第十話
一月経ち、シャリオスは再び世界を見るため旅立つことにした。
サンレガシ領はちょっと不思議で優しい場所だった。ボスウキキに請われて決闘をして友情を深め、迷路のようになっている家の中を探索した。古い魔導具がたくさんあり、シャリオスは大満足だった。また行きたい。
考えた末、ミルはアルブムを送り出すことにした。シャリオス一人で迷宮探索するのは寂しいし、なにより危険だ。新しい仲間ができれば、その寂しさも薄らぐだろうが。
見送りの朝。
領地の境で手続きを終えたミルは涙が止まらなかった。
「元気でね。僕のこと忘れないで」
「忘れません。私のことも忘れないでください」
「ギュー!」
アルブムはミルがついてこないとわかってから、完全にヘソを曲げている。今も服に噛みついて一緒に行こうと引っ張っていた。ボスウキキにつまんで投げられたが。
「アルブム、シャリオスさんのことをよろしくお願いしますね」
「ギュウウウウ。グルルルル!」
「あと、朝はちゃんと起きてください。夜番のときもですし、ご飯のおねだりもほどほどにですよ」
「ギ、ギュ……」
「知らない食べ物を口にするのも駄目ですからね。あとあと」
「そこまでにしてあげて」
そ、そんな……と言うように尻尾を下げたのを見かねて声をかけると、めそめそしていたミルは頷く。アルブムの全身を撫でて、シャリオスの肩に乗せた。
本当に行かないのと耳をぺたりとさせている。
「う、ぐすっ、シャリオスさん、私のことを忘れないでください」
「僕のことも忘れないでね」
「ギュー!」
二人はひしっと抱き合い、アルブムが服に噛みつく。
「……これで十回目だ」
「ウキ」
フォールは妹の姿にため息を吐く。両親は仕事があるので帰り、シャミーは献体登録をしてもらえなかったので、泣きじゃくって不貞寝している。
ようやく歩き出したシャリオスが見えなくなっても、ミルはその場を動かなかった。雨が降り始め、ウキキが葉っぱの傘を差しても微動だにせず。
やがて夜になり、迎えに来たフォールと一緒に帰宅した。
+
行きはよかったのに、やはり寂しかった。アルブムも尻尾をへたらせ、ユグド領へ向かう道をとぼとぼと歩く。頭の中で同じことを考え続けていた。
「でも、ミルちゃんは結婚したがってたし」
「キュ」
「相手はいい人かもしれないし」
「キュ」
「……聞いてる?」
「キュ」
重症である。
心にぽっかりと穴が空いてしまったのは自分もなので、シャリオスはため息をつくにとどめた。
もっと一緒に冒険をするのだと思っていた。けれどバーミルの言うとおり、人族の一生は短い。ミルは十六歳になっていた。あっという間に成長し、次に会うときにはお婆ちゃんになっているかもしれない。
そう思うとやはり悲しかった。
「もっと一緒にいたかったな。……そうだ。ユグドの御領主様なら結婚相手がどんな人か知ってるかも。ね、アルブム。ちょっと聞きに行こうか」
「キュ」
「結婚したらなにするんだろ。その人、本当に冒険者してくれないのかな」
「キュ」
そうと決まればとシャリオスはスピードを上げてユグド領に向かう。ズリエルにも久しぶりに会いたかった。相談することも、山ほどある。
貴族への苦手意識がすっかり薄くなっていた。
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しばらく沈黙したのち、ズリエルは言った。
「アウリール様。結論から言えばサンレガシ様には、二度とお会いしないほうがいい」
「なんで」
久しぶりに会ったズリエルはミルがいないことを訝しみ、結婚のことを告げると仲間達に休憩を変わってもらった。今はシャリオスと共にドーマの宿で食事を取っている。店の中は静かで、相変わらず閑古鳥が鳴いていた。
「皇国の結婚事情はわかりませんが、この国では王族に連なる方と婚姻を結ぶならば、冒険者の身分で会うことは叶いません。通常、領主と言えど紹介状がなければ気軽に面会ができないように。もし会うならば、サンレガシ様が周囲に誹られることとなるでしょう」
「ファニー様は? 凄く気軽だったけど」
「公爵に物申せる者などおりますまい。身分とは、貴族社会とはそういうものです。お相手が冒険者になることもありえません。冒険者になると言うことは、貴族の身分を捨てるということです。お遊びならばお忍びで行けるでしょう。しかしアウリール様が求めているのは攻略。合いません」
「仲がよくても、結婚したら二度と会えないの?」
「そうです。会えたとしても、今まで通り話すことはできません」
他人行儀に返事をして、周囲に見張られながら交わす会話。一つ間違えば、ミルが軽んじられることになる。あまりにも冷たい言葉に、心のが痛むどころか冷えていく。
「そんなの嫌だ」
「ですが、どうしようもありません」
ショックを受けるシャリオスをドーマの宿に押し込んで「今日はゆっくり休んでください」とズリエルは部屋を後にした。
「身分……会話。会えない。二度と会えない」
それは死に別れるのと同じだ。
気を遣った会話をするのも、周囲を気にするのも絶対に嫌だ。
「相手の人は、どんな人なんだろう」
部屋の中で膝を抱えていたシャリオスは、顔を上げると領主家へ向かう。
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「それで聞いたら奥さん四人もいるって! 四人だよ!? つまりミルちゃんは第五夫人……意味がわからない!」
「キュー!」
興奮しているシャリオスの足下で、アルブムが必死で頭を押しつけている。
「だったら一人くらいいなくたっていいよね!? って思って相談したんだ。だってもう会えないなんて寂しい!」
「泣かないでシャリオスさん。でもその、ええっ」
慌ててハンカチを押し当てると腕ごと掴まれた。
もう一生会うことはないのだと、日向で間抜け顔をしていたところに突然の襲撃。挙動不審になりながら考える。
(つまりどういうことかしら……)
考えてもわからなかったので、早々に諦める。
十日もしないうちに帰ってきたシャリオスは「というわけでこれ!」と悩んでいるミルの頬に何かを押しつけた。頬が凹む。
表紙に『契約のお願い』と書いてあった。
契約とは。
「私の記憶が正しければ、寿命が延びるやつなのでは……」
「そうだよ。僕の父親がこっちにいたみたいで、連絡したら相談に乗ってくれたんだ。あとね、スールが言うには、これは政略結婚じゃないらしい。政敵への妨害と、あわよくば人質にしようとしてるって」
「えええっ!? スールさんがっ。なにがなにやら」
誰の人質に、と目を剥く。
封筒に『とてつもなく緊急』と大きく赤字で書いたのがよかったのか、返信が恐ろしく速かった。シャリオスの父など手紙を読んだ三時間後にシャリオスの背後に立ち、そのままスールの元へ飛んだぐらいである。
相手はかねてより探していた【遊び頃】と結託していた者かもしれないという。手駒が減って焦ったのか、とうとう尻尾を見せたのだ。
現在アルラーティア公爵家は、領内が落ちつついてきたものの、くすぶっている火種は多い。ミルを助けようと動けば反乱分子が暴れ出す可能性があり、手をこまねけば人質を取れるという寸法だ。二重三重と仕掛けた罠の一つが今回の結婚話で、それも政争の一部に過ぎないというのだから白目を剥きそうになる。
「てっきり薄い繋がりを結んで、太い関係はゆくゆく結んでいくのかと思っていました」
完全にとばっちりであった。
「話が進んでるから、アルラーティア公爵家も表だって横やりを入れるのは難しいって。それで、取れる手段は三つ。もっと権力のある人にお嫁にもらわれるか、駆け落ちするか、僕と契約をすること! 契約をすれば僕と繋がりができて、皇国の権力を使えるんだって」
予想外の事を言われ、困惑する。
「権力……とはなんでしょうか」
「わかる。皇国の権力って言われてもピンとこないよね」
バーミルは皇帝と名乗っているが、実際は他国への窓口係。ミルも気軽に接していたし、実際行くとわかるが、皇国は国と言うより昼寝場所みたいなところである。経済活動があるかと聞かれたら首をかしげるしかない。
「でも吸血鬼が強い種族なのは本当だし、教会と皇国は仲直りした。調印式をして文書を交わしたみたい」
「それでバーミルさんがいらっしゃってたのですね」
「うん。それに相手の人より僕のほうが大事にできるってわかったし!」
ミルはちょっと照れた。
物騒なことに巻き込まれていると判った以上、結婚を受け入れがたく感じた。ミルは受け取った『契約のお願い』を捲る。契約するに当たっての注意点、契約後の身体変化や時間経過による周囲への影響などが細かく書かれていた。
考えたいとシャリオスに伝え、一緒に家へ戻った。
『契約のお願い』によると、吸血鬼を含む皇国人の寿命はエルフのそれに匹敵するという。ならば永遠に近い寿命を得ることになる。
それは家族の全てを見送り子孫を見守るような、そんな存在になると言うことだった。病で死ぬか、殺されるか。どちらかで命を失うとしても、体は長い時間を生きるため必然的に強くなる。それは危うい者に目を付けられる可能性を秘めていた。
皇国では常識の違いや、こう言った事柄から国民を守るため、全ての国民とバーミルは契約を結んでいる。誰がどこにいるか確かめ、守り監視するために。
たった一人の皇国人が暴れても、国一つ壊すにじゅうぶんだからでもある。
人と皇国人が婚姻を結ぶことは過去にもあった。イルもその一人だ。子供は魔族か人のどちらかになるだろう。そうなれば吸血鬼の性質上、ミルは皇国に住んだほうがいい。
(家族を全て見送る……)
言葉が重かった。
ヨズルカ王国に残った場合も問題が残る。アルラーティア公爵家に伝わる魔剣ゼグラムの権能は轟いている。それと懇意のミルが長寿を得たとする。貴族達は何を思うだろうか。実家を取り込もうと画策し、無用な争いの種を広げることになる。
「……だったら家を出て、旅をしたほうが」
どちらもとらずシャリオスと共に旅に出て、ほとぼりが冷めた頃に帰ってくればいい。だが留守中に家族がどんな目にあわされるか。
そう考えることも判っているのだろう。
どれでもいいとシャリオスは言った。
もしも契約を結んび、長い時をシャリオスと過ごすなら――それはとても幸せではないだろうか。頭の中に冒険の日々が蘇った。
けれど――と、堂々巡りの思考が終わらない。
「ミル、いいかしら」
「母上」
部屋に籠もりきりの娘へ温かいお茶を持ったオルカがやってくる。
椅子を勧めると紅茶がふわりと香る。
「シャリオスさんがお父様と話してる理由は知っている?」
「はい。契約のお願いですよね」
茶色の湖面を見ていると、カップを取られた。顔を上げると首を振ったオルカの厳しい表情がある。なぜだろうか。
「そうじゃないのよミル。彼は結婚したいって言っているの。申し込むときはまず父親に言うものだと聞いたからって」
はっとした。
――取れる手段は三つ。もっと権力のある人にお嫁にもらわれるか、駆け落ちするか、僕と契約をすること!
もっと権力のある人――王族と同等の権力があるのは王族しかいない。多国間なら国力で決まる。つまり相手はシャリオスだ。肩書きを当てはめれば王子様ということをすっかり忘れていた。どころか意識したことすらなかったけれど、契約をせずとも結婚はできる。
(衝撃の事実が……!)
頭がクラクラした。
もしもミルが契約を結ばないままシャリオスと行方をくらませれば、駆け落ちと見なされる。それでも相手は王子様だ。
契約をすれば長い時を共に過ごす――これは確かに結婚だ。
「ひえ」
やっと自覚したミルは首まで赤くなった。無意味に両手をばたつかせて混乱する。
三つの話は、全てシャリオスとの結婚話だったのだ。
「あわわわわ」
「……やだこの子、今気づいたの」
母親は娘の鈍さに額を抑えた。
だが言い訳できるなら、釣書を頬に押しつける求婚者がどこにいるのかと問いたい。
「それでどうしたいの?」
「人質になるのは避けたいです。でもシャリオスさん……うう」
「そうよね。女性にとって人生の大事件だもの。でも考える余地はないんじゃなくって? ミル、ねえミル。シャリオスさんのこと嫌いじゃないでしょう? それは恋じゃないかもしれないけれど、一緒にいたいって思ってる。じゃなきゃ抱きついて泣いたりしないでしょう。違うの?」
「それは、そのう……」
まさか布団に潜り込まれ済みで気にしていなかった、とは口が裂けても言えない。
言いあぐねていると「女は度胸よ」とオルカが指を立てる。
「聞けば冒険者だけど収入は安定してるし、危ない仕事だけれどミルも気に入ったのでしょう?」
「でも最近、やっていけるのか不安に思うことが、たくさんありました」
トリシャの死に様が頭に浮かぶ。蛇目もそうだ。
「一緒でも駄目そう?」
「それは……大丈夫だと思います」
「だったら契約を結んで、結婚してしまいなさい」
お茶のカップから顔を上げると、お説教顔をゆるめて、仕方ない子ねというふうに微笑まれる。
「旦那様がいつまでも若いのに、自分だけ年を取るなんて辛いでしょう。私達人族の一生は長命種にとって木の葉が舞い落ちるより短いものよ。瞬きの間に入れ替わる雨水のようだとエルフが詩にするほど。後悔できるのはいつだって後の話。立って踏み出しなさい」
「母上……」
「お母様はね、ミルが家出をしたとき驚いたわ。何がいけなかったのって。でも手紙が来て、頑張ってると判って後悔したの。ミルはちゃんと頑張れる子だったのに、私達が家に閉じ込めようとした。可能性の芽を摘んで人生の選択肢を狭めようとしていたんだって。ボスウキキにも怒られたわ」
「ボスがですか」
ミルも怒られたが、オルカもそうだったのだ。
「ええ。たかだか適性がないくらいで親が嘆いて不安にさせたから、その呪いの芽を摘むためにミルが出ていったんだって」
この子はできない子、役立たず、結婚もできない――そう言ったのは家族ではない。だが言葉はたしかに、呪いのように根付き芽吹こうとしていた。あのとき飛び出さなければ成長していただろう。
「過保護にしすぎれば何もできない子供にしてしまう……。そう言われて、頬を張られたような気持ちになったわ。ミルのことを何も出来ないと決めつけて、下に見てたって。悪い母親よ」
「そんなこと!」
「言わせてちょうだい。だってちゃんと生活できたでしょう」
「でも私は……貴族らしくはできない子でした」
「それでも頑張れたのよ」
頬をもにもにと揉まれ、変顔になる。
「シャリオスさんと冒険してどうだったの。辛いことはあった?」
「ありました。私のせいで死んでしまった人も、見捨てなければ危険な人とも会って……助けられなかった人がたくさんいました。納得できないことがあって喧嘩もして。でも無理矢理言うことを聞かせようとはしなくてですね……」
納得したわけじゃないが、譲ってくれたのだ。
そこまでしてくれる人ともう一度会えるだろうか。
(無理だわ)
結婚するならシャリオスがいい。
自然とそう思えた。
「母上、シャリオスさんと契約してもいいですか? 一緒にいたいのです」
「お父様が納得すればね。でもきっと大丈夫よ」
オルカは言って、片目を瞑った。