第五話
先ほどの部屋は戦闘の痕を残し、静まりかえっていた。
生々しく残る血痕の痕が残っている。
「奥にいるぞ」
「例の黒いのは、お父さんが相手をしよう。お前は他の子と一緒に、ゴーンの相手をしてきなさい」
「私も行きます。視界範囲内の魔法は全て無効化されるのですが、光を屈折させれば遮れるかもしれません」
「それは敵の言葉だろう。素直に信じてはいけないよ」
「ゴーンの話は嘘なのですか?」
バーミルには考えがあるようだった。
「視界範囲内の魔法が無効ならば、死者の魔法も発動しない。入り口を塞いでいたのも黒いのなら、今塞がないのはなぜか。――発動条件があるのだろう。魔法は万能ではないし代価が必要だ」
「魔力が足らなくなっただけかもしれないよ。回復したらどうするの。あいつはミルちゃんを狙うと思うけど」
「シャリオス」
バーミルは心配顔の息子の頭を優しく撫でた。
「お父さんを誰だと思ってるんだい」
仕草とは裏腹に、瞳は紫色に底光りしていたけれど。
部屋の奥には剥き出しの地面が広がっていた。その向こうに無骨な石造りの、正方形の部屋がある。壁の表面が腐食し、緑色の苔が生えていた。
吸うたびに喉が痛み星魔法を唱える。解毒効果で体の傷みが薄れた。
もう数メルト進むと人工物らしき物が消え、ようやく迷宮内部といった様子になった。
注意していると足音が聞こえてくる。
武器を抜き、待ちかまえた。
「しつけぇな」
ゴーンだ。白衣の裾は汚れ、背中に大きな亀裂があるが傷は消えている。
「オッサンはなぁ、懐かしいもんが見られて満足さ! 死体になっちまったけどな」
「『誘惑の手』はどこですか」
「必要ねえだろ。なにせここを通すわけにゃいかねぇよ。いかねえさ!」
酷く顔色が悪い。足下もおぼつかず、まるで生気を吸い取られたようだ。
「迷宮は誰かの見ている夢が現実になる場所とたとえられることがあるが……彼は特に顕著だ」
ぽつりとバーミルがもらす。
「お前が持っていた道具は、僕の手の中にあるぞ」
「返してもらうに決まってんだろ!」
これ見よがしに懐中時計を振ると、膨れあがったように見えたゴーンの背中から出たのは、例の【遊び頃】だ。黒い体を伸ばし、地面から影の棘を生やす。
攻撃が届くほんの少し前、何かを確かめるように瞬きしたバーミルが唱えた。
「<死体操作>」
刹那、ガクガクと震えだした黒い【遊び頃】が苦しむように目玉を揺らす。
「行きなさい」
背中を叩く言葉に、一行は走り出した。同時に【遊び頃】が部屋の端へ這うように飛ぶ。バーミルはそれに続く。
「なんだったのでしょう」
「あの魔法が効くなら死体の集合体だ。ゴーンに集中して」
「<障壁>」
駄目元で唱えた呪文が発動し、ゴーンは目が飛び出すのではないかと言うほど見開く。
「どうやって知った、なぜ解けた!」
答えず、ビーは引き金を引く。銃砲は一度。けれどゴーンの体にめり込んだのは三発。どれも眉間に食い込んで炸裂した。頭蓋骨が露出するが一瞬で修復される。
バーミルがゴーンではなく黒い【遊び頃】に集中したのは、そちらのほうが厄介だと思ったからだろう。シャリオスは視線を左右に向け合図を送る。
ミルは柔らかく帯状にした障壁を周囲に伸ばす。足場だ。
「がああああ!」
四方八方、死角から繰り出される斬撃と、反撃を封じ込める銃撃がゴーンを縫い止める。
今すべきは時間稼ぎだ。
+
バーミルは可哀想な子だと思いながら、黒い【遊び頃】を一人一人切っていた。影の鱗片一つ一つが全く別の意志を持つ別人だ。けれど一個体として制御されている。
魔法禁止区域を作るというのも本当だが、範囲はせいぜい一人手の平一つ分。見えないほど小さく飛ばされた粒子のような彼らが抑えていたにすぎない。それも、発動中は無防備で他のことができなくなるようだ。
種を明かせば大勢がよってたかって動いていたようなものだが、どれほど窮屈だったか想像もつかない。心を押さえ込まれ意のままにされる苦痛を、幸いなことに知らないからだ。
彼らが望んだならば話は違った。けれど嫌がっている。
触れる影の鱗片が苦痛に喘いでいた。
「君達の灰の先に、黒々とした悪意が見える。行きたくないのだろう」
涙を流せたならば、滂沱していたに違いない。抵抗する様子は幼子がむずがるようで、けれど絶望に浸っている。あやす父母はおらず、慰めの人差し指すら与えられず。
悪魔よりよほど悪魔らしい所業を見逃すことなどできない。バーミルが只人でも魔族でも関係ないことだった。
「少しだけ我慢できるかい。そうしたら、すぐに迎えに行こう」
全ての攻撃を避けきると、誘うように言った。
「約束だ」
聖剣が貫いた目が震え、ドロドロと溶け出し灰となって消えた。
振り返ると息子達が善戦している。手下を失ったゴーンは丸裸同然だ。
「シャリオス、お前がとどめを刺しなさい」
素早く聖剣を掴み持ち替えたシャリオスが左足を大きく踏みだす。上半身を絞るように回し、振り抜いた。
ゴーンの体が二つに裂ける。禁術が切れ、灰が舞った。傷みに藻掻くゴーンの体がバタバタと暴れ出す。
「うがあああああ! 死ねない、死ねないんだよおおおっ!」
「変です」
後ずさったミルに続くように、一行が距離を取る。
蛇が脱皮するかのように体をくねらせたゴーンが、唐突に弾けた。切り口から反転した皮が、赤い内臓を剥き出したまま別の形を作る。内臓をさらけ出したスライムのような、ドロドロとした塊を。脈動するそれは血を流しては自己修復を繰り返し、苦しそうに蠢いていた。何かの繭のように思えたが、答えはビーが告げた。
「ゴーンの夢の形が変わった」
誰も死なない夢が何になったと言うのだろう。
赤黒い何かを突き破って出てきたのは、モンスター。
ゴーンがモンスターを産んでいる。
そのモンスターは歪な形で、生まれたての子供のように小さくか弱い。不揃いな毛が生えており、地肌が剥き出しになっている箇所もあった。二歩で力尽きたように横たわり、弱々しく息をしている。あと数分で死んでしまうだろう。
「迷宮は不滅ではない。だがそれに近しい……」
ビーの声が揺らいでいた。
ゴーンは自らの終わりに復活を望んだのだろうか。それとも滅びぬ別の存在になりたいと願ったのか。もう判らない。ゴーンは別の何かになってしまった。
「彼は君達と因縁がある相手のようだ。どうする」
「できるならば、我々の手で」
シャリオスは聖剣を差し出した。
ぽこぽことモンスターのなり損ないを産んでいたゴーンのなれの果てへ、ビーは聖剣を埋めた。びくびくと震え、それでもゴーンは生きていた。灰ではなく血だまりを広げて。
四度目の攻撃で、気泡が弾けるように事切れる。生まれていたモンスターも同時に絶命した。確認したビーは、しばらく無言だった。
「貴公は世紀の大馬鹿者だ。だがそうさせてしまったのは時代。その罪は一人で背負うものではない。仲間を生かしたかったという心だけは、愛している」
立ち上がり胸に手を当てて深く礼をする。
「フォルト国、第五騎兵隊。ゴーン博士奪還任務完了。博士、安らかにお眠りください」
殺すことでしか取り戻せなかった人を思いながら、亡国の民は静かに転がった物を見た。
ゴーンの亡骸から出てきたのは、安物の鉄板を繋いで作ったような天秤だった。両手を重ねた模様がみっしり描かれている。
「貴公らが求めていた『誘惑の手』だ。気をつけろ、これは意思を持っている」
言葉を証明するように『誘惑の手』が暴れ出した。
拾い上げたビーの手を雷で打ち、火で焦がし、水でねじって風で断ち切ろうとする。しかしビーの手は瞬時に再生する。逃れられないとわかると、黒い霧を出し始めた。
声が頭の中に木霊す。
――望み、のぞみ、言うがいい
かっとなって叫んだ。
「偉そうに!」
ミルは杖を振りかぶった。
これまで灰となった【遊び頃】、死んだ蛇目達の顔が脳裏によぎったのだ。この小さな道具のせいで、どれだけの人が苦しんだだろう。これも人形使いと同じだ。甘言で惑わし人々の人生を奪った。
打ち払われた『誘惑の手』が床にたたきつけられ、くるくると回った。怯えるようにキリキリと金属音を立て、地面から少しだけ浮く。逃げようとしているのだ。杖の柄で天秤を突くと皿の部分に穴が空く。ますます金属音が酷くなった。悲鳴のようだ。
「あなたなんて要らない! あなたなんて!」
何度も杖で打つと『誘惑の手』はミルを恐れて逃げ出した。
「上手い手だ。奴は人形使いの元へ行くだろう」
『誘惑の手』にとって、望みを求めない者は天敵なのだ。
称賛するビーだが、肩で息をするミルはただ怒っていただけだ。
不要品扱いされた『誘惑の手』は迷宮の奥へ消えようとする。
追いかけっこが始まった。
奥へ行くほど迷宮は正体を現した。
まるで生き物の体内にいるかのように、道が狭まり一行を遠ざけようとしてくる。
「皆さん、乗ってください!」
障壁に乗り追いすがるが『誘惑の手』はすばしっこく、枝分かれする道に迷いそうになる。スピードも速く引き離されつつあった。同時に背後の道が塞がれ、止まれば押しつぶされてしまうだろう。行き止まりは死を意味した。
「増援が来た」
『誘惑の手』が通り過ぎた直後、壁から人形がぬるりと現れ道を阻む。
「俺がやる。槍の方がリーチあるだろ」
「なら聖剣を先に結ぶよ。かすっただけで効果あるし」
「……まじかよ」
素早く紐で結ばれ、ちょっと不格好になった槍をサシュラが半目で見る。とても嫌そうだった。
正面に立ち、構える人形の手を打ち払って鮮やかに首を貫く。
「なんか弱くねえか」
灰になっていく人形を背後に首をかしげる。終わりが近いなら、それ相応の手練れが次々に襲ってきても不思議ではないのに、と。
「どいつも、こいつも……でくの坊じゃねぇか!」
「第三章のせいかも」
言われてみれば可能性はあった。
必死で逃げる『誘惑の手』は、とうとう迷宮最深部へ逃げ込んだ。
見上げるほど高い天井は暗くて先が見えない。円柱状の白い柱が三十六本伸びていた。よく見ると星形の杖が中に埋め込まれている。星の民が使っていた杖だ。
柱には鎖が絡まり。中心の青黒い何かに巻き付いていた。見ただけで寒気を覚えるような濃い魔力を感じる。これが毒の元だった。空気を濁らせるほどの魔力は可視化され、霧のようになっている。
周囲には蠢くように夥しい人形が這いずっていた。
「第三章、悪夢の縁へようこそ」
告げた者は、屍のように積み上がる人形の山に座っていた。
「ゲームをしよう」