【渾身と当惑】 認識される想い
まるで足に羽でも生えているかのように、地を駆ける。
だが、確実に重力に引かれ、足が地に付く。
恐ろしいまでの脚力が重力を撥ね退けて、前方に身を持って行く。
それが連続させ、男は野山に息を置き去りにしていく。
視界を流れる景色が歪み、彩のコンチェルトが網膜に投影される。
暫くそれらを繰り返し、男は開けた丘で停止する。
短距離走を思わすような速度で疾走してきたのにも関わらず、男は呼吸すら乱れておらず、心音も普段より少し高い程度だった。
「ティ、ティアくぅ~ん~」
30秒程だろうか。
鼓動が元に戻ったくらいに、男の後ろからヘロヘロな声がしてくる。
暫くすると女が現われるが、樹の陰に隠れると、嘔吐するうめき声を上げた。
「うぅ~、またも置いていかれた上に、このザマなんて」
女が陰から姿を現らわし、瞳の両端から涙を溜めていた。
「あたし、本当に体力付いてるのかな?
どんどんティアくんに離されてる気がするんだけど」
「離してるからな」
「なぬぅ!」
「まだ体力が有り余ってるって感じかな。
早朝のランニングでの重りを100キロにして貰ったし、その前にも習慣で走ってるしな。
それぐらいしないと1日の体力を消耗しきれない」
「…体力バカめ」
愚痴るビィーナを尻目に、ティアは沈む暁に染まった空を観賞する為に、その場に腰を下ろす。
それに習い、ビィーナも乱れた息を整えながら隣に座る。
「で、どうしたの?
あっ、わかった!
特訓と偽って、あたしを口説くつもりだぁ!
見事な夕焼けとロケーションだし~。
あ、でも、シチュエーションはサイアク」
「…休めよ、暫く付き合う」
「…どういう意味?」
ビィーナの声音から彩が消える。
世界から逸脱し、排除されたように気配が消えていく。
「そのまんまだ。
お前、カリオストから戻ってから無理して、演技しているだろう」
「………」
否定も肯定もない。
唯、虚空に言葉が流れるだけ。
「どうやら、俺なら普通にお前を認識、見れるらしい。
偽らず、有りの儘に居ればいい」
いつの間にか抜き放たれた刃がティアの首元に添えられる。
余計なお世話だと、刃が物語っていた。
「無理だろ、お前に俺は殺せないよ」
ティアの自信に満ちた声がする。
ビィーナはいつものように感慨無く刃を引く。
…引いた筈だった。
実際は刃は薄皮一枚を切っただけで、カタカタと震えて止まっていた。
「ど、どうして」
彩の無い声が灰色掛かる。
「淡々とこなせないだろ。
簡単なことだ。
お前は、1度でも自分で人を殺したことがないんだからな」
ビィーナの震える腕が薄皮を切った刀に伝わり、ティアの首の傷を広げていく。
その様子を凝視していたビィーナから怯えが滲んでくる。
「ヤればいい。
お前なら、この状態からでも簡単に落とせるだろ」
ティアは抑揚の無い声で挑発する。
ビィーナの刀の震えが増していくだけで、実行に移せない。
ティアの首筋が剥け、細胞の群体が鮮やかな色をして溢れてくる。
震えがピークに達し、刃が微かに動脈に触れ、これまでとは比較にならない血が零れ出す。
「ヒィッ!」
そんな短い悲鳴があげると、ビィーナは刀を取り落とし、硬直した。
ティアは刀を素早く空中でキャッチし、地面に突き刺す。
「無理すんなよ。
鬱積してる心が壊れるぞ」
ティアは裂けた首筋に手を当て、情報管理送還装置を起動させる。
響く高い音がし、首の損傷具合が脳裡に数字として送られてくる。
次に空間に歪みが生じ、首筋を包む。
そうすると、液体を垂れ流していた裂け目が修復されていく。
新陳代謝能力を飛躍的に向上させて、首に傷を塞いだのだ。
これが血塗られた鉾が保有する力、門の片鱗だった。
ティアは治療を終えると、硬直して動かないビィーナの手を取る。
ビックッとし、オズオズとティアの方に視線を上げる。
その様子は、怒られる前の子供に似ていた。
「お前は隔絶してただけだろ。
だから、物を壊す要領で人が壊せた。
なんせ、互いに違うモノなんだからな。
だけど、俺はお前と同じ、お前を認識できる立場だ。
だから、お前は認識しちまった、俺を人間だと。
人殺しを拒否したんだよ、お前の本能が。
お前は俺を殺せない」
「そ、そんなことないよ。
あたしはいつも、こ、ころしてきたんだ」
「それは物だろ。
少なくとも、お前は罪悪感なんて抱いたことなんてない筈だ。
物を壊して抱くのは、所有者に対してだ。
所有者の居ない全てが物の世界で、何を抱く。
だろ?」
「…ちがう」
「違わない。
そうじゃないとお前が自分自身を保ってきた者まで、否定することになるぞ」
そう言い切るティアに、ビィーナはハッと顔を上げた。
「お前を認識しくれた者がいるんだろ、俺以外に」
「あっ、ああ、あ」
おぼつかない、そんな声だ。
その声が、ティアの推理を肯定していた。
ビィーナをビィーナとして認識し、確定してくれた者が存在したことを。
「だから、否定しなくていい。
お前は存在して良いんだ。
俺がお前を証明してやれるから。
無理に偽らなくても、有りの儘でも。
ゆっくりでいいから、克服していけ。
それまでは俺がお前がいることを言葉にしてやるから」
「…ティア」
ビィーナは初めて、目の前の男の名を呼んだ。
何度も口にしているが、初めて人として名前を口にした気がした。
「傷みも痛みも知ってる。
人形じゃなく、憧れるだけの平凡な女でいいぞ」
『俺は知ってるからな。
お前が凛に憧れていること。
あの光景に先に憧れたのはお前だろうが。
そう生きたいと。
そんなお前が人形ぶって、人を放棄するな。
今は真似でもいい、それで納得するなら。
…見つかるよ、未だお前は失ってない。
辛さから、眠らせてしまっただけだ』
ビィーナは、ティアが昔に投げた言葉が思い出していた。
(この人はずっと覚えてくれてたんだ、あたしを)
張っていたモノが崩れ去り、気が付けば嗚咽が口についていた。
衝動的に溢れるものに蓋をしようとするが、それは瞼を閉じると同時に流れ出す涙と一緒に零れ出す。
「うっ、うぅぅ、ああああ!!!」
ティアの掴んでいる手をギュッと握り、ビィーナは声の限り吐き出していた。
止め処なく溢れる想いの数だけ、滴が乾いた地面を濡らしていく。
ティアは流石に焦っていた。
だが、掴まれた手の所為で逃げる選択は奪われ、針のムシロ状態に陥る。
ビィーナの様子を見ると、そこにいたのは子供だった。
(こういう時、大人はどうするんだ)
思案の挙句、ティアはそっと空いた手でビィーナの肩を抱いてやる。
子供をあやすように。
その暖かさが余計にビィーナの堰を切らせ、大泣きさせてしまう。
(どうしたらいいだぁ!)
そんなティアの心情お構いなしに、ビィーナはひたすら哭く。
「うぅぅぅ、にぃさん、ううう」
嗚咽に混じり、ビィーナは奥底に仕舞ってあった想いを口にしていた。
ビィーナをビィーナと認識して、傍にいてくれた者をことを。
やっと無敵少女にスポットライトが中った。
1章は説明会が多かったですが、2章は説明を大半終えているので、早い内に物語が進みます(たぶん)。




