第三話
「ブーツにズボンの上にスカート。マジックバッグはマントに隠れるし、荷物も確認したし、行きましょう!」
今日から第一歩だ。
ミルは鍵をかけると『あなただけの部屋』を首に提げる。
一階に降りるとぎょろりとした宿の店主――ドーマが居た。瞼から顎にかけて残った傷に盛り上がった筋肉。緑色のエプロンをしていなければお客さんにしか見えない人だ。刈り上げた鳶色の髪をしていて目が合うと「よう嬢ちゃん」と低い声で挨拶をしてくる。
「お、おはようございます」
「飯は食うのか。今日はサンドイッチだぜ」
「お、お願いします」
「銅貨五枚出しな」
「……」
カツアゲされてないのにそんな気分になりながら、大きな手に銅貨を乗せる。冷汗が垂れた。
好きな席に座ったミルの元へ、サンドイッチが盛られた大皿がやってくる。丈夫そうな分厚い皿が音を立てると同時に尻が数セメト浮いた。
「ひい」
と言っている間にドーマは厨房へ去って行く。
泊まり客は他に見当たらず、ミルは美味しく卵サンドを咀嚼した。
ご飯が美味しいと言うのは本当で、熱い薬草茶をちびちび飲んでいくとお腹の中が暖かくなってきた。食べきれなかった分はお昼に持っていって良いので、防水布に包んでマジックバッグの中に詰め込む。
「夕飯までに帰ってこい。今日からヤベぇ奴らが大勢来るからな。治安が悪くなる」
「は、はいっ」
一番ヤバそうな顔をしたドーマに言われるとは、もの凄く危険に違いない。ゴクリと生唾を飲んだミルは玄関から頭を出し、慎重に左右を見回すと、そろそろと宿屋を出ていった。
迷宮ギルドは早朝から混んでいる。
十時前に着いたミルは昨日より増えた人だかりの中を這い出て、何とか二階に上がった。二階の内装も一階と変わらず木製だった。受付前に「初心者講習はこちら」と書かれた看板があり、受付を済ませる。
「それでは緑の番号札をお渡しします。お時間になりましたら受付から声をかけますので」
「はい!」
壁際にある椅子に座ったミルはしっかりと荷物を抱え込んだ。初日からスリ強盗置き引きその他犯罪に遭って、時間を浪費するのはごめんだ。
子猫のように固まっていると、だんだん人が多くなってくる。希望を持った少年少女達やお兄さん達が先に呼ばれていく。彼らは青いカードだったり赤いカードだったりした。
緑はミル以外におらず、待つこと一時間。
忘れ去られているのでは、と心細く思っていたミルは呼ばれて立ち上がった。
「大変お待たせしました。こちらの部屋にお進み下さい」
角を曲がって案内された部屋は外へ続いていた。
ギルドの裏側だ。練兵場のように剥き出しの地面に、壁が高く建てられている。
中心に居るのは老人一人。腰が曲がっていて、小刻みに震えている。手招きをされて近づくと、ミルと殆ど同じ身長だった。白いローブと尖り帽子、木の杖を持っていて、たっぷりの髭が顔の半分を覆っていた。
「遅れてすまんかったの。ワシはヘテムルと申す者じゃ。光属性持ちが来たのは二十年ぶりじゃて、最初は担がれとるんかと思ったわい」
うんうん、と頷いている。
二十年ぶりと言うからには、少ないのだろう。対魔王属性なので少ない方が周りにとっては良いのだが、ミルは半泣きになった。
「それじゃ始めようか。魔法は光属性、無属性、時空魔法の三つで良かったかの?」
「間違いありません」
「古典的な付与魔法使いじゃね。他の子は別の属性魔法だから何とかなるんじゃが、光属性はちぃと難しい」
ヘテムルがとん、と杖で地面を打った。足下に魔方陣が広がり、白く発光した。
「まずは初期魔法を見ようかの。光魔法の先生に習わなかったんじゃろ。ワシと一緒に基礎トレじゃ。まずは魔力を練って<光>」
「ら、<光>!」
同じようにすると、ミルの足下に魔方陣が広がった。
「そのまま維持して、杖の先に光を集めなされ」
「は、はい先生!」
ぐぬぬと踏ん張りながら魔力を移動させると、小さな球体となって兎の魔法杖の耳の先に集まった。
「よしよし、上出来じゃ。どんどん行くぞい」
ミルの能力を確かめるようにヘテムルがどんどん魔法を実践させる。時空魔法と付与魔法も順番に試していく。
「光魔法以外は中級レベルと。頑張って勉強してたんじゃね。自主トレ用に教材買ってくかの?」
「でも、光魔法は攻撃もできないので……」
「そうかい。ならこれはお爺ちゃんからのプレゼントじゃ」
「えっいいんですか!」
「ワシも歳じゃからあんまり動けんしの。それにお嬢ちゃんが立派な光魔法使いになってくれたら代わりに初心者講習やってくれるじゃろ?」
二十年に一回くらいじゃけど。と言われて苦笑する。
ヘテムルがローブの裾から出したのは四冊の分厚い教科書だった。
「初級編と中級編、上級編と特上級じゃ。最後の一冊まで行ったらワシに教えておくれ。ちなみに一冊金貨四枚。早めに写しておくんじゃぞ? 失くしても全然手にはいらんから」
「ありがとうございます、お爺ちゃん先生!」
金貨四枚分の本が四冊。とてもありがたい話でミルはやる気になった。
現金な子供に好々爺のように笑いながら、ヘテムルは初心者講習はこれで終わりにすると言う。ミルの持っている魔法は光属性以外初心者の域を出ているので、あとは実践経験を積むのを大切にするように言われた。光魔法は本に書いてあるとおりに実践すれば初級編は直ぐに終わるという。
遠くの街からわざわざ飛んできたと言うヘテムルは、講習レポートに判子を押すとミルに渡し、受付に持っていくように言う。そして杖を振ると風魔法<飛べ>を使って帰って行った。
「いいなぁ風属性……いけないいけない、他人を羨ましがっても自分が良くなるわけじゃなし! 早く手続きを終わらせなくちゃ!」
受付に講習の結果を伝えると、受付の女性は一瞬不憫そうな顔をした。
「では、改めて更新手続きをしたギルド証をお渡しします。本日から依頼を受けられますが、先に依頼受理に当たっての注意事項をお話しさせて頂きます」
受け取ったカードのランクがFからEに変更。そして職業種別には付与魔法使いの文字が。
わかっていたが辛い。
ミルは落ち込みそうになる自分の頬を叩き気合いを入れた。
「お願いします!」
+
「来たな」
「ひい」
此の世と今生の別れをさせてやるぜ、と言うような表情で歓迎されたミルは仰け反った。受付でにやりと笑っているドーマに、そんなつもりが無い事はわかっているが、顔が怖すぎた。
「も、戻りました」
「メシはできてるぜ。さっさと荷物を置いてきな」
投げ寄越された鍵を貰って二階へ上がる。宿の奥から二番目の部屋がミルの部屋だ。鍵を差し込んで解錠した後、『あなただけの部屋』を差し込むと扉が開いた。
さっと中に入ると荷物を置いて服を着替える。
一階から漂ってくる美味しそうな香りに頬を緩ませながら降りると、見知らぬ大人達が食事を始めているところだった。
二人は男性で、他の三人が女性だ。
向こうも気づいたようで、食事を並べていたドーマに声をかけた。
「なぁにドーマ、お客ビビらせてんの? ちょっとは顔面に優しさを足しなさいよ。ぷぷー!」
「俺達も人のこと言えないけどな!」
「何ですってアンタ!?」
「ちょっと、食事中に五月蠅いですよ」
赤毛の女性と、灰色の髪の男性がからかうように言うと、緑色の髪の女性がイライラした様子で二人を睨み付けた。残りの二人は無言でひたすら食事をしている。殆ど器に顔を突っ込むようにしていた。宿の食事はとても美味しいのでわかるが、がっつきすぎじゃないだろうか。
ミルが思わず圧倒されていると「座れ。そして食え」とドーマに命令され、良く訓練された兵士のように素早く椅子に座った。
並べられていたのは朝のたっぷりサンドイッチと同じくらいの量があるオムライスとスープだった。他のお客も同じメニューなので、この宿では食事は一種類しか作らないのだろう。
「いただきます」
スプーンを刺すと、中からトロトロの半熟卵が出てきた。かかっているコクのあるソースは少しだけ苦かったが、ケチャップライスと一緒に食べると、お米の甘みが出て美味しい。
今日は初心者講習の後、注意事項を聞いた。迷宮で歩いているときの警戒方法や、泊まる時に必要な必須品。四十層まである階層の地図も販売されていた。一冊銀貨五枚とお高く、ミルは十階層までの地図を買った。銅貨二枚だった。階層が下になるにつれて、地図の値段が上がるのだという。
まず採集をしてみてはどうかと言われ、常時募集している薬草採集を受けた。納品時に料金が支払われるため、いつ採ってもいい。薬草採集のときの手順や注意事項も聞いたので、現地で試行錯誤する事になるだろう。
「明日はどうするんだ」
「ひえ」
向かいにドーマが座ると、ミルの尻が椅子から数セメト浮く。
薬草採集をする事にしたというと、後ろの冒険者達が「兎に気をつけろ」など助言をしてくれる。
「俺もガキの頃にやってたんだけど、あいつらしゃがんでる時に限ってケツに角刺してくるんだよ。四つに割れるかと思ったぜ」
「きゃはは! あんた昔から馬鹿だったのねー? そのおかげで頑丈になったのかしら」
「食事中に下半身の話をするの、止めてください」
「……まあ、気をつけてやんな」
「あ、はい。ありがとうございます!」
すっと巨体が消え、圧力と熱気が消え去った。
ミルは食事を再開し、たくさん頭を使ったせいもあってペロリと大盛りのふわふわオムライスを完食した。
二階に上がってお風呂に入ったミルは残り湯で洗濯物をして装備の点検をした。
明日は初めての迷宮探索だ。
ちらりとヘテムルから貰った四冊の本を見る。
光魔法の初級編から特上級の本は枕元の棚に置くことにした。
「写すなら夜と朝やった方がいいのかな。インクが乾くまで待たなきゃいけないし。よーし! ……紙が無いから明日買ってこないと」
メモ帳しか持っていない。
ミルは買いだしリストに記入すると、所持金を見ながらぐぬぬと唸った。早めに依頼をこなしてお金を稼がないと宿無しになってしまう。
+
翌朝速く目が覚めたミルは朝食を貰って、半分をお弁当用にマジックバッグに入れた。
「よし、いってきます!」
「夕食前に帰宅しな」
「イエッサー!」
元気よく左右を見回してから出ていくミルを、生暖かい目でドーマは送り出した。