第五話
真っ暗な部屋の中、シャリオスは腕を回して調子を確かめた。
「ご飯食べたいなぁ」
たまにミルが差し入れで持ってきてくれるのだが、この間もらった魚料理は特に美味しかった。
思い出して涎を垂らしていると、部屋の前で誰かが立ち止まる気配。
「おーい、くたばってるか?」
「お腹空いたー」
「なんだ生きてるな。よし、メシをやろう」
知った声はそう言い、シャリオスは慌ててシーツをかぶった。扉が開いて日光が肌をちりっと焼く。
「熱っ! いきなり入ってくるの止めてよ、ユヒト」
「わりぃわりぃ。それよりたんと食えよ。そして金を寄越せ」
「まるで宿の人みたいな事を……」
「あん?」
ドーマを思い出していると、負けず劣らず筋骨隆々のユヒトが、大鍋を担いで入ってくる。この匂いはシチューだ。
ユヒトは邸内で一番よく話す。がさつだが気さくで優しい。なので代わりに買い出しをしてくれたりする。代金を渡すと、手慣れた様子でランプに火を付けた。
「俺もさ、やっぱりここのメシは腹に溜まんなくてよ。他所で三人前食ったわ」
「これと同じの?」
「おう。結構うまかったぞ。ジャガイモがでかい」
というか四等分になっているだけだった。
シャリオスは鍋の中身を持っていた底の浅い鍋に移し替えて食べ始める。少し冷めかけで膜が張っていたが、味の濃い牛乳で作ったためか、ドロドロとして重たい。パンを食べたいなと思っていると、硬めに作った大きなパンを十斤渡される。
「わり、出すの忘れてたわ」
「いいけど。それより今日は食べないの?」
「さすがに怪我人から食い物はせしめられねぇな。それより、お前とパーティ組む冒険者、なんだったけか?」
「ミルちゃん? このくらいの背丈の女の子で、白い装備で白い使い魔を連れてるよ」
「お、そうだったな! お前が他領にごり押しされて出た舞踏会で、逃げ帰ってる途中、うっかり蒸し焼きになった所を助けた女だったな?」
「覚えてるじゃないか……」
あれは酷い話だった。
護衛依頼だと言ったのに、夜会に引っ張り出されて舐め回されるような視線にさらされたかと思えば、男女関係なくペタペタと体を触ってくるのである。男に部屋へ連れ込まれそうになったところ、全力で逃げたのだった。
もちろん、ギルドに報告して破棄してもらった。依頼内容と違うことを冒険者にさせた場合、冒険者側から苦情を言ってペナルティを食らわないようにできるのだ。
「もしかして、ミルちゃん見かけた?」
「見た。三十五階層にいたぞ。……ありゃ何者だ? 変な魔法で魚釣りまくってたぞ」
宙に浮かぶ魚類系モンスター。殺しても消えるため、一度としてギルドに持ち込まれたことがないそれが、死体となって大量に浮いていた。浮遊系の魔法かと思ったが、水ごと魚を掬い上げられる訳がない。まるで漁をしているかのような鮮やかな手並みだった。
「あ、じゃあこないだ貰った魚の料理はそれだったのかも。おいしかったなぁ」
「俺も食いたい。じゃなくてよ、お前の話じゃ付与魔法使いじゃなかったのか?」
「そうだよ」
大きなジャガイモを丸呑みするように口に入れて、
「もぐもぐ。頑張り屋な付与魔法使い。使ってるのは無属性の<障壁>が中心。ユヒトが見たのもきっとそうだ」
三度噛んで飲み下す。口の回りにホワイトソースがべったりと付着した。
「何つーか、意味がわからん魔法になってたぞ」
「だから頑張り屋なんだって」
「凄さが伝わらねぇなぁ。なんかお前の話だと普通の付与魔法使いにしか聞こえないぜ。肉もらいっ」
「あ! ちょっ。怪我人からせしめて、良心の呵責はないのか」
「一瞬だけ消えた。でもまぁ、見て納得したよ。アレなら無詠唱で光を屈折させられるわけだ。そのうち<障壁>も唱えなくなるかもな。そうなったら化け物だぜ」
ジト目で睨んでいたシャリオスは大振りのにんじんを咀嚼する。
「女の子に化け物はないだろ」
「風魔法も使わずに浮いてたんだぞ? 末恐ろしいだろ? てか本当にお前、あの子とパーティ組むのか? いっそのこと俺の所に勧誘したい」
「だめ! 誘ったのは僕が先だった」
「こういうのは本人が選ぶかどうかだぜ? それに、お前と組んで精神が潰されたら元も子もないだろ? 今までの行いを忘れたのか」
「何も悪いことしてないし」
「やれやれ、これだから吸血鬼は」
へへっと茶化すように笑っている。本気ではないだろうが、言われていい気はしない。
むすっとしていると、今度はパンを千切られた。シャリオスは盗られないように鍋を囲い込んで、パンを近くに寄せた。
「まあ、ヤバそうになったら声かけてくれや。俺達も火山で詰まってる」
一瞬だけ表情を落としたユヒトは立ち上がる。
「よく寝て食ってクソして速く治せよ」
「ありがとう。でもお下品なこと言うのやめろ。僕食べてるんだけど!?」
「じゃ、風呂入って寝るわ」
「聞いてないし」
+
状態異常耐性をつけるために、毒耐性の魔導具である紫のアクセサリーを首に。アルブムにも同じ物をつけた。
装備は事前にメンテナンスへ出し、毒液を回避するために修練した魔法の出来は良い。
「行きましょうアルブム。命を賭ける時間がやってきました」
「キュン!」
今まで命を賭けていなかったかといえば、そうではないけれど。
三十六階層。
領主が定めた一級冒険者になるために立ちはだかる壁は、二十メルトを超える大蛇。常駐の階層主である、毒蛇だ。
濁流の都から流れた水が、この階層では殆ど透明になっている。
地面には白い砂が混じり始め、大気は生ぬるい。
壁はうっすらと張り付いた苔で光り、空間を照らしている。その先にとぐろを巻いている毒蛇を発見した。
「アルブム、下がっていてください」
「キュ」
「――<目眩まし>」
「ルアァ――!!」
眠っていたところを叩き起こされた毒蛇は閃光と共に咆吼する。赤い目が目標を探し彷徨った。二本の長い牙の隙間から、赤い舌が長く伸びる。
「アルブム」
静かな一歩を踏みだし、雪原の狩人は疾走した。
「<攻撃力増加魔法>、<移動補助魔法>、<魔力付与魔法>、<障壁>!」
展開された十枚の障壁が強化付与魔法と混ざり毒蛇の周囲を回る。鎌首をもたげた大蛇が音も無く動き始めた。
アルブムは<移動補助魔法>がかけられた障壁を踏む。障壁がギリギリと軋み、柔らかく凹む。それをバネに飛びかかった。
狙うのはただ一つ。
肉薄したアルブムが鱗に着地した瞬間、前足が深く眼球へ沈み込む。
酷い鳴き声を上げ、左から右へ頭を振る。耐えられずアルブムが跳ね飛ばされ、壁に叩きつけられる前に柔らかくした障壁で受け止める。
ここからが勝負だ。
踊るように体をくねらせ、長い尾が壁を叩く。つららのように伸びていた鍾乳石が根元から割れ落下した。
耳を動かし、五感を研ぎ澄ませ、アルブムは見もせずに全てを避ける。
荒れ狂う嵐のように渦を巻く毒蛇の頬が膨らんだ。
「<止まれ>!」
毒袋から吹き出した液体は、辺り一帯を浸すほどだった。魔法で止まった一瞬、それだけでアルブムには十分だ。
「キュオオオオ!」
大きく後退し九本の尻尾を膨らませながら吐き出された冷たい吐息は、毒蛇の顎を凍らせた。
パーティは一人と一匹。目の前には大蛇。前衛はいない。仕留めるためには弱らせ、喉笛をかみ切るしかない。最悪な条件は幾度も経験し、知恵を磨いてきた。
「<障壁>!」
叫びに気づき、毒蛇はようやく侵入者がもう一人いたことに気付く。うねった体をバネに地面を抉りながら突進する。堅い鱗は落下する鍾乳石をものともしない。
だが、それは罠だ。
足の裏に貼り付けていた障壁を動かし、垂直に飛び上がる。伸び上がった鎌首が追跡し、巨大な口腔が奈落の通路のように付いてくる。
毒蛇は酸を、毒液を、麻痺毒を口を膨らませては吐き出した。何が何でも敵を仕留めるという狂気に身をゆだね、全ての攻撃を仕掛けた。
ミルは避け、時には障壁を盾に、逃げの一手を打つ。右へ左へ、ジグザグに進んで降下し、回り込み、離れては追いつかれる。気付けば巨大な毒蛇は何かに絡まっていた。透明で細く、粘り気はないが、柔らかい何か。
杖を振れば、それは意志を持つかのように毒蛇を締めあげた。
「<止まれ>」
毒蛇が一瞬止まった。
しかし一瞬だけだ。
「<止まれ>!」
次は前よりも魔力を込め、片目だけになった眼光を睨み付ける。
「<止まれ>!! ――アルブム!」
「キュキューン!」
巨大な体に飛び乗って颯爽と走る姿は優雅だった。白い毛並みを撫でる風を置いて行き、アルブムはその喉笛に噛みついた。前足が硬い鱗を踏み抜き喉に食い込めば、びくりと震えた毒蛇が背後を見ようと目を蠢かせた。
「<止まれ>、<止まれ>、<止まれ>、<止まれ>、<止まれ>、<止まれ>、<止まれ>、<止まれ>――!」
毒蛇の生命力は凄まじい。
命の灯火が消えたのは、喉を半分以上、食い破った後だった。
毒腺が破れ、舐めたアルブムはブルブルと震え出す。慌てて解毒薬を飲ませて叱ると、凄く美味しくなかった、と尻尾を垂らす。
「もう! 体が変になってしまいますよ。アルブム毒耐性が無いのですから」
「キュー」
「それじゃ解体――。どの部位を持っていけば……」
でーんと倒れる毒蛇の死骸を見上げる。蛇の解体は一度もしたことがない。討伐証明はどうすれば良いのか。
困り果てたミルは鱗と牙を時間をかけてマジックバッグに入れた。戦闘より長くかかり、お腹をすかせたアルブムは蛇肉を食べて美味しいと鳴く。
さりげなく噛み千切ってミルに勧めてくるので、どうしようと悩んでいると、マジックバッグに入れてしまった。たくさん物が入ることを知っているのだ。アルブムはお利口さんである。
「と、とりあえず、このくらいにしておきましょう!」
「キュキュン? キュキュー」
獲物が半分以上残ってるよ、と教えてくれているが、もう疲れたので帰りたい。
(三十五階層でいろいろ練習したけれど、光の魔法の真似が上手くいって良かったわ)
障壁魔法を細く伸ばして張り巡らせた物を絡ませて、絞ったのだ。
崩れ果てた階層を見渡し、上からの落下物に注意しながら三十七階層の門をくぐる。見たところ、砂が増えているようだ。
くんくんと鼻を鳴らすアルブムのマズルを撫でて、引き返す。
そしてごった返す迷宮ギルドの入り口をくぐった。
「スプラさん!」
書類整理をしていた彼女は顔を上げて目を丸くする。
「ずいぶんと汚されましたね、サンレガシ様」
泥と血で汚れたままの帰還に内心顔を顰めるが、柔らかく彼女は微笑んだ。冒険者が汚れたままギルドに来るのは日常風景だ。
「見てください、毒蛇を倒しました!」
手の平ほどもある鱗を差し出すと、彼女は愕然としたように呟く。
「早すぎるわ」
「え?」
「いえ、失礼いたしました。ご報告ありがとうございます。これから通達などもありますので、先に買い取りカウンターで品物の確認をさせていただきたいと思います」
「あ。そうですよね、すみません」
恥ずかしそうに髪を直した後、買い取りカウンターへ飛んでいく。肩に乗ったアルブムの尻尾がふりふり揺れた。
しばらくすると買い取りカウンターでどよめきが聞こえる。それと同時に、同僚が肩を叩く。
「あんた担当の子、凄いわね。あれで貴族なんでしょう? なんで迷宮ギルドにいるのかしら」
「詮索は御法度よ」
「わかってるわよ。でも、これでまた一級冒険者が増えるわ。領主様に連絡しないとね」
忙しくなるわよと背中を叩かれた。
「あの子は登録してまだ半年なのよ……」
そのときのレベルは、たった一。半年で三十レベルを超え、ソロで活動し、一級冒険者になった。冒険者が求める名声を一つ手に入れたのだ。スプラの予想を裏切り、生き残ったのだ。
だが喜べない。
(化け物が生まれるわ)
力を持った英雄は時に、国政を動かすのだ。
嵐にならなければ良いがと、スプラは思った。