「え、あ。やってくれんのか? ありがとうな!」
実家にいたときは読み書きができない領民が来て、変わりに手紙や代筆をしたことがあった。
「シェッドだ。俺は元気にやってるからよろしくって書いてくれ」
「それだけですか? 送るお金の値段を書かなくて大丈夫ですか?」
「二十文字以上だと銅貨十枚上乗せされるだろ?」
「そんな話は聞いたことがありませんが……」
思わず店主を見ると顔をしかめていた。
「坊主、代筆屋の誰に頼んでた?」
「マグリットってやつ。赤い髪の男だよ。まさか騙してたって言うのか? でもいつも料金まけてくれてたんだぞ」
「そいつは贔屓すれば値段をまけるっていってたんじゃないか?」
「お、おう」
嫌なものを聞いちまった、と呟いた店主は言う。
「代筆屋の料金は文字数じゃなくて枚数で決まるんだ。商業ギルドで決まってるんだ。凝った手紙や詩の引用なんか付けるときに上乗せされてく。坊主は騙されたな」
「なんだって! あ、あの野郎!」
「待て! お前ら捕まえろ!」
あっという間に警備の男達に捕まったシェッドは暴れながら「何すんだよ!」と怒鳴っている。
「ああもう、今日は商売にならない。……店の扉を閉めて臨時休業の札を下げてくれ。おーい! ちょっと来て紙の枚数を数えてくれないか」
「はぁい。なぁにアンタ。泥棒?」
「違う違う、せっかち坊主だ。大事な話をするから、誰にも言うんじゃないぞ」
「はいはい」
奥から出てきた店主の奥さんは紙の枚数を数え始めた。向き直った店主は警備の男性の手から逃れて「何だよせっかちって!」と怒っているシェッドを見る。
「証拠もないのに店に殴り込んでみろ。お前の方が兵士にとっ捕まるだけだ」
「でもあいつは嘘をついてたんだぞ。俺は聞いたんだ!」
「お前が言ってただけじゃ証明にならないんだ。わかるか?」
「じゃあどうすりゃ良いんだ。泣き寝入りしろってか!?」
「今の話を領地の兵士に話すんだ。証拠が無いから捕まえられないが、勉強代と思って我慢しろ。じゃないとギルドの方に坊主がクレーマーだと告げ口されちまうぞ。毎日迷宮ばっか入って稼いでるわけじゃないだろう?」
「それは、そうだけどよ……」
「そうだろう、そうだろう。今の話はこんな話があったとギルドの方に話してやるから」
「わかったよ……」
しょんぼり落ち込んでしまったシェッドの肩を店主が叩く。
「お客さん、良かったら仕送りを出すときの手順っつーもんを坊主に教えてやって下さい。あと、兵士と一緒に話しちゃくれませんかね」
「頼むよ!」
「わかりました。それじゃ値段を書きましょう」
中にいくら入れたのか書いておかないと、抜かれても気付かない場合がある。いろいろとレクチャーしながら手紙を書き終えると、便箋に配達先の住所を記載する。これを常時街道を行き来している商人か、専用の配達人を雇って配達する。
「凄えな。なんか全然違う。代筆者の名前も書くなんて知らなかった」
「そこは場合によって変わります。ただ、お金を送るとなると何かあった場合証言が必要になるので、書いてくれる人を見つけた方が良いかもしれないです」
「そうだな。勉強になったよ」
「こっちも終わりましたよ。それで、さっきの事ですが……」
揉み手している店主に苦笑しながら頷く。
「わかってます。親切な店主さんですよね」
「ええ、そうですとも! またのご来店をお待ちしていますよ」
「なんだよ。そういう事かよ……」
まあまあ、と言いながらミルは代金を払い、マジックバッグに商品を入れる。シェッドの背中を押して店を出た。
シェッドがいつもお願いしている配達員に手紙と配達料金を渡すと、二人は兵士の詰め所へ向かった。
「どんくさいなぁ。もっとするするって行かないと下の階層行くのも苦労するぞ?」
「ううっ。すみません」
人に当たってよろけているミルの手を引っ張ったシェッドは「魔法使いだもんな。しかたないか」と勝手に納得したようだった。
「ほら、あそこが詰め所」
「落とし物をしたら、あそこに届ければいいんですね」
「……良いところのお嬢さんだったりする?」
今更な質問をしてくるが、なぜ落とし物の話でそうなったのだろうかとミルは首をかしげた。言う前に兵士がミル達を見て声をかけてくる。
「何かありましたか?」
「ズリエルさん? 門番のお仕事は終わったのですか?」
「欠員が出たので補充で来ました。市場が終われば元の配置に戻ります」
ミルのことを関所からギルドへ案内してくれた兵士は、相変わらずキリッとした表情で立っていた。兵士もちょこちょこ場所が変わって大変な仕事だなと思っていると、シェッドが代筆屋に騙された話をした。
側面の獣耳がピクリと動く。
「ふむ……申し訳ありませんが調書を取ります。中へどうぞ」
「おうよ!」
まるで挑むかのように腕まくりをしたシェッドに続く。
中には別の兵士が一人いて、領民の落とした荷物の届け出を書いているところだった。スリもいるし落としたものは基本的に返ってこない。しかし犯人が捕まったときに返ってくるかもしれないので、大事な物を落とした人は届け出を出すことが多かった。
ズリエルはいくつか質問を挟みながら調書を取っていく。直ぐにできあがり、二人は詰め所の前で別れることになった。
「今日はありがとうな!」
「いえ、お役に立てて良かったです」
サムズアップしたシェッドはそのまま駆け足で帰って行った。ミルも自分の宿へ戻り、ドーマの強面に出迎えられた。