第八話
「モンスターが、横からー!」
「キュブ」
「後ろから追ってくるのが――<障壁>!」
前方はアルブムがブレスで、背後のゴーレムは障壁にぶつかって崩れた。ちょっと脆い個体のようだ。
変化し始めた迷宮は、所々道を増やし複雑さを増していた。幼児の甲高い鳴き声のような音を立てながら黒門が現れる。それを避けながら地上を目指していた。
「皆さん、本当に大丈夫でしょうか」
「お父さんは一瞬で地上に出られるはず。僕より長く影をつたえるから」
「凄いです」
本当に凄かった。吸血鬼に敵う生き物がいないと言われるのも頷ける。
ならば心配はない。
二人と一匹はファインアーツ迷宮を目指す。
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物音がしてハーベルディは顔を上げた。
「なんだ君、また来たのか――」
その姿を見て反射的に駆け寄った。
「クレル! クレルじゃないか! あの小さく美しい生き物から、伝言を受け取ったんだな。ああ、無事でよかった」
微笑んだが、クレルが右手に掴んでいる物を見て顔を引きつらせた。
「なんてものを持ってくるんだ! スシェンじゃないか。ばっちいだろ」
「違う。だがお前の言ったとおりだった」
ボガートはクレルの癇癪を恐れて黙ったままだ。
「いいさ。でも二度目は勘弁しておくれ。それより皆のところへ行こう。世界はいつの間にか調和を取り戻していたみたいなんだ。あれほど頑張ったのに、悪かったね」
「俺は役立たずだ」
「ボクだってそうだ。だから言いっこなしにしよう」
「汚れてしまった。多くを傷つけた」
「なら、これから多くの人を大事にすればいい。君は美しいから、そういうの得意だろう?」
「俺はまだ、そのように映っているのか」
頷くと、クレルは泣きそうな顔をした。
さあと促すと、ようやく顔を上げる。
「懐かしい顔ぶれが見える」
「待っていたみたいだ。十五人になってしまったが、まあ大丈夫だろう」
「苦しかった」
「うん」
「苦しかったんだ……」
オルゴールが鳴っていた。
音に導かれるように二人は手を繋いで歩いていく。クレルは途中でボガートの頭を落としたが、気付かない。
――待ってくれ、死にたくない。俺を置いて行くな
顔だけ振り返ったハーベルディは鼻を鳴らす。
「死にたくないんだろ? だったらずっとそこで、そうしていればいい。ボクらはもう行くけれど」
クレルにはもうボガートの声は聞こえていなかった。
待てと叫ぶボガートを残し、彼らは去った。
「ハーベルディさん!」
扉が開いていた。
クレルが来たことを確信した二人が見たのは灰の山。あったはずの家具も消え、ランタン型のオルゴールが一つ落ちていた。
壁に「ありがとう」と書かれていたが、瞬きの間に夢のように消えた。
「……。二人は仲間のところへ行ったのかもしれないね」
オルゴールを拾ったミルは頷いて壁にはまったままのネジ巻きを回収する。オルゴールの底に入れて回すと、音が鳴り出した。切ないような優しい音色だ。
「お二人が幸せになりますように」
「約束を果たせたんだから大丈夫だよ。戻ろう」
背中を押され、ミルは歩き出した。
その背後で入り口が消え始める。繋ぎ目が綺麗にくっつき、ハーベルディの部屋がなくなる。
ボガートの行方は、ようとして知れない。
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迷宮にとんぼ返りしたが、毒がすっかり消えていた。
狼達の姿はなかった。新しい道を歩いていったと聞いた二人は、今度会ったら文句を言おうと苦笑いする。
彼らは神出鬼没なので、いつ会えるかわからないが。
そう言うとスールは二人の頭を優しく撫でた。
隠されていたこの土地は魔力も含め元に戻ったのだという。これから届け出を出して、未攻略迷宮として登録する作業が待っている。その全てをスールが請け負ってくれた。
バーミルは「休暇が終わってしまった」と夜空を眺めながらちょっとだけ口を尖らせた。
迷宮口の側、薪の明かりで白い肌が温かみのある色になっている親子二人は、目を細めながら転がっていた。簡易テントを広げているが、暖かいので外で野宿をしていた。周辺にはモンスターの気配はない。時折地面が揺れるのは、迷宮の中が動いているせいだろう。
「クレルなんだけど、僕と戦ってるとき手を抜いてたんだ。ボガートが滅ぶチャンスを狙っていたんだろうな……リベンジできなかった」
頬を子供っぽく膨らませている。
「ボガートっていったい何だったの? 昔滅びた種族って言ってたけど」
「お父さんも逸話しか聞いたことがないな。邪悪で頭が悪く、反省を知らない種族だから星の民も呆れて見捨てたとか。頭だけで生きてたなんて、妖精って凄いな」
ボガートはお伽噺の存在で、実在していないと思われていた。迷宮が産み出したのか、それとも見つからないだけで存在していたのか。
どこかへ行ったボガートの懸念は拭えない。
だがバーミルは「お父さんが何とかしておくよ」と言った。心当たりがあるようだが、詳しく教えてくれなかった。
「そうだ、送った手紙は届いてたの?」
「ああ。でもお父さん、お前達のすぐ側にいたんだよ。だから返事を出してもギルドの人がね……近くにいるなら自分で渡せっていうんだ」
「困ったね」
「困ったよ」
「スールのせいで近づけなかったんだっけ。悪い神官だ。僕らに黙ってるなんて」
「彼なりの事情があったのだろう。もう解けたのだから、許しておやり」
ミルはくすくすと笑いながら、食後のお茶を渡した。スールの耳が下がっている。
「悪気はありませんでした。しかし長年の確執を流すのは如何ともしがたく……」
「爺が意地張って恥ずかしくねぇんすか。いって!」
小突かれたサシュラが後頭部を押さえて蹲る。
「ときどき後をつけてる気配を感じてたのは、そういうことだったんだね」
「いや、あれは違う」
バーミルは無造作に懐に手を突っ込むと、白い何かを引きずり出した。
「フシャー!」
聞き覚えのある声に素早く振り返る。
白猫に見えるそれは、ミルと目が合うと金縛りにあったかのように止まった。
「キュア! キュアキュ! クルルルル」
海辺で出会った素敵な白い生き物だ、というふうに興奮したアルブムが鳴く。
「まさか……」
「ニ、ニャア~」
ぎこちなく顔をそらして誤魔化すように鳴いている。
バーミルは首をかしげた。
「どうしたんだ、エヴァンジル。会いたがっていただろう」
台無しにされた白猫はバーミルの手から逃れると元の大きさに戻った。必死に顔を洗って誤魔化している。
「ふむ、聖域の森から出てくるなんて。どうなさったのです」
「うるさいわね。わたしがどこへ行こうと、お前に関係ないでしょう」
「……もしかして知り合い?」
「お父さん達は昔、勇者と一緒に旅をしていたんだよ」
とんでもない答えが返ってくる。
ぎこちなくスールを見ると、顔をそらされた。
サシュラは眠そうな顔をしている。
「なんだか色々なご縁があるのですね」
「世間は狭いって、こういうことを言うんだ」
「でも私は二度と会ってはいけないと言われていたので、その……」
ミルがもじもじすると、エヴァンジルは耳を立てて目をウロウロさせた。
「別に、お前がわたしの巣に来るのが嫌なだけよ。わたしがお前に会いに行って何が悪いのかしら。こっちへきなさい。まったくぼけっとした顔ね」
なぜか罵倒されつつ呼びつけられた。
近くまで行くとエヴァンジルが横になって腹を見せる。立ちすくんでいると、怪訝そうに前足で宙を描いた。
「お前、何をしているの。さっさとしなさい」
「何をすればいいのでしょうか」
「そうだったわね」
何も無い空間から使い古したブラシが落ちてきた。
「わたしがごろってしたら、お前は毛繕いするの。わかった?」
「はぁ……」
よくわからないがブラシを拾って体に当てると、喉をゴロゴロ鳴らした。もしかしたら痒かったのかもしれない。ぽわぽわとした毛がたんまり採れた。
羨ましがったアルブムもシャリオスの膝の上でブラシをかけてもらい、うっとりとしている。
バーミルは笑いを噛み殺した。本当は突き放したことを後悔して後をつけていたのだ。バーミル自身一向に近づけず困っていたところ、エヴァンジルと鉢合わせになったのである。
本当は謝って、聖域の森に来てもらおうと思っていたようだ。
言うとヘソを曲げるだろうから黙っている。
ブラシかけが終わると、大きな欠伸をしたエヴァンジルがミルを咥えてシャリオスの横へ転がす。二人にのしかかって動けないようにした。
「重いんだけど」
「子供は寝る時間よ」
つんと言って目を瞑ってしまった。
二人は仕方ないなと笑う。アルブムは二人の頭の間で丸くなった。
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旅の終わりが近づいていた。
再びやることを無くしたミルは、一度実家に帰ることにした。興奮するシャリオスが一緒に行くと言い張ったので、不安である。
翌朝、スッキリと目覚めたミルはエヴァンジルがどこにもいないことに気づく。バーミルに聞くと帰ったらしい。大きな毛の塊が彼女がいた唯一の証だった。マジックバッグにしまい、朝食を食べると、もう出発の時間だ。
「禁術は教会であずかります」
「お願いします」
禁術の元を知る者が葬られているので、二人は扱いに困っていた。ハーベルディもいなくなっていたので、教会が管理してくれるなら安心だ。
「そういえば皇国にいると魔族になる理由って、なんだったの? 禁術じゃないよね」
「星の光のせいだ。あれは魔族に与えられたものだから、長く浴びるとどうしても変化してしまう」
「じ、実家に送ったのですが!」
慌てるミルを宥めるように肩を叩く。
「大丈夫。あれは欠片だから、そのような力はない」
ほっと息を吐くが、そういうことは先に教えてほしかった。
「お父さんは帰るよ。元気でやりなさい。人の一生は短いのだから、仲良くするんだよ」
「耳タコだよ」
ぶっすりしながらも手を振ると、バーミルは一瞬でいなくなった。影に潜ったのだろう。
「んじゃ、俺らも行きましょうぜ」
真っ直ぐ教会へ帰る彼らとは、ここでお別れだ。
スールはミルの手を取った。
「聖下、ご自分の称号のことはお判りですか」
二人はギクリとした。教会に隠しておかない秘密の一つである。
「わたくしが聖下の旅に同行したのは、あなた様が幸せであることを確かめたかったからです。幾度生まれ変わっても役目を終えないあなた。生まれる度に奪われ続けるあなた。不幸の星が降り注いでも払うことができない、か弱き存在になってしまったあなたが生きていけるのだと」
「あの……?」
「とても、数えるのも程億劫になるほど昔の話です。どうかこれからも健やかにお過ごしください。ですがもし耐えがたいと思うならば、教会の扉を叩いてください」
称号が不幸をもたらすとスールが告げている。
なぜかはわからないが重要なことだ。だから隠すのを止めて、正直に自分の思っていることを話すことにした。
「この称号が私に困難を呼び寄せているとしても、きっと関係ないのです。だって、もしそうなら、これのおかげでシャリオスさんが願いを叶えられて、私はやれることを見つけたのですから。辛いこともたくさんありましたが、でも嬉しいこともありました。私の幸せはたぶん、誰かの幸せと一緒にあるのだと思います」
蛇目達が死んだのが称号に導かれた結果ならば、彼らは幸せだったのだろうか。安らかな寝顔だったが、いつか死んだとき、死後の世界があったならば聞いてみたいと思った。
「ならば死するそのときまで祈りましょう。聖下の幸せが、わたくしの幸せ。どうかわたくしの道を開いてください」
「お約束はできませんが……でも長生きするつもりです!」
胸を反らすと、別れの抱擁をされた。背中を叩くと痛いほど力がこもる。
「どうかお元気で」
「スールさんも」
何度も振り返るスールを見送って、二人と一匹は歩きだす。
「なかなか無い体験だったと思う。これは自伝を書ける」
「書くのですか?」
「ううん、言ってみただけ」
そもそも吸血鬼の旅話に需要はなさそうだ。皇国は暗いので本も読めない。というか本人に聞きに来るだろう。
「それよりサンレガシ領が楽しみ! どんな所なんだろ。リスメリット領の中にあるんだよね」
「え、ええ。はい……面白みのない田舎です」
ミルは冷や汗を流す。
もしかしたら迷宮探索以上の困難が降りかかろうとしているのではないか。
そんな不安がよぎってしかたなかった。