第二話
助言通りに手紙をしたためたミルは、写本が終わった三冊と共にヘテムルに郵便を送る準備をした。
(返事がいつかわからないし、ドーマさんに言付けておこう)
そう考えながら降りると騒がしい。
何事かと顔を出すと、ちょうどドーマが腕組みを解いて振り返ったところだった。入り口からさっと出ていく影が。
「おはようございます。何かありましたか?」
「冷やかしだな。最近よく来るが速攻で逃げる。……それより金をだしな」
「はひっ」
凄まれて小銭を出す。
今日は装備屋に行ってブーツのメンテナンスと相談をするので、久しぶりにゆっくり朝食をとる。
本日のメニューはウィンナーロールと丸ごと野菜のローストだ。皮をむいて口に入れると、野菜の味とバターが絡まって美味しい。ウィンナーロールも焼きたてで、肉を噛むごとにポキリといい音がする。これは「美味しく食べてね」とウィンナーが言っているに違いない。
アルブムは無言で咀嚼していた。野菜は皮ごと食べて首をかしげつつも、尻尾を高速で揺らしている。
ペロリと食べた一人と一匹は、食後のミルクをグビリと飲んだ。
「それでは行ってきます!」
「キュキュ」
首を伸ばしてシュッと左右を見回したミルは、ギルドへ走る。速達にするか聞かれたので、荷物の輸送を依頼し、手続きを終えて装備屋へ爪先を向けた。
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「はぁん? 沼地でも歩けるようにたぁね。小娘がいっぱしの冒険者になるたぁな」
などと褒めているか、貶しているかわからない言葉を吐いて、店主は「五日後に来い」とミル達を追い払った。料金は前払いで金貨十枚。引き渡し後は、更にかかった値段を払えと言われた。
「とんでもない額を言われて、借金になったらどうしましょうか……」
「キュキューン!」
あれ食べたい、と屋台の方を向いたアルブム。肩に乗っているので、尻尾が首に巻き付いてきて暖かい。
全然話を聞いてない相棒に嘆息しつつ、串カツを買う。
端に寄って囓り始めると、口の中に幸せの味が広がった。ユグド領は食事が美味しい。
「美味しい物を食べるためにも、明日からは上層の依頼をたくさん取って、お金を稼がないと」
「キュキュ? キュッキュー」
「確かに、下の方が金額が良いですよね。でも、私達は余裕を持って探索できていないので、慣らしもしないと。それに、これから行くのは濁流の都ですし……」
今の階層主が何かわからないが、灰色の王ほど大変じゃないと良いなと思う。聞いた話だと、やはり魚類系のモンスターらしいのだが。
八百屋の呼び込みに呼び止められたり、アルブムを触りたがる子供達に囲まれたり、かつあげに遭いながらも無事に宿へ帰ると、ヘテムルから返事が来ていた。
「え、もう来たのですか!?」
「さっき置いてったぞ」
送ってから半日も経っていない。どういうことだろうか。
ドーマが持つと小さく見えるが、小包は意外と大きい。食堂のテーブルを借りて、中身を確かめることにした。
「速達って言うか即日配送? もしかして荷物の輸送も魔法でやってるのかしら」
謎は深まるばかりだ。
小包には本が二冊と、手紙が差し込まれていた。
便箋を開けて中を確かめると、ヘテムルから送られて来たのは時空魔法の魔法書だった。最近増刷したばかりで運が良いと書いてある。それから、迷宮についてはわからないが、魔法についても書かれていた。
魔法開発は発想が命で、構成が同じでも扱い方一つで別物になる。魔法習得は一つの始まりであり、本番はそれからなのだそうだ。
謎めいた言葉に小首をかしげながら、文末を見たミルは目をむく。
「書籍代、金貨五十枚と銀貨六十枚!?」
驚いている横で、ずっと様子を見ていたドーマが腕組みを解き、大きな手の平を上に向け差し出してくる。
なんだろうと見上げた途端、
「金をだしな」
「着払いだったんですね……」
にやっと笑う強面ドーマに代金を渡すと、奥へ帰って行った。まるで巣穴に戻るクマーのように。
返品しようにも、既に代金はヘテムルの懐の中だろう。お爺ちゃん先生はただでは教えてくれないのだと、ミルは学習した。
ちなみに無属性魔法書が銀貨六十枚。時空魔法書が金貨五十枚だった。
お金が無くなってしまったので、明日からは馬車馬のように働くことになるだろう。ちょっと憂鬱になったミルだが、時間は有限である。
ということで無属性魔法を開いてみると、実家で学習した初級魔法が載っている。違うのは、魔方陣が書かれている事だった。
馴れない魔法使いが呪文を唱えると、足下に魔方陣が広がる。ヘテムルとの初心者講習のさい、光魔法を使ったときに足下に現れたのだが、それと同じようになる。馴れていくうちに魔方陣は消え、一瞬でその効果が出る。ロスタイムが無くなるのだ。
その魔法のロスタイムが無くなる過程が丁寧に書かれている。図解があるのでわかりやすかった。
「初級魔法の本でも、魔法の構成本なのかしら?」
「キュキュ?」
のぞき込んできたアルブムだが、全然わからないので、さっさと部屋の隅に行ってしまった。そこには小箱があり、アルブムが気に入った拾い物や玩具などが入っている。
「魔法の発動ってこういう流れだったんですね。改めて読むと勉強になります」
しかしなぜこんな本を、と思いつつ進めていく。
薄い本だったのですぐに読み終わり、ミルは問題のお高い時空魔法書に取りかかった。
時間という概念は解明されていない。
かつてもてはやされた<空間収納>と言う時空魔法も、マジックバッグの出現で廃れていった。
「あれ? でもこれは……マジックバッグは<空間収納>の応用で作られた魔導具だったんですか! 錬金術の範囲かと思ってました。へー」
「ギュー」
発見が多すぎてのめり込んでしまう。
ときどき遊びに誘うが全然反応しないので、アルブムは不貞寝を始めてしまった。九本の尻尾から順番に毛繕いするが、頭の後ろができなくて、ベッドの足に擦り付けてどうにかしようとしている。
(生活に応用されている魔法は多いと聞いていたけれど、時空魔法も転用されていたなんて)
ということは、もしかしたら<障壁>のように変則的な使い方ができるかもしれない。
「まずは<止まれ>で試してみようかしら。あと、もうポーションの残りが少ないから、買いに行かないと」
休日中にやることは多そうだ。
翌朝、朝早くからギルドに行ったミルは、購買に青ポーションの残りが少ない事を告げられる。納品が遅れているらしく、店舗に行った方が速いと言われ道を教えてもらった。
「老練な店構えだわ……。ここが魔法薬店」
木造の店舗は、傾いた看板そのままに、今にも朽ちてしまいそうだ。ただ、手入れはされているのでかび臭さはない。
軋む扉を押し上げ、悲鳴を上げる蝶番に気をつけながら入店すると、薬品独特の香りが充満している。
「どなたかいらっしゃいませんか?」
「キュキュキュー」
両側には小さな引き出しがびっしり並ぶ棚。天上にはランプが一つ。薄暗い店内はひんやりとしている。
奥にあるカウンターに人の姿は無かったが、小さな声が聞こえてくる。
「ごめんください、青ポーションはありますか?」
「ひやぁ」
のぞき込むと、奥のスペースにいた女性が変な声を上げる。緩慢な動作で顔を向けると、右側の目に黒い眼帯をしている。左目は緑で、長い白髪が頬に絡まってふわふわとしていた。よく見ると、髪から出ている耳がちょっぴり尖っているので、人族ではなさそうだ。真っ黒なローブを着ているが、ぶかぶかで埋まっているように見える。
そんな女性が口を半開きにしながら三回瞬いた。
ゆっくり女性の口が閉じ、赤い舌が見えなくなるまで返事を待っていたミルは、しかしそれでも女性が話さないのでもう一度声をかけた。
「あの」
「ひやぁ」
「……あの?」
「ひゃぁー」
「ええと、青ポーションはありますか?」
「ひ……まぁ、お客様、だったのねぇ」
強盗かと思ったわ、と言う割におっとりとしていたような。
困惑していると、彼女はゆっくりと言う。
「わたくし、魔法薬店の店主をしております……ストラーナと申しますの。お客様、青ポーションは、おいくつ必要です?」
「三十本ほどいただければと。あと、通常より濃い物があれば一瓶ぶんほしいのですが」
「まぁ……わたくしが一生懸命、つくったものを、そんなに持って行かれるの?」
「えっ」
そんなそんな、とイヤイヤし出してしまったストラーナは、ローブをごそごそと動かした。よく見ると青い液体がたっぷり入った大瓶を抱えている。どう見ても青ポーションだ。
魔法薬店の店主がポーションを売りたくないとは。
困っていたミルを救ったのは、奥から出てきた少年だった。来るなり人差し指を突きつけて、大きな声を出す。
「あー! お師匠様がポーション売り渋ってる。いけないんだー!」
「お師匠様にむかって、何て言い草でしょう……ユックは、あっちでお絵かきでも、してきなさい」
「そんな歳じゃないもん」
ぷっくり頬を膨らませた少年の頭には、大きな虎耳が乗っている。金色の髪に、茶色の目。ストラーナと同じ黒ローブ姿だ。ミルの腰辺りまでしか身長がなく、見るからに子供だった。
人差し指をさすのを止めたユックは、素早い動きでストラーナの抱えている瓶をかすめ取った。小さな少年がやったとは思えない素早さに驚いていると、さっと差し出される。
「はいこれ。料金表はこっち。速くしないとお師匠様が追いついちゃうよ」
「待って、待ってぇ……」
のそのそと這い寄ってくるストラーナ。
どうしたら良いのかわからなくなったミルだが、とりあえず必要分を移し替え、さっとお金を払う。
「あぁ……こんなに。少なく、なって」
中身の減った大瓶を抱えたストラーナに、恨みがましそうに睨まれた。
恨めし顔のストラーナから逃れるように魔法薬店から出た後、ギルドの前で仁王立ちする。よくわからない事が起こったが、問題はこれからだ。
「行きますよアルブム! 私達にはお金がありませんので! 晩ご飯も怪しいですし」
「ギュ!?」
空になった財布を振ってマジックバッグに投げ込んだ。
掲示板に残っている採集物と、スプラに聞いて他に出来そうな仕事がないか出して貰う。いくつか依頼書を引っ掴んで迷宮へ行く。夕食がかかっているアルブムはいつも以上によく働き、ミルも常時障壁を展開しながらサクッとこなす。
そのお金で夕食を食べて翌朝、再び迷宮でお金を稼いで装備屋に払う代金を稼ぐ頃には、ミルの所持金は半分にまで戻っていた。




