第十話
一本道と思われていた迷宮は迷路のようになっていた。行き止まりを二つ見つけた事で確信を得る。
(今までは運よく黒門を見つけられたけど、ちゃんと階層を上がれているかしら)
ミルが落ちたのは六十四階層。その場所から下に行って六十八階層でイデア達と鉢合わせ、六十六階層でアルブムと合流。アルブムが落ちたのは六十三階層で、ここまでのルートは判っている。
問題は六十二階層に入ってからだった。
一つ道を間違えてから、イデア達は地上へ続く道を見失った。今までは進むだけで気にしなかったという。地図も他に任せていたので、正確にわからないと言うのだ。
匂いを辿ろうとも、迷宮の回復効果とでもいう現象で、足跡も匂いも消えている。アルブムもお手上げだ。
幸いなのは五十九階層に行けば迷路が終わることだ。ドレッドクマーの対処も冷静にやればなんとかなるはず。
「ギュ」
最後尾にいるアルブムがトリシャの背中を鼻先で押した。また速度が落ちたのだ。
二人はうんざりした顔をする。
最後に休んでから三十分も経っていない。トリシャのレベルは四十二。ミルとあまり変わらないが体力は多い。
「再配置時間は三日。余計な戦闘を避けるために進んでます」
「ふん」
縛って転がしてから妨害しなくなったが、敵愾心が残っている。
「すまない。前はあんなじゃなかったんだが……」
これにはイデアもほとほと参っていた。
彼女の態度が変わったのは、イデアが魔法の使い方を変えたあのときだ。必死に助けようとしていたのは何だったのだろう。
もしかしたらトリシャには理想の勇者像があって、それを壊されたのが気に入らないのかもしれない。見捨てられた状態から地上を目指せる段階になって、気が抜けてしまったのか。
(それとも一度おかしくなっていたから、そのせいかしら)
ならば怖い話だ。
あの昏い目は消えたが……と首を振る。考えてもしかたない。今は地図を書くことに専念しよう。
しばらくすると黒門が見えてきた。
向こう側を確認してから小休止を取り、一行はもう一度進み始める。
「<炎球>」
音もなく近づいて来たミノタウロスを真っ二つにし、へどろのようなスライムを焼き払う。放っておくと破裂して毒をまき散らすのだ。
毒の空気が充満しないよう、障壁で囲う。すぐに燃え尽きた。
「モンスターの様子が変わってきました。六十一階層が近いかもしれませんね」
「なら、早く行けばいいだろう」
「焦らないでください!」
ミルを押しのけて進もうとするトリシャの腕を強く掴む。
「迷宮で焦れば死にます! どうしてそれほど不注意なのですか」
「不注意? イデア様がいるだろう」
悪びれもせずに告げるトリシャには何の含みもなかった。
唖然として言葉もでないでいると、彼女は掴まれた手を振り払った。
「無事に進めているじゃないか。怖がる必要なんてない」
「甘えないでください。私はあなたを背負えるほど強くないのです」
「イデア様は違う。ここまでくれば君の力など不要だ。六十階層では私達は負けなしで進んでいたんだから。もう助言も指示もいらない。――そうですよね」
「そんなわけないだろう」
冷たく突き放し、イデアは歩き始める。ショックを受けたトリシャが続くミルの肩を突き飛ばそうとして、アルブムが唸った。
手を引っ込めたトリシャに、二人はため息もでなかった。
「……誰も死なないようにと思って行動していたが、俺はお前達の成長を阻んでしまったのかもしれない」
イデアは肩身が狭そうに、申し訳ない表情をする。
「トリシャ。生きるつもりがないなら邪魔をしないでくれ」
「え? あ、イデア様! 待ってください、黒門があります!」
指さす方向に確かにあったが二人は返事をしなかった。
黒門から、ぬっと何かが現れたからだ。
「ミルちゃん?」
知った声がした。
「シャリオスさん!」
素早く周囲を窺ったシャリオスは喜色満面な様子で、小走りに近づいてくる。
「よかった、探したんだよ! 怪我はない? 無事だって信じてたけど、気が気じゃなかった」
「大丈夫です!」
約束を守れた。
半泣で駆け寄ったミルを優しく撫でたシャリオスだが、警戒していた。イデアはほっとした表情だが、トリシャは面白くなさそうである。
「この二人は?」
「途中で会いました」
シャリオス達は迷宮内で異変があったあと、最速で脱出して折り返したと言う。足手まといは少ないほうがいいとうい判断だ。
「ここに来るまでに四人の死体を見つけた。そっちは?」
声を落としたシャリオスは厳しい顔をしている。
「二人亡くなっていました。その様子ですと、そちらも……その」
「何の話だ。死んでいたというのは、俺のパーティのことか」
「あんな奴ら、仲間ではありません!」
「……だいたい察した」
憤るトリシャと反対に真顔の二人を見て、シャリオスは振り返る。ソワソワしたスールがいる。サシュラは半目になっていた。こちらは口を挟むつもりがないようだと、視線を戻す。
「落ち着いて聞いて。僕らが見つけた遺体は全員、足を切られていた。囮に使われたと思う」
「私はお二人と合流する前に二人発見しました。片方は足を切られていました。同じ紋章の剣が刺さったまま」
「やった人が、生き残りか迷宮内で死んでるかはわからない。でも、地上へ戻るなら注意したほうがいいよ」
口封じに殺される可能性を指摘され、二人は顔色を失う。
それはシャリオス達にも言えるが、彼らに死体を発見したと気付かせなければいい。
「後ろ暗いなら、とっくに逃げてんじゃないか」
「だといいけど。死体袋持ってく?」
「直ぐに決断を迫るのは酷というもの。休憩を取るべきでは。ずいぶん消耗しているようすですし、わたくしも情報交換をする場がほしいのですが」
勇者を嫌っていたスールが言い出すのが意外で、思わず見上げてしまう。
「僕はいいけど……二人はどう? このまま上に行くなら引き留めないよ」
「話をさせてくれ。それから、遺体を見たい」
「わかった。ここは狭いから『魔法の部屋』でやろう」
もう少しトリシャと一緒にいなければいけないようだ。
諦観を抱きながら、ミルは無言で扉を開けた。
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遺体を見聞したあと、全て本国に送るとイデアは言った。暗い表情だった。シャリオスの言うとおり、足が切られていたせいだ。国に報告すれば、間違いなく事案になり、厳しく調査されるだろう。
面倒に巻き込んだことを彼は謝罪した。
「君達のマジックバッグ返すよ。荷物が入ってると思う」
「すまない」
俯きながらお茶のカップを弄んでいる。
「僕らは下へいくけど、よかったら情報をもらえる? 様子を知りたいんだ」
「確か、荷物の中に地図があったな……」
「それは見たからいい」
きっぱり言う。
珍しいと思っていると、役に立たなかったとサシュラが耳打ちした。
そのとき、突然立ち上がったトリシャが人差し指を突きつける。
「見たと言ったな! 本来ならば討伐されてもしかたないというのに、情報まで盗もうだなんて強欲な。さすが陰湿な魔法使いと一緒なだけはある」
一瞬なにを言われたかわからずぽかんとする。思わずイデアを見れば目が合って、彼も目を見開いていた。一拍おいて何を言っているか理解した彼の顔が、みるみる赤くなっていく。
「やめろ、なぜ問題ばかり起こす!」
「問題? 問題というならイデア様の態度です! あなたは勇者なのですよ。それを下々の者にへりくだって、恥ずかしい!」
絶句とはこのことだ。
彼女を黙らせることができるならいくら払ってもかまわない気がしてくる。
無言で立ち上がったシャリオスは、トリシャの襟首を掴むと、扉の外へ投げ捨てた。入出制限をいじって入れないようにする。トリシャは怒って拳を振ったが、見えない壁に阻まれた。
「そういう話は二人でやって」
「不快な思いをさせて本当にすまない」
「そう思うなら言い聞かせなよ。君のパーティが壊滅したのは半端な統率のせいじゃないかな」
「女性に乱暴なことはできない」
「犬みたいなのに?」
「なんだと、私を侮辱するのか! 決闘だ、出てこい魔族め!」
「シャリオスさん、ちょっと」
いきり立つトリシャから聞こえない場所まで下がると「実はかくかくしかじかでですね」と、彼女がおかしくなっていることを伝える。
シャリオスはもの凄く嫌そうな顔をした。ミルから契約書の内容をかいつまんで聞き、スールを呼ぶ。話をした二人が同時にため息を吐く。
「終わったことはしかたありません」
「それはそうとイデアは運が悪いんだね。トリシャさっさと死ねばいいのに」
「それは言いすぎなのでは……」
「優しいのと甘やかすのは違うよ。迷宮でそんなことされたら誰だって見捨てる。置いてく。放置する。じゃなきゃこっちが死ぬし」
「そちらでも何かあったのですか?」
「モンスターは全部イデアが倒してたみたいで、戦闘はからきしだったよ」
「さもありなん。教会の騒動から指示が通らないようでしたね」
「うへえ……捨てていこうぜ。問題とおさらばするにかぎる」
「大丈夫。僕らは下、彼らは上。永遠にさよならだ」
扉の向こうでは、未だに言い争う声がする。イデアに勇者らしくしろという話から、なぜかシャリオスの処遇に話が飛んでいる。一度剣を向けたイデアだが、謝罪してからすっかり心を入れ替えているので、トリシャの言葉に耳を貸すつもりはない。
「イデア様は勇者なのですよ! あの魔族から徴発して何が悪いというのです!」
「君は間違ってる。これ以上は容赦しないぞ!」
「なぜ魔族の味方をするのです!」
「もう黙れ!! 君がやろうとしているのは犯罪だ!」
打撃音の後、突然静かになり、しばらくしてノックされる。
開くと、気絶したトリシャが転がっていた。女性に乱暴してしまったと、イデアは消沈している。
「悪いこと言わないから捨てなよ。間違いなく君が死ぬから」
既に一度死んでいる。心が重たくなる言葉だ。
「根は悪い奴じゃないんだ。それに、言われずともパーティは解散だ。本国に連絡しなければならないし、この事態を引き起こした責任をとらされるだろう」
『魔法の部屋』をしまいながら、驚いて振り返ると「当然だ」とイデアが肩を竦める。どうも、権力的な問題で蹴落とされるという。それでも正直に言おうとするイデアは、本当に勇者を目指しているのだろう。
転がるトリシャの両手足を縛ったサシュラが「縄は選別にやるよ」と言う。面倒くさそうに靴の爪先で転がした。小さなうめき声が聞こえる。
「サシュラさんは、女性が好きじゃなかったのですか?」
「女なら何でもいいわけじゃねえ。幼女は対象外、会話できないやつも無理」
とても真面目な顔で言われ、曖昧に頷く。
「それじゃ、僕らは行くよ。大変だろうけど頑張ってね」
「いや」
なぜか首を振るイデアに嫌な予感がした。
真っ直ぐ一行を見た彼は、決意を秘めた目で言った。
「俺を同行させてくれないか」