第十二話
要望された材料と一緒に送った魔導具が、強化されて帰ってきた。
最後の確認を済ませた一行は、明日、再び迷宮へ挑む。
「なんだか、やらなきゃという感じになりますね」
海辺を歩いていたミルは星を見上げる。
生ぬるい風に混じる潮の香りを嗅ぎながら、そろそろ帰ろうと踵を返した時だった。
「ねえ、アンタがハーバルラ海底迷宮に入れるって冒険者?」
同じくらいか、少し下の年頃の少女が話しかけてきた。日に焼けた肌に勝ち気そうな瞳。風で傷んだ髪を一つにくくっている。
「一緒に連れてって。アンタが行けるなら、私だって行けるでしょ!」
「……どちら様ですか?」
少女はくっと唇を噛む。
うっすらと目に涙が浮かび、訳ありだとようやくミルは気付く。けれど帰宅するには遅かった。
「私の父親は海軍の中将だった」
「だった?」
「そうよ、死んだの。ハーバルラ海底迷宮で! でも遺体が戻ってこない」
睨み付けるような視線だ。
ミルの沈黙をどう取ったのか、焦ったように彼女は続ける。
「お父さんが死んでから、海兵達は腑抜けになっちゃった! 海に潜るのが怖いって。クソッタレの根性なしの後釜が指揮を執ってるせいよ! お父さんの方がずっと優れてたのに!」
だが、父親は死んでいる。
「……迷宮へ行って、何をしたいのですか? 遺体は残っていないと思いますし、危険な場所です」
「それでも遺品があれば、お母さんだって……」
語尾は消え、言葉が続かない。
うっすらと事情を悟ったものの、何かしてあげられるとは思えなかった。
「たくさんの海兵が迷宮の中で死んでいったわ。ほとんど遺品は返ってこないの。回収する余裕がないなんて嘘をつくの! ねえ、あなた達は国から特別に許可されるほど強いって本当? でもあなた、凄く弱そう! だったら私だって潜れるでしょ、ねえ!」
「私に決定権はありませんし、協力することはできません」
「なんでよ!」
「果たしたい目的があるからです。あなたが望みがあるように、私にもあります。邪魔になると判っているのに、連れていくことはできません」
その強い視線に、少女は怯む。
涙が目尻に溜まっていく。
「なんでよ! あんただって意気地無しよ、他の海兵と一緒!! なんで!? なんで!!」
激高して泣きじゃくる少女が何度もミルを叩く。アルブムが唸るのを手で制す。
「……気はすみましたか? 一人で家に帰れますか?」
泣きすぎて呆然とする少女に声をかけるが、反応が薄い。
困っていると、近くで様子を窺っていた海兵達が少女に優しく声をかけた。
「悪かったな」
一人、振り返った海兵がそんなことを言う。
「なにがでしょう」
「身内の……前中将のお嬢さんだからだ。前中将はお嬢さんが言うとおり、強くて格好いい海の男だった。俺達を助けて死んじまったけど。十一階層からは神殿内に繋がっていた。フラトーラ王国の神殿だよ。サハギンの群れが住み着いて、軍勢を率いていた。再配置かも判らない。そこで大敗したんだ」
「そうだったのですか……」
「前中将の遺体があるなら、沈んだ潜水艦の残骸近くだろうが、三年前の話だ。残ってないだろう。いつか俺達が探しに行く。あんたが命を危険に晒す必要はない」
「他の海兵さんは、どう思っていらっしゃるのですか?」
聞かれたくない質問だったのか、顔を顰める。
「俺達はあの迷宮へずっと挑んでいるから、どんな場所か判っている。それに、あんたは……付与魔法使いだ。迷宮へ行くのは止めたほうがいい」
これが一般的な付与魔法使いへの認識だ。
「確かに力ない魔法使いですが、それでも探したい物があるのです。足を止めるわけにはいきません」
「そうかい……。気をつけてな」
きっぱりとした物言いに、海兵は肩を竦めて仲間を追う。
ミルもまた、アルブムを肩に乗せて帰った。
潜水艦が撃沈したと言う事は、かなり酷い戦場、敵の激しい攻撃を受ける可能性を示唆する。
聞き終えたシャリオスは唸る。
「潜水艦の捜索は避けたい。見つかるかも判らないし、サハギンに群がられても面白くない。リトルスポットを真っ先に探さないと……。なければ見張りを立てて順番に休むことになる」
ふと表情を緩めてミルの前髪を指先で弾く。
「あの子の望みを叶えたい?」
「いいようになればと思いますけれど……難しいです」
ただでさえお願いして付いてきてもらっている。この上さらにとなると、気が引けるどころか、本当に全員を巻き込んで死んでしまう。少なくとも、階層の状況が判らない状況で探すべきではない。どれほど気になったとしても。
そう言うと「なるほど、判ったら探しちゃうのか」とシャリオスは独りごちる。
「大丈夫、きっとなんとかなるよ。そう言う星の下に生まれたんだから」
「……その設定いつ頃なくなりますか?」
「どうだろうなぁ」
半目で見ると、頬をもにもに揉まれて誤魔化される。
その日、布団に潜りながら目を瞑ると、今日のことが眼裏に浮かぶ。
自分で見つけた、できること。
攻略は始まっている。
引き返せない。
+++
迷宮十階層。
改良が終わった魔導具を携え、一行はハーバルラ海底迷宮へ挑んでいた。前回シャリオスがお風呂の音が聞こえるのを気にしていた事を伝えたためか、『魔法の部屋』の空間拡張されていた。壁につけたら部屋が増えて浴室と脱衣所と洗濯物を干すところが増えた。
「芝生と空と風と太陽と温度が再現されてる! 凄い、毎日お日様の匂いがする布団で寝られるよ!?」
「さすがサンレガシ家の製品ですね。とてもよいお品物です」
「そのうち中で暮らせるようになりそうです……」
ありがたくも家族の奮闘にちょっと引く傍ら、吸血鬼とは思えない事を言いながら、目を輝かせてあちこち見ていた。
そんなことを思い出しながら、十一階層へ続く黒門を眺める。
「じゃあ、行くよ」
一行はスルリとぬけ、踏み入れた。
十一階層。
フラトーラ王国の神殿跡地。
水は引き、足下を濡らす程度に流れている。壊れた壁は所々穴が空いているが、王国の形が最も残っていた。天上の絵画は美しい森とモンスター、精霊の姿を未だとどめている。
「ここ、観光で見た場所ではありませんか?」
「本当だ。湖面に浮いてたね」
特定の期間だけ見る事のできる場所が、眼前に広がっている。
感慨深い気持ちで進んでいく。
ふと、スールが「お待ちください」と足を止め周囲を見回す。
モンスターは見えないが、どうしたのだろうか。
「サシュラ、そこの壁を」
「おう」
長槍で突き刺した場所が奇妙に歪み、絶命したモンスターが現れる。
透蛇だ。
「鱗のきめが詰まっておりますから若い個体のようですね。巣が近いのではありませんか。この種類は同じ場所に住み着きますので」
灰色になった透蛇を見聞していたスールは、鱗を確かめる。
「よくわかったね」
「透蛇はこういった場所が好きなのです。足下に死骸もありましたし」
よく見ると、確かに灰色死骸が落ちている。
「どうやら、この先で海軍が戦闘をしているようですので周囲を警戒して進みましょう。助けるかどうかは、お任せいたします」
長い耳をちょんとつまむ。エルフの耳はこの先の騒音を拾っているようだ。
顔色を変えたシャリオスは、じっと先を見据える。
海軍が戦闘中であれば横やりを入れるのは不味い。だが、彼らが窮地に陥っていたならば、助けられる者は他にいない。
どうすると視線で問いかけられ、ミルは小さく頷く。
「足音を消します――<沈黙魔法>」
「僕が先行する」
海流が巻き上がり海藻が揺れる。
後を追う二人に続き、ミルは移動補助魔法を発動した。
速度をあげ、回廊のように長く折れ曲がった道を行く。次第に、ミルにも判るほどの喧騒が聞こえてくる。水に赤い血が混じり濁り始めていた。
「姿をかくして」
曲がり角で、隠れながら様子見しているシャリオスの低い声に従い杖を振る。
光を屈折させて姿を隠した直後、曲がった先に見えた景色に息を飲む。
死屍累々だった。