第六話
ユグド領は港町だ。迷宮から出される品は海を渡り国中を巡る。運営と迷宮維持、輸送費で、大半は消えてしまう額だが。
「ズリエルを差し向けたとお聞きしましたが」
「良い案だろう? 命令に忠実で、裏切るという事を知らない」
「雇いの冒険者ではありませんか。素性もわからない」
年間予算計画書を見ていたユグドに苦言を呈すのは、アリーシオ。ジェントリの家系に生まれた三男で、幼少の頃からの悪友だ。成人後はユグドで働いているので、父の時代から仕えていることになる。
さて、と口元を歪めるユグドは手を止め、むっつりとしているアリーシオを見た。深い緑の目に、柔らかな鳶色の青年だ。特別にあつらえた黒いお仕着せがよく似合っている。そう告げれば本人は不本意そうにするので、口には出さないが。
「孤児だとわかっているではないか。冒険者が迷宮に入り、子供を残して死ぬ。……良くある話だ」
「他領で【番犬】などと二つ名が付く冒険者ですよ。裏にどんな繋がりがあるかわかったもんじゃありません」
「今更どうしたというのか。アリーシオはズリエルが特に気になると見える」
「変なことを言わないで下さい! 私に黙って重要事項を決めてしまうなど……いつものことですが、納得いかないのもいつものことです!」
「なるほど、ならばいつもの返答だ。調べは付いた。あれは白だ」
「まったく、この人は……。そもそも、サンレガシ家に直接足を運ぶなど! あのようなジェントリの領主に下手に出ては領地の家格が下がります」
「お前もジェントリだろう? そして高名な錬金術師の間違いだ。代々治める所領は安定し、性格は慈悲深い。盗人に慈悲をかけるのはどうかと思うが、なかなかに優秀な人物だった。彼らならではの人脈もお持ちだ。隣人を扱き下ろすものじゃない」
「娘のいる領地ですからね。そりゃ上質な魔石を持って帰ってきたと言えば、細部までお調べになるでしょう。それを領地を治める領主に教えるのも、最終的には自衛のためです」
「あの家系は驚くべき事に、肉親を大切にする。愚か者も生まれない。羨ましいと思うほどに平和だ」
皮肉な笑みを浮かべたユグドは頬杖をついて溜め息をつく。貴族にしては甘すぎるが、彼にとって信頼できる取引相手であれば問題がない。
サンレガシ家始まって以来の落ちこぼれが出たときも、慌てはしたが蔑ろにはしなかった。大事な娘がユグド領で暮らす限り、彼らは手を惜しまないだろう。娘の方も小まめに手紙を出し、上質な魔石をそのまま送るような人物だ。パーティを組む前からシャリオス・アウリールとも仲が良い。
「だからこそ、素性の知れない者を近づけるのはどうかと言ってます。ユグドの冒険者だったならば私も言いませんよ。特にあの二人は、なんというか……こう、人の良さが前面に出てしまっています」
世事に疎く大事に育てられた貴族の子女と、身の危険に気づくのが遅いぽやっと吸血鬼をオブラートに包んだアリーシオは、ガックリと項垂れる。
騙されたらいちころな二人が、現在ユグド領の稼ぎ頭なのだ。恐ろしいと震えない方がどうかしている。
「だからズリエルがいいのだ」
とても忠実な兵士を手に入れ満足しているユグドは、その兵士を上手く使う場が出来て、更に喜んでいるようだ。
孤児出身でたくさん苦労をし、冒険者となったあとは無駄吠えせず堅実にレベルを上げたズリエルは、経験も豊富だ。ギルドから二人が報告した内容よりも、より詳細な情報をあげるだろう。端的に言うと不思議な表現が多すぎて、報告書に何が書いてあるのかわからなかっただけなのだが。
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三万回目の魔石拾いが終了したあと、ミルは入り口付近で引き留められた。どこか影を背負ったようなシャリオスは「何か感じない?」と小声で聞いてくる。
巨大ゴーレムも消えて周囲は静かなものだ。
「……え。なにか問題が?」
「ううん、気のせいならいいんだ」
「待ってください、気になって怖いです!」
「オバケじゃないから」
得体の知れない不安に震えるミルを宥めるように帽子を直してやりながら、シャリオスは自分の手の平を見つめた。
「大したことじゃないんだけどね」
「なら言ってくださいよ!」
「レベルが上がってる気がして」
そうなんですか、と小さく言ったが、すぐにその原因に思い当たる。青ざめた表情に「そうなんだよ」と返したシャリオスは食料確認を震える手で握りながら続けた。
「ゴーレムが自爆したときに経験値が来てる気がする。その証拠に、だんだん魔導具の動かし方が滑らかに!」
「ずっと触っていたからでは」
ミルも時空魔法書を読み切って、無属性魔法の練習をしている。さっきは障壁を細くして編みぐるみを作っていた。今度やることがあったら道具を持ってこようと思う。
そもそも、どういうときに経験値が溜まるのだろうか。攻撃もしてないゴーレムが勝手に自爆しただけで、レベルが上がる。本当ならレベル上げを頑張ってる人が気の毒だ。しかし、レベルが上がるとは思えない。
「気になるから鑑定水晶買おう。そうしよう」
決意の表情に、欲しかっただけなのではと思いつつ黙っておくことにした。
「……。ないとは、言い切れません」
笑い話の一つとして話すと、食事の手を止めたズリエルは言う。彼もアルブムと遊んでいるうちに体さばきが良くなっていると言う。
「レベルが上がると、違和感を感じるものなのですか?」
「前衛は特に顕著だって聞いてる。ミルちゃんは違和感ないタイプなんだね」
「魔法の上達はしたと思うのですが……」
「一度、帰って調べましょう。このことは内密にお願いしたく」
一月経ったのもあり、一度上層に上がることとなった。
そしてスプラに見て貰うと、ミルはレベルが上がっていて三十七レベル。アルブムは四十四レベルになっていた。シャリオスとズリエルも上がっていると言う。
二人と一匹はともかく、一体もモンスターを倒していないズリエルのレベルが上がっているのは異常なので、報告をすると言って一時解散となった。
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待ちに待った大容量のマジックバッグが届いた。木箱を開くと、丁寧に布にくるまれたバッグが出てきた。
「ポケットがいっぱいあるけど……全部マジックバッグになってる!?」
「わぁ……!」
送った四色の魔石はそれぞれ三つ。それらを上手く配置して作られたマジックバッグは店売りのバッグのように機能的だった。普通のマジックバッグは入れる場所が一つあるだけだ。もし二つ目があったとしても、飾りか普通のポケットになる。それは時空魔石一つで、一つの入り口しか作れないからだという。
魔石をたくさん使える条件下だったので、全て物が大量に入るようになっていた。
「僕のは足につけるやつだ。双剣使うから便利かも」
「こんなに小さくてもたくさん物が入るなんて素敵ですね」
「ミルちゃんはがま口のリュックだね」
早速身につけて動きを確かめる。装備品としても良いが、普段使いにも出来そうだ。両方体に固定する形だし、ジッパーなので盗まれにくい。ベルトの内側には、それぞれ名前が縫い込まれていた。
今まで持っていたマジックバッグをポケットに全部放り込む。全て入れてもまだ容量が残っていた。
「一番広い口の物が透明な時空魔石で作った物のようですね」
「荷物全部入る……引っ越しが楽になっちゃった」
食堂から自室に戻ったシャリオスは大荷物を入れ終えて帰ってくると、綺麗になった部屋を見せたがった。綺麗と言うよりも、使用前状態に戻っているようにしか見えなかった。ともかく、とても満足したようだ。
支払いは同梱された納品書に「レベルが三つ上がったので割り引きました」と書いてあったので、普通のマジックバッグを買うのと同じ金額になっている。
ミルに送られて来た小包には「白い魔石をたくさん送ってください。今度はお兄様が頑張りますからね。お兄様が」と母親から謎の手紙が添えられていたが。
とりあえず代金も払うので、小包に魔石を入れたマジックバッグも一緒に詰めて郵送しておいた。
「魔導具入れは前のマジックバッグに入れて、自分の荷物はこっちの。探索用の道具は全部新しいのに――」
楽しそうに中身を入れ替えている背中を見ながら、ミルも荷物を整理することにした。
「次に行く火山は水場が無いと聞いてるので、水グミもポーションも大量に注文しておかないとですね。五十七階層まで続いていたはずですし」
「キュアー?」
「アルブム、熱いところ大丈夫でしょうか。こんなにもふもふしてるのに……」
口元や喉、腹の毛に指を埋めてかき回すと、ブルりと身を揺すった。
往復だけで最短三日ほどだろうか。他パーティと比べるとショートカットできる道は多いのだが、シャリオスは気になると納得するまで同じ作業を繰り返すので、もしかしたら他のパーティより歩みが遅くなるかもしれない。
(肉は四十一階層で捕れるから良いとして、穀物とお野菜をどうしましょう……)
八百屋に行くにしても、大量に買い込めるだろうか。聞いてみなければと思っていると、宿に入ってきたユティシアが尋ねてきた。
「こんにちは! もしかして新しいマジックバッグですか!? いいなぁ、わたしもいつか自分のマジックバッグを買いたいです……」
「す、すぐに買えますよ。ところで今日はどうされたのですか?」
物欲しそうに見ていた彼女は慌てて居住まいを正す。
「もうすぐ約束の三ヶ月が経つので、一度王都に帰ろうかと思っています。向こうで挨拶が終わったら、拠点をこっちに移そうと思ってまして」
一人で三十五階層まで行ければ、魚を釣って豪遊できるのだという。王都よりずっと稼げるのだと目を輝かせていた。やはり冒険者は不安定で、値下げ前に動きたいという。
「それでですね、どこかまともなパーティの空きが無いか、教えてくれませんか!?」
一瞬思い浮かんだのは【空の青さ】だ。
付与魔法使い募集の張り紙は一切無いし、犯罪者パーティにうっかり入ってしまったら、それこそ身ぐるみ剥がされて迷宮で謎の死を遂げてしまう。かなり切実な状況だ。
「わかりました、空きがあるか聞いてみます」
「よかったら僕も聞いてくるよ? 障壁動かせるんだよね? だったら空も飛べるだろうし」
「いいんですか!? ありがとうございます!」
横で聞いていたシャリオスも快諾し、ユティシアは意気揚揚と帰って行く。
「よし、これで一つ問題が片付く」
「え、ユティシアさんと何かありました?」
「ううん? 喋ったのも殆ど今日が初めてだよ」
知っているでしょうと首をかしげながら言われ、頷く。何か不穏なものを感じながらも言葉が見つからない間に、シャリオスは整理を終えてしまった。
「減ってるものがいくつかあるから、調達しに行かないと」
「私もです。方向が逆なので、領主様の案件は明日からにしませんか? ズリエルさんにも連絡してきます」
「なら夕食の時に落ち合おう」
シャリオスは新しい鎧の相談に行き、ミルは魔法薬店へ向かった。
相変わらず売り渋っているストラーナを説き伏せられず、弟子のユックの助けで薬品を売ってもらったあと、細々としたアイテムを買い求めた。実家に手紙を書いて水グミを購入したり、暇つぶしのために書籍を数点買い求める忙しない一日を終えた。
そして魔石を大量に入手するため、迷宮に籠もる日々が始まった。
既に作業となったそれをこなしていく。
「……やはり上がっていますね」
外で待機していたズリエルは、ギルドから借り受けた鑑定水晶を見ながら呟く。
「これ、レベルが上がる条件ってどういうものなのですか?」
「一般的にはモンスターを倒すと経験値が入るよ。他には鑑定士とかは、上質なアイテムを鑑定したときとか。戦闘した場合だけじゃないから、本当のところはわからないみたいだけど」
「日常生活でもレベルが上がると聞き及んでいます」
ウズル迷宮に潜るまで一レベルだった自分はどういう事だったのだろう。ミルはそう思ったが、今はどうでも良いので先を促した。
「パーティ申請をしているだけで相乗効果がでるとは、ハメ技がなければとても倒せない相手でしょう。我々は運が良い」
「そういうものなんですか?」
「おそらくは」
「ところで、お二人のレベルはおいくつなんですか?」
「七十六です。まず簡単にあがるレベルではありません」
「僕八十二になったよ! ミルちゃんは凄いよね。ユグド迷宮難易度高いのに三十七レベルで四十階層突破かぁ」
「も、もう少しこの階層にいれば私も五十レベルくらいには……!?」
それでも途方もない数字だが。
一級冒険者のレベルは相当高く、ズリエルもなにげにレベルが高い。胸を押さえながらレベルの低さに妙な焦燥を覚えていると、背後の二人はひっそりと「神がかっていますね」「頑張り屋さんだから」とやり取りしていた。
「魔石も十分集まりました。一度帰還し、御領主様に報告へ行きます。お二人とも、依頼の件はお疲れ様でした」
「はい、お疲れ様!」
「お疲れ様でした」
「キュア?」
よくわかっていないアルブムだけが首をかしげつつ、こうして依頼は終了したのである。
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薄明かりに照らされた室内には、どこもかしこもいわく付きの犯罪者。それが三人も集まれば、ろくな状況ではないだろう。
埃っぽくて踏めば足跡が残るような手入れのされていない部屋。各々怠そうな顔をしたり、溜め息をつき続けている。
「いやさぁ、商売あがったりだよね。雇い主全員捕まっちゃったし。ただ働きじゃね?」
「つーか、今日は何の用なの? シュシュちゃんが呼ぶから来たけど、こんなに人数集める必要ある案件なわけ?」
しゃがみ込んでいた男が煙たばこを床に吐きつける。ポトリと落ちたゴミが、ちりちりと火花を散らし消え去った。文字通り、煙のように。
「はいはい注目! オッサンこの流れわかってたよ。でも聞いてほしいんだよね! だってオッサン金欠だし!」
「なら一人でやって総取りしなよ」
「冷たい。あんなに一緒にヤりまくった仲なのに……」
「おいオッサン、女の子に勘違いされる事言うんじゃねぇ。三万回コロスぞ?」
一瞬にして部屋を満たす殺気が服を貫き肌を舐める。心地よさそうに目を細めたオッサンに、一触即発の雰囲気が膨れ上がる。それを止めたのは、欠伸が止まらない少女だった。
「ふわぁあ……眠いよぅ。おうち帰りたいよぅ。ねむいよぅ。ねむじいよぅ」
「眠いとひもじいを合わせるなんて……かわいい。好き」
ころりと表情を緩め、やに下がった表情で頬を染めた青年は少女ににじり寄って「ね、ベッド買ってあげようか? その変わりお兄さんとデート行こう?」と誘っている。溢れんばかりの下心が透けてみえる。
「やだー。いらなぁーい」
「えー? そんなこと言わないでさぁ」
「……。まあいつも通りだね。うん。ところでさる高貴なお方から、ユグド領をちょぉっと治安悪くしてくれってご依頼があったんだ! オッサン、受けようと思ってるんだ。ほらあそこ、最近調子乗ってるし」
「ああ、魚だっけ? ステータス上昇効果が付くって言うけど本当だったんだ? 凄いね、いっきに領地の価値が上がる」
「ってことでさ、あそこ欲しいんだって。オッサンもそう言うのが出ると困るし」
「え、なんで? もしかして既得権益? そう言えばあらら~、オッサン薬品関係の密輸してたっけ」
「そういうこと! お小遣いカツカツになる前に原因取っ払わないとね!」
手始めにと示されたのは小窓の外。
「今から皆殺しタイム行ってみようよ!」