第十話
帰宅したミルは貰ったジャンクゴーレムの素材を並べる。光に透かすと深いネイビーブルーが透けて見える。内側から光るように見えるのは魔力を帯びているからだ。
「送ったらきっと喜ぶわ」
ミルは小包に手紙と共に入れると封をする。明日、これをギルドへ持っていけば良い。
そうこう考えていると夕食の時間になったので降りると、たっぷりの甘いタレの香りがする。
「あ! こんばんは、ミルちゃん」
店内で一番薄暗い席に、シャリオスが座っていた。べったりと口の回りにタレをつけたまま振り返り、スプーンを振っている。今夜はうな重だ。
ミルは喜んで席に着くと、ドーマがおひつを置いて行った。お米よ無くならないでと一口食べたミルは神に祈る。付け合わせの漬物がまた美味しい。
「ここのご飯、本当に美味しいよね! 領主様のところ出たいなぁ」
「出られないんですか?」
「それがねぇ。パーティ組まないと駄目だって」
誰に言われたのか知らないが、しょんぼりと眉を下げている。ミルは知らなかったが、若干問題のある一級冒険者をラーソン邸に詰め込んでいる。
「シャリオスさんなら引く手数多じゃないんですか? 意外です」
「それがね、組んだ後、皆いなくなっちゃうんだ。僕が怖いんだって」
ますますしょぼくれてしまう。
何やら怪しげな流れになってきたぞ、と美味しいご飯を咀嚼していると、チラチラと窺うように視線を寄越す。
「ミルちゃんは普通にしてるけど、僕の事怖い?」
「なんだかこう……拐かされそうな雰囲気は感じます」
「酷い!?」
健全なのに、と主張するが、顔にソースが付いてなければ、いやらしい事をされてしまいそうなドキドキを感じる尊顔だ。まるで中身が伴っていないが。
(痴情のもつれかしら。皆さん気を遣っているのかも)
見てるだけで心を吸われそうな淫靡な吸血鬼なのだ。元々吸血鬼は美貌で異性を引きつけて魅了し、血をいただくらしい。
最近やっと耐性が付いてきたが、ふとしたとき、うっかり失神しそうになる。迷宮でそうなったら致命的だ。だから怖いと言ったのかもしれない。
一人悩みながらうな重を噛みしめて味わっていると、シャリオスはその間に三回おかわりをした。
ドーマの宿は殆ど客がおらず、今日も人が少ない。どうやって経営しているのだろう。永遠の謎になりそうだ。
「あ、帰らないと。店長さん、お代はここにおいとくので!」
するりと影に潜ったシャリオスが消えるのと、新しいお客さんが入ってくるのは同時だった。
「五人前ください!」
「五人前ください!」
「俺三人前! お前は二人前でいいよな?」
「食えるか! 一人分で良いわよ」
「外に漏れていたかぐわしい香り。私の鼻に狂いはありませんでした。……神よ!」
たまに食べに来るパーティ五人組だった。まるで逃げるかのようなシャリオスの逃走。訝しく思っていると、こちらを見た赤髪の女冒険者が目を剥く。
「一人で食べたの!?」
「いやいやいやいや」
「おー、見ないうちに食欲の秋か? 成長期か?」
「人様の胸部を見るの止めてください。失礼ですよ」
二人が揃って視線を下ろせば、緑髪の女性が後頭部を叩いて止めさせた。どうでも良いが、ユグド領は赤髪の女性が多い。
「すみません、うちのパーティが」
「い、いえ……」
悶絶している二人をギロリと睨んでいる緑髪の女性。その背後ではドーマが持ってきたうな重を早速かき込み、無言になっている二人がいた。鬼気迫る様子である。そんなにお腹が減っていたのか。
「じゃあ何でおひつが十五個も積み上がってんのよ!」
それは全てシャリオスの腹の中だ。
「この過食キッズ共を足したような量を食べる人数が、宿に来るわけないでしょう!? うちのパーティ全員食い過ぎなのよ金が足りないわ!」
「ナチュラルに失礼だよな、お前。もう良いから食おうぜ? 腹減っちまったよ。やったー! 久しぶりの肉だ! 魚肉だけど! もやし炒めばっかじゃ腹にたまんねーよな」
そう言って灰色の髪の冒険者は、す……とテーブルに座り、過食キッズの仲間になってしまう。バタバタする赤髪の冒険者を引きずり、後を追う半目の緑髪の冒険者。とても仲の良いパーティだ。ミルは羨ましくなった。
「キュン」
「あ、おかわりですか?」
「ってアンタかーい!」
うな重が追加された。アルブムは二つ目のおひつに鼻先を突っ込んだ。実はシャリオスと相席しているときからずっと食べていたが、静かだったので気付かれていなかった。モンスターは基本的に雑食だから、何を食べても大丈夫なのだ。
積み上がったおひつが十六になった。
勘違いしつつも謎が解けたので、赤髪の冒険者は静かになった。
やれやれと一皿食べ終わったミルは、食後の牛乳を一気飲みする。身長ともろもろが増えますようにと念じた。
「三十四階層に潜るなら、泊りか」
おひつを両手に重ねたドーマが聞く声に、おやと顔を上げたのは緑髪の冒険者。彼女はちらりとミルを見て首をかしげた。
「記憶によれば半年も経ってない新米のはずです。失礼ですが何かのご依頼ですか?」
「お前騙されてるぞきっと。迷宮内で犯されてモンスターの餌にぐえっ」
「食事中に下半身に類する話するの、止めてください」
「ぐぉおおお鳩尾に入ったぁああ」
「ぷぷー。アンタ馬鹿すぎぃ」
馬鹿にする赤髪の冒険者。悶絶する灰色髪の仲間もしっしと追い払い、彼女は促す。ミルが事の顛末を話すと、彼らパーティは難しい顔をする。
「その動く障壁とやらに興味はありますが……ソロ冒険者に嘆願するとは、よほど有益か【火龍の師団】は人手不足と来ているようです」
「あれでしょー? 【火龍の師団】って一級冒険者パーティでしょう? こないだヘマして一軍がまるごといなくなったって。落ち目なら弱り目に祟り目よね。関わらないのが最善でしょ。シャリオス・アウリールくらいの手練れなら話は別だけど」
「だがなぁ、みすみす生きてる仲間が食われるのを待つのはごめんだけどな。俺なら行っちゃうかも」
「本当にアンタって馬鹿よね。自分の命以上に他人が大事なわけ?」
「だってさー。これで死んだら、夜まともに寝られなくなるじゃん?」
「馬鹿なの? 死ぬの?」
「とまぁ、これが一般的な冒険者の見解です。さて……レベルがいくつかは知りませんが、別パーティと同行するのは、いざというとき危険です。同じ店のメシを食った仲。お勧めしないのでよくよく考えてください、とだけ申し上げておきます」
「は、はい……」
ミルは食器を置いて考え込んだ。
もともと断るつもりだったが、少しだけ胸がチクリとする。
部屋に戻ってお風呂に入った後も、わだかまる何かを抱えたままで、よく眠れなかった。翌朝、真っ直ぐギルドへ行って断ったミルをユーギは責めなかった。
その次の日も、またその次の日もミルは迷宮に潜り、魔法の訓練をし、とうとう十五階層を突破した。しかし、達成感は無い。
【火龍の師団】が内輪揉めをしたとか、人数が足りないという話を耳に挟んだからかもしれないし、別れ際のユーギの力ない目が気になったからかもしれなかった。
「おい、聞いたかあの話。【火龍の師団】だ」
ギルドで【火龍の師団】の話を無意識に耳に入れてしまう事を、ミルはいい加減認めなければならない。無駄に三十四階層までの地図を買ってみたり、モンスターの種類を勉強したり。だが、行ってどうなるというのかという思いもある。
「あー、けっきょく人数集まらなくて救助活動は無しになったんだってな」
「それがよ。一人で行っちまったって」
「誰が?」
「ユーギだよ」
「っその話、聞かせてください!」
飛びかかるように詰め寄ったミルに、冒険者の二人は仰け反った。
「お? おお……【火龍の師団】が仲間割れしたんだ。龍族ってのはこういうとき可哀想だよなぁ。血縁は何より重くってよ」
「一人で行っても犬死にだ。一緒に行った奴を見たか? ありゃ完全に迷宮で殺されるぞ――っておい!」
転がるようにギルドを出た。頭が真っ白になっていた。後ろに続くアルブムはやれやれと尻尾を振ってミルを包むと、背中に押し上げる。
「ユーギさんの後を追って下さい!」
「キュン」
+
濁流の都は中級冒険者にとって難所の一つ。なだらかな丘や岩場が続いた先に見える灰色の大河はユグド領をも飲み込む面積があると言われている。その中で次の階層に続く門を見つけるのは至難の業であり、最初に突破した冒険者は三年の月日をかけたという。
モンスターも水妖系へ変わり、足場は泥濘んでいる。しかし取れる素材の価値は跳ね上がる。上質な肉は食べれば活力や様々な効能の商品になり、鱗は頑丈な防具に、目は魔導具の貴重な素材に、牙は剣にあつらえ、もしくは貴族の館に飾られる。
幻想的な空間は、自然の厳しさに適応したモンスターと戦ううまみを冒険者にあたえるのだ。ここを稼ぎ場としてみている者も多い。
「っくそ! 足下見やがったな」
舌打ちしながら剣を振るう。ユーギはこの広い三十四階層で一人戦っていた。
雇った冒険者は、落ち目の【火龍の師団】と仲違いしたユーギを見殺しにしても報復は無いと知り、彼女をモンスターの前に突き出すと、それまで採った素材や金を奪い去った。
周囲を巨大なクラーケンやスライムに囲まれ舌打ちが漏れる。もともと勝算は薄かった。三十四階層に来られただけでも良かったと思うべきだ。
しかし、両親や仲間を助けたい。
「<この身に宿る龍の加護。日輪の加護よ>!」
練り上げられた魔力が闘気となり、体を強化し活性化させていく。瞬く間に切り伏せられたクラーケン。核を割られたスライムが、泥水となって広がった。
「なっ!」
息を吐いた瞬間、隙を狙っていたかのように、横合いから出てきたハサミがユーギの胴をつかむ。ビーフギャングという、カニの大型モンスター。とっさに剣を挟んでいなければ真っ二つにされていた。
「ちくしょう!」
しかし、それは未来を先延ばしにするだけだ。ユーギには助けてくれる仲間がいない。脳裏に宿るのはいつも笑っている両親と仲間達。
「ちくしょう――!」
「キュン!」
「周辺は押さえます、行って!」
白い何かが横切ったかと思えば、ビーフギャングのハサミが噛み千切られる。唸るようなビーフギャングの声。自由の身になったユーギはとっさに剣を構え直し、飛び出した目を切り飛ばした。
「ギャギャギャー!」
「っお前、どうしてここに!」
「次が来ますよ! アルブム、ユーギさんが体勢を立て直す時間を稼いで下さい」
言葉と共に投げ寄越されたポーション。瓶には付与魔法<回復増加魔法>がかけられている。飲み干すほどに、負った傷が癒えていく。
「キュオオオ!」
突進したアルブムにまともに当たったビーフギャングの甲羅が弾け、絶命する。血の臭いに誘われたモンスターがぞろぞろと顔を出し始めた。
「ジリ貧だ。いったん下がって態勢を立てなおす! お前ら、俺の後に続け」
「わかりました!」
ユーギはモンスターの少ないリトルスポットへ走り出した。