第十七話
「ここが底?」
十二の黒門を超え、地図はほぼ埋まっていた。
岩肌に着地した一行はくまなく周囲を調べたが、それらしき門が見当たらない。
訝しむように顎に手を当てるシャリオスが、注意深く周囲を窺う。
「おかしい。何もない……かといって階層主がいない最下層なんてあるのか」
「<終着の者>がいない迷宮だったのでは?」
「聞いたことがない……けど、ハーバルラ海底迷宮は普通と違うところが多い。階層主が少ない事、サハギンの行動。迷宮となった経緯もそう」
通常の迷宮では、最下層にいる階層主に<終着の者>とある。
「どんな迷宮でも<終着の者>がいた。やっぱりおかしい、門を探そう」
「へぁ!?」
歩き始めたシャリオスに続こうと一歩踏み出したとき、唐突に地面が沈む。
ぎょっとしながら見やれば、膝まで地面に沈んでいる。
そのときだった。
「うはは、まいったね。よりにもよってナァんで、そこを踏み抜くのか」
「誰だ!」
唐突に響く、第三者の声。
素早く双剣を抜いたシャリオスが、鋭く叫ぶ。
声の主は地面から現れた。
いや、地面だと勝手に思っていただけだったのだ。
「バレてしまってはしかたない――四名と一匹、ご案内だァ!」
瞬間――地面が柔らかな布となり、門と言うより大沼のような巨大な黒門が現れる。
「全員退避!」
「させるものかよ」
上半身だけを覗かせていた何者かの形相が変わり、体が帯状に解け巻き付く。怯んだ隙に引き込まれた。
ミルは彼の口元に鬼灯の刺し印を見た。
「【遊び頃】!」
「永久に続く人形遊びを始めよう。うはははは!!」
暗がりに飲み込まれる。
+
迷宮三十四階層。
まるで夜空のようだった。
ぽつりぽつりと闇に広がる光りは、星の川のように広がっている。しかし瞬きの間に光は動き、危機感を感じたミルは状態異常ポーションを取り出すと、一気に煽る。
喉の奥に流れ込むのと同時。視界が染まった。
全身が焦げそうになる。
ミルは息をつめながらも、水グミを二つ取り出した。一つは青ポーション、もう一つは緑ポーションを入れた物だ。
噛みつぶして嚥下すると、防げなかかった体の傷と魔力が戻っていく。
「アルブム、回復を頼みます!」
「キュアキュ!」
二つの瓶を加えたアルブムが跳躍する先に、焼け焦げのサシュラがいる。
長槍のせいだ。
放たれた雷撃を集めるように高く槍を掲げたせいか、集中してしまったのだ。
目視できる範囲にシャリオスもスールもいない。遠くにいるのか、はたまた別の場所に飛ばされたのか。今は考えている暇がない。
「うはは、やったのは一人だけか。これは強者か幸運者か。試してみようじゃぁないか! 行けよ、電海月!」
星の光と見まごう姿。その実態は視界の端から端を埋め尽くす巨大なクラゲ。先ほどの雷撃の犯人だ。
「初めてのお客人だ、案内しますか、そうしよう! 海の男にゃ冥土の土産話も必要さ。うはは。こちら本来は深海二十一階層から三十三階層に出現する階層主。海で最も猛威を振るうだろう、雷属性の魔法持ち!」
再びの雷撃。
ミルは痺れる腕を振り、マジックバッグから取り出した剣を放り投げる。
「残念。防げる量じゃない。うはは」
「本命は僕だったりする。<煉獄>!」
呻くように放たれた呪文が、黒く禍々しい羽虫を呼び起こす。それは黒炎。電海月の足から這い上がり、電すら飲み干していく。
声帯があれば悲鳴を上げていただろう。痛みにのたうち回るように身を捻り、四方八方へ雷を放つ電海月。しかしその一筋すら食らい尽くされる。
さすが暗黒魔法。
正気を保つため、ミルはたくさん瞬きをして耐えた。
「ごめん、遠くの方に流れちゃって。スールも合流してる!」
横目で確認すると、回復魔法をかけられたサシュラが呻いてるところだった。
「あれ、見たことない?」
そう言われ、目をこらして電海月を見る。確かに見覚えがあった。
「ウズル迷宮の六十階層で引っかかってたのに似ています」
「やっぱり。あと、悪い知らせがある。出入り口が入った瞬間消えた。閉じ込められたか、見失った。どっちにしても逃げられない」
「嘘だろおい」
険しい顔のサシュラが焦げた手袋を付け替えながら呟く。
「オォや知られてしまった。うはは。そう、侵入者が出る方法は一つだけ。そして更にもう一つ、悪いお知らせをプレゼント! 実は、引き釣り込んだ階層主は一匹じゃぁないんだな、これが!」
「クソ野郎じゃねぇか!」
ぶち切れたサシュラが飛びかかるのと同時、暗い海の向こうから何かがやってくる。大きな平たいモンスターは、毒々しい紫と赤斑の体をしていた。そのすぐ後ろから、見覚えのあるサハギンの群れが、突撃してくる。
「こちら王国跡地に出る毒翻魚と、魚類王! 死した王者の帰還。亡霊行進曲の始まり、始まり! そしてトリを飾るのは、この階層の階層主、幽霊船だ!」
階層主の四段重ね。
青ざめたのはミルだけではないだろう。
息を飲む間に、シャリオスの指示が飛ぶ。
「サシュラ、スールは二人で毒翻魚を攻撃。これ以上状態異常が重なるとまずい。僕は【遊び頃】、ミルちゃんは僕の手が空くまで幽霊船の足止め、アルブムは魚類王を蹴散らせ!」
「え、ええっ!?」
「ごめん、任せたからー!」
見るからにオバケが出そうなボロ船モンスターを任され、血の気が引く。だが、慌てる暇などない。
遠目でも大きな幽霊船が近づいてくる。これが魚類王と混じれば混戦ですらない。質量で押しつぶされるだけだ。
「後衛が三十四階層の階層主に単騎投入されんだよ、死ねって言うのか!」
「きっとできる、それが僕の結論。ほら速く!」
「ひい」
言い合いをする間にも暗黒魔法が大量に放たれていく。それは魚類王を飲み込み、端から燃やしていく。悲鳴が脳を突き抜けるようだ。
魚類王が死んだモンスターというならば、光魔法が最も効く。だが幽霊船と言うからには、おそらく呪術系モンスター。こちらも光属性がよく効くのだ。
一つと大群。
これでもシャリオスは、マシな方を投げたのだ。
ミルはへっぴり腰になりながらも、幽霊船へ立ち向かった。
+
「実はわたくし、毒翻魚は食べたことがなく」
すらりと抜き放ったのは氷皮鯨を解体するときに使った長包丁。持ち前の怪力で振れば、海流が荒れ狂う。
「あれ食うんっすか!? 勘弁してくださいよ……」
「神兵ともあろう男が、泣き言を漏らすのはおやめなさい。終われば【遊び頃】を叩きますし、祝杯には魚が必要でしょう」
「ぜってー食いたいだけだろうに。ちくしょ、なんで俺ばっかり……お手柔らかにお願いしますよ! っとぉ!」
燃えた電海月の残骸を払い、飛び出したのはサシュラ。背びれから腹にかけて深く槍を食い込ませ、皮を剥ぐように円をかきながら切っていく。その後に続くのは長包丁を携えたスール。切り込みに刃をめり込ませ、力任せに切り口を広げていく。
これには毒翻魚も身を揺すり、大量の血をまき散らしながら毒液を吐き出した。辺り一帯が紫色に染まり、サシュラは肌がビリビリと傷むのを感じる。自らの上司もそうであれば不満などないが、枢機卿の衣装は特別製。この程度の攻撃、微風ほどの意味も無い。
こと動植物の解体は仕込まれて長く、サシュラは教会を辞めても解体だけで食べていけるほどの腕前だ。それもこれも、妙に物知りな食い意地のはったゲテモノ食いの上司のせいだ。おかげで初見の生き物でも、内臓の位置がおおよそ判ってしまう。
「心臓刺してくるんで、大人しくしといてくださいよ!」
「血抜きは念入りにお願いいたします」
「状況判ってますかね!?」
悲鳴を上げるサシュラが体内へと潜り込む。
自分が小さく見えるほど巨大な階層主であっても、いやだからこそ心配することなどない。
この程度、気の遠くなる時間を生きたエルフにとって、雑事にもならないのだから。
+
向かってくるのは幽霊船。幽霊船が階層主ならば、船員はどうか。
答えはモンスターと何か。
甲板には大量のサハギンに人影。それがどうも、海兵達に見えて仕方ない。
「死んだ人達が、幽霊船のなかで蘇っている……?」
不安に止まるミルを発見したサハギンが、生前と同じように鳴いている。三つ叉槍を打ち鳴らし、船が針路を変えた。近づいてくる。
間違いなく海兵だ。制服を見間違うはずがない。彼らは一人たりとも十一階層下に行ったことがないのに、どういうことだ。
死んだ者が幽霊船に招かれたのか。わからなかった。黒門を超えた下層へ移動するなど聞いたことがない。
(迷宮のゾンビは意思疎通ができないわ……あと怖い)
兎にも角にも仕事をしなければ。
シャリオスは足止めと言った。ならば彼らが来るまで何とかするしかない。
「<浄化>――え!」
光りの粒子となった彼らはしかし、数秒後、時間を巻き戻したかのように戻っていた。
「浄化魔法が効かない? そんな、どうして……」
「魂を囚われているのでしょうか。惨い話です」
低い声音に背後を見れば、スールが泳ぎながら近づいてくる。障壁をずらして足場を作れば、礼を言いながら隣に来た彼は小さく「精霊よ……」と呟く。
「どういうことすか?」
「幽霊船というものは総じて死者を捉えるものです。この迷宮で骸を晒すと、あの船へ乗船させられるのやもしれません」
「そんなことが?」
「……おそらくは。見てください、あの男。マントにフラトーラ王国の紋章があります」
息を飲むミルは、男性を凝視する。頬肉が崩れ去り装備もボロボロだが、生前は騎士だったのだろうか。手甲を付けている。
彼は――彼らは何百年も幽霊船に囚われているのか。
「スールさんの担当は終わっているのですよね? 手伝っていただけますか」
「無論です。血抜き中なので、わたくしだけ先に参りました」
何を言っているのか判らずサシュラを探す。なんだか魚の解体をしているように見えるが、今は緊急時。目の錯覚に違いない。ミルは曖昧に頷く。
それよりも、何度浄化魔法を使っても復活するモンスター達が問題だ。これではどんな方法でも勝てない。たとえシャリオスが焼き尽くしたとしても。
暗黒魔法が飛び交う乱戦場を薄目で確認しつつ、ミルは悩む。
「<感覚強化魔法>」
<感覚強化魔法>は三度重ねがけすると、幻想などの魔法を見破る事ができる。
魔法が発動した瞬間、不思議な物が見えた。
モンスター達の背中に何か細い物が繋がっている。それは船の奥へと消えていた。
「<浄化>! 船内になにかあります。倒しても吸い込まれて、すぐに吐き出して……何かが復活させているみたいです」
「やっかいですね。死なぬゾンビがひしめく腹の中へ行かねばならぬようです」
「でも、それを倒せば彼らは下船できるのではないでしょうか」
一つの可能性を確かめるために危険を冒せるか。
答えは決まっている。引けない迷宮で死が口を開けるなら、飛び込んで中から食い破る。そういう冒険者でなければ生き残れない。
「シャリオスさん! 幽霊船には仕掛けがあります。それを解かなければ倒せません。斥候をしてもかまいませんか!」
「任せた、でも、生きて戻って!」
「わかっています。――スールさん、彼らの注意を引いてもらえませんか」
敵は光属性が弱点。
一番生き残れる確率が高いのが自分だ。
【遊び頃】を倒せるのはシャリオスの持つ聖剣だけだろう。それでも足りるか判らないが、だからこそ混戦になる前に少しでも敵の戦力を減らす。
アルブムは魚類王を凍らせ、噛み砕いては、不味い……と言うように震えるが、確実に数を減らしている。それでも、このままでは【遊び頃】と合流して混戦になってしまう。
「大丈夫です、サシュラが彼らにつきますので。聖下は思うとおりになさいませ」
背中を押されたミルは、光を曲げて全ての視界から逃れると幽霊船の横穴から侵入する。
同時に長包丁を抜いたスールが甲板に降り立った。逆の手には聖水。
「さてはて、水中では刃に垂らしても、あまり意味がありませんね」
そもそも復活してしまうのだが。
「後衛でありますが、時間稼ぎをいたしましょう」
囚われた人達は何度でも蘇る。浄化魔法も効かず、使い手は戦地へ向かう。一人きりだ。
それでもスールには怯えの一文字すらない。
もっと最悪なことを知っているからだ。