第十一話
三十四階層のリトルスポットは小さな洞窟の中にあった。リトルスポットはモンスターが少ない場所にあり、冒険者達の休憩所として使われている。無い階層の方が多く、あまり人が来るとモンスターも寄ってくるので、冒険者が秘匿しているだけかもしれないが。【火龍の師団】もいくつか見つけ、隠れ家的に使っていたと言う。
「足を休めろ。作戦会議をしたい」
物珍しさに周囲を窺っていたミルを呼びつけ床を叩いたユーギ。大人しく一人と一匹が座ると、頭を下げた。
「さっきは助かった。礼を言う。それでアンタ達はどうしてここへ来た?」
「悪い人達にユーギさんがついて行ったと聞いて……あと、救助の話も」
「……他人から見ても明らかに駄目な冒険者に引っかかるたぁ、俺も目が曇ったもんだ」
苦い顔で俯く。
仲間の救出断念という事実がよほど効いていたのだろう。
「だが、諦めたつもりはねぇ。恥を忍んで頼むが、俺と一緒に仲間を助ける手伝いをしてくれないか!」
頭を下げた彼女を見て、ミルは厳しい顔をすると、首を振る。
「私は自分を守らなければいけません。ここまではアルブムに乗ったから何とか降りることが出来ましたが、階層主を相手に出来る実力はないんです。……失礼ですが、お互いにそうですよね?」
「まずは話を聞いてくれ。階層主は巨大な水妖系モンスターだ。灰色の王という」
「名前だけは聞いたことがあります」
トドのような形をしているが、鱗やヒレは触れただけで身を引き裂く。巨大な津波を起こし、三十四階層を津波の渦に飲み込んだこともある、危険なモンスターと言われていた。
三十四階層の三分の二が大河で、水は更に下層へ流れている。灰色の王は河の中に潜んで普段は現れない。ユーギの仲間達を助けるためには食料庫へ向かえば良いが、既に一刻を争う。ならば鉢合わせになる確率は高い。
「普通なら船しか手が無いが、アンタの障壁で空から行ければ仲間を救出して逃げる。ここには飛行系モンスターはいない。灰色の王と鉢合わせになったら、その時点で諦める」
しばし考えたミルは、ここ数日の自分を振り返り頷いた。
「私は話を聞いて、とても気になって探索にも身が入りませんでした。だから、やるだけやってみましょう」
「そうと決まれば行こう!」
力強い目に、これで良かったのかと悩みながらも差し出された手を取った。
断ったときとは違い、ユーギの目には光が戻っていた。
アルブムに乗った二人は障壁を張り、上空から食料庫を目指した。場所はユーギがわかるという。宝珠があるからだそうだ。
進むほどに腐敗臭が濃くなっていく。アルブムも行きたくないというようにマズルに皺を寄せていた。足下には死んだモンスターや冒険者の残骸がぷかぷかと浮いている。灰色の大河は、見たとおり汚く、碌な水では無さそうだ。もったりとした水は大量の泥をふくんで、溺れたら息が出来ず、直ぐに窒息死するだろう。
「あれだ!」
ユーギが前方をさした。切り立った岩場の上に、赤い旗が見える。周囲に道となる物は一切無い。遠目にも、倒れた冒険者がいた。声をあげて呼びたかったが灰色の王がどこにいるかわからない。
障壁を動かしながら、そっと近づいていく。河は恐ろしく静かだった。
そっと降り立った事にも気付かないほど、攫われた冒険者達は動かない。早足で両親と思われる龍族にかけよるユーギ。ミルは周囲を見回し、他に生きている冒険者を探したが、十人中六人が事切れていた。間に合わなかったのだ。
装備の一部を回収したミルは、マジックバッグにしまう。
「直ぐに離れましょう」
ユーギの両親は、強靱な龍族とあって、まだ息があった。ポーションと栄養剤を交互に飲ませている。
「まさか、本当に来るとは……我が娘ながら無謀の極み也」
「小言は後にしてくれよ! 母ちゃんと一緒に帰ろう。ほら、あいつがミルとアルブム。力を貸してくれたんだ」
「この度は愚女共々世話になった。俺はギスカ。妻はマルジャ」
ギスカはそう言って頭を下げた。くすんだ赤道色の髪が親子で同じだ。妻のマルジャも、洗えば同じ色の髪になるだろう。
「まだ終わっていません。灰色の王が来ないうちに三人はアルブムに乗ってください。縛り付けます」
素早くロープでくくっていく。栄養状態の悪い場所で、食べ物は岩場に生えた苔だけだったという。直ぐに手持ちの食糧も尽き、体力のないものから死んでいった。
もう一人はポーションも栄養剤も飲ませたが、意識が戻らないままだった。頬はこけ、痩せ細っている。
なんとか準備を終わらせたときだった。突如海面が盛り上がり始める。
「灰色の王だ! 高く登れ!!」
「<障壁>!」
見えたのは灰色のモンスターが大口を開けているところ。ミルはアルブムに咥えられながら障壁で上空に上がる。人数が増えた分、耐久をあげるため魔力がごっそり抜けていく。慌てて青ポーションを飲み干した。
このままでは長く持たない。
崖の上の死体が、岩ごと囓り採られていく残酷な光景から目を離し、急いで来た道を戻る。しかし食事を直ぐに終わらせた灰色の王は、侵入者を逃がすつもりはない。ぎょろりとした大きな目を巡らせて、海面を長いヒレで叩き、飛び上がってきた。
「なっ!」
大河の殆どは泥だ。水を叩くよりよほど飛べる。
そのことを失念していたミルは汚濁の飛沫から身を守るように障壁を張った。
「キュン!!」
アルブムが吐いた氷は灰色の王に弾かれる。
「目を瞑って下さい――<目眩まし>!」
爆発した光が視界を焼いた。悲鳴をあげた灰色の王は大きな水しぶきを上げながら大河に飲まれていく。
「今のうちに行きましょう!」
「だめだ、行く手を阻まれてる!」
鋭いユーギの声にはっと見ると、水面に見える影が、三十三階層へ続く門への道に集まっていた。
「灰色の王のおこぼれを狙ってるんだ」
苦々しく言ったのはギスカ。この階層は食べられる物が少ないため、モンスターは共食いか冒険者を襲うのだという。ミルは灰色の王がモンスターを飲み込む光景に息を飲んだ。
この場所は、生存競争が恐ろしく厳しい。強いモンスターばかりなのに、その中でもっと強いモンスターが生き残る。食料庫は灰色の王が狩りに失敗したときの保険なのだ。
(灰色の王はお腹をすかせている)
ポケットから取り出した水グミを指でのばして遠くに投げると、直ぐに気付いた灰色の王が食いついてくる。海面に落ちた途端、灰色の王の餌食だ。
抱えた三人を置いて行けば――ミルとアルブムだけならば逃げられそうだ。だが目的を達成できない。
「アルブム、全力で走って! 道は私が作ります!」
魔力が切れた瞬間が、このパーティの終了だ。五人と一匹の命が、ミルの行動にかかっている。
「<光><光><光>!」
出現した光球を水面ギリギリに泳がせる。気配を感じた灰色の王が追いかけ始めた。反対側に遠ざけていく。
「<鈍足魔法>! あぁだめだわ、通じませんっ」
「レベルが足りないのよ」
かすれた声で言ったのは、妻のマルジャだ。
「あまりにも懸け離れていると、効果自体が無くなるのよ。三十レベルに到達しなければ、付与魔法の半分は使えないわ……」
「かあちゃん、体力が無くなるから黙っててくれ!」
「ごめんなさい、ユーギ……」
ふ、と目を伏せてしまう。彼女もげっそりと痩せ、顔は青を通り越して白くなっている。
(モンスターについて、もっと調べておくべきだった)
ミルは認め、撤退のため杖を振った。<移動補助魔法>を使いアルブムの移動速度を上げ、自分には<感覚強化魔法>をかけた。ユーギには闘気を使って自分の強化をしてもらう。障壁は動かすより貼る方が魔力消費が少なく済むので、ミルはアルブムに咥えられながら、<光>や<止まれ>などの魔法を使い、モンスターの目を眩ませることに徹した。アルブムは張られた障壁を踏み抜くように駆け抜ける。
大河から降り立った途端、集まって来たモンスター。<光>が消えて、目標を失った灰色の王が背後から襲いかかってくる。
「強行突破するぞ!」
切り込みはユーギが担い、二人と一匹はモンスターの群れを駆け抜けた。
リトルスポットまで逃げたとき、ミルはもう一歩も動けなかった。膝から崩れるように倒れ、頬にアルブムがすり寄る。
下ろされた三人は、ユーギが持っていた物資を分けあった。もう一人、気絶したままの男性がやっと目を開けたが、もうろうとしている。速く地上に戻り、手当を受けなければ手遅れになりそうだ。
ユーギはリトルスポットをそっと出ていき、早々に帰ってきた。
「今日はもう進めない。入り口にモンスターの群れが集まってる」
灰色の王が大暴れし、避難しているのだろうとユーギは言う。このぶんでは、他の冒険者も三十四階層から避難しただろう。
「せめて俺の槍があればな……」
「あなた、それは無しよ。私の杖もないのだから」
焚き火をして作ったスープを勢いよく食べている夫婦の横で、ユーギは男性に根気強く飲ませている。男性の名前はアルトと言うそうだ。兎の獣人で、茶色の耳だ。
「お嬢さん、俺はもう駄目だから置いて行ってくれ……この状態じゃ、上層にあがれない」
「無駄口叩いてないで、さっさとメシを食って体を治せ。お前は助かるんだ。俺が保証する」
ミルは自分の分の食料を確認する。三日だが、一人分の量だ。
上層へはアルブムに乗って強行突破すれば、一日で抜けられなくはない。しかし弱った者を三人つれていれば、当然アルブムに乗せないと進めない。戦力は半減するし、ミルより彼らはずっと大きい。背負えないだろう。
「他の階層の冒険者に、助けを求められませんか?」
「足下を見られるか……。駄目な奴に当たったら、今の状態じゃ終了だ。抵抗すらできない」
「……そうですか」
裏切られたユーギが言うなら、そうなのだろう。ミルも自分が良い評判を持ってないことを知っている。
数時間休んで起きた朝。体感では早朝だ。
軽く乾パンをかじったミルは一階層までの地図を広げる。一番安全なルートを探さなければならない。この中で一番情報を多く持ってるのは誰だろう。見回したミルは、アルブムにくっつくように眠っている夫婦――マルジャをゆすり起こした。
「奥様、起きて下さい。擦り合わせをさせていただきたいのですが」
昨日、彼女はミルに情報を提供した。的確な話だったが、体力が落ちている。今日もまともに歩けないだろう。なら、体力があるうちに出来ることをしてもらわなければ。
「う……。すり、あわせ?」
「帰還ルートの確認をしたく思います。他の方を起こさないようにお願いします」
「わかったわ」
寝ぼけた目がすっと冷えた。
起き上がったマルジャは目を細めて地図を見た。彼女に乾パンと水を渡す。昨日より体力が戻ったようで、咀嚼が速い。
「まず最短ルートを教えて下さい。そのあと、モンスターの出現が少ないと思われる場所も」
「ここを行きます。今の状態だと、こっちが――」
爪の尖った指先が示すままに、インクで真っ直ぐ線を引いていく。最短ルートならば今日中に外に出られるが、厳しい。まず悲しい事に武力が足りないし、体力が続かないだろう。迂回ルートも一か八かだ。やはり他の冒険者を見つけ次第、交渉して物資を分けてもらうか上層まで同行させてもらうしかない。
「十五階層まで行ければ、後は最短ルートで行けます」
それまでは迂回し、モンスターとの戦闘を避けるべきだと言う。
方針は決まり、ミルは全員を起こす。ギスカは体も大きく重いので、なるべく歩いてほしいが無理そうだ。三人をアルブムにのせ、障壁で三十三階層への門を目指すことになった。
「なんだ……昨日とは打って変わって、モンスターがいない?」
門の周りにひしめいていたモンスターが消えている。巣穴に戻ったのだろうか。それにしては食い散らかされたような痕が多く残っている。不気味だった。
「あそこだ! 門がある!」
ユーギが指を指す。ミルは障壁を解き、泥濘む地面に着地した――とたん、地面の底が盛り上がった。
「キュン!」
「<光障壁>!」
とっさにミルを咥えたアルブムが大きく飛ぶ。すると足下に張った障壁を突き破って灰色の王が現れる。
「こいつっ! 地面に潜って待ち伏せしてたのか!?」
「アルト、しっかりしろ!」
はっと見ればアルブムからずり落ちたアルトが落ちていく。とっさに障壁で受け止めたミルは全員をつれて上昇した。しかし相手は再び地面に潜り、もう一度飛び上がってくる。
「沼地が全部慣らされて、水気が多くなったせいだ。それで灰色の王がここまでこられたんだ!」
ユーギは歯がみした。引き上げたアルトはギスカが掴んでいるが、再びずり落ちそうになる。そして青い顔で泡のような物を吐き出した。
「あ、あなたっ! 酷い熱よ! これじゃ、もう持たないっ」
「――!」
ギスカが咆吼した理由はわからない。だが、ミルは心臓に突き刺さる何かを感じた。杖を背中にしまい、手を突き出す。
「<大いなる光よ。我が魂は誇り。我が声に果ては無く――」
すでに三十四階層で逃げ場は無い。門は目前。
飛び上がる灰色の王から、今度こそ逃げられない。
殺意に塗られた目が見えた。底冷えするような恐怖が足下から這い上がる。ユーギが父親に、父親が家族を抱き込んだ。アルブムが氷の息を吐こうと口を開けるのがゆっくりに見える中、ミルは幾度も失敗した呪文を唱える。
「――この体が盾ならば、我が運命に勝利は要らず。黄金の鐘よ鳴れ。その音は光>!」
体に走った光が指先から真っ直ぐ灰色の王に絡まった。大きく開けた口に巻き付き締め上げられていく。尾も、ヒレも全てを封じるように。
「行ってアルブム! 最短ルートを通り、全員を送ったあと戻ってきて!」
「何を言っている!!」
「アルブム!!」
唸ったアルブムをもう一度叱咤する。するとミルを障壁の上に下ろし、ユーギを咥えると、猛然と走り始めた。門をくぐる刹那、藻掻くように手を伸ばすユーギに笑ってみせる。
「私の魔力が切れるか、あなたが勝つか、それとも応援が戻ってくるか――根比べをいたしましょう」
ぎょろりと向いた目がミルを睨んでいた。
+
「くそっ! 主人を見捨てるとは、離せ馬鹿使い魔が! 恩人を見捨てるなど龍族のすることではない!!」
「ギュルガァァアア!」
黙れというように、アルブムはユーギを壁に叩きつけた。
「う――ぐァ!?」
「ギュアアアア!」
そして倒れたユーギの胴体を咥え直す。牙が防具を突き破り、柔らかい腹に食い込む直前で止まった。足を止めた一瞬を取り返すがごとく、疾走する。