第二話
三時間以上に及ぶ魔導具談義を終え、二人はユグド領が見える場所までやってきた。日は高くのぼり、お昼を回っている。
「凄い列ですね!」
「朝から並んでた人達かな。今日から一週間市場が開放されるんだ。港町から来る人も多いし、中はもっと人でたくさんだ」
と言われて驚いてしまう。
大きな白い石でできた関所に長蛇の列ができている。建物の屋根は緑とオレンジで、壁向こうの都市からは潮風の香りがした。ユグド領は海に面しているため、漁業も盛んであり帆を張った漁船が遠目に見えた。
「ご飯は美味しいし、珍しい輸入品も手に入りやすい。領地の経営も安定してる。迷宮と輸入品で成り立ってるんだって。城門で入領手続きをしてくれるよ。ギルドは初めてだよね? 僕が案内してあげられたら良いんだけど、あまり一緒に居るところを見られるとまずいから、先に行くよ」
「え? はい! ここまでありがとうございました」
ぺこりと頭を下げたミルに「こちらこそ助けて頂いてありがとうございました」とおどけて言う。
「これ、僕が寝泊まりしてる宿と、連絡先。それじゃ行くね。ミルちゃんに迷宮の加護があらんことを」
「シャリオスさんにも、迷宮の加護があらんことを」
バイザーでわからないがシャリオスは笑ってるようだった。ミルは微笑みながら見送って、長蛇の列を目指すと最後尾に並ぶ。商人が多く、馬車が何台も並んでいる。
シャリオスは真っ直ぐ関所に行き、何かを見せるとそのまま入っていった。
とたん寂しい気持ちになる。
一人で家を出て道を歩いてきた時のようだ。
(でも、独り立ちしたのだから、しっかりしなきゃ!)
家族や自分の未来のために、今は歯を食いしばってでも頑張るとき。ミルは表情を引き締めた。
順番が回ってきたときには夕刻になっていた。
持っていた保存食を口にして空腹を紛らわせたミルはいくつか尋ねられた。
「出身はリスメリット領のサンレガシ家。ミル・サンレガシ様でお間違いありませんか? 目的はウズル迷宮の攻略」
「間違いありません」
「ギルドの登録歴は無しですね。なら、直ぐに迷宮ギルドへ行ってカードを発行して下さい。仮登録書はそこで返却をお願いします。二日以内に発行しないと仮登録書の期限が切れますので注意して下さい」
「わかりました。お手数ですが道を教えて頂いてもかまいませんか?」
「でしたら送らせましょう。――ズリエル、こちらの淑女を迷宮ギルドまでお送りして下さい。今日は早上がりの日だったでしょう? そのまま帰宅して構いませんので。上司には私から伝えておきます」
「了解です! ではお嬢様、後ろに着いてきて下さい。道が混んでおりますので」
「えっ、あ、はい……。ありがとうございます」
「次の者、前へ出て要件を手短に!」
受付の兵士が厳しい声を上げるのを振り返りながら、慌てて男性について行く。キビキビとした足取りに、油断ならない視線で通行人を見ている。まるで監視しているような鋭い目つきだ。
ユグド領の兵士は膝まである鉄靴に手甲、灰色と黒のマントをしている。マントの裏地は赤く、腰には剣を佩いている。
ズリエルという兵士は背が高くがっしりとした男性だった。髪は青く、頭の側面に獣耳があることから獣人なのだろう。マントの裾下からチラリと青い尻尾の先が見えていた。
「獣人を見るのは初めてですか」
「失礼しました! 不躾にじろじろと」
「いえ、馴れておりますので。しかしユグド領には多くの種族が住んでおりますので、珍しくとも直ぐに視線を外すようにお願いします。トラブルの元になりますので」
「わ、わかりました」
「街に入りますので、よければマントの裾をお掴み下さい。人が多くなります」
慌ててミルが握ると、ズリエルは一度止り、左右を見た。なんだろうかと思う間もなく再び歩き始める。
関所をくぐるには二つの入り口を通る。
左右に分かれて兵士達が監視をしている。後ろで聞こえてくる受付の兵士は、ミルが家名を名乗った途端に丁寧になった。そして道案内も付けてくれた。これは自分が貴族だからだとミルは思う。それは明確な差となって現れていた。今ズリエルが行っているのは、問題を起こす貴族かどうか見ているからだろう。
そっと後ろを振り返ると、外に出る者を調べている兵士達が視線を外したところだった。
(立ち止まったとき、私は反射的に上を見たわ。今ので顔を覚えていた。どういう人物なのか後で調べるのかも)
リスメリット領では考えられない兵士達の行動は、ユグド領がそれだけ治安が悪いからだろうか。
「ここは大通りになります。石畳があるのでわかりやすいかと」
「わぁ、人がたくさん」
端が見えないほどの人だかりだ。
石を敷き詰められた道の上を馬車や人が行き交い、左右には出店や露天が立ち並ぶ。活気ある風景に圧倒されながら進んでいくと大きな茶色の建物に着いた。出入り口の横に掲示板があり、雨よけの屋根が付いている。
入り口は他の建物よりずっと大きく、人がひっきりなしに出入りしている。魔法使いのローブに、マント姿の剣士。荒っぽいヒゲ面の男から、ミルより年下に見える子供達。
「中へ入りますのでマントを返して頂いても?」
「すみません! ありがとうございました」
マントを慌てて離し、寄った皺を引っ張る。
一瞬止まったズリエルに気付かず、ミルはキリリとした表情を作って後に続いた。
中にも人が多く、ミルがキョロキョロしていると一番近い受付にズリエルが並んだ。前方には六人の種族様々な人外達が並んでいる。鱗や耳に一瞬目が行くが、不躾にならないよう自然に目を離した。
ギルド内は床に泥や汚れが目立っていた。汚れて帰ってくる冒険者のせいだろう。受付や内装は綺麗で、観葉植物もある。二階に続く大きな階段を見上げると、上からも賑やかな声が聞こえてくる。
「夕刻は迷宮から帰ってきた冒険者で一杯になりますので、しばしお待ち頂くことになるかと。本日の宿の予定はありますか?」
「まだ決まっていなくて。そう言えばラーソン邸という宿泊施設はどういった所ですか?」
「ラーソン邸ですか。……一級冒険者を優遇している宿泊施設です。御領主様がお支払いになっていますので」
「そうでしたか」
ただの冒険者は泊まれないない施設なら、シャリオスは凄い吸血鬼なのだろう。有名人といきなり知り合った事でちょっとドキドキしたが、やっと回ってきた順番に慌てて前に出る。
「こちらは本日いらっしゃった、ミル・サンレガシ様です。新規登録と宿の紹介を頼む」
「承りました」
「では、私はこれで」
「ありがとうございました!」
短く返礼をしたズリエルは一瞥もせず颯爽と迷宮ギルドを出ていった。
受付の女性は人のようだった。
柔らかい笑みを浮かべ、口元にホクロがある。髪は薄ピンク色で白い肌の女性だ。彼女はスプラと名乗った。
「それではご登録の方進めさせていただきます。仮登録証を拝見させて頂きますね」
するすると手続きは進んでいく。
「では迷宮ギルドのご説明をさせていただきます。ギルドは基本的に全ての職業を斡旋していますが、ユグド領にはウズル迷宮がございまして、スムーズな業務のため、迷宮ギルドだけこちらの建物に引っ越しをさせて頂いております。ここから別の業務を張り出すこともありますが、迷宮外の業務をする場合は、お手数ですが南ギルド本店へご来店下さい」
ギルドがやっている業務は売り子から専門業種、領主への兵士の斡旋など様々にある。ギルドを通した依頼は全て履歴書に記載され、カードに情報として積み上がっていく仕組みだ。情報は全てギルド内で共有されている。
窓口は多岐にわたり、目的に応じて商業、迷宮、冒険者、魔法使いなどに別れる。買い取りカウンターや休憩スペースなどもある。そして迷宮が無い領地には迷宮ギルドは存在しないが、他領の迷宮に潜る時は、冒険者で登録していれば問題なく入場できる。
事前に調べた情報とすりあわせをしながらスプラの話を聞いていく。
登録自体はどこでもできるし、ギルドはどこにでも買い取りカウンターがある。
話は領内の治安や道具屋の事にまで及んだ。話しているうちにできあがった書類でカードを作り、初心者講習の申請手続きも同時並行で進められていく。
「講習は週に三回ございます。受付は二階となっておりますので明日の十時までに受付をおすまし下さいますよう、お願いいたします。こちらが発行したギルド証となります。再発行には銀貨三枚必要になりますので、ご了承下さい」
「ご丁寧にありがとうございます」
ギルド証はミルの手の平よりも大きかった。
名前とランク、識別番号などが書いてある。登録ギルド種別というのがあって、そこに迷宮と冒険者ギルドと書かれていた。登録した場所の記載もある。
ミルのランクはFだ。初心者講習を終えるとEになるのだという。講習には銀貨一枚必要だ。講習で職業種別や適性を決め、カードに記入するのだそうだ。
ちょっと憂鬱になるのは仕方無いだろう。ミルの適正は付与魔法使いに決まっている。
また、銀行経営もしているので金貨を持ち歩かず、ギルドカードで支払いもできるらしい。ただし、できるのは魔導具がある店だけなので、市場は現金でなければならないようだ。
ミルは自分の持ち金の半分をギルドに入れ、紹介してくれた宿へ向かうことにした。
+
スプラがじきじきに案内してくれた宿には、既に話が通っていた。ミルの所持金でも何とかなりそうな宿で、お風呂と鍵付きの部屋が売りだと言う。食事は別途料金だ。迷宮に潜り続ける冒険者も多いかららしい。
ベッドと小窓、調度品がいくつかあるだけの部屋だが長期滞在するのに都合が良い。水は別途料金だが、魔導具があるので風呂には困らないだろう。
「水は迷宮の中に川があるからそこで汲むとして、火は着火用のがあるし……」
大荷物を解いたミルは大振りの鍵を取り出した。
『あなただけの部屋』だ。
どうしても迷宮に行くと言うミルに、兄が自作の鍵をくれたのだ。
部屋の入り口に鍵を通すと、銀色の鍵が金色に変わる。これでミルが招かなければ窓からも入り口からも入れない。
「よし、これで大丈夫。あとは調合道具の確認と、明日の準備。入らない物は置いていかないと! えーと、えーと」
マジックバッグに入れていたマジックバッグを取り出す。
一つでも財産になるものをぽいぽい持てるのは、実家が錬金貴族だからだ。全て歴代の一族の練習作品だ。
関所で持ち物の目録を出した時にぎょっとされるくらいには、ミルの持ち物は見かけより多かった。
家族に感謝しながら、講習に必要な物を小さなマジックバッグに入れ直す。
準備は直ぐに終わった。水差し魔導具から出した水と、温水石という魔導具で沸かしたお風呂にゆっくり浸かる。たくさん歩いたせいで足がむくんでいた。
「ふいー。今日は早く寝よう」
鼻先まで浸かってぶくぶくと空気を吐きながら、ミルはトロトロの顔をしてお風呂を堪能した。