車窓から見える龍の薄弱さについて
午前5時。家を出る。朝の冷え切った空気の中を自転車でこいで十分。駅のホームで缶コーヒーを買って十五分待つ。二十五分に電車が来て、三十分に出発。それから揺られて一時間。
それが僕の通勤スタイルだった。入社当初は絶対に遅刻しないために、一年たってからは、職場に誰よりも早く着いてから寝るために。でも、今はちがう理由でこの時刻に電車に乗っている。
車窓から、龍が見えるのだ。
山に囲まれたこの土地において、朝日が昇る東側の山の端に、ちらちらと細長く光るものが現れる。僕はそれを見るのが楽しみだった。
はじめは飛蚊症ではないかと疑った。ストレスからくるものではないか、と。確かめてみようと思い、冬のある日、双眼鏡を鞄にいれて家を出た。
太陽を覗かないよう気をつけなければ、と考えてはたと気づく。これまでは、車両の反対側に座っていたのだ。朝日に背を向けて、車両のなかでうつらうつらとしていた。それが今回たまたま朝日と向かい合う形に座り、龍をみたのだった。
それは冬至をすぎた頃、朝日が顔を見せるのはまだ先で、山の端が紫から橙へと変わる時分のことだ。双眼鏡を目にあてがい、それに向ける。丸く切り取られた視界の中で、二つの細長い髭が揺れていた。夜明けの光を反射して、鱗が様々な緑色に変化する。緑、深緑、群青。細長い体躯の先に、さらに細く長く延びる尾。髭の根本、顔を見れば、穏やかな目が見えた。
慈悲深そうな目、と思った。
でもそれはそのように見えると言うだけで、慈悲深くはないのかもしれない。本当は怒りに満ちているのかもしれないし、悲しみをたたえているのかもしれない。僕が勝手に想像してそう思いこんでいるだけならば、ひょっとしたら龍にとっては迷惑なのではなかろうか。
ずっと見とれていると、龍の鳴き声が聞こえてくるような気がして、でもそれは気のせいで、電車が田んぼを走る音。
最近は双眼鏡は使わない。初夏の今では太陽を直視する恐れもあるし、いるなと思えばちらちらと光るものが見えるからだ。
しかしなぜ、龍は毎日毎日同じようなコースを飛んでいるのだろうか。ひょっとしたら、近所のおっさんがする早朝ランニングと変わらないのかもしれない。お気に入りのスポットがあったり、妻と喧嘩していたり、近所の高校生が通学する様を見ているのかもしれないな。
僕は電車の窓を開ける。朝風が冷たい。