第六話
ベルカのレベルは二十四に上がった。到達階層は二十階層。
今日はそのお祝いで、いつもより早く帰って夕食を一緒に取っている。ドーマは客が増えて少し嬉しそうだ。最近表情がわかってきたミルだった。
「ずいぶんと様になってきたよ」
「五階層進むのに十日もかかったぞ。これで三十階層にいけるのか?」
不安がっているが、ベルカの動きは格段に良くなっている。ミルも投げるポーションがさまになってきた。
「残り十二日だっけ? 確かにこれからが大変だけど階層主の討伐もこなせてるし、悪くないと思うよ。もぐもぐ」
「私は主席の成績を取りたいのだが……」
焦っているベルカは、皿の中身を思いきり口に入れる。今日は厚焼きステーキだ。分厚い肉は中まで火が通り、肉汁がしたたり落ちている。ソースは珍しく二種類あり、こってり系のガーリックソースと、下ろし大根のさっぱりソースだ。ミルは胸焼けがしそうなのでさっぱりソースにしているが、他の二人はこってりソースをかけている。
「おかわりくださーい」
「おらよ」
「……ミル殿は全然重くならないな。頭を使っているから消費も激しいのか?」
「シャリオスさんの真似しなくていいんですよ?」
優しく微笑んだミルは座り直した。未だに衝撃で尻が浮くが「ひい」と言わなくなった進歩を、誰も褒めてくれないのだった。
こっそり傷心していると、十五皿目を食べ終えたシャリオスが、残ったソースをパンですくっている。それを見ながら、ベルカがなんとなく聞いた。
「シャリオス殿は血を吸わないのか?」
「破廉恥っ!」
「見かけより純情だった!?」
何を言うのだこの子は、と目元を赤く染めて身を守るように自分を抱きしめるシャリオス。反射的に突っ込んだが、何が破廉恥かわからないベルカ。ケダモノを見る視線を受けて心外だとばかりに続ける。
「吸血鬼というのは血を飲むと思っていたが違うのか?」
「え? 飲むよ? でも人間から吸うといろいろあるでしょう? だから、ご飯いっぱい食べてることにしてるんだ。血の方が少なくてすむけど」
もじもじしだしたシャリオスはパンを口にねじ込んで、高速で咀嚼する。その後ソース用の小さな樽をひっくり返したり、間違えてコップを食べそうになったりと忙しい。
「……失礼をした。忘れてくれ」
そっと目をそらす。
ベルカには、触れてはいけないものを突いてしまう癖があるようだ。エトロットをコテンパンに伸してしまった事といい、日常生活の危険を察知するのが苦手なのかもしれない。
そんなこんなで順調に進んでいた探索に影が差したのは、ベルカの滞在が残り五日を切った頃だった。
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ベルカの到達階層は二十六階層となった。保険でシャリオスがついているものの、ミルとアルブム、ベルカの二人と一匹で進んでいる。
「僕が言うこと、殆ど出来るようになってる。ベルカは覚えが早いね」
最近気付いたが、シャリオスは褒めて伸ばすタイプらしい。駄目な場所を指摘するが、基本的に人を褒めている。とてもいい吸血鬼だ。ミルには「これできる?」や「あれそれできる?」など聞いてくることが多い。答えると感心してくれるので良い気分になってしまう。
ベルカは剣を何度も駄目にしたが、稼げる金額も多くなっていてる。マジックバッグも買え、必要な道具もシャリオスの助言で揃えた。学園に帰る前に装備を揃えるのがベルカのもう一つの目標になった。
「それじゃ、二十七階層の門へ行こう。ここからは草原にいたモンスターがいなくなって、岩と水系のモンスター中心になるから」
「それより水系のモンスターは溶解液を出すというだろう? コーティングしたが、やはり予備が心許無い。出会わないといいが」
「ちゃんと予習してるね。なら様子見して、駄目そうなら引き返すっていうのは?」
「そうしよう。シャリオス殿の助言は的確だから、つい頼ってしまう。私も自分で考えられるようにならなければな」
「おいおいやっていけばいいと思うよ? まだ成人してないし」
兄のように慕っているベルカは、くすぐったそうに笑う。
そして二十七階層の門をくぐった。
空気が変わった。
岩肌だけの空間に青い水晶が混じっている。掘れば多少の金になるが、モンスターが擬態している事もあるので、依頼がないかぎり、冒険者は水晶に目もくれない。
どこからモンスターがやってくるかわからない空間は、緩んだ思考を引き締める。
「キュ。キュン、キュッキュ」
アルブムが鳴いた方向から地鳴りがし出した。
「何だあれは、大きいぞっ!?」
「スライムです!」
壁を叩くように飛ぶスライム。水色の粘液の中心に青い核があった。
「周囲を削ぎますので、ベルカさんはとどめをお願いします! <障壁>」
「まかされた!」
二股の障壁が囓り取るようにスライムの粘液を削り取っていく。一気に露出した核。スライムが粘液で包む前にベルカが核を突き刺した。粉々になると同時に、粘液から力がなくなり、ただの水となって地面のシミとなる。
「酸性じゃなかったようだな」
ドロップアイテムもないので、そのまま奥へ進んでいく。湿った空気になっていき、時々壁などから現れるモンスターを倒していく。二十七階層は蟻の巣のようになっていて、行き止まりも多かった。地図がなければ迷って出られなかっただろう。
「リトルスポットまであと少しだな」
今日はスマイルポテトにゆで卵、パンケーキと唐揚げだ。マヨネーズも貰ってきたので楽しみにしている。ちなみにシャリオスのマジックバッグは八割保存食で埋まっている。とても燃費が悪いことが発覚したが、改善の方法が血を飲むことなので触れていない。ベルカも学習した。
そうして昼食をリトルスポットで過ごしていると、冒険者が駆け込んできた。
「た、助けてくれ……!」
ボロボロになった冒険者は、駆け込んで来るなり膝から崩れ落ちた。
「どうされた!」
「モンスターを擦り付けられたんだが、数が多くて対処しきれない! このままじゃ仲間が死んじまう……!」
「シャリオスさん!」
「わかった、僕が行ってくるから二人はここで待ってて。連れていってくれるかな?」
「た、頼む!」
冒険者は水を一杯だけ飲んで引き返した。転がるように走る姿に思わず一歩前に出たミルだが、ベルカに腕を掴まれる。
「私達がこの階層に来たのは今日が初めてだ。大群を相手にするほど馴れていない。不用意に行っては逆に迷惑になるのではないか」
「そ、そうですよね」
「いや、ミル殿なら一緒について行っても良いだろうが、私がな。すまないな」
「とんでもないです……? どうしました、アルブム」
慌てて首を振ったミルは、うなり始めたアルブムの背中を撫でる。起き上がり、右側を睨んで毛を膨らませている。だが、しばらく経っても何も来ない。モンスターではないようだ。
不審に思い杖を構えたとき、足下に何かが投げ込まれた。
「<障壁>!」
「ミル殿!」
とっさにアルブムが尻尾で二人を抱き込んだ。その周囲に展開した障壁に衝撃と爆発音。
足音がした。それは近づいてくる。
「ちっ、魔法使いから始末しろ!」
恐ろしい声だ。男で、苛立ちが混じっている。
煙が晴れたとき、そこには冒険者ではなく赤い服の生徒達がいた。
「エトロット様!?」
「貴様、ベルカ・バーウェイか!」
以前見たときの余裕が削ぎ落とされ、形相すら変わっている。なぜと思ったのはミルだけではない。突然の襲撃にベルカの方が動揺していた。
「何事です!」
「貴様こそなぜ二十七階層にいるのだ!」
「それよりも剣を向けるのをおやめ下さい。私達は敵同士ではありません」
「黙れ生意気な!」
振り下ろした剣が空を裂く音がする。
アルブムが吠えた。
「ギュルルル!」
「獣風情が楯突くのか? これだから庶民は嫌なんだ。使い魔のしつけすら満足にできんと見える!」
「お待ち下さい、ミル殿は何も発言して――」
「家格の低さは知能の低さと比例する! 頭を下げ額を擦りつけろ! 高貴なる血筋の者と顔を合わせる幸せすらわからない分際でッ」
完全に我を失っている。
ミルは周囲の生徒達の表情も盗み見た。目が血走り、歯を食いしばっている。髪は埃臭く、荷物を持っていない者さえいる。まるで数日間潜り続けていたかのように。
三十階層以下からは日帰りが難しくなるが今は二十七階層。泊まり込みにしては荷物が少なく、雇っていた冒険者の姿もない。
「貴様も、よくも下の立場で恥を掻かせたな! お前さえいなければ私の地位も揺らがなかったものを」
突然静かな口調に変わる。笑みさえ貼り付けている侯爵家の次男坊は狂気的だった。
「アルブム」
「ギュル」
一歩踏み出すと同時に、アルブムも前進する。
相手には怯む様子はない。
迷宮内で起こる揉め事の真相はわからない。冒険者達は狩り場が重ならないようにするし、襲われるのを警戒する。だから殺されてもわからないのだ。ここで二人が殺されても、死体はモンスターに食い荒らされて、エトロット達が裁かれることはないのでは。そう考えると足がすくみそうになる。
「ミル殿もアルブムも待ってくれ。もう少し話してみる」
そっとベルカが言う。迷ったが、ミルは頷いた。アルブムを押さえるように、首に腕を回す。
「エトロット様、何があったかわかりませんが、兎に角お疲れのご様子。ここで少し休まれて、共に地上へ参りましょう。食料も水もありますし、地上への道順は頭に入っております」
ざわついたのは別の生徒達だ。
(もしかして迷宮で遭難していたのかしら)
何日かはわからないが、丸一日は経っているだろう。貴族の少年達ばかりなので、見張りなども冒険者に任せていたかもしれない。持ち物が少ないのも、荷物持ちがいなくなったからだろうか。
「貴様から奪えば良い」
「しかし地上への道はどうなさいます」
「地図を持っているだろう!」
「失礼を承知で申し上げますが、今のエトロット様方に正常な判断が出来るとは思えません。私なら皆様をお連れできます」
「それを信用しろとでも?」
「私も騎士を目指す者。剣に誓いましょう」
「貴様ごときが騎士などと!」
しかし、それはエトロットの逆鱗に触れたようだった。
我を忘れて斬りかかってくる。勢いに飲まれたように、他の生徒達も一斉に襲いかかってきた。
「私はエトロット様を! 二人は他の生徒を頼む!」
「アルブム、右をお願いします。<障壁>!」
「なんだこの障壁はっ!」
「ギューン!」
「なぜ灰色狐が氷を吐くんだ!?」
「アルブムは高貴なる女王狐です!」
縄のように細い障壁が、生徒達の胴体を両手を拘束するように巻き付いた。アルブムは氷のブレスを吐き、生徒達を凍らせていく。
ベルカは襲いかかってきたエトロットを傷つけないように剣を受けた。流し、弾き、声をかけて説得する。高位貴族相手に涙ぐましい努力だった。エトロットは屈辱だったはずだ。格下のはずの相手に伸され、今は手を抜かれている。
「<火球>!」
「<風刃>!」
エトロットが苦し紛れに火球を出して襲えば、それを二つに切るようにベルカが風の刃で切り裂いた。魔法を使えたのかと場違いな事を考えたとき、勝負が決まった。
顎を蹴り上げられたエトロットは、そのまま大の字に倒れる。
「大丈夫ですか、ベルカさん!」
「……またやってしまった」
完全に気絶しているのを確かめた後、周囲を見回しながら無念そうに呟く。話を聞くと、どうも魔法を使われると手加減が出来なくなるのだという。そもそも手加減する必要がない場面だったのだが。
此の世の終わりを見ているかのように落ち込んでいる。
そっと肩に手を当てて揺すったが、反応が鈍い。
「げ、元気を出して下さい。ね? 悪いのは向こうですから」
「学園だから、試合だから何とかなると思っていた私に、それを言うのか?」
「すみません……」
速くも白旗をあげたミルは視線をそらす。
ベルカは二度もやったからと絶望の縁に立たされている。迷宮を出たら家に連絡し、縁を切ってもらおう、などと呟いていた。
そうなったらパーティを組んでくれないかな、と冗談にならない妄想をする。
すると、背中をとんと押される。振り返るとアルブムが何もない場所を見ていた。尻尾で叩かれたのだ。
「どうしました? まだ誰か潜んでいますか?」
「なんだと!?」
「キュキュン、ギュ」
警戒態勢を取ったとき「まったまった」と降参する男が現れた。
それは最初にアルブムが反応した場所だった。
「すまんな、透明になってただけで敵意はない。お連れさんも、もうすぐ戻ってくるぜ」
「あなた方は何者だ?」
「おっと、そいつは揃ってからの方が良い。それよか氷を溶かしてくれ。こいつらの手足が腐っちまう」
しかしアルブムは警戒したまま、毛を逆立て続けている。
「グルルル……」
「悪かったって。な? 俺に免じてよ」
そういってヘラヘラと笑う。
あまりの胡散臭さにじりじりと下がった。透明になるのは魔法だろうか。また隠れられたらたまらない。
そう思っていると、遠くから足音が近づいてくる。
「お、助かった。おーい、こっち来てくれよ。全員おだぶつだ」
「なんだと!?」
「いやいやいや、あんたらの事じゃねーから。安心してくれって」
睨み合っているうちにシャリオスが近づいてくる。転がっている生徒達を見て顔をしかめていた。
「二人とも何があったの? いや、流れは読めるけど」
そして両手を挙げたままの冒険者を見て「悪趣味」と呟く。
「また身ぐるみ剥いだの? 未成年相手にやり過ぎだ」
「ヒヒッ。それが醍醐味ってもんさ」
呆れ果てた視線にも怯まず、彼らは下品に笑っている。悟ったベルカが衝撃を隠しきれないまま、問いかけた。
「シャリオス殿、まさか彼らが……」
げんなりした顔で、シャリオスは答えた。
「これ、騎士団の人達だった……」
ぞろぞろと集まって来た冒険者は四人。全員ニヤついている。
青ざめたベルカも状況をはっきり認識した。
助けを求めて来た冒険者達は、シャリオスを引き剥がすための工作だった。足止めに、本当に魔物を集めるという徹底ぶりだったと言う。そうして時間を稼ぎ、身ぐるみを剥いで彷徨わせたエトロット達を誘導。追い詰められていたエトロット達はミル達を襲ったのだ。
「私達を試したのか……いや、私をか」
「確執ある上位貴族相手にどこまでやれるかっつーのだな。いや、がっちり固められて困ったぜ。坊主は今年一番のラッキーボーイだな。付与魔法使いは評判悪いのに善人でよぉ」
「引き剥がそうにも道中も宿もがっちり防備と来た。ここまで何も出来なかったのは初めてだぜ」
「部屋に押し入ろうと思ったが、宿の店主、ありゃヤベぇな。冗談通じねぇし」
「ケケケ。ブチ殺されそうになって冷汗もんだった。ハブられてよかったなぁ坊主。怪我の功名ってやつだ」
そう言って悪人面で馬鹿笑い。
貧血を起こしたようにふらつくベルカは、白目をむきかけている。
「これが、全部……騎士」
「そうだぜ坊主。お前さん達が憧れてる騎士様だ」
「夢も希望も砕いちまってごめんなぁ。マジごめんなぁ? ヒヒッ」
膝から崩れ落ちたベルカを、ミルは慌てて支えた。今日一番のクリティカルヒットは今かもしれない。
「その辺にしてくれないか。これから三十階層に行くから」
「この状況で!? ちょ、ちょっと今日は止めませんか? ベルカさんの口から出てはいけないものが出そうになってますし」
「でも期限まで時間ないでしょう? ミルちゃんは三十階層まで見ておかないとだし」
完全に私情が混じっている。
シャリオスは困ったように腰に手を当てているが、心あらずなベルカの精神で潜るのは危険だ。少なくとも、今日は止めた方が良い。
「――ではなくて、ポテンシャルというか精神がぼろぼろというか。あと、ラッキーボーイは酷いと思いますよ。いくら紳士的じゃない騎士様と言えども……」
ふと、表情を落とした彼らは訝しそうに首をかしげた。顔を見合わせる者もいる。
「あん? 何言ってんだ」
「だから、女性に向かって男性だというのはさすがに――」
「待ったミルちゃん、とどめ刺さるから!」
「え」
慌てたシャリオス。
ミルに支えられていたベルカがぷるぷると震えた。
「わ、私は男だ――!!」
「ええっ!」
本日一番のクリティカルヒットを決めてしまったミルは、怒り狂うベルカにひたすら謝罪した。そして、馬鹿笑いする盗賊騎士様達は生徒達を連れて行った。
やけくそなベルカは二十八階層まで勢いで突っ走り、ミルは見た目で人を判断してはいけない事を学んだ。
手痛い教訓だった。