第一話
十五歳の成人を迎え、ミルは実家から独り立ちした。
向かうのはユグド領のウズル迷宮だ。
(やっぱり馬車に乗れば良かった……。足が痛いわ)
草原の墓と呼ばれる一帯を抜けてから数時間歩いている。一日の距離だと軽く考えていたが、道はでこぼこで足が痛む。
「はぁ……せめて光以外の属性があったらよかったのですが」
ぼやきながら思い出すのは、実家を出るまでの事だった。
この国、ヨズルカ王国は十五歳までに将来の適正職を決めるため、十歳になると神殿で鑑定を受ける。
鑑定した結果、使えるのは光属性と無属性、時空魔法。どれを足してもマイナスにしかならないクズ属性。回復魔法を使えればよかったのだが、聖属性がなければ使えない。
この結果に家族は驚いた。
なにしろ実家は錬金貴族と呼ばれる古い貴族家で、ミルはサンレガシ家の長女。歴代の一族が盛り立てた地位は盤石。歴史的に見ても錬金術の適性がある者達ばかりなのである。
父は頭を悩ませ、母は泣いた。兄も妹もおろおろするばかり。
周囲がサンレガシ家始まって以来の落ちこぼれが出たぞ、と面白おかしくはやし立てるのは直ぐのことだった。
これではまともな結婚も望めないと身を立てる方法を模索した両親だが、一般的な魔法使いはほぼ全て無属性を使える。
時空魔法は研究が進んでおらず、有効な魔法は開発されていない。使い手が少ないので当然だ。
さらに光属性は論外で、闇属性に効果覿面だが、モンスター相手では攻撃力が出ない。対魔王退治しか真価を発揮しない属性だ。
魔王は既に封印され、地上は平和そのものだった。
活躍の場がない三種類の魔法適正と貴族の身分が、市井で働く道を閉ざし、将来設計は大きく狂った。
最後は開き直って「ずっと家にいなさい!」という両親を振り切って、こっそり家を出たのである。
冒険者になって身を立てる。
そして家族を安心させようと考えたのだった。
今頃実家は大騒ぎかもしれない。
抜け出すのを手伝ってくれた兄と妹が時間を稼いでいる間に、目的の場所へ行かなければ。
「落ち込んでも何もならないし、とにかくパーティを組む! きっと私にできることが見つかるはずだわ」
冒険者をするには心許ない適性だが、努力は裏切らないはず。
ミルは薄緑色の目をキリリとさせる。長い金色の髪が風に揺れた。
しかし歩き通しで疲れたのもあり、休憩しようと道の端に寄ったとき、前方で何かを見つけた。
「なにかしら、あれ……」
前方から蒸気のように白い煙がもうもうと上がっている。身の丈ほどもある茶色のバッグを背負い直し、持っていた兎の魔法杖をしっかり握る。
モンスターでも出たのかと思いながらそろそろと近づく。
「なにこの……地下水の匂いかしら」
息がし辛いほどの蒸気の中を進むと、中心には濃い藍色の鎧を来た男性が倒れていた。蒸気は鎧の隙間から大量に噴き出している。
「大丈夫ですか! しっかりしてください、一体何が……魔導具の故障でしょうか」
「うう……み、水」
「水ですか!」
意識があるようでほっとする。
体を仰向けに転がし、バッグから水グミを取り出すと、すっぽり顔を覆っているバイザーを跳ね上げた。とたん、もうもうと上がっていた蒸気が更に多くなる。
「あつづづづっ!? 日光がっ、あづづづー!!」
「きゃあ!」
男は瀕死の魚のようにぐったりしていたのが嘘のように、尻から跳ねると両手で顔面を覆い、地面を転がり始めた。ジュウジュウと肉が焼けるような音に狼狽えたのは一瞬で、ミルは杖を振ると光魔法を使う。周囲が一気に暗くなった。
「お、落ち着いて話し合いましょう! とにかくポーションを飲んでください!」
蒸気を上げていた男は、呻きながら細い試験管に飛びついた。
+
「本当に助かったよ。ご親切にありがとう」
道端で倒れていた男はすっかり元気になった。焼け爛れた顔がポーションで治ると、現れたのは惑わされるような美男子だった。
赤い目に青白い肌をして、唇は厚め。髪は光を透かしても通りそうもない黒だ。二十歳くらいで、普通に笑っているだけなのに淫靡な印象をうける。
道から大きく外れた暗い場所に移動したせいなのか、何もされていないのに動悸がとまらない。なにやら今の自分が見るには速すぎるような気がしていた。
そんな失礼な事を考えているとも知らず、男は腰のポーチから銀貨を二枚取り出すと、目をそらしていたミルの手に乗せた。
「これは?」
「ポーションと助けてもらったお礼」
「もらいすぎです!」
ポーションは一本銅貨三枚だ。
「いいって。それより僕はシャリオス。君は何て言うの?」
「ミルと申します」
慌てているうちに、シャリオスは話題を変えた。
シャリオスは「ミルちゃんか」とぽやっと笑う。笑顔が眩しい。
「見たところ新米冒険者さん? この方向だとユグド領のウズル迷宮に行くところ?」
「あ、そうです。良くおわかりになりましたね」
「ここ通る人の行く先は大体ウズル迷宮だから。それに可愛い杖もあるし」
兎の魔法杖の先は兎の頭をデフォルメしたような形になっていて、可愛らしい。木製だが錬金術師の卵が作っただけはあり、頑丈で威力も普通の初期装備では考えられない効果が付けられている。
「これは妹と兄が作ってくれたものでして、私の趣味ではなく……若干ですが」
鑑定もせずわかるわけもないので、赤くなった顔を隠すように視線をそらす。可愛くて気に入っていた。
微笑ましそうな表情をしながらはいはいと頷いたシャリオスは、立ち上がるとバイザーを下ろした。
「僕もユグドに帰る途中だったんだ。暗くなるとモンスターも出るし、そろそろ行こうか」
「あの、失礼ですが日が出ている間に動くのはまずいのでは。シャリオスさんは吸血鬼ですよね?」
そもそも吸血鬼は日中移動しない。日光は彼らの弱点だし、今は昼前。日差しはどんどんきつくなっていくだろう。ヨズルカ王国に吸血鬼が住んでいるという話は聞いたことがなかったが、彼らが夜の明けない国に住んでいる事は聞き及んでいる。
どうして故国を出てきたのかわからないが、事情があるのだろうとミルは聞かなかった。
「だ、だだだ大丈夫だよ」
たぶん、と小さく呟くとチラリと疑い顔のミルを見て、情けなく項垂れた。
「いや、やっぱり駄目かも。でも夜まで何があるかわからないし、一人になるのは怖いし」
成人男性が年下の女性を頼っている事に驚くものの、倒れる程なのだから仕方無いだろう。爛れた顔を思い出し、ミルはうっとこみ上げるものを飲み込んだ。
「吸血鬼は日光に当たるのが駄目でしたよね。よろしければ、光を屈折させますよ」
「え、そんなことできるの!? もしかして光魔法の適性があったりする? そう言えば、さっきから何かしてくれたの?」
「まあ、それなりに……」
「凄いなー! でもぶち込まれたら僕は一発で昇天しそうなんだけど、大丈夫かな」
「光を曲げるだけなので攻撃力はないですよ」
吸血鬼は日光も駄目だが光魔法も弱点だ。他にもあるが個体差があるらしい。
心配顔のシャリオスに頷いて杖を振る。
光を屈折させる程度なら詠唱もいらないし、魔力消費も多くない。
「少し手を出してみてください」
「わかった」
恐る恐る木陰から手を出したシャリオスは首をかしげた。
「痛くない」
「ゆっくり日の下に出ていただけますか。痛かったら角度を変えてみます」
「うん。……わ、凄いなこれ。<纏う闇>使わなくても痛くない! あ、<纏う闇>って影を操る魔法で、鎧の中に日光が入らないようにしてるんだ。日中出歩く吸血鬼の必須魔法」
しかし魔力消費が多く、魔力切れを起こして倒れてしまったのだと言う。
「夜みたいに昼間歩くの始めてだ! バイザー上げてみてもいいかな」
「目玉焼きができたら怖いので止めませんか」
手に兎の魔法杖のウサ耳部分を当て押さえる。眼圧の強い真顔のミルを見て、シャリオスはがっかりした声を出す。
「そうだよね。眼球焼けてポーション飲むのもな……」
「……ははは。不調が出たらおっしゃってください。光の屈折はよく練習したのですが、歩いてる対象にかけるのは初めてなので」
「わかったよ。ところで、光魔法の修行ってどういう感じなの?」
「呪文を唱えて練習していました。他の属性と一緒ですよ。先生が見つかればよかったのですが、光魔法の使い手が少なくて我流なのです。でも! 迷宮に潜ってレベル上げをすれば、きっと新しい魔法の発現とかがあって、私にもできることが見つかるはずです」
冒険者になって身を立てるには必要な事だ、と力強く拳を握る。
レベルアップは生物としての格を上げ、新しい力を与えられる場合がある。修行によってある程度上がるが、ミルは教師が見つからずレベル1のままだ。魔法の熟練度も全然上がらない。
レベルは神殿で鑑定すれば見てもらえるが、お布施が必要になる。
その点、迷宮ギルドに登録すれば無料で鑑定してもらえるし、仕事も斡旋してもらえる。
「ミルちゃんは頑張り屋さんだね。僕も負けないようにしないと直ぐに追い越されそうだ」
「シャリオスさんも新しい力に目覚めたい系男子なのですか?」
なんかちょっとその言い方嫌だな、と思いながらシャリオスは答えた。
「日中の景色を見られるかもしれないから。昼に生きる人達が見ているのと、同じ物を見てみたいんだ。僕は夜の景色しか知らないし、絵でしか見たことがないから」
「わぁ! 素敵ですね! 迷宮はアイテムがドロップするって聞きますけど、そう言う物が出るのですか?」
「まだわからないけど、最下層まで突破したいと思ってるんだ。ウズル迷宮で出なかったら別の迷宮に拠点を移して探すつもり」
鎧越しの視界はどうなのかと問えば、バイザーに着いた色ガラスが日光から目を保護しているという。視界が暗くなるので、絵で見るような景色は見られないのだそうだ。
「一生を賭けて叶えたい夢なんですね」
「そうなんだよ! もちろん生活のためもあるけどね。速く最下層に行きたいな」
迷宮は不思議なアイテムが出る事で有名だ。最下層ともなれば、珍しいアイテムも出てくるかもしれない。迷宮は願いを叶えるという迷信があるほどだ。
最下層到達はそれだけで栄誉と名声をもたらし、一攫千金を夢見る冒険者や、未知のアイテムを求めて入る者、研究資料を探す魔法使いなど、様々な人種が入り乱れ華やいでいる。
溌剌とした声が希望に満ちていて、聞いているミルも力が湧いてくるようだった。二人はその後も話題を変えながら進んでく。
途中で喉が渇いたと言うシャリオスに、最初あげようとしていた水グミを差し出す。
水グミは錬金アイテムで、ガムのような感触をしている。噛むと水が染み出してくるようになっていた。見かけより大量の水が入っているし軽いが、飲みにくいのであまり人気はない。蒸発もせず長期保有ができるので絞って水筒に移して飲む方法があるが、やはり人気がない。
「もし面白い魔導具が見つかったら教えてくれないかな。日を避けるものじゃなくてもいいから」
「いいですけれど、魔導具お好きなのですか?」
「技術もだけど発想力を見るのが好きなんだ。純粋にかっこいいのもあるし! 最近はトルトン導師が作った年中花見ができる魔導具が凄くて! 幻想を魔法に込めて、いつでも体感できるようになってるから楽しいんだ」
「極東の夜桜の物なら見たことがあります。トルトン導師はお上手ですよね。感性が豊かなんだろうなと見ていて思います」
「知ってるんだ! 凄いよね、リアルで、情景と一緒にふわっと香りもして――」
話し出したシャリオスは止まらない。
ミルは名家出身であり、礼儀正しく相手の話を聞いてしまう癖があった。子供のように嬉しそうな声音を聞いていると、口を挟みにくかったのもある。
シャリオスは聞き上手なミルにますます声を大きくし、ユグド領に着く道のりの中、途切れることがなかった。水グミのおかげで喉も渇かない。
次に魔導具の話になったら、水グミをあげるのは止めようと思ったのは仕方ないことだろう。