第十二話
迷宮七十二階層。
黒門の先で待ち構えていた階層主は、一頭のミノタウロスだった。
大理石の床、財宝で四方を埋めた部屋の中心で、巨大な椅子に座っている。椅子は酷く悪趣味だ。白骨で組み上げられている。
双剣を抜いて立ち上がる階層主。黒い鎧に甲姿。通常の個体ではありえない装備だ。隆々と動く筋肉に自然と構えた。
静かに立っているだけなのに、どこにも隙がない。
「周囲に注意して。僕が行く」
踏み出したのを皮切りに、ミノタウロスが動く。大きく息を吸い、胸部を膨らませるのと同時に、ミルが唱える。
「<沈黙魔法>」
怯むような強烈な咆吼が打ち消される。
残った風圧をものともせずシャリオスは踏み出した。双剣を袈裟懸けに振り下ろす。激しい鍔迫り合いが始まった。
同時に椅子が動き出す。カタカタと音をたて、五体のスカルナイトへ変貌した。どれも四本腕で、武器を持っている。
「聞いた数より少ないようです。五十九階層と同じように、挑んだ者と同じ数になるよう設定されているのでしょうか。――<回復魔法>」
「<空間収納>! 首を切っても倒せません。どこか別の急所があるみたいで――<障壁>っ!」
「額の宝石じゃねぇか、よっと!」
前衛を抜いた個体に攻撃したが、頭が転がっただけだった。その転がった頭を踏みつけたサシュラが額の碧い宝石をつくと、ようやく胴体が崩れた。
と同時に、スカルナイトが一斉にサシュラへ向く。敵意が向いたのだ。
長い柄を生かして突き刺し牽制し、隙をイデアが突く。
「額の石で違いない。そっちはどうか!」
「防具は魔法防御だと思う。当てれば弾かれるし、傷が一秒で回復する。普通なら魔力切れで使えなくなるくらい切ってるけど効果なっ――シッ。どこからか魔力が補充されてる。スカルナイトの殲滅よろしく!」
「宝物が目覚めるぞ」
「防げば平気。あとは各自怪我をしないよう準備。スールは皆をよろしく。僕は大丈夫だから。それに――僕の父親ほどじゃない」
「やってくれ!」
「スカルナイトいきます!」
転がす端から障壁で関節技をきめていく。無防備になった額を突けば、あっという間に殲滅だ。
「こりゃ楽だな」
「ああ。障壁魔法がこれほど使えるとは思っていなかった」
だがイデアは緊張を解けなかった。
本番は、ここからなのだ。
周囲の宝物が命を吹き込まれたように動き出した。金貨は弾丸に、首飾りや指輪は魔法攻撃を、宝剣は宙に浮きながら斬りかかる。
「指名ありましたとおり、僭越ながら指揮を取らせていただきます。聖下、まずは敵の数を減らしましょう。散らかったものは、片付けるのがよろしいかと」
展開した障壁で宝物類を絡め取ったミルは、ばくばくと口を開ける宝箱に目を付けた。次々にしまい込み、暴れる剣は束ね、いっぱいになれば宝箱の口を締め上げる。
「キュ!」
金貨は叩き落とせば動かないよ、とアルブムが鳴く。スールの周辺で飛来するコインを前足で叩き落としていた。本日の任務はスールの護衛である。
ミルは特別大きな障壁を作ると、右から左へ仰ぐように動かした。大量の宝物や金貨が音をたてて飛び散った。
「金貨! 足もと滑るから寄せて!」
器用に避けながらも、シャリオスがいう。慌てて刷くように寄せて場所を確保する。足場が安定したシャリオスは、再びミノタウロスに迎撃を始めた。
「四方にトーテムがあるぞ!」
大量の金貨で見えなくなっていたが、散ったおかげで見つけられたのだ。
トーテムはミノタウロスの顔が描かれている。イデアが剣で叩き折ると、シャリオスの攻撃が通り始めた。
沈黙魔法がなければ、叫び声で鼓膜が破れていたかもしれない。それほどの咆吼をミノタウロスがあげている。そして体を何倍も膨らませ、イデアへ攻撃の先を向ける。間に滑り込むシャリオスの攻撃など歯牙にもかけず。
イデアは足をすくませた。
頭の中に何かがよぎったのだ。
死の瞬間だと気付いたシャリオスが叫ぶ。
「しっかりしろ!」
我に返ったイデア。ミノタウロスの背に乗りながら<纏う闇>で拘束するシャリオスと目が合った。
イデアは藻掻くミノタウロスの脇を走り抜け、トーテムを二つ、三つと壊していく。最後の一つはサシュラが蹴り折った。
「くそ、こいつ、様子がおかしいっ。全員黒門へ退避!」
大量の障壁を動かして全員を内側に回収したミルは、口の中に放り込んだ水グミを噛みつぶす。
その瞬間、膨れ上がったミノタウロスが三つに裂け――違う、分裂した。
大きさはそのままに、瓜二つのモンスターが同時に仰け反り息を吸う。
咆吼だと思われたそれは、灼熱の炎だった。
「うあ、あああっ!」
「これは、<挑発>だッ」
ごうごうと空気が音を立てる。肌が焦げ付くような暑さ。そして強烈な敵意に意識が引きつけられる。口が、手が、足が、全身がミノタウロスへ特攻しそうになる。戦術も役割分担も、なにもかも放りだして。
そんなことをしたら火魔法を防げなくなる。
頭ではわかっているのに引きずられる。すでに障壁の制御を失いかけていた。
唇を噛みしめるミルの肩に、両手を置いたスールが唱えた。
「<感覚低下魔法>」
感覚を鈍らせる、行動阻害付与魔法。
本来なら敵に与えられるべきそれが、全員に付与された。
怯むより速く、異常な衝動が引いていく。
「挑発は、感覚低下魔法で相殺いたしました」
攻撃を防ぎきったミルは、特攻する三体のミノタウロスの顔面を叩き押しとどめる。血走った目がぎょろぎょろと周囲を見回して、大理石の床を削りながら無理矢理進もうとする。
このままでは持たない。
ミルは宝箱を浮かせ、後頭部に打ち付けた。背後から攻撃されたミノタウロスが振り返る。
「僕は真ん中。他の位置取りはまかせる!」
一番にシャリオスが飛び出した。もっとも難しい場所を選んで。
「おら、勇者様どっちだ。さっさと決めろ」
「うっ!? 何をするんだっ」
尻を蹴飛ばされたイデアはサシュラを睨むと、ムカムカと怒りながら左のミノタウロスへ襲いかかった。サシュラは吐きそうな顔をしながら右へ走っていく。
「うぇっ、気持ちわりぃ。俺だけ調整ミスってねーすか!?」
「申し訳ありません。優先順位が……<星のながれ>」
解除されて犬のように頭を振ったサシュラが、スールに指を突きつける。ミルが教えた星魔法をスールは見事に使いこなしていた。
槍を振り回したサシュラが怒りながら突進していく。
「終わったら話し合いっすからね!? このクソッタレ牛が! どんぶりにしてやる!」
「ま! お口が……!? 丸焼き以外ですね、忘れません」
感動しているが、そんな場合ではない。
厳しい顔をしたシャリオスが尋ねる。
「誰か剣に詳しい人いる? 火が出てるんだけど」
ミノタウロスが双剣を摺り合わせると、炎が出現した。かすった大理石の切り口が変色している。
「魔剣だ! 波紋に独特の文様がある。時間経過で武器破損は狙えない」
同じように火を纏わせた個体と対峙したイデアが答える。
「なんで俺だけ雷なんだよっ! お前も火ぃ吐いてたじゃねぇか!」
「サシュラのは珍しいタイプかもしれない」
「感電するわっ。ふざけんなー!」
「状態異常用のポーション投げます!」
黄色の液体がつまった障壁を後頭部に当てる。液体が体にかかると、全身に走っていた雷が消えた。
攻勢に移ったサシュラがミノタウロスの両目を真横に切って潰す。
仰け反って空いた喉をついて素早くさがる。
「<攻撃力増加魔法>、<移動補助魔法>。イデアさん、魔法攻撃強化いりますか!」
「頼む!」
「<魔法攻撃強化魔法>」
同じミノタウロスに見えるが、サシュラの相手の武器が違うように、個体差がある。三体の中で、尤も強いのはシャリオスが相手にしている中央のミノタウロス。サシュラの相手が二番目だろう。お尻を蹴って左のミノタウロスへ行くよう、誘導したのだ。
イデアが気づいているかわからないが、サシュラは基本いい奴だ。
そのことを判っているミルは、それでも苦戦するイデアを注意深く見ていた。
イデアはずっと魔法を剣に纏わせる方法で戦ってきた。実践で魔法攻撃をするのに慣れていない。魔力暴発を起こさないだけ立派といえるが、つまり慣れない魔法を使用するくらいに、攻撃力が足りていないからだ。
鍛錬、経験、技量、研鑚。分厚いミノタウロスの皮を切るには、何もかもが足りていない。補うには時間がなさすぎた。
「<氷矢>、くそっ」
攻撃力増加、移動補助に続き<星のながれ>を追加でかける。魔力が切れたら牽制できない。劣勢に追い込まれる前に叩くか、増援を待つしかない。
他の二人は確実にミノタウロスの体力を削っている。シャリオスに至っては、左腕を切り飛ばし、右足を切っていた。決着が近い。
「<沈黙魔法>」
切れかけの沈黙魔法を追加していると、スールの後ろで戦闘を見守っていたトリシャが、ぽつりと言った。
「剣に魔法を纏わせれば、あのようなモンスターなど屠れるでしょうに」
「異なことを。今までのように戦えば、武器が破損した瞬間、死にますよ」
「その前に倒せばいい!」
器用に防具の関節を狙っていたサシュラが、とうとう胸部の装備を剥がした。
心臓を一つきにし、それでも動く敵を二度三度と刺していく。
膝をついて、とうとうミノタウロスが絶命した。
「<回復魔法>。――できぬから敗走したのでは。小鳥よ、小鳥。囀るのはかまいませんが、姦しいのはおやめなさい」
トリシャは答えず、イデアを凝視している。
不穏なものを感じたミルは、視線でアルブムを呼ぶ。周囲を警戒していたのをやめ、大きくなった。耳をぴんと立てる。
不安が的中したのは、その直後だった。
「イデア様!」
「きゃっ!」
「聖下っ」
イデアが避けそこねて腕に裂傷を負った瞬間。障壁で追撃をガードしようとしたミルを背後から突き飛ばし、トリシャが走り出す。
「やめてください!」
追撃を避け、イデアは体勢を立て直そうと後退する。それが正解で、彼は再び戦闘を継続できただろう。スールが回復魔法をかければ、怪我の問題もない。
けれどトリシャは後退するイデアをとどめるように、背後から飛びついてしまった。助けようとしたのはわかる。だがそれは、最もしてはならないことだった。
前に押し出されたイデアの首に、ミノタウロスの双剣が振り下ろされる。
「馬鹿女!」
投擲された槍がミノタウロスの肩を貫通した。サシュラだ。
片方の腕がだらりとさがり、軌道が変わって刃先が地面を削る。
イデアは混乱したままに叫ぶ。
「くそ、離せトリシャ! 何のつもりだっ」
一度挑んで負けた相手との再選は、度胸が必要だった。それでも乗り越えよう、進むんだと踏み出した。情けないほど足りない技量に、羞恥にも似た無力さを感じながらも、戦闘は維持できていた。助けがあることのありがたみを噛みしめた。自分には足りないものが多すぎると。
イデアも馬鹿ではない。シャリオスと戦う個体とくらべ、自分の相手が弱いことなどすぐ知れた。フェイントなく、最初の一撃以外、火を噴かない。だというのに横では常に炎が舞い、間合いを詰めればシャリオスの頭を噛み砕こうと牙を剥く。雲泥の差だ。
ならばこの程度、凌げないでどうするのだと、ちっぽけなプライドを奮い立たせていたとき、背後から突撃された。しがみ付かれて動けない。
かっと頭に血がのぼる。
「また殺すのか! 俺をまた!!」
とっさの言葉に、イデア自身が絶句する。
振り返れば顔を歪めたトリシャの顔があり――
「グルガァ!」
横からもの凄い力で押し出され、トリシャから引き剥がされた。それはアルブムの後ろ足だった。
転がったイデアが呻きながら肘をつく。顔を上げて見えたのは、ミノタウロスの片腕に噛みついたアルブムの足下で、呆然と座り込むトリシャだった。
「私が、ころした……?」
呆然と呟いていた。
「聖下、ミノタウロスの様子が」
「何だこいつら、くっついたぞ!」
「ここはいいから、サシュラはイデアのほうへ行け!」
ミルは迷宮が狡猾だと言う言葉を思い出していた。
イデアの相手をしていたミノタウロスは、最初の一撃から火を噴かなかった。なのに今、口に業火を溜めている。頭をイデアに向けて。
下から顎を叩きあげるが、首の力が強すぎた。
頼みのシャリオスは、サシュラが倒した個体と融合した階層主を反対側に引き寄せている。火と雷が混じった魔法攻撃を繰り出し、雨のように襲う。こちらに向けば、ただでは済まないような猛攻だ。
サシュラは遠い。
障壁を増やすか――できない。これ以上増やせば制御が疎かになる。宝物は宝箱の中で、未だに動いている。失敗すればそれこそ敵の増援を許すようなもの。窮地に陥る。
(アルブムと退避させる……無理よ。火球でどちらかが致命傷を負ってしまう)
未だ放たれていない火球、障壁の制御数、魔力、状況を天秤にかけたミルは唱えた。
「<空間収納>、動いて、トリシャさん! <空間収納>!」
牽制するアルブムを助けるように、ミノタウロスの腕を切っていく。けれどどういうことか、一瞬で生えてきてしまう。
何が起こっているのかわからなかった。
わかることと言えば、トリシャが動けばイデアを助けられること。唯一、二人が助かる道だ。
「逃げて!」
目まぐるしい思考の中、出した結論。
けれど相手は嘲笑うように仕掛けてきた。
不意にイデアから顔を外し、アルブムを見たミノタウロス。反射的に避けたアルブムは、尻尾でトリシャを遠くへ転がした。両者が引き剥がされる。
それが階層主の狙いだったとも知らず。
転がされたトリシャが童女のように顔を上げる。そのときにはもう、投擲された剣が心臓を貫いていた。
大量の血を吐く。
同時に、火球がイデアへ放たれた。
「申し訳ありません」
スールが投げたミートハンマーが当たり、火球が起動を変え、イデアを避けた。
「交代だ、クソガキ!」
槍を回収したサシュラがイデアを蹴り飛ばす。
黒焦げになったトリシャをくわえたアルブムが退避する。
スールはイデアの折れた腕を伸ばし、もう一度回復魔法をかけた。
「神官殿、トリシャは……」
「死んでいます。聖下」
「わかっています。私は付与魔法使いです」
時間はまだあると、そのときのミルは思っていた。
雨のように魔法攻撃が降り注ぐ。
ときには影を伝って巧みに避けたシャリオスは、星魔法の素晴らしさを感じていた。とくに星のながれはいい。魔力回復はシャリオスの欠点を補ってくれている。回復量は地味だが。
闇魔法の魔力消費は他と比べると多い。吸血鬼は日中の活動でハンデを背負うため、とくに消費する。それは『鎮めの輪』のおかげでクリアでき、戦闘で使える魔力は大幅に増えた。
「それでも、あれば使い道が増えるし」
独りごちて跳躍する。
死骸と融合して化けの皮が剥がれた階層主。ミノタウロスの形をしている別の何かである。
ふいに引っかかるものを覚え、シャリオスはジロリと眺める。
サシュラは何度も心臓を貫いて殺した。普通のミノタウロスなら死んでいる。では魔法攻撃をするか。というかくっついたり分裂しない。
「サシュラ、何回心臓刺した?」
「四回。それがどうした」
その瞬間、敵の正体に思い当たったシャリオスが絶叫じみた悲鳴を上げる。
「わあああ、嘘だろこれ!? ミノタウロスじゃない!」
「はあ? じゃあなんだってんだ」
「確かめる――<吸血魔法>!」
肉薄したシャリオスは手の平をつけ唱えた。
そして中身を吸い取られた虫のように、ふにゃふにゃになったミノタウロスの皮が、どろどろした液体と共に床へ落ちた。
「は?」
切るのをやめたサシュラは心臓辺りを滅多刺しにする。堅い何かにあたり、どろりとした液体が流れる。
階層主が全滅した。
「スライムだ……。スカルナイトの額の核も、スライムのだったのかな」
「ふざけろ! ……クソッたれ」
粘液を蹴り飛ばしたサシュラに、珍しくたしなめがなかった。