第4球 敵?味方?
逸る気持ちを抑えて俺は一度部屋へと戻った。メモは拳の中にずっとしまってある。寝ていたベッドに正座して深呼吸とか、部屋の隅で壁に向かって体育座りとかしてみたけれど、全然落ち着かない。
冷静に、冷静になるんだ。今のこの状態で、あのおじさんに相対しても俺が欲しい情報はまともに得られたものじゃない。
どうする?どうする?どうする?
「そうだ、トイレに行こう」
ちょうどトイレの場所も知りたかったし、おじさんの部屋の途中まで散策しよう。時間はまだある。
運よくおじさんの部屋へ向かう途中にトイレはあった。中に誰も居ないことを確認して、下半身に集中する。
「今、俺の中にある不安な気持ちは全て膀胱から放出する。全部、全部だ!」
放出開始!
「一人で不安だ。相談できる人がいない。情報が足りない。周りは敵しかいない。誰も助けてくれない。飯が不味い。部屋が埃っぽい。もっとトイレを綺麗に掃除しろ。……ふぅ……」
放出完了!
あースッキリした。さっきまでと比べると大分落ち着いたな。部屋に戻って考えを整理できそうだ。
これは別に俺の頭がおかしくなったわけではない。暗示放尿というメンタルリセット法だ。かつてオリンピックの金メダリストが実践していた方法である。
やり方は、用を足しながら不安や緊張を口に出し吐き出すこと。自分の中の悪いものが尿と一緒に出ていくイメージをすることで、自身の置かれている状況を改善できるというものだ。人によっては効果が大きすぎて大事なものまで出て行ってしまう気分になるらしい。
念のためおじさんの部屋を確認してから部屋に戻った。よし、おじさんに聞きたいことのの整理から始めよう。
一つ目、おじさんが俺達を召喚したと言うがおじさんは敵なのか?
まずおじさんの立ち位置がはっきりしないと、どうしようもない。あの言葉だけを鵜呑みにすれば敵の可能性が高い。しかし、あの辺境伯の物言いを考えると、あのおじさんは召喚を無理やりやらされた人なのかも知れない。
最大の問題はメモの異世界語で部屋の場所、日本語であの言葉を書いたという点だ。深読みが過ぎるかも知れないが、仮にあのメモが兵士等に見つかったとしても、あれならただの部屋の場所のメモにしかならない。疑われるのはメモに書かれた部屋で生活するおじさんだ。しかし、もし兵士が日本語の意味を問い詰めたとしても何とでも言い訳はできるはずだ。それでも、罰を与えられる可能性はある。
そう考えるとあのおじさんは、ある程度のリスクを負ってまで、俺に何かを伝えようとしていると考えられる。そうするとおじさんが敵の可能性は下がる。味方になってくれるか、あるいは中立って線も考えておこう。
う~んマズイな、暗示放尿が上手く行き過ぎたか?かも知れないっていう可能性がバンバン出てくる。こうなるとおじさんの立ち位置がどんなでもできる質問を考えなくちゃいけない。
そーすると二つ目は魔女の討伐後はどうなるのか、かな?
味方なら良いことも悪いことも色々教えてくれそうだし、敵なら耳障りの良いことばかり並べるはずだ。中立の時は……分からないな。
でも、立ち位置がどうであろうと全てを信じるのはできそうもないな。この世界に来ることになった元凶ではないにしても、原因はおじさんなのだから。仮に味方だったとしても……ね。
ふと、視線を窓へと移すと完全に夜になっていた。月明かりが窓から差し込んでいる。マズイな、もう2時間は経っていそうだ。落ち着くために色々とした時間が長すぎたみたいだ。もっと整理したかったけれど仕方がない。急いで向かおう。
周囲に人がいないか確認してからおじさんの部屋をノックした。
「どちら様ですか?」
少し考えてから答えた。
「日本人です」
言ってすぐにドアが開き、強引に部屋の中へと引きずり込まれた。一瞬罠だったかと後悔するが、そうでもないようだ。おじさんは静かにドアを閉めると両手を上げながらしゃべりだした。
「乱暴にして申し訳ない。だが、こちらの立場も分かってほしい。」
「敵意はないと?」
「そうだ」
「悪いですけど、信用できないです」
おじさんは深く頷いて続けた。
「適切な判断だ、もちろんそれで構わない。だが、今は時間がないんだ。信じてくれなくても良いから、私の話を聞いてほしい」
「分かりました」
「ありがとう。私は今この部屋に、防音の結界を張っている。だが、持って15分だ。それ以上はここの兵士に気づかれてしまう。だから、今から私が話す内容に対する質問は控えてもらいたい。」
「……了解です」
おじさん廊下で会った時とは全く雰囲気が変わっていた。あの時のおじさんも、必死だったが、今はまた違う形で必死だ。
了承したものの、質問ができないのは痛いな……。質問しておじさんの話の矛盾を見つけることが出来なくなったぞ。けど、少しでも情報が欲しい。本当か、嘘かは自分で判断するしかない。
「それとなるべく多くの情報を伝えるためと、君の情報を不用意に私が得ないために、私が質問した時はなるべく“はい”か“いいえ”で答えて欲しい。答えたくなければ黙っていてくれて良い。構わないだろうか?」
「“はい”」
「ありがとう。話が早くて助かる」
マズイな……。完全にペースを握られている。主導権があちら側に行ってしまうのは想定していた。でもここまで完封されてしまうとは自分が情けない。
廊下で会った時の印象が強すぎて、どうにもおじさんを侮ってしまっていたようだ。こんなにやり手っぽいおじさんだとは想像もしなかった。俺もまだまだ人を見る目ってやつがなってない。精進せねば。
「じゃあまず、最初は質問からだ。良いね?」
「“はい”」
ゴクリと自分が唾を飲み込んだ音が聞こえた。完全に相手のペースだがここからだ。ここから何とかして巻き返すしかない。大企業のやり手管理職のおじさんに対して、碌な社会人経験のない俺では勝負に成らないことは分かり切ったことではあるが、食らいついてやるぞ。
「君、今彼女いるの?」
俺の中で一流大企業のやり手管理職だったおじさんが、三流中小企業の碌に若い世代とコミュニケーションの取れないお飾り管理職にクラスチェンジした。
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