奪われたカニちゃん一号くん
※これは二人の結婚式までにあったこと。
結婚まであと十日、目が回るほど忙しい中でシャリオスが言った。
「少し王都に行きたいけど大丈夫かな」
顔を見ると深刻な様子である。
ミルは何かあったのか問いかけた。
「ハーバルラ海底迷宮で調査に出したモンスターのことを覚えてる? クラクライカは返ってきたけど、カニちゃん一号くんが返ってこない。遅延している」
「もう攻略してしまいましたよね」
それもあって引き取ろうと思ったシャリオスだったが、手紙には要領を得ないことばかり書かれていた。何か問題が起きたのか尋ねても、なんとも歯切れの悪い返答だ。
「僕らはこのまま外国に行くし、今を逃したら王都に近づけない気がする。走れば結婚式に間に合うから行ってきたい」
「私が障壁で飛んだほうが早くありませんか?」
「二人とも待ちなさい」
招待状の選別をしていたクオーレが疲れた顔で待ったをかける。この微妙な時期に王家の膝元へ行くと言われれば、止めるのは当然だ。しかも結婚式は目前で、主役二人が当日いないという不測の事態はもっと不味い。
「相手を呼びつけるから、ここに居なさい。カニちゃん一号くんだったね。それも持ってくるように伝えよう」
「ありがとうございます、父上」
「お義父さんありがとう!」
大変素直な返事に満足したクオーレは、手紙をしたためて速達で送った。
貴族が金を払わず踏み倒そうとしたときに使う文面そのままに。
彼らは二日後に来た。
客室の雰囲気は不穏だった。
「僕はそんなに難しいことを言っているわけではないと思うけど、その手を離せ」
「いや、本当に待ってくれ、せめて繁殖させるまで待ってくれ。この手に持っている奴は特殊迷宮から取ってきた貴重なサンプルだし、他にないだろう!?」
王宮で研究員をしているギャルズは、ユグド領に水質調査に来たときと同じかそれ以上の必死さで、ヒキョウガニの入った水槽を抱え込んでいる。カニちゃん一号くんと名付けられたモンスターである。今は後ろ足を使って優雅に泳いでいた。
「それにこいつ、片方のイソギンチャクを引き剥がしたら残った方を千切ったんだ。イソギンチャクをそうやって増やしていたんだ。更に引き剥がしたイソギンチャクは普通のイソギンチャクに戻ったんだよ。で、戻したら三つも要らないみたいで見向きもしなかったんだ! 頼む、増えるまで待ってくれ!」
「相手がいないから増えない。だから返して。……クラクライカが先に帰ってきたのは増やしたからだったのか」
勝手なことをされてジト目になるが、研究を頼んだ手前強くも言えない。
ギャルズは引いてしまうほど必死に水槽を抱えている。
「繁殖用の個体を注文したからそのうち届く! 後生だから! それにあんたは冒険者だろ。まともに飼えないなら譲ってくれてもいいじゃないか。金なら払う!」
「っう」
痛いところを突かれたシャリオスは怯む。マジックバッグにしまうか売ることになるのは目に見えていた。
ちなみに、クラクライカはシャミーが足にしがみ付いて大泣きするほど欲しがったので手元にない。妹がきちんと世話をできるかミルは心配だったので、もしものときはポットさんにお願いしてある。
「確かにそうだけど、僕だってカニちゃん一号くんのことは気になってたんだ! せっかく捕まえたのに」
「よしわかった、観察記録を定期的に送る。これで解決だ」
「勝手に決めるな」
二人は言い争いを始めたので、ミルはお茶を飲みながら疲れた頭を休ませることにした。
うとうとしている間にシャリオスが言い負かされ、カニちゃん一号くんはほくほく顔のギャルズに持ち去られたのである。
購入ではなく経費は全てあちら持ち、定期的に観察記録を出すことで貸し出すことにしたのがシャリオスの最後の抵抗だった。
ミルは落ち込むシャリオスへ、ひっくり返したアルブムを差し出し胸の毛を触らせてあげた。
一号くん部分はイソギンチャクの名前かもしれません(完)