第十四話
「少し話せる? 話したい」
ベッドに座ると、隣に来たシャリオスが囁くように問いかける。
涙をぬぐう指先の冷たさとは裏腹に、仕草は暖かい。
また涙が零れる。
「だめですね。頭ではわかっているのですが、割り切れないのです。私はどうして、誰かが諦めようとするのを見ると、苦しくなるのでしょうか。目の前で亡くなると、こんなにも気になってしまうのでしょうか。何もかも救えるわけじゃないのに」
「只人だと知っているからだよ。頭で判らなくても、ここで」
つつかれた胸の痛みが増した気がした。腐りかけの血を流すような重い心を持て余すように、しゃくりあげる。
「魔法が失敗しました。そればかり考えてしまいます」
「失敗の理由、わかってるでしょう」
鋭く、シャリオスが続ける。
「誰もトリシャの命を望まなかった。君自身も諦めたんだよ。魔法が失敗して、僕は喜んでる」
信じられないと見開く表情に、シャリオスは力なく笑う。
トリシャは自業自得だ。
これがシャリオスの偽りなき本音だ。
「喜ぶ? どうしてですか、人の死を喜ぶなんて私にはできませんっ」
「僕にはできる。綺麗事では生きてられないから」
「そんなの! わかってます、わかっていますが!」
暴れる体を抱きしめたシャリオスは、大きな手で頭を抑えた。むぐむぐと藻掻いたが、全く動けないと理解すると、ミルは体の力を抜いた。
「どうしてなのですか。トリシャさんがおかしくなっていたからですか。お荷物だからですか。全ては自己責任だというのですか!」
「そうだよ。死ぬべくして死んだ者に、同情の余地はない」
ぶるぶるとミルは震えだした。
シャリオスの腕がきつくなり、耳を塞ぎたくても無理だった。
「誰もが自分の命を優先する。そこに善悪はない。無いんだよ、ミルちゃん。だから相手が自分と同じ優しさを、必ず返してくれるわけじゃないんだ。君はどんなやつにも優しいけど、こんなことを続ければ死んでしまう。それとも命をかけるほど、トリシャは、ススルは何かしたのか? どちらも取り返しのつかない犯罪者で、壊れきってたのに!」
トリシャの死でもミルは泣く。
ススルも酷かったのに気にしていた。
理解できないことがシャリオスは怖い。このままでは、ミルがどこかに行ってしまいそうなのだ。それは暗黒魔法でも届かないような、昏い死に違いない。
息をつめたミルは、赤い瞳を凝視する。感情が高ぶったせいで濃くなった瞳が、血を流しているようだった。
「シャリオスさんは以前、変わらないことがいいこともあるとおっしゃっていました」
「そうだよ。今もそう思う」
「だったら!」
「でも今回は違う。よく聞いて、ミルちゃん。――イデアの仲間を殺した犯人は、トリシャだ。彼女の持ってた鞘と、君が見つけた死体に刺さってた剣の留め具の痕が一致する」
シャリオスは迷宮内の仲間殺しが珍しくないのだと告げた。
「最初から選ぶ余地なんてない。生きていれば、彼女はもっと殺した。何度でも、何度でも。そんなやつ死んだほうがマシだ。心を砕く必要はない」
死はありふれている。とくに迷宮では。
ミルの心は強いから大丈夫だとシャリオスは思っている。泣き虫だが、最後には立つだろうと。しかし立ち止まってる時間がないかもしれない。
世界は残酷だ。
「トリシャを選べば別の人が死ぬ。これはそう言う状況だ。どちらを選べばいいかなんて、誰にでもわかる。傷つく必要なんてない」
ミルはがく然とする。
逃れられない運命でも、避けきれない事故でもなく、最初から命の優先順位を決めろと言っているのだ。それは信じられないほど苦しいことだった。
けれどシャリオスは選択してきた。どんな場面でも優先順位を口にして。なぜなら彼はリーダーで、冒険者だからだ。だから切り捨てる物を積み上げて見せているのだ。
どれを手に取るか尋ねているが、どちらを選んでも後悔が残るだろう。
唐突に気付いた。
譲れないもののためにシャリオスが戦っている。
ミルと、戦っている。
トリシャには砕けないと言った心を尽くして、命を選べと。
無垢さを踏みつけ、穢すのを当然と思い、自由な鳥を籠へ閉じ込めるような行為だ。けれど気遣いがあった。生きるうえで当たり前の理不尽を諭し、一人でも歩けるようにと。
厳しくて優しい行為だった。
「いつから気付いていたのですか」
「トリシャを始めて見たときから。特有の目をしてた。ミルちゃんだって、彼女をおかしいと思ってたでしょう」
トリシャは理不尽な狂人だった。
一行が生き残るために死が必要だった。理不尽に理不尽を返さなければ、相手は自らの行いに気付かない。
だから心をくじき傷をつけても突きつける。
「教材に、するって……おっしゃったのは」
シャリオスはトリシャより、ミルの命を選んでいた。
「私は皆さんを蔑ろにしたことは無いと思っていました。違ったのですか」
かすれた声で問えば「違う」と返ってくる。
「昔話を聞いて。僕と始めてパーティを組んでくれた子の話だ」
疑問を挟む間もなく腕の力が更に強くなり、触れている部分が熱くなる。反対にミルの手は緊張で冷えていく。
「彼は優しい魔法使いだった。とある迷宮で出会って、僕らはパーティを組んだ。右も左もわからなかった僕は、彼が頼もしくて、こんな素敵な人と出会えてよかったって、無邪気に喜んでた」
攻略は順調に進んだ。
彼はシャリオスと一緒に何階層も下へ進んだ。装備や武器も新調して、堅実に進んでいた。けれど、よく思わない者はどこにでもいる。
「あるとき迷宮内で冒険者に襲われて、僕らは許した。許しちゃ駄目だったのに。僕らは頻繁に襲撃されるようになった。彼は自分のせいだって落ち込んだけど、どうしたらいいか僕らにはわからなかった」
襲撃者を殺すかシャリオスは悩んだ。
「だって、その子は優しかったんだ。嫌われると思うと言い出せなくて……もたもたしてるうちに殺されてしまった」
返り討ちにされた冒険者達が徒党を組んだのだ。
もはや荷物などどうでもよく、相手はただ復讐者と成り果てていた。
「僕は奴らをギルドへ引きずって、殺していいか聞いた。――裁判が始まった」
うめくような声音だった。
「弱いのが悪い、死んだのが悪い。吸血鬼と組んで襲ってきた……相手の言い分はこうだった。あいつらは嘘つきだった。けど僕らの正当防衛が証明された。高レベル帯の冒険者が呼ばれて、話をすることになった。冒険者の暗黙の了解や、裁判の起こしかたを知ったよ」
わざわざ教会から嘘がわかる魔導具を借りる念の入れようだった。それだけ吸血鬼が怖かったのだろう。血みどろの姿かもしれないが。
最初は他の冒険者の言葉を信じなかった。だから後をつけ観察した。
また酷い目にあいたくなかったのだ。
結果、よくある話だと判ったのだという。
「決断できなかったから、僕は仲間を失った。そして今日みたいなことは、何度もあるんだって。一度でも失敗すれば死ぬんだよ」
「それでも私は……選びません。そのときにならないと、わからないじゃないですか」
最初から決められるなら悩む人はいない。
「ミルちゃんって、ときどき分からず屋だ」
「できない選択を迫ってくるからです」
「諭してるだけ」
胸に額を押しつけて抵抗する。胸の鼓動がいつもより早い。シャリオスも緊張しているのだ。
シャリオスは世界を見て回りたいと言ったが、一緒に来てくれた。たくさんのことを教えてくれたのに、まだ伝えようとしてくれる。
ミルにも覚悟があった。
【遊び頃】を作った黒幕と戦い、馬鹿馬鹿しい人形遊びを止めさせるために、危険な旅をしようと。善悪ではなく、心がそうしたいのだと。
「もしも私の考えが納得できなくて、嫌だと思うなら――」
人差し指を唇に当てて言葉を封じると、シャリオスは力なく笑う。
「迷いながらでいい。途中でぶれても怒らない。そういうのを含めてミルちゃんが好きだよ。大好きだ。でも、あまり心配させないで。側から離れないで」
シャリオスは「トリシャみたいな人に同情するのはやめて」と言いたかった。けれど受け入れてもらえなければ意味がない。
うっすらと涙の膜を張った赤い瞳を見ながら、ミルは自覚し始めていた。自分の無意識が導いた結果を。
「たくさん嫌なことや辛いことを言われても、でも、私もシャリオスさんが大好きです。ぐすっ」
緊張した表情を緩め、シャリオスはミルの目尻を指先で擦った。涙を何度も拭いながら今日伝えたい、一番大切な言葉を口にする。
「生きて、一緒に迷宮を出よう。今日はもう寝よう。添い寝してあげる」
「それはいらなムギュッ」
離さないよう、しっかり抱きしめて転がった。しばらくすると、ミルの規則正しい寝息が聞こえて、腕の力を緩める。
今日、ミルの心をくじくことはできなかったが、目論見は少し成功した。
蘇生魔法が失敗した。
小さいが大きな一歩である。トリシャのような危険人物が何をするか知ったミルは、次も悩むだろう。チャンスは残っている。
あの子は死んだが、ミルは生きているのだ。
(ズリエルは待つように言ってたけど……)
もしもズリエルがいて相談できたなら、何か変わっていたかもしれない。が、もうすんだことだ。
悪い男ですね、と言われたのを思い出す。
悲しませたくないが、生きるのに必要なことを黙っていられない。
二人が寝静まったあと、イデアは薄く目を開ける。
仲間のことを思うと眠れそうになかった。
+
一夜明けた。
疲れが抜けきらず体も心も重いので、もう一日休むことになった。
「話はわかった……よく平気な顔で探索してたな。殺人鬼と寝食を共にして、顔色一つ変えないとは」
一行は、改めて話し合いの場を設けた。
疲れ切ったイデアの目に隈がある。
まさか話を聞かれていたとは知らないミルは、心配そうに彼を見た。あんなことがあって心中複雑だろうと。
「事情を伝えましたので話を終了します。考察に移りましょう」
何でもない口調で話題を変えたスールは、人差し指をたてる。
「擬態したスライム。明らかにモンスターが巧妙に、ずる賢くなっております」
「この迷宮で罠や魔法攻撃するのはスライムくらいだよね。注意力が欠けてた」
鳴竜は衝撃波を使うが、物理寄りの印象だ。
サシュラが嫌そうに吐き捨てる。
「あんなソックリなの気づくか。腱を切られて動かなくなったのは演出か? 凝りすぎだろ」
「わたくしも見破れませんでした。申し訳なく思います」
「筋肉もよくできていた。俺もミノタウロスだとばかり。……魔剣、本当にもらっていいのか?」
イデアは渡された火の魔剣を怖々見ている。鞘がないので布を巻いていた。
『鑑定水晶』で鑑定した結果、魔剣で確定した。
だが迷宮産の魔剣はゼグラムと違うようなのだ。
「生きておりますが、魂のない状態とでも言いましょうか。意思が感じられません。本物と比べると数段劣る劣化品でしょう」
魔剣ゼグラムの成り立ちを考えると、迷宮産の魔剣が喋らなくても不思議じゃないが、性能に問題があるかといえば、そうではない。
「それでも攻撃力や切れ味は、普通の剣より上だよね。適性のない魔法でも関係ないし。これで僕も魔法で焚き火ができる。再配置型なら魔剣取り放題。とんでもないのを掘り当てちゃった」
「黒字になりますか?」
力強い頷きが返ってくる。
焚き火くらいしか使い道を思いつけないシャリオスだが、価値は理解している。
「ペペロペン事業が失敗しても大丈夫ですよね。父に連絡しないとです」
「元々商売敵が多い事業だったし、別の道が見つかってよかったね。領主様は一切知らないから関係ないけど」
領地が潤えば、お店も増えて薬品類が揃う。後続の冒険者達がほんのり羨ましくなった。
不思議がるイデアに説明すると「伝手か」と切なそうな顔をする。勇者と名乗っているが金銭以外に後ろ盾が弱いのである。
「問題は魔剣の耐久度ですが、予備もあるので大丈夫でしょう」
「特殊な剣は技巧を付けてから使ったほうがいいんだけど、言ってられないし。生き残れたら、普通の剣から始めるんだよ」
「わかった。ありがたく受け取る」
イデアがゴクリとつばを飲む。既に攻略できる自信も技量もないのを自覚している。スライムに負けたのだと。
それぞれが反省点を述べる横で、ミルは何かを誤魔化すように毛繕いするアルブムに気付いた。
「アルブム、どうしたのですか」
「……キュゥ」
「悲しそう。何て言ってるの?」
注目され、アルブムは毛繕いをやめた。視線をそらして気まずそうだ。
少し口ごもったミルは、促されて白状した。
「匂いがミノタウロスじゃなかったそうです。噛んだときも、スライムの味だったみたいで……皆さんわかってると思ってたのですよね」
「キュウ~! キュアッ、キュァァ!」
ごめんね、ごめんねと謝るアルブムを撫でると、必死に頭を擦り付けてくる。
「怒ってないよ。今度は教えてくれる?」
「キュアッ! クルルル」
喉をくすぐられて、すっかりご機嫌に尻尾を振っている。
対策が一つできた。
「<感覚強化魔法>を三度かけませんか。試さないと効果はわからないのですが」
「アレルタとはなんだ?」
「感覚強化魔法ですよ。<魔力付与魔法>の反対の魔法で、三度かけると魔法を見破れるようになります。似たもので有名なのは<回復増加魔法>の重ねがけでしょうか」
「試してみよう。じゃあ話し合いは終わり。解散!」
といっても同じ場所にいるのだが。
イデアは寝直しに行き、ミルはアルブムと共にお風呂へ向かう。シャリオスは残り二人と共に話し合いだ。
「まさかとは思いますが、偽勇者を教材にするおつもりですか」
「ええっ、トリシャじゃあるまいし」
驚いた顔をしたシャリオスだが、疑われるに足る前科がある。
「契約書を書いたんだから、同じに扱うよ。念のため言うけど、トリシャは勝手に死んだんだ。僕が殺したわけじゃない。そこは間違えないで」
「生き残れたら、なんて言っただろ」
「二人が僕をどう思ってるか、よくわかった」
眉をつり上げてたシャリオスは人差し指を立てると『魔法の部屋』を敵のように睨みつけた。
「適性レベル外だ。技量も足りてない。挑むなら相応の覚悟がいるだろ」
「聖下より高いと思いますが」
「頑張り屋さんと比べないの。イデアは真面目だけど経験が浅い。断言する。ミルちゃんはお風呂のあと、勉強を始める。起きたイデアは素振りとかしだす。全然意味ないやつだ」
散々な言いようだ。
今すぐ地上に戻ってイデアを置いてきてもかまわない。むしろイデアにとって、そのほうがマシだ。
「僕はイデアの問題点を見て魔剣を渡した。これ以上ない選択をしてるし、死ぬ可能性も教えた。親切だと思うけど」
「理解しました。ご無礼を申しました」
「わかってくれてよかった。心配しなくても、イデアが馬鹿じゃなければ大丈夫」
長く話し込んでいたらしい。
綺麗に身繕いしたミルが平服で出てくる。手にはニンジン。その後ろにイデアが続く。
「お話中すみません」
「終わったところだよ。アルブムは寝てるの?」
「はい。それで、イデアさんが初日の人みたいなことを始めてですね……」
「素振りをしてただけなんだが」
困惑顔のイデアに、生暖かく頷く。
シャリオスの言ったとおりになった。
「私が何かできればいいのですが、剣の心得がなくて。お任せしていいでしょうか」
「イデアはどうなの。やるなら付き合うけど」
「頼めるなら頼みたい!」
イデアとしては迷惑をかけている手前、言い出せなかったのである。
「手頃なモンスターがいないから、僕が相手になるよ。盾をかまえて。太刀筋を直すとこから始めよう。……気になってたんだけど、君の先生は脇が空いてるとか言わなかったの?」
「……言わなかった」
「そこまで酷いわけじゃないけど、お金払って別の先生を探しなよ。暇な冒険者とか、怪我して引退した人でもいいから。ギルドに行けば依頼出せるし」
と双剣を抜いたのを見て、ミルもニンジンを<空間収納>で切り始めた。首切りの練習で、ニンジンはご飯に入れる予定である。不揃いなものは、アルブムがぽりぽりとかじって消費した。