第三話
一章は現実での遊び、二章はミルが潰した。
第三章があると言うか碌でもない。
道中、部屋を見つけた。うち捨てられた本棚に朽ちかけの蔵書。長年立ち入った形跡はない。足跡もなく埃が積もっているばかり。題名も読めないし、中もカビが生えていたので、そのままにして進む。
「陰気な場所だな」
うんざりしたサシュラは槍を構えながら最後尾を歩く。スリープを倒した後から一体も【遊び頃】が襲ってこないのが、逆に不気味だ。
「モンスターがいない迷宮だなんて……こんなのは始めてだ」
「元は研究所。故にいないのだろう」
「あんたらが作られたのは別の場所なのか」
「ああ」
「どんな場所だったんだ?」
「誰も居ない孤島。すでに沈んだ」
「隠滅済みか」
なかなか事情が入り組んでいる。過去、どのような文明だったのか知らないが、場を見るに進歩していたように思える。滅んだ古代文明にどこか似ていた。
(昔のほうが技術も栄えて凄かったのになぜ滅んだのかしら。今より暮らしやすかったはずなのに……)
動物を模した絵が描かれた扉を探ったスールが、足下に隠し通路を見つけた。
潜りながら答えの出ない疑問を頭の中で回す。
「人はどこまでいけば幸せなのでしょうか」
「ん?」
前方を歩くシャリオスが振り返り、考え事が口から出ていたことに気づいて赤面する。そんな場合ではないのに。
「幸せか。難しいよね、人によるし」
「一律の幸せはディストピアと同じと聞く」
ビーが答える。話が膨らんでしまった。もしかしたら、いい加減続く妙な謎解きに嫌気がさしているのかもしれない。
「ずっと幸せでいることは難しいよ。僕は楽しいことばかりで嬉しいけど、そうじゃない人も多いし。人から見て恵まれて見えても、不幸だと感じてる人もいる。いろいろだよね」
「そう……なのですね」
「それで? どうかしたの」
「第三章のことを考えていました。【遊び頃】があんなに嫌がることをして、人形使いは辛くならないのが、なんだか怖くて」
「人の不幸が奴の幸せなのだろう」
吹雪のように声音が冷たい声だ。それは魅入られたゴーンのことを思っているためかもしれない。ビーは人形使いを恨んでいるのだろうか。国を荒らされ内戦を起こされ、ゴーンを奪われて。そもそも人形になる事に納得していたかもわからない。
問いは塞ぎかけの傷を抉るようで口を閉ざす。
再び見つけた部屋は、やはり放棄されて荒れていた。
長々と続く探索の果てに、黒門は一つも見つからなかった。かわりに大きな黒い、本物の門を見つける。ドクロが絡みつき、悪魔と荒れた土地、そして噴火した山が掘られている。地獄門といって差し支えないようなデザインは物物しく、あまり近づきたくない感じだ。
「地獄……人々の空想の産物とも言えるもの。ここは夢にまつわる題材が多くございますね。解きましょう」
スールが門の飾りをいじると、横にずれたり外れたりする。そのまま組み替えると、大きな山が二つに開き、道が開いた。竜が火を噴き三人を焼き殺す、禍々しい門。
まるでパズルだ。
興奮したようにシャリオスが腕を振った。
「凄い、よくわかったね!」
「年の功です。というよりも、今日この時この道を開くため生きながらえてきたのかもしれませんね」
冗談めかして言う。
開かれた先にあったのは、ようやく人がいそうな整った空間だ。整理された本棚、何かの薬品が並べられたケース。机には知らない器具がたくさん。部屋の中心は広く、舞踏会が開けそうだ。
「ゴーンの夢の跡地だ」
その中心に、会いたかった人物がいた。
ボサボサの髪に無精髭。落ちくぼんだ目は青だが濁って見える。それは狂気のせいか。眼鏡をかけ黒いズボンとシャツに白衣を重ねた姿。どこにでもいる中年男性だが、この場の誰もが違うと知っていた。
「よぉ。いい夢はみられたかい。オッサンはなぁ、懐かしいもんが見られて満足さ」
「誘惑の手はどこですか」
「知る必要はねえな」
顔を歪めたゴーンが武器を構える面々を睥睨する。
「お前らがここを通ることはねぇ。通しもしねえさ! オッサンはなぁ、今も夢を見てるんだ。長い長い夢だ。誰もが一度は願う夢だ! 叶えてぇんだよ、誰も死なねぇ夢を現実にするのが、オッサンの願いだ!!」
誰も死なないために、誰かを殺していく。
酷い矛盾に酔っている。
「金を稼ぐのもか」
「そうだ!」
「そのためにお前は、何でもしたなッ」
静かだったビーが声を荒げ、飛びかかった。
「魅入られた夢は甘美だったか。狂う価値があるものかよ! 貴公は夢と理想を掲げひたむきに進む。ことごとくを破壊して! 後ろには屍。夥しい数の屍だ! 死ぬのは我々だけでじゅうぶんというに。何を以て死なない夢と宣うか、戯れ言を!」
「熱いじゃねぇか。ええ? おい」
「死に晒せ。せめてもの情けだ」
「バグったか!」
天井が空き、大量の人形が降ってくる。地面からも染み出すように現れた。それらはただの人形ではなく、どれも意思を持った手練れだった。
派手な黒装束、手袋に狼の刺繍――かつての同胞達だ。
「現に貴様を残しておくわけにはいかん。一同、成すべきままに!」
狼達が、小さく息を吐く。
それが合図と気づいたのは、シャリオスの聖剣を蛇目がもぎ取った後だ。制止する声を振り切って躍りかかる。
「最初から破るつもりだったな!」
「許せよ小童。キヒヒッ!」
「喧嘩は後にしましょう、<目眩まし>!」
相手は十二人、こちらは九人と一匹。
浄化魔法が炸裂した瞬間、まるで同じ生き物のように視線がミルを貫く。怯んだ瞬間、背後に気配を感じ、アルブムがブレスを吐いた。凍り付けになった相手はそれでもしぶとく剣を振り下ろそうとしている。既視感を覚え後方に飛ぶと、それは罠だった。背後に新手が待ち構えていた。
「ミルちゃん!」
「ひえっ」
足下がストンと落ちると同時に剣先が頭上を通り過ぎた。襟首を掴まれ引き上げられるのに上を向くと、シャリオスがいる。ミルの影から自らの影へ引き上げたのだ。
ミルは素早く唱える。
「<光障壁>!」
光の障壁が十六枚に分かれて飛来する。それは敵の足を縛り関節技を決める。
普通は動けない。
動けないはずなのに。
ガタガタと口を細かく震わせた【遊び頃】達が液状化して一つに纏まっていく。大きさは成人男性の三倍。縦にも横にも大きく、卵に手足が生えたような歪さ。手足の隙間に押し込めるように、いくつもの顔が浮き出た。目がぎょろぎょろとしている。
見ているだけで不安を煽られる造形に息を飲む。
「ほどけます、備えてください!」
ぶくぶくと気泡が上がるように表面が波打つと、一瞬で縮むタドミーが反動を付けて膨らんだ。障壁が砕け、衝撃に歯を食いしばる。魔力が湯水のように消え、頭の奥が痛みだした。水グミを口の中に放り込んで噛みつぶす。
「蛇目、聖剣を持つなら仕事をしろ!」
シャリオスが怒鳴りつけたと同時に、視界の端で躍りかかる姿があった。
銃声が二発――蛇目の妹だ。
「兄達はゴーン討伐なので、お前らもキリキリ雑魚を引きつけるのわああー!」
敵に撃ちこまれた銃弾のことごとくが、体内へ沈み反射される。逆襲を受けた蛇目の妹が走りながら逃げてくる。
「なんでこっち来るんだ!」
悪態をつきながら双剣を抜き放ったシャリオスは、銃弾を真っ二つに切り落とす。左右の床に小さな穴が二つ。それを振り返りもせず大きく踏み出した。
狼は役立たずどころか聖剣を奪って交戦中。最も避けたかった事態に頭を抱えたいが戦うしかない。彼らと共に来ると決めたのはミルなのだ。
「こいつ再生するっ」
「浄化魔法も効きが悪くなってます」
明らかな変化に顔色を変えたのは、スールだ。サシュラと共に二人へ近づくと、ミートハンマーで【遊び頃】を叩き、奥へ飛ばす。後衛とは思えない膂力である。
反対側では狼達が群れのように集まり、連携し、ゴーンへ襲いかかっている。だが聖剣は掠りもしない。
「聖下、ここは通常の空間ではありません」
「夢の中なのですか!?」
破っても破っても覚めない夢。とんだ悪夢だと顔を顰めると「そうではありません」と強ばった口調が返ってくる。
「例えるならば、誰かの夢が現実になる場所とでも言いましょうか。今はゴーンの夢が具現化しているのでは。夢とは眠りではなく願い、つまり願望です。願望が現実化しているのです」
スールの目は真実を告げる。虚栄も虚言も彼の前では等しく暴かれる。
だが二人には根拠がわからない。わからないが、疑問を挟むつもりはなかった。スールが物知りで、正直だと知っているからだ。
「では浄化魔法が効かなくなってきてるのも――」
「闇属性が光属性に勝つという願いが形になってきているのやもしれません」
「それが本当なら属性魔法の弱点が反転する」
光が闇に勝ち、火が水を消す。現象が反転すれば聖剣で【遊び頃】を滅ぼせなくなる。
これが、この迷宮に【遊び頃】が逃げ込んだ本当の理由だったのだ。
つくづく規格外の迷宮だ。
「不味いことになった」
「入り口は閉ざされ、我々は閉じ込められております。長期戦は敵の望むところでありましょう」
「まずいのです。兄に知らせないとピギャァ!」
サシュラに思い切り投げられた蛇目の妹が、うるさく鳴きながら狼の元へ飛んでいく。きりもみ回転からの華麗なる着地を決め、きっと振り返る。
「なにするですっ!」
「ショートカットだ馬鹿ガキ、行け! ――猊下、悠長に話してる時間はもうないっぽいっすよ。あちらさんがお待ちかねですぜ」
不服そうな蛇目の妹が走り出す傍ら、【遊び頃】が大きく手を振りかぶる。短く見えた腕が鞭のようにしなる。弾丸のように伸び、地面を抉って破片が飛び散った。強烈な一撃に規則性はなく、一行を苦しめる。
迫る攻撃にどうするか。迷った瞬間、シャリオスに襟首を掴まれ首が絞まった。
「防御!」
「<障壁>、<移動補助魔法>! 聖剣を取り戻さないとジリ貧です」
「蛇目め、絶対許さないぞ」
足下をかすめた攻撃を間一髪で避ける。
吐き捨てたシャリオスが部屋の端を睨む。
だが状況が変わるわけでもない。必要なのは敵を滅ぼす一撃か、状況を変える手段。
「<煉獄>」
右手をかかげ小さく唱えると、黒い炎が羽虫のように舞った。それは【遊び頃】を静かにむさぼり噛み千切り、咀嚼するように燃やしていく。しかし【遊び頃】はすぐさま再生し、悲鳴が上がる。苦しみ藻掻き、体を掻きむしる。炎が触れた端から燃え広がり、瞬く間に全身を覆い尽くした。
びちゃびちゃと体液を零しながらも生きている。不滅とも言える再生能力が不幸にも彼らを苦しめ続けるのだ。
込みあげる物を飲み込んだのは一人ではないだろう。
「願望が形を得るなら、ゴーンのものが優先される理由はなんだ」
独り言のように呟くシャリオスは一歩踏み出す。
下ろされたミルは杖を構え周囲を見回す。サシュラは槍を回し、飛んでくる腕の残骸を叩き落としては、こちらに敵が来ないよう立ち回る。
「何か仕掛けがあるはずなんだ」
「<感覚強化魔法>」
三度重ねが消したとき、世界は一変する。
ゴーンに集まる魔力の渦。それは胸ポケットへ集中していた。
ふわりと上半身を鎮めたシャリオスが影へ潜り、瞬く間にゴーンへ肉薄する。
蛇目との間に体を潜り込ませ、後ろ足で蹴り飛ばす。蹴り飛ばされた蛇目は舌打ちした。その間にゴーンの両腕を双剣で貫くと、影を使ってポケットを探った。
「テメェ!」
目を剥くゴーンから目的の物を奪い取る。
それは懐中時計だった。ため息が出るような繊細な巧み。填められた青い石がシャリオスの顔を写す。
すると空間が揺れ切りが立ちこめた。【遊び頃】が蹲り、一人、また一人と剥がれ落ちる。
「返せぇ!」
目の色を変えたゴーンが襲いかかるが、その背に一太刀浴びせたのは蛇目だ。ようやく聖剣の一撃が入り、砂が舞う。
「これを持つ人が願望の中心になるなら、僕のターンだ」
指を振れば蛇目の手を聖剣が離れ、シャリオスの手に収まった。影が叩き落としたのだ。
そのまま襲ってくるゴーンを避けて宙返り。着地と同時に転がっている人形の集合体を貫けば砂へと返っていく。ようやく炎から逃れ安息を得た【遊び頃】の表情は、どこか安らかだった。
「足場を!」
「もう作ってあります!」
目にも止まらぬ速さで障壁の上を走り出したシャリオスを、移動補助魔法が更に強化する。残像さえ追うのが困難な彼が腕を振るたび砂が舞う。
ほんの一瞬で殲滅された人形達にゴーンは何を思ったのだろう。
荒い息を吐きながら大股で二歩踏み出した。
狼は後退し、様子を窺っている。
「その剣は、どこにあったんだ、ええ?」
殺意の視線だ。沼底のようなドロドロの意思を瞳に宿し、ゴーンは歯を剥くように口を開けている。
「オッサンの人形は古今東西最強になるはずだった。いや実際なっていた。現在の光属性魔法ではビクともしねぇ特注品さ。対抗するにゃお偉いさんの『神々の治癒』を持ってこなきゃならねぇ。それもこの迷宮内じゃ無効化できる。なのに、その剣は何だ! 聖剣だと!? 失われた勇者のつもりか、はっ! クソガキ共め、こいつをお見舞いしてやるよ!」
地面に空いた丸い穴から飛び出したのは、影を切り取ったかのような【遊び頃】だ。手は刃物と合体しているように細長く伸びて、全身が無形のように揺らいでいる。壁に貼り付けた出来の悪い紙人形が、風で揺らぐように。顔とおぼしき場所には目が一つ。口が無い。意思があるかもわからず、人とも思えない。
「願望の中心は僕だけど」
「奪われた場合を、オッサンが考えなかったと思うか?」
ミシミシと音がする。
はっとしたシャリオスが振り返るのと、視界の端で狼達が地面から飛び出た何かに貫かれるのは同時だった。
「そいつが要なのはわかってる。オッサン、お前らをちゃあんと観察したからな! 連携も、目的も、称号も――!」
小さなうめき声が漏れ、喉の奥に熱い何かがこみ上げた。舌を逆流する生ぬるい液体に鉄さびの匂い。血を吐き出して始めて、ミルは自らの腹を貫通する黒い三角形に気づく。
音もなく引き抜かれたそれが地面をくぐった先、【遊び頃】が体の一部を伸ばした物だと気付いたときには、足下に血だまりができていた。
「聖下!」
倒れたミルに飛ばされるはずの回復魔法が、発動する前に霧散する。
「こいつの能力は視界の範囲全てを魔法禁止区域にする。つまりだ、魔法に頼ったものは薬品も何もかも効果を発揮しない、っつーわけで、オッサンの勝ちだ!」