男性客とアップルパイ
部活帰りの高校生もそろそろ少なくなってきた午後7時半。閉店時間30分前だしそろそろ売り上げの計算でもしようかなと、僕は考えていた。
そこに一人のお客さんがやって来た。
「いらっしゃいませーお好きな席へどうぞ」
彼はカウンター席に座り、キョロキョロと辺りを見回している。
「どうかなさいました?」
「いいや?何でもないです」
なんかちょっと気になる。僕はさりげなく彼を観察し始めた。
年齢は……僕らとそう変わらないだろう。色素の薄い茶髪は短い。
「注文いいですか」
「あっ、はい!」
「エスプレッソとアップルパイ、1つづつ」
「はい、かしこまりました」
注文をとるときに顔もしっかりみておいた。左右の瞳の色が違ったな。黒と髪の毛と同じくらい色素の薄い茶色。珍しいな。
「翼、注文ー」
「んー」
注文票を翼に渡し、僕はエスプレッソを淹れる。と、彼が僕に話しかけてきた。
「ここの店はあなたと調理場の方の二人だけですか?」
「はい。当店は我々二人で切り盛りしています。忙しいときはアルバイトを雇うときもありますけど……」
「へー……、実は知り合いにこの店のことを聞きましてね。その知り合いはたぶんあなたと常連のお客さんに会って、マスターに親切にしてもらったと言っていました」
「マスターなら間違いなく僕ですね。常連ですか。誰だろう」
この店常連客多いからなー。部活帰りの高校生はだいたい常連だ。
「お待たせしました、エスプレッソです」
彼にエスプレッソを出すと同時に、翼がアップルパイを持って調理場から出てきた。
「はい、アップルパイです。アイスつけます?」
翼は暇なのか、バニラアイスも一緒に持ってきていた。
「いいんですか?」
「いいよな?」
「うん、いいよ」
「と、いうわけでサービスでーす」
翼はアイスをアップルパイの上にポンっと乗せて調理場に戻っていく。
「ごゆっくりー」
「……そういえば、知り合いが変なことを言っていました」
彼はアップルパイを切り分けながらそんなことをいった。変なこと?
「変なことって?」
「人だと思ったら猫で戻ったら人に戻ったって」
「ん?」
「よくわからないですよね。俺もです。あいつあれで教師目指してんだよな……平気か……?」
後半の方は彼の独り言になっていたが、……猫。
「あっ」
まさか。この人も別の世界の人か。なんでだ?ここ最近多いよ!?
「もしかして、知り合いってニルスくんですか?」
「ああ、やっぱり覚えていたんですね。そうなんです」
「じゃあ、あなたも……別の世界から?」
でもこの人あんまり異世界感ないんだよなー……。まあ、そんなこと言ったら過去に来た別の世界のお客様だって異世界感は無かったけど。
「はい。意外とすぐに行き来できるんですね。少し驚きました」
「……なんか、最近多いんですよね、別の世界からのお客様」
「違いってあります?この世界の人と俺達、別の世界の人」
この人は興味があるようだ。でもな、僕にも違いはわからない。
「うーん……ないです」
「そうなんですか?」
「ちょっと話が噛み合わないくらいで、会話に支障はないですし、文字も読めてますから……ああ、そういえば時計は止まってるみたいでしたよ」
僕の言葉に彼は自分の時計を見る。
「どうですか?」
「確かに止まってますね」
「あ、あとお金はこっちに合わせられるみたいです」
「ほー!!面白いですね!」
彼は自分の財布を取り出す。
「へー、俺の世界とあんまり変わらないですねー。微妙にサイズや形は違うみたいですけど。お、穴が開いてる」
50円玉を彼は興味深げに眺めている。
「……そういえば文字読めるのふしぎですね。確かに俺はこの世界の文字は知らないはずなんですけど」
しばらく50円玉の穴からメニューを見つめていた彼は、切り分けていたアップルパイを食べ始めた。いい感じにアイスが溶けて、美味しそうだ。
「ん、うまい」
「うちのパティシエが喜びます」
「さっきの彼ですね?ちなみにスイーツのおすすめってなんだったんですか?俺、アップルパイ好きなんで目に入った瞬間頼んじゃったんですけど」
「今のおすすめはさつまいものタルトですかね」
「サツマイモ?」
「あっ、さつまいもはないんですね。まあ、芋のタルトです。優しい甘さです」
「へー……、それも気になりますね」
「ご用意しましょうか?まあ、残っていればなんですけど」
僕は翼に確認に行く。
「翼ー、おすすめ残ってるー?」
「今日は残ってないなー。悪いな」
「そっか、ありがとう」
僕がフロアに戻ると彼はアップルパイをちょうど食べ終えたところだった。
「うまかった。ごちそうさまでした」
「すみません、今日はおすすめ終わってしまったみたいで……」
「気にしないでください、アップルパイうまかったですし。またの機会にいただきます」
彼はそういいながら立ち上がる。
「え~と……お会計は……」
「セットで750円です」
「ななひゃく……ごじゅう……」
彼は勘で財布の中からお金を出しているようだ。
「ちなみにこれは?」
「それは千円札です。それであれば足ります。お釣りもお渡しできますよ」
「いや、ちょうどで払いたいです……」
「えーっと、じゃあ、さっき覗いてた穴の開いた硬貨、それが50円玉です」
「あとななひゃく円ですね?」
「そうです。100円玉は同じ色の穴が開いてないやつです。それを2枚出してください」
「2枚ですか?」
「それ7枚でもいいですよ」
「ああ、1枚ひゃく円ですね?5ひゃく円玉が別にあると」
「正解です。500円玉は硬貨の中で一番大きいやつです」
「あ、これだ」
僕のナイスアシストで彼は750円ぴったりの小銭を出し、テーブルの上においた。
「はい、ちょうどいただきました。レシート出してきますね」
僕は預かったお金をレジに持っていく。いやー、なかなか貴重な経験をした気がする。
「ごちそうさまでした。コーヒーも美味しかったです」
僕はレシートを渡しながらふと思う。
「……そうだ。今度はもう少し早めの時間に来てください。そうしたらおすすめ残ってると思うんで」
「そうします。楽しみにしてますね」
彼はそう言って店をあとにした。
同じようで、少し違う、違う世界のお客様。今度はどんな人が訪れるのだろう?