第三話
王家直轄領デュール。
王都からさほど離れていない海に面した広大な領地。軍事演習にも進軍にも適した領地に常駐するのは、当然禁軍である。
「情報は集まってきたけど、まだまだわからない事が多いね。ハーバルラ海底迷宮との繋がりもよくわからないし、ここにクレルの手がかりがあればいいんだけどな」
「エルフより長生きしていると信じましょう……。お話しできるといいのですが」
生きているだけの状況や、ハーベルディのように幽霊になっている可能性も捨てきれない。不安に俯いていたミルは顔を上げて尋ねる。
「そう言えばなのですが、こんな所で調べ物をして大丈夫なのでしょうか」
「監視されますが、余計な事をしなければ問題ないでしょう」
二人は震え上がった。
馬車に乗り込んだところまでは普通だったが、領地の内情を知るにつれ冷や汗が止まらなくなる。
「ヨズルカ王国の軍事面は、他国に比べ特殊です。騎士兵団を持つ国はあれど、禁軍という王家直下の別部隊が独立し、この規模を維持しているのは、ひとえにアルラーティア公爵家の存在ゆえと言われておりました」
「ファニー様か。そう言えばどうしてるんだろ」
「自らを陥れた【遊び頃】及び黒幕を血眼になって捜索しております。当主は蛇よりも執着に獲物を狙いますので。たとえ王家が黒幕でも、無事では済みますまい」
「聞かなかったことにしたほうがいいかな」
「どちらでもよろしいですよ。たとえ話ですので」
それにしては声が真剣だ。
胃を押さえたシャリオスの背中を撫でる。
「つまり戦闘能力で言えば禁軍に匹敵する脅威だから、王家も軍備を整えておく必要があるってことだ。あの家は王侯貴族といえど、契約に悖るいっさいの行動を許さねえからな」
「それほどまでに魔剣ゼグラムの力は強く、権能は轟いております」
「なんだか支配者って感じがしますね」
「実質裏王家とも呼ばれておりますから」
恐れ知らずのお家である。
そう言えば契約内容は公開されていたのだった。
興味が湧いたが、今は捜し物が優先である。
「古い記録は残っているでしょうか」
「アルラーティア公爵家がそもそも古い家系ですので、希望はあるかと。まずはギルドに寄って迷宮攻略の申請を出しましょう。聞き込みはわたくし達のほうで承ります」
「星の民の情報といい多くない? 大変なら僕らも手伝うよ」
「教会の人脈もありますので、お気にならず」
「無理してないならいいんだけど」
懸念を浮かべるようなシャリオスの表情に内心疑問を覚えたが、ちょうど馬車が止まり会話が途切れる。
外に出ると、目の前にはギルドがあった。
大きな建物は瓦屋根でできており、ランタンの代わりに提灯がぶら下がっている。舗装されていない道は踏み固められ、人の行き来の激しさを感じた。今も訓練中と思われる軍服姿の兵士達が隊列を成して走って行く。
「なんだか物々しいですね」
「軍家やその家族が集まっておりますので。さあ、参りましょう」
街並みも瓦屋根の家が多かった。迷宮から材料が産出されるのだろうか。
そんなことを思いながら暖簾をくぐると、カウンターで雑談をしていた案内係が「奥の部屋へ」と促した。
中は閑散としており、形ばかりのギルドなのだが広い。
案内されるまま人目に付かない一室へ案内されると、待っていた兎人族の職員が愛想良く微笑む。
柔らかな笑みに不穏なものを感じると、彼女は口を開いた。
「枢機卿ご一行様とお見受け致します。この領地で担当させていただくアロマと申します。以後お見知りおきを」
ふわふわした白髪が揺れる。
アロマはしっかりとお辞儀をした後、一向に着席を促す。
「どうして僕らだとわかったの?」
「それはもう、皆様のご活躍は耳にしております」
目を合わせたシャリオスはミルが首を振るのを見て、スールを振り返る。
「ふむ、下の方まで連絡が行っているとは、ずいぶん行き届いておりますね」
「万が一にも失礼があってはなりませんので。それに、皆様方に指名依頼が来ております」
「え」
真っ先に嫌そうな顔をしたのはシャリオスだ。
今まで指名されて嫌な目に会ったことが殆どで、聞くだけで嫌気がさす。反対にミルはキリリと表情を引き締めた。
「断りたいんだけど」
「聞くだけ聞いたほうがいいのではないでしょうか」
「……まぁ、いいけどさ」
少しだけ口を尖らせて視線を戻すと、アロマは一枚の紙を差し出した。
「依頼主は迷宮の入り口でお待ちです。皆様方と直接お話しなさってからご依頼をしたいとのことでした。報酬は捜し物への協力となっております」
「怪しいからパスで。それで迷宮への入場申請をお願いします。ギルド証はこれで」
「指定時間は夕刻ですので、今からでも十分間に合います」
一瞬だけぴくりと眉を動かしたアロマは、シャリオスの言葉を黙殺する。
「パス。ギルド証はこれ」
「依頼書はこちらになります。ギルドの正式な審査を通されておりますので、何の問題もございません。ご安心ください」
「わかった。君じゃ話にならないから担当を変えてもらおう」
「よろしいのですか。こちらお断りすると評価に響くかと。更に言えば心証も悪くなり、今後ご依頼を受ける際に不利となる可能性があります」
視線をシャリオスから向け、他のメンバーを見る。明らかに圧力をかけていた。怯んだミルが穴とでも思ったのか、アロマは目を合わせまくし立てる。
「指名依頼は信頼の置ける冒険者の証であり、査定の際に重視されます。は? ちょっと、お待ちください!」
答えず、シャリオスはミルの背中を押してドアを開く。
アロマは引き留めるも、取り付く島もないような状況に舌打ちする。
「この領地では指名依頼を受けない者は、ギルドから依頼を受けられませんからね! ちょっと! 戻りなさい!」
「……いいのですか?」
「あんな馬鹿相手にしてられないよ」
戸を閉めたシャリオスがため息を吐く。
「一応指定の場所に誰がいるのかは確認してくる。あ、そこの人! これギルド証でこっちは許可証。迷宮への入場許可手続きをお願いします。担当変えてほしいんだけど」
「待ちなさい! いいですか、この領地ではこれがルールです。できないのならば即刻領地から出て行っていただきます!」
「はあ?」
「……ふむ、そうまで仰るなら行ってみてはいかがでしょう」
受付にそのような力はないはずだが。
半目で睨むシャリオスの肩を叩く。
巻き込まれた受付嬢が目を白黒させている間に渡したギルド証を指でつまむ。そのまま依頼書も懐に入れ、満足そうに笑うアロマに背を向けた。
「本当に行くのですか?」
「わたくしを枢機卿と知っての無礼です。聖職者が権力を振りかざすのは言語道断ですが、彼方も覚悟なさっている様子ですので」
「なんか寒い」
「首がすってしました」
震える二人を伴って迷宮の入り口へ向かう。
入り口付近には軍が常駐しており、モンスターが外に出てきても討伐できるようになっていた。訓練場も近く、休憩所はやや遠い場所に設置されている。
入り口はまるで銭湯のようだった。
止められなかったのでそのまま入るが、背後に視線は感じていた。
(なにかしら)
足が揺れたような気がして立ち止まると、振り返ったシャリオスが双剣を抜く。
「どうした」
「揺れませんでしたか」
「何も感じませんでしたが……どうも、別の場所から何か来たようですね」
振り返ったスールが指さす方向に古びたポストがあった。子供の工作のようなできばえで木の隙間が空いている。最近作られた様子で真新しい。そっと近づいたアルブムが差し込まれていた手紙を引き抜くと、ポストは勝手に消えた。
「『特別なパーティへご招待』ですか」
そのような文面がある。
呟いた刹那、文字が光り目が眩む。
「くそ、やられた!」
とっさに伸ばした手を弾かれたスールは痺れる腕を押さえる。その眼前には入れ替わりのように見知らぬ少女が立っている。まるで夜会にでも行くような出で立ちの、水色の髪の少女。整った顔に笑みを浮かべ優雅に一礼するとこう言った。
「ニュフ! 子供はあずかった、返してほしければ付いてくるがいいです!」
「聖下が目的でしたか」
「さぁ、走れ走れ追い立てられる犬のごとくですーってこわぁあああ!?」
額に青筋を浮かべたシャリオスが猛然と走り出す。
「なにさなにさ! 魔族のクセして騎士気取りかバカヤロー! お前なんて怖くないぞ、ちょっと怖いけど怖くないですぞ!」
「恥じらいないの!?」
伸びる影をすいすいと避け、アクロバティックに走って行く。くるりと回った拍子にお子様パンツが丸見えだ。
「うるさーい! どうせ死んでも蘇生魔法で生き返れると思ってるんだろ馬鹿ぁ! ずるいずるいずるーいです!」
「はて、何の話でしょう」
とぼけながらも取り出したのはミートハンマー。身の丈ほどもあるそれを振り下ろし、ミンチにしようと襲いかかるスールに、少女は目を剥く。
「うるさいやーいです! こ、こんなことをしたって蘇生魔法のことが大々的になれば、皆勇者の姿を見るのです! その傍らに魔族がいることは許されないのです!」
「蘇生魔法とはお伽噺で語られる伝説の魔法。使い手がいるとは存じ上げませんが」
文字通りえぐり取りとられた地面に青ざめる少女。
「あっちいけバカバカ! 神官が暴力振るっていいのか暴力反対です! 馬鹿魔族何とかいうです!」
「うるさいな。何者だったとしても、この先もずっと僕はミルちゃんと旅をする。御託を聞くつもりはない!」
光が収まり目を開けると、ミルは知らない場所に立っていた。
移転陣とも違う移転魔法。
「ようこそ客人。お席へどうぞ」
気取って言ったのは、まだ幼さの残るあどけない少年だった。短い赤毛を綺麗になでつけ、燕尾服を着ている。
左右を見回したミルはうなり声を上げるアルブムの背中を撫でながら、一歩下がる。
「私の仲間達をどこへやったのですか」
「お席へどうぞ」
ティーテーブルにお菓子、紅茶のカップに椅子が二つ。回りは草原のように芝生が広がり、暖かな風が流れている。
「……。座った途端、座面が棘のように――」
「ならない。大丈夫だよ。大丈夫、ならないから。……というかそんなこと考えて座らなかったのか。君は変わっているなぁ」
戸惑った少年は「ほら」と強引に座らせる。
すぐに紅茶を注ぎ自らも反対側の席に着くと、大袈裟な動作で紅茶の香りを嗅ぎ、一口含む。
「僕ぁね、君と話したいなぁと思っていたのだよ。でも保護者ガードが堅くてね、突発的に攫ってしまった。連れて来たのに話題もないとくれば、二重に失礼したね」
帰っていいのではないかとミルは訝しんだ。
ひらひらと手を振ると、少年はクッキーを二枚取り皿に移しサンドイッチの皿を引き寄せ、山積みにしていく。
「好きなだけお食べよ。そこの使い魔くんも、人生は食べるに限る」
「あの、依頼主の方で間違いないのですよね。私達は用事があるので要件がなければ帰らせていただきたいのですが」
「そうしたいのはやまやまだけど、今帰るとすれ違いになるねぇ。僕の妹が君のご友人をここまで引っ張ってきてる最中だから。――ああ、あの受付なんて名前だったかな、そうそうアロマ。アロマ嬢の無礼は許してやってよ。あの女、三人の子供が全員父親が違うと世間バレするのを怖がってるんだ。脅したのはこっちなんだけど、夫が夫だから」
紅茶も何も口に入れなくてよかった。切実に安堵しながら混乱する。
何が目的なのかわからない。
「まあ気付かない夫も夫で愛人に子供産ませてるんだけどね。アハハ! あ、ここ笑うところね。人生にはお愛想も必要さ。まあ、話を盛り上げるためにも会話をしようじゃないか。退屈は死だ」
「あなたは誰なのですか」
「そうだねぇ。今は君のお茶友達さ! でもこれから仲間になるかもしれないし、敵になるかもしれない。もしくはここで別れて赤の他人かな。つまり、あらゆる可能性があるってこと」
そう言って、何一つ回答にならない答えを寄越す。
「目的は何ですか」
問いかけに目を細める少年はこう言った。
「そうだね。君達に可能性があるか見るのが一つ。猛獣使いの素質がね。でもねぇ、僕ぁ信じられないんだよ。君みたいな力ない子が本当に【遊び頃】を滅ぼせたのかなって。だが? だがだがだが記録と照らし合わせても『神々の治癒』が王家に返されている間に、多数の目撃があった。事実なんだろう。でも、ならばどうやって」
ゾッとするような暗い瞳を浮かべたかと思えば、幼子を見下ろす年長者のような目をする。
「君は光魔法の使い手だ。なら、燦然と輝くあの太陽のような力を持っていると考えた。だが本物を見たらどうだ? いいや、いや無理でしょ。ダメダメに見える。でも、したんだろうなぁ。君はいったいどういう子なんだろうね」
君の事を調べたんだと、少年は言う。
そうだ、少年だ。そのはずなのに老成した大人の顔をし、かと思えばあどけない子供の姿。無邪気にも邪悪にも見える。姿形が変わってないにもかかわらず、幾人もの男性が目の前にいるような気さえした。
「告白すれば、我々は好ましいと思っている。この出会いも、君という個人も」
見たままの姿に見えない。何かがおかしい。
知らず冷や汗が頬を伝う。