第九話
まさかの事件から丸一日。
恐慌状態の民衆が教会へ殺到し、長蛇の列を作るほど懺悔が流行ったが、聖水を振りかけると元に戻ったので、混乱は半日で収束した。
宿は倒壊してしまったので、二人はドーマに謝るとラーソン邸に一時身を置くことにした。自分で壊したので、修理費の半分はシャリオスが払う予定である。
「あの、大丈夫ですから。シャリオスさんのせいじゃないですし」
「僕があのとき、ちゃんと伝えなかったせいだ。本当に本当にごめんね……」
【遊び頃】の襲撃があった日、珍しくドーマと話し込んでいると思ったら、ミルの頬にタチの悪い魔法がかけられていたのだという。禁術の類いで、半日で眠るように対象を殺す物だった。
ストラーナが気付いて聖水の染みたハンカチで頬を拭い取り、ドーマが綺麗になるまでお清めの塩で洗わせなければ、ミルは死んでいた。
(そのとき教えてくださればよかったのに……)
出会い頭に呪いめいた魔法をかけられるとは、シャリオスも思わなかったろう。なぜ狙われたのかわからなかったし、運が悪かっただけの可能性も捨てきれず、怖がらせるのもな、と思ったという。
残念なことに、ススルはミルを標的にしていたのだが。
「けっきょく、何もされませんでしたし」
夜が明けるまで待機していた自室で、まさかの避妊薬をウィリアメイルを通して渡されたとき、ミルは初めてシャリオスの激怒理由を知った。
(悪い男性に弄ばれたと思われたなんて……微妙に間違ってないのが悲しいわ)
多大なる勘違いを正すために明け方まで頑張った。
宵闇の花の影響は解毒薬ですっかり消えた。念のため安静にするように言われているので、ラーソン邸でもベッドで横になっている。
地の底に埋まるほど落ち込んでいるシャリオスは、ずっと部屋の隅で体を丸めており、時折鼻をすすっている。アルブムがずっと暖めるように巻き付いているのも気になるところだ。
「ね、そこは冷たいから椅子に座りませんか。ご好意でお菓子をいただきましたし」
「うん」
子供のようになってしまっている。
部屋が暗すぎてわからないが、恐らく目も鼻も赤くなっているだろう。ズビビと鼻をかみ、椅子を引く音がして、ミルはやっと人心地付いた気分になった。
「色々考えたんだけど、パーティメンバーをもう一人増やさない?」
クッキーを丸呑みするように食べたシャリオスは、唐突に提案する。
「どなたか見つけたのですか?」
「そうじゃないけど、やっぱり二人は危ないなと思って」
シャリオスが言っているのは護衛の話だ。本人に自覚は無いのかもしれないが、ミルは苦しくなってしまう。【遊び頃】相手に何もできなかった。
「その話ならちょうど良い人材がいる」
ノックも無しに扉を開けたのは、ユグドの側近であるアリーシオだった。その背後にいたユグドは入出と共にシャリオスの向かい側へ座る。最後に入ってきた一人が扉を閉めると、ランプをつけた。
暗い部屋の中で眩しそうに目を細めたシャリオスは三人を見回し問いかけた。
「女性が眠っている部屋に入るのは、どうかと思いますよ」
「許されよ。事は深刻だ。君達が対峙したのはススル・ドミトルトと言う剥製狂だ。乙女を攫っては飾っているという性癖の持ち主でね。何度か殺したという報告を聞くが、本当に死んだためしがない」
「禁術?」
「おそらくは。標的が手に入るまで諦めない化け物だ」
「なら、術の核を壊さないと」
面倒だな、とクッキーをかじった。
「あの、領主様。【遊び頃】の目的は一体何だったのでしょうか? あの、最初から私だったわけではないですし……」
「新薬のレシピだ。魔法薬店の店主に依頼していたものでな。魚も制限をおかず、他領にも流したというのに」
そのほうが駄目だったというわけだろう、と溜め息を飲み込む。新しい薬品を独り占めした方がもうかるし、その流通経路を握りたいと思う者もいる。
「【遊び頃】の中にはゴーンという男もいる。薬学に精通し、裏ではかなりの資産を集めているようだ。どうも開発中の薬品と、我々のレシピの内容がかぶってしまったようだ。彼方の面目は丸つぶれ、というわけだ」
ドーピング薬よりずっと安く、効能の高い新しいポーションは、ゴーンの製作物を旧型に落とすには十分だったのだとユグドは言う。
「ススルの襲撃中、再び魔法薬店が襲われた。店主は手練れで無事だが、店がまた壊れた」
「なら、もう来ないんじゃ?」
「と思いたいが、諦めることを知らん連中だ。レシピは店主の頭の中にしかないのでな。これ以上【遊び頃】に来られても困る。というわけで、新薬の完成を急がせている……ドルイドだからいつできるかはわからんが」
ゆっくりめなストラーナはできても渡すの自体拒否しそうだが。あれは働きたくない心の表れなのだろうか。
「問題の術の破壊だが、解決方法がある」
「こちらを」
アリーシオが差し出した小箱には、小さな針がチェーンに繋いであった。
「『神々の治癒』という宝物だ。絶対に壊さず返していただきたい。施与品だ。これをススルに刺せば禁術を砕ける」
「こんなものをどこで……」
「出所は伏せている。さて、猶予はあまりないぞ。彼方もそうだろうが――おっと、そうだった。ズリエル」
「はっ!」
「本日、今このときより二人の護衛に当たれ。領主命令だ」
「承りました」
「シャリオス・アウリール。ズリエルをパーティに入れろ。逆らうならば、ユグドの迷宮には二度と潜らせない」
「……わかりました」
「お二人とも、よろしくお願いいたします」
退出した領主を見送ると、ズリエルは着席する。懐から取り出した地図を開くと、赤い印が二つあった。
「御領主様はお二人を心配されているだけなのです。どうかご容赦を」
「わかったけどさ……。兎に角、今は敵の事だけ考えよう。目星はあるの?」
「どちらかに潜伏しているようです。現在、避難誘導は完了。相手もどうやら、待っている様子です」
「ススルはどっち?」
「こちらです」
南の廃倉庫を指さした。
「ミルちゃんは――」
「行きます。どのみち標的なら、ここにいても危険ですよね」
麻薬は抜けている。それに、なんとなく気になることがあった。ベッドを降りると杖を握って尖り帽子をかぶる。肩にアルブムを乗せ、真っ直ぐ顔を上げた。
「わかった。でも僕の側から離れないで」
頷いたミルは、差し出された手を取った。
+
ススルはずっと、舞台の上で踊っている。
美しい彼女達に囲まれて、いつまでも幸せになる夢を追い求めている滑稽な俳優だ。
「来たな、俺の邪魔者」
倉庫を開けたのは全身鎧の冒険者。黒い光沢ある塗装に、色ガラスのはまったバイザー。忌々しい吸血鬼。ユグドの一級冒険者、シャリオス・アウリールの名は轟いている。
体は再生しきっていなかった。それでも使える手は沢山ある。ガラスケースの中で瞼を開けた少女達は自ら立ち上がり、怪物のように吠えた。
椅子の背に挟まっていた剣を、盾を、弓を、鉈を、魔法を、鈍器を、ナイフを、斧を――武器を手に飛び出した少女達は、濁った緑色の目で敵に襲いかかる。全身に巻き付く魔力の糸が、少女達を操り踊らせる。総勢十七人。怪物達のダンスの始まりだ。
「<黒炎>」
シャリオスは唱えた。闇魔法は影を炎と変え、少女達を焼いていく。瞬く間に三体の人形が燃え散った。その間を縫うように駆けた黒い線が一瞬で肉薄する。
「彼女を渡せ!」
「嫌だ」
ひらめいた双剣が、肩を抉った。両腕切り飛ばされ、膝を踏み折られるがしかし、ススルは一歩前に出た。肉体から吹き出した魔力が手足の代わりとなり、肉体を再生する力となる。
「何の権利があって邪魔をするんだよ、お前はぁあ!」
「知り合いを犯罪者に攫わせる奴がどこにいる。そこまで馬鹿じゃないぞ!」
ミルはすみませんと謝りたくなりつつ、シャリオスに特攻する人形を障壁で妨害する。アルブムはミルに襲いかかってきた一体に噛みついて「ギュブッ!?」と不味そうに吐いていた。美味しくないようだ。いや、美味しくても困るのだが。
遠くで爆音が聞こえる。もう一つの目星にいた敵と戦っているのだろうか。
長剣が閃き、パン生地のように柔らかい障壁を少女が裂く。近づいてくる少女からかすかに漂うアルコールの香り。目を伏せながら杖を振れば、切られた障壁は粘体のように少女に纏わり付き、関節の隙間へ潜り込む。
(生き物じゃない……人形だわ)
瞬く間に四体の人形を縛り上げたミルはススルを見た。
「ススルさん、私達の勝ちです。もう止めてください」
「俺は負けない、何度死んだとしても君を攫いに行くよ」
「禁術は解けました」
気づけばススルの足下に、灰色の魔方陣が広がっていた。
「私は光属性を使えます。だから、貴方の目から物を隠して運ぶこともできるのです」
手の平を広げると、『神々の治癒』が現れた。ススルは首の後ろを撫で、苦く笑う。砂のように体が崩れ始めていた。それは次第に広がり、どれほど魔力を練っても戻らない。
ススルの目から涙がこぼれ落ちた。
「どうして? 俺と結婚するって……喜んでくれたのに! 嘘だったのか、騙したのか!?」
「嘘じゃありません。生まれて初めて結婚しようと言われて、舞い上がってました」
でも、相手は犯罪者。しかも人形を操っているタイプの連続殺人犯。どんな女性もお断りしたいタイプだ。
ほろほろと泣いているススルは「そうなんだ?」と首をかしげながら、続けた。既に人形達は倒れ、攻撃の手は止んでいた。
「俺の求婚を喜んでくれた? もし、俺が普通の男だったら、結婚してくれた?」
「父に挨拶していただかないと、何とも……」
もしかしなくても両親に多大なる危険を呼び寄せている気がしたが、ミルは精一杯の答えを告げる。ススルは喜んだようだった。
「ずっと幸せになりたかった」
涙が止まり、崩れ落ちる手足そのままに、まるで希望を見ているようにススルは微笑んだ。
何かがおかしい。シャリオスは強く柄を握る。禁術は解けていくはずなのに、闘いが終わった気がしない。
「俺の可愛いお嫁さん。ススル・ドミトルトは、結婚を約束した女の子に裏切られた。相手は四股をかけていて、誰ともわからない子を産み、俺の知らない奴と結婚すると言った」
ススルは本当に彼女を愛していた。酷い言葉を投げつけられても、浮気をしていても、誰の子供でも良いから自分を選んでと懇願した。
愛は届かなかった。ススルは心を打ち砕かれ、気付けば愛する女性を殺してしまう。彼女が産んだ子供は金髪で、ススルとも彼女とも似てない。天使のような子供だったけれど、その子も一緒に死んだのだ。
ススルにかかっていた魔法が剥げていく。長いシャンパンゴールドの髪は鳶色に、灰色の瞳は深い緑色へ。全ての魔法が解け、元の形へ戻っていく。
「気付けば俺は【遊び頃】の人形になっていた。自分がいつから人形だったのかも、俺にはわからない。最初からかもしれないし、彼女を殺した後だったかもしれない。わかっている事は、人形使いは人形に使命と脚本を与え舞台を踊らせる。どんな悲劇をも笑い飛ばし、丹念に役者を育て遊び倒す」
儚いほどの笑みを浮かべ、流れていた透明な涙が赤く染まっていく。
「俺に課せられた脚本は婚姻。彼女の子供と同じ色を持つ少女と結婚すれば、全ての呪縛から解き放たれるはずだった。気をつけて、俺は駒の一つでしかない。君を愛しているから教えるんだ――」
顔の半分は砂となり、唇にあてた人差し指も崩れて果てた。砂は風に攫われるように光りとなって消え、魔方陣に吸い込まれていく。
後に残ったのは一輪の宵闇の花だった。くすんだガラス細工を持ち上げるが、甘い匂いは消えている。
「二人とも後退を!」
鋭く告げたズリエルは、ミルを担いで飛び上がる。術者を失ったはずの少女人形が起き上がり、口を開いた。
『ああ、ああ。なんという最期! これぞ正しく喜劇なり! これにて剥製狂の公演は終了いたします! 皆々様、盛大な拍手を主演ススル・ドミトルトと、共演者へどうぞ!』
『三点かなぁ』
『ねむーい』
『ひねりが欲しい。三段階変化はまだか』
『それ飽きちゃったよー』
『王道こそ正義!』
ぱちぱち、と手を叩く音。盛大とは言えない拍手を送った少女人形は、武器を持ち直す。下品に嗤うと、ほっそりとした足で立ち上がった。
『では劇場の掃除へと移りま――あれぇ?』
しかし、その足もまたゆっくりと砂へと還っていく。戸惑う声が消えたとき、残った砂もまた、ススルと同じように魔方陣へ消えた。
シャリオスは振り返り、問いかける。
「もしかして全部刺してた?」
「刺してました。ほら、怖かったじゃないですか。絶対何かあると思って……」
「良い審美眼をお持ちですね。感服しました。障壁の操り方もすさまじい物になっていて……」
何とも言えない表情のズリエルはそう言って、ミルを地面におろした。てれてれしたミルだが、色々考えて表情を落とす。
「障壁くらいしかまともに使えませんし、これくらいはできないと……」
時間はたっぷりあった。もの悲しモンスター達が自爆していく時間は、本当に暇で暇で暇で心が痛かった。
「とりあえず、この針借りてよかったね。同じ物もらえないかな」
「魔導具だから気になってるんですよね?」
へへへ、と恥ずかしそうに頬を掻くシャリオス。すっかり元通りだ。
しかし施与品ということは、ユグドよりずっと身分の高い貴族から借り受けた物だ。返さなければならないとユグドが言うなら、貰うことは不可能だろう。
魔方陣は消え、針を首にかけたミルは宵闇の花をマジックバッグに入れると、未だ爆音の止まらない地区へ走った。
「うー、眠い。ねむじいよぅ」
背後の声は、破裂音にかき消され誰の耳にも届かない。