第一話
【前回までのあらすじ】
実家を出たミルは、シャリオス・アウリールという吸血鬼の冒険者に出会う。
パーティの申し込みをされたもののシャリオスは四十二階層で大怪我を負い、話は流れてしまう。しかしミルは、今度は自分が一級冒険者になったらパーティを組みましょうと申し込む。
見事条件を揃えたミルは、無事シャリオスとパーティを組むことに。
けれどシャリオスくんは、暗黒魔法の使い手だったのです。
それは秋。
冬に向けてあらゆる生物が苛烈な競争を始める秋。丸々と太った草食動物は更に美味しくなり、狩人は腹を空かせて襲いかかる。
「てめぇ! それは俺が目をつけたモンスターだぞ!」
「テメェこそどこ見てんだボケェ! 俺は昨日から目ェつけてたんだボケェ!」
「嘘つくんじゃねぇ!!」
しかしモンスターに季節は関係なく、丸々と太るわけでもない。にもかかわらず漢達は苛烈な食料確保のため、今も争い続けている。
「凄い光景ですね」
「視覚の暴力だよね。シャッケ捕ってるクマーみたいだ」
上半身裸になって魚を掴み取りしている猛者の鍛え抜かれた筋肉が、獲物を狩る瞬間だけ盛り上がる。跳ね飛ばされたモンスターは仲間が麻袋に入れ、窒息するまで確保している。
シャリオスとパーティを組んで一週間が経ち、食べると肉体に上昇効果が付くモンスターの情報及び捕獲方法が公開され、三十五階層は目を金にした冒険者達の狩り場となった。狩られる方の魚達は突如平穏を破られ、刈り尽くされようとしている。
「うわああー!」
「おい、あいつやられたぞ!」
「誰か端に寄せろ、その場所は俺達がもらう!」
「まて貴様ァ!!」
あんな場所に入ったら、ミルなど一瞬でぺしゃんこだ。化け物達の狂乱、といった風景を引き気味に見ながらそっと横を通り抜けた。
今日の目標は三十九階層。シャリオスが二年かけて攻略した沼地だ。
「この階層は足場が悪いとしか書いてなかったのですが、魔物は変わらないのでしょうか?」
「いや、毒蛙とか土蜂が出る。土蜂は毒針を持ってるんだ。最悪なのがヒル……。具合が悪くなったら直ぐに教えてね」
毒に気付かなかった冒険者が突然死んだ事もある階層だ。シャリオスはヒルに血を吸われて大変だったようだ。
大丈夫だと頷くと、何度も念押しされて戸惑う。理由を聞くと「ミルちゃん貧血気味でも言わないし」との事だ。それはシャリオスとパーティを組んで二日目、迷宮で連携確認していたときに放たれた暗黒魔法の余波で失神したせいだが、本人は気付いていない。
死んだような目をしたミルはフフッと闇深い目をして笑う。歴代のパーティ崩壊はこれが原因だと予想が付くほど、正気を保つのが大変だった。思い出さないように流しておくのが賢明だ。
「ですが、それと障壁に乗って行く話がどう繋がるのでしょうか。これで攻略したと言ってもいいのか……」
「大丈夫。ここはうまみも無いし」
採れるものは全部調べたが、ドロップ品含めて需要が少ないという。毒耐性の魔導具も他の迷宮でドロップしているし、そもそも毒蛇に挑む者が少ない。
階層主が三十六階層に常駐しているせいか、三十九階層まで階層主が出たという記録もなく、経験値を稼ぐにもうまみが少ないと言う。
二人はミルの作った障壁に乗って、青黒い沼の上を移動している。沼は煮詰めたようにもったりとしていて、気泡をあげていた。
アルブムはシャリオスの足下に座り毛繕いをしている。その落ち着き払った優雅さは、迷宮の脅威を感じていないかのようだ。
「でも、シャリオスさんは二年もかけたんですよね?」
「そうだよ。あ、そこで止まって」
シャリオスはマジックバッグから乾パンの欠片を取り出すと投げた。ジュ、と音を立てて溶ける。
「え」
「それからあっち」
もう一つ乾パンを投げると、沼の中から飛び上がった巨大なヒルが体をうねらせて現れた。ヌメヌメとした体液をまき散らす様子に口元を押さえる。
「ちなみに、僕達の足下は底なし沼だから。運が良くても三十九階層にたどり着いて…大変なことになった」
「大変なこと?」
「落ちてる途中で色んな魔物に襲われるし、息ができない。状態異常マシマシで放り出されて、本気で死ぬかと……」
「生きててくれてありがとうございます」
罠中心の階層のようだ。シャリオスは影に潜れたから生き残れたのかもしれない。ちなみに知らないまま来ていたら、アルブムもろとも死んでいただろう。ゾッとする。
「もう少ししたら大穴があるよ。迂回路が狭い。モンスターが出たら、下がるか天井の突き出してる石を掴んで突破するしかない。風魔法使いがいないと楽に進めないんだ。だからミルちゃんがいてくれて、凄く助かる!」
「迷宮が冒険者を殺しにかかってる階層ですね」
シャリオスの言う大穴は、三十分ほど行った先にあった。
沼地では、歩かない限りモンスターは気付かないようだった。三十七階層の入り口では砂が多くなっていたので、沼地は軽減させられているのかと思ったが、ここからが本番のようだ。
そう思っていたミルは度肝を抜かれた。
青黒い沼がぽっかりと切れ、泥が灰色の水と混じって落ちていく。
「濁流の都から流れる水が真下に流れてる。門を通る方法と、穴を降りる二つのルートがあるんだ。今日は門から行こっか」
「落ちたら痛いじゃ済まなさそうですね……」
流されたモンスターの悲鳴が聞こえたと思ったら、小さくなっていく。あれはビーフギャングだろうか。
今日の目的は四十階層がどういう場所なのか見る事だ。そうしなければ対策も立てずらい。怖々と障壁を滑らせた。
「ここが砂漠ですか……!」
黒門から顔だけを出したミルは、生臭い沼地の匂いから一変し、蒸し暑い焼けるような日光に目を細める。風は乾ききり、息をするだけで喉が渇く。サウナの中に放り込まれたような熱気は体力を奪うだろう。それに足下の砂もだ。
遠目に見える建物は壁だとシャリオスは言う。
「あの壁の向こうには地面が無かった。飛べればわかるけど、たぶん空中に浮いてると思うよ。ここ数階層にまたがって、一つの階層になってるんだ」
「ギルドの調査には、砂漠としか書かれていませんでしたが……」
「適応した生き物以外は長期滞在出来ないからね。隅々まで調べるのは無理だよ。それでどう? なにか良いことを思いついた?」
「砂漠というと、日光が当たるから暑いんだと思うのですけれど。えい」
杖を振ったミルは、周辺の光りを弾いた。すると地面が光って目に眩しい。乱反射したようだ。調整して瞼を開けられる光量に戻すと、シャリオスを手招く。
「地上とずいぶん勝手が違うみたいです。試しにシャリオスさんの周囲の光りを弾いてみますから、門をくぐってもらえますか?」
するりと入り込んだシャリオスに魔法をかける。
「どうですか?」
「凄い、全然熱くないよ! これなら<纏う闇>使わなくていいかも」
「よかった。あとは入り口付近でいいのですけど、戦闘時の動きに合わせる練習をさせてもらえませんか?」
「もちろん! 行こう、アルブム」
「キュァ!」
四十階層の砂漠は不思議な建造物のようなものがある。よく見ると巨大な生き物の死骸だった。ユグド領がすっぽり食べられてしまいそうな頭蓋骨を見て、まさかと左右を見回したのは、仕方無いことだろう。これほど大きなモンスターが出現すれば、あらがう暇も無く潰されてしまう。
そんな想像をしていると、青空の向う側に見えるうっすらとした天体も、異世界に迷い込んだかのような印象を与えてくる。
この階層に出現する出てくるモンスターはゴーレムと爬虫類系が多く、竜種も混じっているのではないかとシャリオスは言う。それは角が生えていたからだ。背中には退化したとおぼしき骨の痕もあり、判明すれば分類変更される可能性もある。
「モンスターの名前は確定しているんですよね」
「そうだね。ただ、迷宮の中にしかいない生物もいるから厳密には違う場合があるんだって。それがわかったのはルルーシャ導師が作った鑑定魔導具を使った冒険者がいてね――」
とても話が長いのでまとめると、ルルーシャ導師が作った鑑定魔導具というのは、ギルドがレベルを調べるために使っている鑑定水晶だ。とても高いのだが、シャリオスはいずれ手に入れたいと力強く語る。
確かにあれば便利だろう。だが、一般人が手に入れられるような値段ではない。
「そのためにも、僕はお金を稼ぎたいな」
シャリオスは金欠ではないが、魔導具を収集する癖があるので稼いでも出ていく金額が多そうだ。金貨二百枚以上の装備を普通に着ているのだし。
そんなことを倒したモンスターを解体しながら話している。すると足の付け根にナイフを滑らせたミルを見て、シャリオスは指をさして教えた。
「そこの股肉おいしいよ。愛好家に高く売れる」
何度か戦闘し、倒したモンスターの部位は高い順からマジックバッグに入れている。手慣れた動作はトレジャーハンターのようだ。
戦闘中は光が入り込んだせいで「あづい!?」と叫ぶ場面もあって慌ただしかったが、調整をした結果、穴は無くなった。シャリオスが使う魔法よりミルが調整した方が魔力の消費も少なく済むので、今後は光を屈折し続ける事となった。
シャリオスは前衛としてとても優秀だ。判断力も胆力もある。本気の剣さばきは、猛禽類が獲物を狩るように素早い。急所を狙い、堅い鱗や岩であっても両断する。刃こぼれしないのは剣が凄いだけではなく、かつてベルカに言ったように、岩を切るコツを掴んでいるからだろう。
(よかった)
そう思ったときだった。
足下が盛り上がり、アルブムが鳴く。下を見れば落とし穴のように大きな口を開けた円柱状のモンスターがいた。口内はみっしりと牙が並び、涎をまき散らしているのが、いやにゆっくり見えた。
「<暗黒炎>!」
黒い炎が一瞬にしてモンスターを飲み込んだ。のたうち、横に付いている小さな目が白目を向くように左右逆に動き――そこからは言葉にするのもはばかられるような凄惨な死に様だった。
「今の砂ミミズだね。危なかった。飲まれたらズタズタになるところだったよ」
シャリオスに救出されたミルは、骨すら残さず死んだモンスターがいた場所を見下ろした。死体の痕を残すように、くっきりと黒いシミが残っている。
気が遠くなり、ミルは仰向けに倒れた。
「え!? ミルちゃん? しっかりして――」
そんな声が聞こえたのを最後に、意識は暗い底へと落ちていく。
+
モザイクをかけないと直視できないような光景を見てしまった不幸。それは夢の中まで精神を浸食してくる。
「……うう。肉が、肉が引き裂かれて悪魔の液体が……や、やめて! もう死んでるから、止めてくださ――!?」
「よかった、目が覚めたんだね」
「キューン……」
額に冷たい布を置かれ、目を開ける。
心配顔のシャリオスがのぞき込んでいた。バイザーを開け、表情が見えるくらい近くにいる。
「シャリオスさん、日光が――! あれ、ここは三十九階層ですか?」
「そうだよ。入り口から離れた所にテントを張ったんだ。ここなら僕も休めるし。地面はアルブムが凍らせてくれたよ。それより具合はどう? 起きられるなら水を飲もう」
大慌てでミルを担いだ1人と1匹は引き返したという。
貰った水を飲むと、体がすっと整ったような気がする。心配でキュウキュウ鳴くアルブムが頬を擦り付け、尻尾でミルを包む。
「キュァ?」
「すみません。その、驚いてしまって……」
「砂ミミズに? 昼に生きる人達は繊細だね。日光が平気なのに、こんなにか弱いだなんて」
「過去メンバー脱退の理由が垣間見えたような……」
考え込むシャリオスは、自分のトラウマ魔法が及ぼした影響とは思いも寄らない。続けばミルの方が参ってしまう。
「あの、シャリオスさん――」
「じゃあ、これからの探索はもっとゆっくり進もうか。足場の警戒もそぞろだったし。今日は帰るとして、こっちおいで。おんぶしてあげる」
意を決して言おうとするのだが、優しく微笑まれれば口がぱくんと閉じてしまう。
(他の人もシャリオスさんが優しいから、言い出せなかったのだわ……)
お前の魔法怖すぎ、なんて言ったら傷ついてしまうかもしれない。
背負われたミルは都度気遣うシャリオスに、何とも言えず押し黙った。沼地だけ障壁で移動した後は、降りると言っても却下され、宿に戻るまで背負われたままだった。
親鳥が雛に餌を与えるがごとく、シャリオスは帰ってからも甲斐甲斐しく世話を焼く。お風呂をたてて、その間に胃に優しい食事をドーマに頼み、食べている間に探索で得た物をギルドで売ってお金に換え、料金は山分け。
心苦しいほどの優しさと思いやりに溢れ、勝手に口が貝のように閉じていく。
(そうだわ、時空魔法を極めて自分の記憶を消せば良いのよ……)
ちなみに記憶を消す魔法は開発されていない。
ミルの双眸は光を失い鈍くなっていたが、ご飯は相変わらず美味しかった。
+
火山を進むために水の羽衣という装備を買おうとシャリオスは言う。金貨百五十枚の羽衣で、暑い場所を歩くときは必需品だという。シャリオスはもう持っているので、二つ揃えることになった。
出来上がるまで探索は休みとなった。
所持金も潤っているので宿の心配はない。早速もらった時空魔法書を読みふけっていると、ドアを叩く音がした。ジャーキーをかじったアルブムが、器用に開けると、そこにはドーマがいる。
「客が来てるぜ」
「……私にですか?」
「おう。下に来いや」
待っていたのは黒ローブの魔法使い。兎耳を生やしているので兎人族だろう。毛並みは白く、長い髪の毛はうっすらピンク色だ。年頃は同じで、緊張した様子だった。見たこともなく、誰かの話に上がった冒険者でもなさそうだ。
彼女はミルを真っ直ぐ見つめながら、問いかけた。
「一級冒険者のミル様でしょうか?」
「……。へぁ!? え、は、はい。そうです」
この間できたばかりの肩書きを呼ばれ、思わず挙動不審になってしまう。貴族であっても落ちこぼれ、領内か自宅で過ごしていたため、かしこまられると嫌な感じに心臓が鳴る。悟られないように薄く微笑むと彼女はびくびくした。
「失礼ですが、どちら様でしょうか」
「す、すみません! わたしはユティシアと申します! 王都からやってきた魔法使いです。突然訪ねてきて厚かましいとは思いますが、私に戦い方を教えていただけないでしょうか……!」
勢いよく頭を下げた拍子に、ウサ耳が顔面を叩いて行く。
彼女は頭を上げると、懐に入れた手紙を差し出した。表紙には「ミル・サンレガシ殿」とあり、差出人は「ベルカ・バーウェイ」とある。
「ベルカさんのお知り合いですか?」
「一時、パーティを組んでました」
騎士訓練が始まり、別の迷宮へ行ったベルカとパーティを組んだのだという。彼女は付与魔法使いで、適性は無属性と水属性の二つ。しかし水属性は術が攻撃力が低いものしか出せず、固定パーティを組みにくいのだという。
そこでベルカはミルが二十レベル代でウズル迷宮の三十階層まで付いてきた付与魔法使いだと話した。見たこともない魔法の使い方で後衛の役割をこなしていたと。魔法の使用は障壁が中心だと聞き、それならばと訪ねて来たのだという。
ベルカの手紙は紹介状だった。
彼女が伸し上がりたいと思っていること、付与魔法使いの地位を上げ、迷宮を攻略したいと考えている。それにはまず、信頼できる仲間と固定パーティを組まなければならない。その足がかりのため、魔法を教えてあげてほしいとあった。
なぜベルカがそこまでするのかわからなかったが、理由は最後の方に記載されていた。どうも、盗賊騎士の仕事は潜入調査が多く、指名手配犯の追跡も含む。業務中に彼女へ損害を与えてしまった保証として、今回の紹介状を書くに至ったというわけだ。断っても構わないと末筆にあり、ミルは悩む。断る場合は別の保証をする約束も既に結んでいるので気兼ねなく断れるのだが、どうも手厚いように思う。これはベルカが良心の呵責に耐えられなかったのか、本当に凄まじい巻き込み方をしてたのか。
チラリと盗み見ると、ユティシアは息を止めているのではと言うくらい顔を真っ赤にしている。
ミルは嘆息を飲み込んだ。何しろ自分は迷宮に潜り始めて一年も経っていない初心者に毛が生えた程度の経験しか持たないのである。
「もちろん、習得できる見込みが無いかもしれないので、三ヶ月でかまいません。お礼は必ずします!」
「その、何と言いますか……障壁を動かせれば誰でも同じ事を出来ると思います。<障壁>」
「え、本当に動いた!?」
お礼という言葉に気持ちが動いたわけではないが、必死な様子だ。ミルは手の平ほどの障壁を作り、左右に動かしてみた。口を半開きにしているユティシアは耳をピンと立てて驚く。
やってみるように言うと、直ぐに障壁を張り杖を振って何とかずらそうとする。しかしどう踏ん張ってもできない様子だった。
「……動かない~!」
「障壁を横に広げるのは出来ますか? 感覚はそれですが……」
あれこれと教えていくと、ほんの数ミミト動く。目の錯覚かと思えるほどかすかだが、彼女にとっては大いなる進歩のようだ。感動した様子で涙ぐんでいる。
「やっぱり魔法を教えてほしいんですけど、駄目でしょうか!?」
「こんな感じで良いのでしたら……」
「やった! よろしくお願いします!」
三ヶ月の教師役が決まったが、ミルにも探索がある。そのときは彼女も上層で稼ぎに行くと言うことで話は纏まった。最終的にユティシアが目指すのは三十五階層で、魚を確保できれば大金が手に入るのだと言った。目が金になっている。なかなかに冒険家のようだ。
少し心配になったが、教える事が少なく済めばそのほうがいい。
(ベルカさん、貸し一つですよ……フフッ)
いつかパーティに引き込む算段は、ミルの脳内で着々と進んでいた。
意気揚々と帰って行くユティシアを見送ると、背後から伸びてきた手が肩を掴む。
「わぁ! シャリオスさんでしたか、脅かさないでください。あと、おはようございます」
「もうお昼だけどね」
驚きつつ振り返ると全身鎧のシャリオスがいて、どことなく不満そうな雰囲気を出していた。
「さっきの子は誰?」
「ベルカさんのお知り合いのようで、かくかくしかじかでした」
「……三ヶ月か。ふーん」
まあ妥当だよね、と面白くなさそうな顔をしている。
小首をかしげていると、気付いたシャリオスがちょいちょいと手招きする。座ったとたんランチが叩きつけられるように置かれ、ミルは尻の位置を直す。すでにお馴染みの光景になっているので、誰も口を出さなくなっていた。
「ラーソン邸にいたときに、僕に来客が多かった話は覚えている? あ、豚ネギの塩炒めだ、おいしい!」
「はい、覚えてます。……こっちは肉の野菜巻きですね。中はアスパラと何でしょう? 黒くてシャキシャキしてます」
「ゴボウかな? サラダはジャガイモと魚の切り身だね。あ、チーズ入ってる」
「ごぼう?」
「食べたことない? 木の根っこだよ」
んぐっと喉に詰まりかけたのを飲み下す。ドーマの食料欲求はどこまで広いのだろうか。おいしいので食べるが、なんとなく遠い目になってしまう。
しばらく咀嚼する音だけが続き、十二杯目の塩ネギ炒めの皿を丁寧にパンで拭った後、シャリオスは口を開いた。
「一級冒険者になると色々な人が尋ねてくるんだ。中には悪い人もいるんだよ。特にウズル迷宮は階層が深いから、他領のジェントリや迷宮領主も注目してる。未知のアイテムが出る可能性があるからね」
親切に見えても裏での繋がりがあったり、攻略の可能性がある冒険者に取り入って権力者との繋ぎに使おうとする者もいる。無防備なままでは食い荒らされてしまうとシャリオスは声を落として警告する。
「もしかしてラーソン邸は、そう言った人達から冒険者を守るためのものだったんですか?」
「その側面もあるけど、領主様は横から冒険者を攫われるほうを警戒してる。今は情報が広がってないから大丈夫だろうけど。相手はよく見て判断しなきゃ駄目だよ? ベルカには一級冒険者になったこと伝えてたよね?」
「手紙を送りました」
であればユティシアは大丈夫だろう。うむうむ、と頷いてシャリオスは続ける。
「あとね、国内にある迷宮にも利権が存在して、領主達もしのぎを削ってる。他領の邪魔をしに武力行使をする事もあるくらいだ」
「戦争をするのですか!?」
「あ、そこら辺はやっぱり知らなかったんだ……。もちろんあるよ」
大義名分があればの話だが。争いが起こったとき、連絡が行く前に決着が付けば勝者の良いように理由付けされて合併されることが多い。他にも下手人を領内に潜り込ませる、暗殺者を派遣するなどやりようはある。
冒険者に関係があるのは暗殺だ。弱みを握って駒に仕立てようとする者もいる。そう言えばミルは震え上がった。
「怖い世界だったんですか……」
「冒険者は流れ者が多いし、食い詰めた人がなることも多いから。……ミルちゃんぼーっとしてる所があるからなぁ。心配だから、知らない人が来たときは僕も呼んでくれる?」
「ぽやっとしてる人に言われるなんて」
今日一番の屈辱を感じたが、完全な善意。断る理由も無いので、ありがたく頷き、その日は解散となった。
空いた時間は観光地や美味しいお店に顔を出したり、普段は出来ないことをした。シャリオスは買い食いをするのが好きで、夜中にやっている店は全て回ったのだという。
あとは昼間なのだが、今までは一人だと付き纏われて大変だった場所にミルを引っ張っていき、大変満足した様子だった。しかし遠目でハンカチを噛んでいるお姉様方に睨まれるミルは、胃に穴が空きそうだ。鈍感力の販売店はどこなのか切実に知りたい。
(でも一番は魔導具の展覧会ね……)
部屋の四隅に追い詰められ、止まらない話を閉館まで聞かされぐったりだ。しかしシャリオスはとても楽しそうで来週もう一回行こう? と誘ってくる。そのときは部屋の四隅に追い詰められつつ魔導具の説明を聞くという苦行をされた。ミルは礼儀正しく人の話を最後まで聞いてしまう癖があった。
「皆さん逃げてしまうわけだわ……」
「えっ。わたしの指導辛いですか!?」
再びやってきたユティシアが驚愕の声を上げる。それに首を振って否定し、溜め息を一つついた。
「いえ、別のことです。ユティシアさんはずいぶん障壁を動かせるようになりましたね。今日は四十セメト動きましたし」
「なんだ、びっくりしました……。形を自由に変えられるミル様の方が凄いですよ! まだまだです。それに、実際動かすところを見せていただかなかったら、今でも何も出来ないままでした」
ウズル迷宮でも実際に使用し、有用性を証明できていると言う。階層更新も順調で、野良パーティなら相手に困ることはなくなったそうだ。羨ましいと思いかけて、今は自分もパーティを組んだ事を思い出し、そっと目元を染める。
(そうよね、シャリオスさんは私と組んでくれたのだから、それで満足しなくちゃ。他は自分でなんとかしないと)
変に思われるのでユティシアに見られないうちに、にまにまする口元を何とか押さえる。兎耳をキレのある動作で振ったユティシアは目を輝かせた。
「やっぱり攻撃の幅が増えたのが一番の理由ですね! 障壁で叩けば大抵のモンスターは吹っ飛びますし」
「あ……そうですよね。障壁でモンスターを叩けばよかったんですよね。角持つ兎や土蜂もそうでしたしっ」
一階層で初めてであったモンスター達は自滅していた。ミルは心の中で、なぜ気付かなかったのと自分にがっかりした。
落ち込んだり嘆いたり忙しいミルに苦笑いしながら、ユティシアは障壁練習へ専念することにした。他人と関わってヒントを得る。自分の力だけで問題を解決することが難しいと言うのを良くわかっていたからだ。
少しはお返しをできていたら嬉しいとユティシアは思った。




