第十八話
ボロボロの船内。船底に空いた穴。見る者が見れば座礁したときに空いた穴とわかるだろう。
幽霊船はかつて、大海原を股にかけた商船だった。大航海中に沈み、迷宮に飲み込まれモンスターとなってからは見る影もないが。
そういった人知れず命を落とした命を拾い集め復活させた元凶は、その触手を再び伸ばす。
新しい獲物、新しい配下。
そのモンスターに意思があるのかもわからないが、戦うより他にない。
「全員引き込まれるな、戦え、戦え!!」
「おおおお!」
囚われるわけにはいかないのだ。祖国のため、愛する家族のためにも、モンスターになるわけには。
(……どういうことなの)
目の前の信じがたい光景に、ミルは愕然とする。
半透明の海兵達が戦っている。ここにいるはずもない存在が、同胞に刃を向け、向かってくる触手を切り飛ばす。彼らの違いは触手に繋がれて希薄な表情をしているか、抵抗しているかのどちらかだ。
まるで二つの勢力が争っているようだ。
しかし、どちらも同じく死んでいる。足も体も透けて見えた。
「ノルアドが引きずり込まれるぞ! 誰か、手を貸せ!」
「だめだ、どこも手一杯だ!」
抵抗する海兵達をまとめているのは二人の男。スールが教えてくれたフラトーラ王国の紋章を背負った騎士と、勲章を付けた海兵。階級は恐らく中将だ。
砂ミミズのように口を開ける触手に食まれた海兵が、剣を突き立て藻掻く。だが、劣勢だった。
ミルはとっさに障壁を動かし、触手に叩きつける。しかし見事にすり抜けた。実態のない触手なのだ。
「<攻撃力増加魔法>、<移動補助魔法>、<魔法攻撃強化魔法>、<止まれ>!」
「何者だ!」
抵抗する海兵達に強化付与を、触手に時空魔法をかけたミルは、捕食が止まった隙にノルアドと呼ばれた幽霊に手を伸ばす。その手はやはり、すり抜けた。
だが、感触がしたのだろうか。
はっとしたノルアドが、藻掻くように手を伸ばし、叫ぶ。
「魔力を込めた手で触れてくれ!」
言うとおりに触れると、今度はしっかりと冷たい感触がした。鳥肌を立てながらも引き抜くと同時、魔法効果が切れた触手が襲いかかってくる。
「物理攻撃は効かない。あれらはゴーストと幻想系モンスターの特性を持っている!」
「<毒状態付与魔法>、<光障壁>!」
数える程しかない攻撃魔法を放てば、触手にめり込み、ようやくダメージが通る。その隙に、統率者二名が仲間を引き、船内の端へ誘導する。
「全員、離れてください!」
でなければ浄化魔法に巻き込んでしまう。
側面に空いた穴から隣の部屋へ飛び込むのを横目に、追う触手に杖を向け唱えた。
「<浄化>」
目も眩むような閃光が触手を包み、繋いでいる幽霊達もろとも吹き飛ばす。
「こっちに来て扉を閉じろ!」
誘われるがまま飛び込み木戸を閉じる。
閂をかけて振り返ると、困惑したいくつもの視線が刺さる。
「……大丈夫、我々を見失ったようだ」
壁に耳を付けていたノルアドが呟く。
その言葉で幽霊達は座り込み、泣き出す者もいた。
「私はドラクロ。昔は中将をしていた。こちらの騎士はアーソン。この一行の知恵袋だ。君は我々の新しい仲間なのか。それにしては、姿が見えないが」
「待て。閂をかけられた、ノルアドに触れられなかった。ならば生者に違いない。所属はどこだ? 海兵隊は魔法使いを新しく入れたのか? 仲間達はここへ来ていますか」
矢継ぎ早の質問に困惑しながらも、魔法を解く。
姿を確認した面々の表情が強ばる。
彼らの目に映るミルも硬い表情をしていた。
「私は冒険者です。ハーバルラ海底迷宮入場の許可を得て潜っていました。貴方達は何者なのですか? これは、どういう状況なのでしょう」
「何てことだ」
「子供じゃないか」
呆然とした彼らはそう呟き、しばし言葉を忘れたかのように沈黙した。
フラトーラ王国には魔法の森があった。
神聖な森は豊かで実り多く、棲まうドルイドは人々に優しく触れた。
ストラーナのことだと、すぐにミルはわかった。
「ダラディム王国に敗れた我々は森と共に沈みました。魔法はダラディム王を受け入れなかったのです。しかし沈み行く大地の混乱に乗じ、一匹のモンスターが『森の核』を盗んだのです」
「それがあの触手。名を魂喰らい。本来ならば相手にもならない弱小のモンスターだが、本来ドルイドに捧げられる魔力をむさぼり、あのように肥大化した。今や魂を食い過ぎて船で移動する有様だ」
アーソンは生真面目に説明すると口元を覆う。
「迷宮化した祖国に住み着くならまだしも、私物のように扱い、眠っていた魂を飲み込んで使い倒しています。なんとおぞましい所業か。止めさせなければならない」
まるで人形使いのようだ。
ミルは恐る恐る聞く。
「主犯格が【遊び頃】の可能性はありませんか」
「【遊び頃】とは?」
「確か、国を跨ぐ悪党と聞いたことがある。関係があるのか?」
「【遊び頃】が、この階層に来ています。階層主をこの階層に引き込んで、私達と交戦中なのです」
訝しむアーソンに【遊び頃】が何かを説明し、『誘惑の手』の事を話す。一応知識はあったドラクロだが、深く考え込む。
「おそらく魂喰らいが幽霊船に乗り込んだ後に来たのだろう」
「私もそう思います。――我々は迷宮内で死亡し、気付くと船内にいました。取り込まれたのだと思う。目覚めた仲間達と共に魂喰らいに抵抗する日々を続けていました。死んだおかげか、我々の攻撃は通じましたから。だが、騎士と言えど減る仲間に増える敵ばかりとくれば、敗戦は濃厚。彼らが来なければ、私も仲間入りしていたでしょう。君達には不幸なことですが」
「魂喰らいは密閉した場所に入れない。君が閂をかけたおかげで、我々の姿を見失っているようだ」
小さな笑い声が起こる。
「しかし犯罪者が祖国に入り込んでいるのは問題だ。我々も君の助けになりたい。共に敵を討とう」
「奴とは長い付き合いです。本体が何処にあるのかもわかっています。どうか力をお貸し願いたく。『森の核』は生者にしか触れられないのです」
だから奪い返すこともできずにいたのだ。
ミルは頷く。
「私の仲間達を呼びたいと思います。少し待っていてもらえますか」
「構わない。だが、出るときは気をつけろ」
ドラクロは言い、ミルは素早く外に出ると扉を閉める。閂はかけられないが密閉された空間なので、魂喰らいは気付かないだろう。
すぐにミルを発見した魂喰らいの触手が向かってくる中、全力で障壁を動かし、大穴から抜け出した。
「スールさん! 協力を得られました!」
「協力?」
逃げ回る姿を見つけたとたん、浄化魔法を放ったミルは彼の手を引いて幽霊船から離れる。追いかけてくる幽霊船を、シャリオス達が戦う混戦地帯に寄せないよう、距離を取って。
(やっぱり、手が足りないわ)
アルブムに騎乗したサシュラがヤケクソ気味に魚類王を切り飛ばしていく。死体が底に沈んでいくが、減ったように見えないのが不思議だ。
(もしかして、魂喰らいが何かしてるのかしら)
だったら、計画に変更が必要だ。
「聖下、協力とはどなたとでしょう」
「ハーバルラ海底迷宮で亡くなった海兵や、フラトーラ王国の騎士様です。皆さん、『森の核』を盗んだ魂喰らいに連れて来られたようで、幽霊船の中にいらっしゃいました」
「おおよそ判りました。事は一刻を争います。聖下、他の者を待ってはいられますまい。我々で行きましょう」
「でも、大丈夫でしょうか」
「下手に伝えて【遊び頃】が余計な事をしても面白くありません。さあ、お早く」
ミルは決意を秘めた目で幽霊船を見下ろす。
「行きます」
+
シャリオスは首を捻りながら唸っていた。
「聖剣じゃ【遊び頃】は殺せないのかな。効いてるように見えるけど」
「うはは。超焼けると思ったら伝説の剣だったとは……普通なら死んでる。うはは……笑えん」
「死なない理由を教えてほしい!」
切実に、と告げながら斬りかかる。
双剣使いのシャリオスは、元々長剣を使っていた。今のスタイルに落ち着いたのは盾より剣の方が具合がいいからで、つまりどちらも使えるのだ。
切りつけられた【遊び頃】は、傷口からドロドロと魔力を漏らす。通常なら剣も魔法もツルリと受け流す特別仕様のボディだが、伝説の剣には敵わない。
「というか、君は吸血鬼では? なぜ勇者の武器を持ってるのか、永遠の謎になりそうだ。うはは」
「動きは遅いし隙だらけなのにタフすぎる。面倒くさいな!」
イライラと失礼な事を呟きながら、横から奇襲をかけた魚類王の兵隊を殴りつける。拳が顔面を突き抜け、大穴が空く。目もくれず、シャリオスは影へ潜り【遊び頃】へ奇襲をかけた。
ジリ貧だ。
「即死しそうなハメ手は無いし……ミルちゃんが何とかするまで待とう」
「おやおや、あの付与魔法使いが、何かできるとでも? うはは」
「できるさ。そこで見てるんだろ、人形使い。だったらわかるはず!」
十八等分にされた【遊び頃】が、粘着質な音を立てて再生していく。どこにでもいる一般人が着ていそうなシャツも、ズボンも、サンダルも。
もしかしたら彼は、話すとおり海の男だったのかもしれない。漁へ出て、魚を捕ってくるような、どこにでもいる。
だが、今は違う。
もはや【遊び頃】となった男は、何処にも逃げられないのだ。
「うはは、ならば手を打たなきゃ駄目だろね。いやはや、うはは! 酒と喧嘩は祭りの花や。海で踊るは海男の性ってね」
「逃がさないぞ!」
「うはは、そうはいくもんか!」
【遊び頃】の体が帯状に溶け、幽霊船へ向かい出す。しかしその端からシャリオスが切り飛ばし、首を掴むと暗黒魔法をぶち込んだ。
「逃がさないと言った」
仄赤く光る瞳に、【遊び頃】は忘れたはずの恐怖を覚えた気がした。