プロローグ 神様見てますか? Ⅰ
神様なんて信じた事は一度もない。
いや、神様は多分存在している。
私は、神様を『信用』した事が一度もない。
「神様、どうして私をこんな風に生まれさせたのですか」
幼き頃の夏休み、幼稚園に繋がる神社で私は泣いていた。「神様が祀られている」と言われている祠の前で手を合わせながら。
神様は、何かと私に試練を与えてくる。
純日本人なのに何故か鮮やかなオレンジ色の髪で生まれてきたのが全ての事の発端と言えるだろう。
そのせいで、私は――ううん、私の周りの人は、どんどん不幸になっていった。
物心着いた頃は、私は「外の世界」を全く知らなかった。と言うのも、母親が頑なに外に連れ出してくれなかったのだ。
それが当たり前だと思っていたから、外に出られなくてもつまらなくはなかったし、他の同年代の子供達と遊べなくても寂しくなかった。ただ、時々近所の公園から子供達が燥ぎ回る声が聞こえてくる事が疑問だった。丁度幼稚園に入る前だったっけ。
それからすぐに、私は幼稚園に入園する。
そこで、自分が「異常」だという事に気が付いた。
「いい? 蓮華。何を言われても絶対に分からないフリをするのよ。」
必死にそう言い聞かせてくる母親が、少しだけ怖かったのを覚えている。
幼きながらに「おかあさんのいうことをきかないとおかあさんがこまっちゃう!」と汲み取った私は、ずっと首を傾げていよう! と心に決め、制服の帽子を被った。
この頃はまだ深い緑色の帽子と明るいオレンジ色の髪の組み合わせに、違和感は無かった。
一歩外に出ると、そこには別世界が広がっていた。
「わ、わぁ……」
目を輝かせる私を、母親は心配そうに見詰めていた。まだ春先だと言うのに、私の小さな手を握る大きな手は、じっとりと汗ばんでいた。
「お母さん……?」
そして微かに震えていた母親を、ゆっくりと見上げた。
「ほら、前を見て歩きなさい。」
母親はぱっと私から目を逸らした。目の前を談笑しながら歩いている、いくつもの親子グループを眺めていた。
あ。おかあさん、もしかしてあのなかにはいりたいのかな?
あー、馬鹿! 余計な事考えてんじゃねー!
子供の純粋な気持ちは、時には残酷だ。私は余計な詮索をし、見事に空振りしてしまうのである。
「ちょっと、蓮華?」
戸惑う母親の腕を力一杯引っ張りながら、てくてくと前を歩く集団に近付いていく。
「あ、あのっ!」
生まれてから母親以外の人間と話した事がなかった私は、勇気を振り絞って、園児達に話し掛けたのだ!
「…………え?」
園児達は、とても困った様子だった。
あ、あれ? はなしかけかた、まちがったかな?
半分パニックになっていたのであろう。次から次へと、思いもしない言葉が飛び出してくる。
「ええとええと、さくらのはなきれいだね! わたしさくらすきなの! ぴんくがすきなの!」
本当はピンクなんて好きじゃなかった。桜だってそこまで好きじゃない。でも取り敢えず何か言わなきゃと思い必死だったのだ。
「おかあさん」
園児達が、先を歩く母親の集団までてくてくと走っていき、自分達の母親の裾を引っ張る。
それを見た母親は、私を抱えて走り出した。
「なぁに?お洋服引っ張っちゃ駄目でしょ?」
「ちがうの。このこが…………あれ?」
園児達がさっきまで私が居た空間を指差したけど、そこにはもう誰も居なかった。
「はぁ、はぁ……」
母親が走り辿り着いたのは、幼稚園に繋がる神社だった。
「おかあさん、だいじょうぶ?」
私は、自分が悪い事をした自覚が無かった。母親には「何を言われても分からないフリをしなさい」とは言ったけど、「他の人に話し掛けてはいけない」とは言われなかったからだ。
「……ごめんね」
母親は、泣いていた。
私は知っていた。今朝母親が、洗面台の鏡の前で、いつもの三倍くらいの時間を掛けて化粧をしていた事を。昨日の夜、押し入れの奥から、綺麗なスーツを引っ張り出して、明け方まで準備をしていた事を。
どうして? どうして泣いてるの?
母親が何故泣いているのか分からなくて、私も一緒になって泣き出した。
しばらくして泣き止んだ私達は、幼稚園に向かった。門の前には入園する子供と親の人集りが出来ていた。その端っこの一番後ろに付く私達。
「あ、さっきのこだー」
指を咥えた男の子や、鼻水を垂らした女の子が私を指差した。
「ぷりきらだ、キラシャイニーだ!」
「ちがうよ、スイレンジャーのおれんじだよぉ」
無邪気な子供達は、私の頭辺りを指差しながら口論を始めた。どうやら当時日曜日の朝に放送されていた「ぷりきらファイブ」と「おやつ戦隊スイレンジャー」に出てくるオレンジのキャラクターに似ていたようだ。
あれ? そういえば……。
みんなのかみのけは、まっくろだね?
あれ?
気が付くと、門が開くのを待つ親達の視線は、私に集まっていた。
「お、おかあさん」
その視線に恐怖を感じて、母親の陰に隠れる。
そのせいで、今度は母親に視線が集まった。
「なに、あの子あの歳で染めてるの?」
「いくら何でもそれは無いんじゃない? 海外の血が入ってるのかも」
「でもあの色は無いんじゃない?」
「そうよねぇ。三歳の娘の髪を染めるなんて、何て母親なの」
ヒソヒソ。ヒソヒソ。ヒソヒソ。
私達に聞こえないようにとこそこそ話していたあの人達の口元は、恐ろしく歪んでいた。しかもその会話はばっちり聞こえていて、母親の体は再び震え出した。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
涙目で謝る母親。
なんでおかあさんがあやまるの? 自分のせいとも知らずに、私は狼狽えた。
「蓮華、ごめんね……」
母親はぎゅっと私の体を抱き締めた。そして、「大丈夫、大丈夫だからね」と、まるで自分に言い聞かせる様に何度も呟いていた。
「お待たせしました! 準備が出来ましたので、黄色のスモックの先生に着いていってくださーい!」
その時、門が開いた。
「あれ、大丈夫ですかー? どこか具合でも悪いんですか?」
四十代くらいの女の先生が駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫です。行こっか、蓮華」
「うん」
笑顔の母親の目元は、アイラインやマスカラが滲んで、ぼんやり黒かった。
黒。
黒。
黒だ。
園児達が私の髪を見て戦隊モノや魔法少女の名前を口にしたのも。
親達が私の「髪の色」の話をしていたのも。
母親が、私を外に出さなかったのも。
私のこの髪の色が「普通」じゃないからなんだ……!
そこからは早かった。
入園して間もなく「『蓮華ちゃんとは仲良くしちゃ駄目よ』っておかあさんにいわれた」と告げられ皆離れていってしまい。「蓮華ちゃん、赤ちゃんの頃の写真はある?」と先生にも遠回しに確認され。瞬く間に幼稚園全体に「オレンジ髪の子供が入園してきた」と噂が流れ。当然の様に母親が悪者扱いされ、毎日家で啜り泣く声を聞きながら眠りに就き。
母親に気付かれないように声を押し殺しながら、私も泣きながら寝た。
月日が経ち、友達の一人も出来ないまま、私は小学校に進級した。