第一話
かつて鐘の音と共に現れた勇者は姿を消し、地上には怪物との戦いが残った。
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「これまで見た中で三本の指に入ると思う」
「何がですか?」
「寂れかた」
静かに言い放ったシャリオスは、しきりに頷く。何に対しての納得かわからないミルだが、活気がない原因はわかる。
ミノタウロスだ。
道中倒したミノタウロスの数は十二体を超えた。一般人は奇跡が起きても生き残れない。盗賊が出たほうがましな状況だ。
街道は傷みが酷く、倒木は放置され馬車も通れない。一行も障壁で移動している。野宿を続け、疲れが溜まっていた。
関所もモンスター対策用の壁もない。立て看板がなければ領地の境目に気付かず進んでいたところだ。
「人っ子一人いないね」
「放置されたのかもしれませんね。最近はスタンピードもなく安定していたため、領民も増えたと聞いておりましたが。厳しい状況に変わりないようです」
閑散とした有様の領内を見回す。
「やるのは村おこしじゃないし、問題が起きなければいいけど」
「本村残して全滅してるみてーだ。残りも時間の問題か」
「サシュラ、不吉なことを言うのはおやめなさい」
「へーい」
迷宮があれば土地が富むわけではない。
そんなお手本を見ている気分だ。
畑の痕を眺めながら一行は進む。ようやく街らしき場所が見えてきたとき、更に厳しい現実を見た。
所々崩れた穴だらけの城壁があった。その周りで畑仕事をする人々は、つぎはぎの服を纏いながら古い農耕具で仕事をしている。痩せた土地のせいか実りもよくないようで、作物に元気がない。
「シャリオスさん、お面を被らないと」
「そうだった。すみません、僕ら迷宮探査に来たんだ。ギルドはどこかな。宿の場所も知りたいんだけど」
「へっ!?」
驚いた農夫は慌てて穴の先を指さす。
「そこ入ったら看板が見えるから。……あんたら、本当に迷宮に来たんか?」
「そうだけど不味かった?」
「いんや、ミノタウロス潰してくれんなら歓迎だども。気ぃつけていきんしゃい」
おかしな様子に首をかしげながら城壁の穴を通ると、生ぬるい風が頬を撫でる。
「そういうことだったのか」
風は中心から流れ出ていた。すり鉢状に掘られた地面の中心に黒門がある。城壁だと思ったのは迷宮を囲う壁で、住居区はまとめて壁際に建てられていた。
「どうして外に住まないのでしょうか」
「間引きができれば内側の方が安全なんだと思う。外はミノタウロスが徘徊してるし。畑が壁に近いのも、すぐに逃げ込めるようにしてるからかな。見て、お店は低い場所にあるけど、住居区は殆ど壁の上だ」
「宿もあそこなのですね」
「それはあっち」
素早く訂正され指の先を追うと、他の建物と離れた場所に教会があった。白い壁に見慣れた装飾は、見慣れた建築様式である。
「事情を聞きたく思います。教会が宿屋のかわりなど……」
訝しみながら近づくと、言い争う声が聞こえてきた。
一人の神官が転がるように出てくる。
まだ成人して間もない少年で、ふわふわの耳をもった犬人族だった。助け起こすと、彼は涙目でスールの服を掴んだ。
「やっと増援に来てくださったんですね! もう限界です、助けてくださいー!」
縋り付いた少年神官が、わっと泣き出してしまう。
「どうなさいました」
「うっうっ。ミノタウロスが宿屋を半壊させて客人をあずかったんです。けど、あの人達、ここをリゾート地と勘違いしてて! 新鮮な果物を取ってこいとか足を揉めだとか言ってきて! 断ると殴る蹴る。教会の食品も勝手に食い漁って、グスッ」
「酷い。なんで泊めてるんだ。僕は悪いことしてなくても出禁なのに。一人だけ野宿かもしれないのに!」
教会に入れてもらえない吸血鬼が憤慨する。
「勇者一行なんで、下っ端の言うことなんて聞いてくれないんですよっ」
「なんと言いました」
聞き返したスールに、少年神官はきょとりと返す。
「勇者一行です。凄く我が儘なんです!」
一行は顔を見合わせる。
勇者は魔王と共に、お伽噺の中へ過ぎ去った。
新たな魔王が皇国に出現した話もない。
疑問符を浮かべる一行に不安になったのか、少年神官は続ける。
「塔の金が鳴って勇者が選ばれたって……。その人は凄く強いんです。周囲のモンスターを倒して、道を整えられると領主様も言ってました。オールドローズ国の認定証も持ってます。聞いてないんですか」
「偽物です」
オールドローズ国はヨズルカ王国から見ると、国二つ超えた先にある小国だ。場所は知っているが国風も何も聞いたことがない。
なぜそんな遠い国から勇者が来たのだろうか。
「散々調べさせられたので、それはないです! 本物の認定証でした」
「認定そのものが虚言。歴史の浅い新興国の戯れ言に、いかほどの価値があると」
断言したスールは苛立たしげに立ち上がる。
「帰りましょう。紛いものを有り難がる領主を助ける義理はありません。未攻略迷宮は他にもございます。ここから一番近い場所でもかまいますまい。皆様にはご足労をおかけして、申し訳なく思います」
「いいの?」
「勇者と名乗る偽物が完全攻略すればよいのです。実力があれば問題ないでしょう」
「スールが大丈夫だって言うなら、僕はかまわないけど」
教会の中でもいろいろあるのだろう。
他国から認定されたという話を信じる神官と、偽物だと断じるスール。一緒にいるとよくないことになりそうだ。
少年神官は絶望的な顔をしながらしがみ付くが、あっけなく外される。
「待ってください、増援じゃないんですか!」
「――ちょっと酒がなくなったわよ! いつまでグズグズしてんのよ」
「そーよ、あたしら誰だと思ってんのよ!」
少年神官はすくみ上がった。
教会の扉を蹴り開けた酔っ払いが二人、赤い顔をしてわめく。酒臭い。
彼女達はスールを見ると、嫌な笑みを浮かべた。
「やだなぁに、召使いが増えたじゃない。あんたは私の相手ね」
「そこのチビは買い出し。甘い物食べたいからヨロシク」
足下に銅貨を投げ捨てられ、ミルは困惑した。
「ここ店とかなくてつまんないし。いてほしかったらわかんでしょ」
「やだアンタ下品」
「どの口が言うのよ」
「よぉ、近づくなら女でも容赦しねぇぞ」
「はっ? なぁに、アンタも遊びたいの?」
女性達が体をすり寄せようとしたところ、一人の頭を鷲掴みにし、もう一人へ投げつけた。不意を突かれた二人は頭をぶつけ倒れた。
「芋女が、田舎に帰れ」
「何ですって!」
土まみれになりながら立ち上がった二人に抜き放った槍先を向ける。
冷めた目を見て彼女達が震えたとき、背後から声がかかった。
「何を騒いでいる」
「イデア様!」
嫌悪を浮かべた青年が仁王立ちしている。目が覚めるような短い赤髪に、眇めた目は深い緑色。黒い鎧を着込み、腰に刀を佩いていた。おそらく人族だ。耳が丸い。
その背後には連れがいて、皆顔を顰めている。装備品を見ると冒険者だが、支給品らしき剣を持った男性が多い。十五人ほどの大所帯だ。
その中の女性が一人、額に手を当て首を振る。
「あなた達、あれほど問題を起こすなと言われたでしょうに」
「私達がやったんじゃないわ!」
「そーよ! この格好を見ればわかるでしょ。あいつらが襲ってきたんだから。速くとっちめてよ。あんたらには風呂掃除から全部やらせてやる!」
「俺は問題を起こすなと言ったな」
もう一度イデアが告げると、姦しかった彼女達は押し黙る。
イデアは殺意にも似た静かな圧力をかけていた。
「お前達はクビだ。荷物をまとめて、どこへなりとも行くがいい」
「ま、待ってよイデア様! なにもそんな急にっ!」
「急ではない。お前らは散々忠告を無視した。飲み食い色事にかまけ仕事を蔑ろにした。他者を見下し配慮をしない。無能と屑に食わせる飯はない!」
イデアは顎をしゃくる。
少年神官が、救世主を見たように感動している。
それでも彼女達はしぶとかった。
「だから、本当に私達じゃないのよ! 信じてイデア様、こいつに突き飛ばされて泥まみれになったのよ。転んだだけじゃ、こんなにならないわ」
「私は買い出しを頼んだだけで、別に揉めごとなんて起こしてないわ」
銅貨を投げ捨ててきた女性は、なぜかミルを睨む。あまりの迫力に後ずさった。
「彼女達が言ってるのは本当か」
イデアの質問に、嫌そうに答えたのはシャリオスだ。
「あの人は突然お金を投げつけて、そっちの人は仲間に突然触ろうとしたんだ。近づくなっていったのに。勘違いしてるけど、僕らは迷宮探索に来た冒険者で、召使いじゃない」
「だからそれはっ」
「裁判をしましょう」
立ち去りたくてしかたなかったが、ミルは呟いた。
その言葉に、全員がぎょっとする。
「遺恨が残るくらいなら魔法で確かめましょう。言いがかりで面倒に巻き込まれたくありません。御領主様に連絡をすれば、対応してくださるのですよね?」
「それは名案だ。我々も無実の人を疑わなくてすむ」
同意したのは金髪の男だった。落ち葉のような形の耳をした鹿人族で、穏やかな笑みを浮かべている。碧い目もあって童話の王子様みたいな外見だ。
「私がオーウェン・イリス男爵だ。この領地をあずかる者として諍いは見逃せない。きちんと記録に残すと約束しよう」
「な、なんでそこまでっ」
「問題なければ狼狽える必要などない。そうでしょう」
「茶番はやめてくれ。お前達、荷物をまとめて出ていけ。いいか、自分の荷物だけだ。食料一つでも盗み出してみろ。手配書を回し地の果てまで追いかける。故国の恥さらしめ」
「っひ」
慌てて荷物をまとめると逃げていく。途中、足下に転がったままの銅貨を拾っていくあたり余裕がありそうだ。感心してしまう。
「全員、持ち物を確かめろ」
命令に駆け去る者が数名。あとはため息をついたり、頭を掻いたりしている。もしかしたら領地の私兵なのかもしれない。
「嫌な思いをさせて悪かったね。新しい冒険者は大歓迎だ。小さな領地だが、ゆっくりしていってくれ」
「わたくし共は、とある筋の依頼で迷宮探査に参りました。が、これにて失礼させていただきたく」
冷たく言い放ったスールに笑みを崩さないオーウェンは、ゆっくりと「それは残念」と全く残念に思っていない口調で続ける。
「今行けば彼女達と鉢合わせになると思いますが。お勧めできないな」
「あのような紛い物と同じ場所で眠れとおっしゃるか」
「俺のことか」
近くで報告を聞いていたイデアが、険しい顔つきで振り返る。
手袋をしたスールの長い指は、真っ直ぐ彼を指している。
「スールさん、行きましょう」
厳しい態度に怯みながら手を引くがビクともしない。それどころか手を握り込まれてしまう。
「教会は一切認定しておりません。認めている貴殿も一体何を考えておられるやら」
「ああ、その話でしたか」
得心がいったという顔をして、オーウェンは口元に薄く笑みを刷く。貴族的で寒々しい仮面の笑みだ。
「なに簡単なことです。こちらはオールドローズ国が認定した勇者、というわけです。彼は立派な方ですし、強い。我が領地に有望な冒険者が来るのは希でして。おこがましくも一時の助力をと思っております。教会の見解は、もちろん存じておりますとも」
「ふむ、ご領地を思う貴殿の心はわかりました。わたくしも心に留めておくことにいたします。それでは聖下、参りましょう」
オーウェンは、イデアはオールドローズ国の主張する勇者であり、教会の認定は関係ない。また支援してくれる者を優先すると言っている。領民を食わせ、安全を守り、迷宮からモンスターが出ないよう苦心しているにもかかわらず、教会からの乏しい支援を皮肉っていた。これは至極尤もで、文句を言うなら出すものを出せという話だ。
「待ってください!」
一行を呼び止めたのは少年神官で、長衣の裾を握りしめている。
「食料を殆ど食べられてしまったんです。同じ神官のよしみで寄進をお願いできませんか」
「司祭殿はどうされました」
慌ただしいのに顔が見えない。どころか、他の神官が一人もいない。
ようやくおかしいことに気付いたスールが問うと、少年神官は涙を浮かべた。
「……先日ミノタウロスに殺されてしまって。だから、神官様が新しく来てくださった方だと、そう思って」
「辛いことを思い出させました。お許しください」
膝をついたスールは少年神官を抱きしめた。
鼻をすする音が続く。
「やっぱり残りませんか?」
このまま帰るのはよくないとミルは思った。せめて他の神官が来るまでいたほうがいいと。一人で残すのは忍びない。
「よろしいのですか」
「僕はかまわないよ。どのみち野宿だし」
「『魔法の部屋』が使えます」
「君だって、大人が一緒のほうがいいよね」
赤い目を擦りながら頷くのを見て、スールは心を動かされたようだった。
「言葉を違えて申し訳なく思いますが、皆様のご厚意に甘えたく思います。勇者のことは目を瞑りましょう」
ため息を吐き、不安そうな少年神官から腕を放す。
「わたくしのことはスールとお呼びください。本日より代わりの者が来るまで祭事の一切を担い、臨時の司祭役を務めさせていただきます」
「じゃあ……!」
「もちろん、別の方に来ていただけるよう手はずを整えます。その間、共に頑張りましょう。お名前を教えていただいても」
「バートミィです! バートとお呼びください!」
「わかりました、バート。部屋の準備をお願いいたします」
「かしこまりました!」
「身繕いもしていらっしゃい。食料庫に何か入れてきましょう」
回復魔法をかけると赤くなった目元が治る。千切れんばかりに尻尾を振りながらバートが教会に走って行く。
「そういうわけですので、しばらく滞在させていただきます」
「こちらこそ、祭事が滞らず済んでほっといたします。早速ではありますが、亡くなった者達の弔いをさせていただきたい」
和やかに笑ったままのオーウェンは、面白くなさそうなイデアを伴って教会へ入っていく。
「手分けをしよう。サシュラはスールと行って。僕らはギルドで手続きをしてくるね」
「おう」
一礼をするスールを見送って、ギルドを目指した。