【覚悟と信念】 トレーニングと講義
足腰が立たない。
精根尽き果てた状態とは、このことを言うのだろう。
心臓が異様な心拍数を叩き出し、それが鼓膜を震わせやけに煩い。
地べたに横臥し、身動きすらとれない様。
(…こんなにも弱ったのは過去にあっただろうか?)
「シルーセルくん、そんな日向で寝てるひからびるよ」
返事をするのも億劫なので、シルーセルは沈黙するしかなかった。
それよりも又も胸元が跳ね、喉元を通過する酸味の効いた味が口から地面に流れ出る。
「干乾びるのは日向にいるからではなく、脱水症状からよね。
そんなに吐いてると、本当に死ぬわよ」
胃酸にやられたのか、喉はヒリヒリとする。
実際、そんなことは瑣末な事だった。
本格的に拙いのは、この衝動に抵抗できなくなるまで弱ってしまった身体だろう。
(や、やばい…。
本当に死ぬかも)
シルーセルは朦朧とする意識の中、死のフレーズだけがリフレインしている。
この状況を招いたのは、意地があったからだ。
だが、根本的に鍛え方が違った。
肉体の限界を破り、その結果がこの有様だった。
「シルーセルがこれでは仕方ないわね。
今日の体力トレーニングはこれにて終了とするわ」
(…そうです、…足を引っ張っているのは俺です)
女に負けるか!、なんて下らんプライドは粉砕に打ち砕かれた。
シルーセルは、虚ろな視線を2人の女に向ける。
名の通り凛とした女は、膝に手を添えて己の身体を支えている。
シルーセルの限界突破は、凛にとってはこの程度代物でしかなかった。
シルーセルは、自分の非力さに涙したい気分だった。
もう1人は、日陰で腰を下ろし、もうダメとか言いながらも肩で息をしている。
その様子から、まだ余力があるのは言うまでも無い。
つまりこの3人の中で、体力、身体能力共に最下位なのは唯一の男性であるシルーセルということになる。
「余力なんて考えないでいいわ。
全力で着いて来なさい」
この訓練が始まる前、リーダー凛からそう告げられた。
それからは走るだけ。
ひたすらに走る、走る、走る。
頭が白くなり、先を走る背中に置いていかれないように気力を振り絞り、走る。
ダッシュ、持久、ダッシュ、持久。
繰り返し、肉体を虐める。
少しでも腕を振り、前へ。
少しでも足を伸ばし、前へ。
下がり気味な視線を前方に向け、前へ。
破裂しそうな心臓に更に鞭打ち、前へ。
…そして男はくたばった。
「どうやら、一人前なのは口だけのようね。
まぁ、根性だけは備わっているのかしら。
ついてこれなくても気にしなくていいわよ。
無理と分かっていて組んだプログラムだもの」
「へっ、そうなの?」
「これはティアの体力を基づいて組んであるのよ」
「あははは、…見事な体力バカだね」
「もし、持久戦にでも持ち込まれたなら、このチーム内の誰も勝てないわよ。
トップスピードに乗ったティアを制するのも至難でしょうね。
本人は、自分の長所を潰した戦略を立てるから御し易いけど」
その本人が居ないことに言いたい放題。
いや、本人が居ようと同じか、それ以上の毒舌が降りかかってくるだろう。
反抗的な相手には容赦を挟まない、凛とはそういう女だったとシルーセルは少し回復した脳で思惟する。
朦朧としていた意識だけが大分回復してきたが、身体はピクリとも反応しない。
「何じゃ、この有様は」
数少ない味方の到着。
罵倒される被害が分散されると、シルーセルは安堵が込み上げてくる。
「…遅い到着で。
リー先生の為に仕事を用意しておきましたよ」
「仕事…、とはこれか?」
と哀れみに満ちた視線が、シルーセルに落とされる。
(…そうです。
…足を引っ張っているのは俺です)
卑屈になりそうな心中。
それも詮無いことだと嘆息したかったが、吐き気が邪魔をしてそれすら不可能だった。
「早々にお願いします。
都合良く、獲物は身動き取れない様子ですし」
(っ!
ちょっと待てっ!
身動き出来ない獲物って!)
シルーセルは身動ぎを行うとするが、本気で動かない。
吐き過ぎで蒼白に染まっていた顔が、更に血色が悪くなっていくのが分った。
昨日繰り広げられた惨劇が、自分の身に降り掛かろうとしているのを自覚してしまった。
「い、いやだぁ!」
シルーセルは気力を振り絞り、最後の抵抗、叫びを上げる。
「却下。
直ぐに楽になるわ。
だって、意識なんて保ってられないもの」
凛の物騒極まりない台詞がシルーセルの耳に届く頃、そっと身体にテリトの魔手が伸びていた。
「諦めよ。
ジタバタすると、余計に苦しむだけじゃぞ」
テリトはいつの間にか手にした針を、首筋に刺す。
声が出ない。
動けない。
身体に力が入らない。
脱力だけが全体を包む。
シルーセルは一切の行動を封じられてしまった。
「意識が途絶えると神経の張りが分からんのでな、気絶出来ぬようにしておいた」
(なっ、なんですとぉ!)
「生きる為の基本行為以外は封じさせて貰った。
…後は煮るなり焼くなりじゃな」
「鬼ね」
「ゲドウだよ」
「喧しい!
お主らがこんなにも肉体を追い詰めるからじゃろうが!
本来なら、3日の休養を取らせぬと拙いぐらいじゃ!」
「軟弱ね」
「ヒンジャクだね」
「…わしが悪かった。
それ以上虐めてやるな」
心底泣いたと想う。
肉体で現せていたら、シルーセルの涙腺からは涙が零れていただろう。
「さて、悲しみに暮れてしまう前に地獄へと誘うかのう」
魔手がシルーセルに掛かる。
(やっ、ぎぃやあああ―――――――!)
そして声のない悲鳴が上がる。
誰の耳に届くことない、絶叫が…。
※
朗らかな日差しが、プレハブに設置されている窓から差し込んでくる。
それに反して、プレハブ内には奇妙な緊張感が満ちていた。
「では、初めてください」
カイルの号令で、ティアは掌に置いてある花の種に対し、門を開く。
小規模な歪みが種を覆い、そして影響を与えていく。
種から芽が出、そして短期間に成長を遂げていく。
「グッ!」
フィードバックから頭痛が奔り、歪みが矯正され成長が途切れる。
芽の出た種をカイルが取り上げ、軽く観察する。
「…成程」
ティアの本日の予定は、カイルと共に門に関する勉強をであった。
他の皆はランニングに出掛けており、カイルとの個別授業がこのプレハブで開催されていた。
門に一番熟知したカイルが講師となり、全くと言っていい程に門を行使出来ないティアは享受している最中。
「有り余る才能が、本当に悪影響を与えたみたいですね。
門の遣い方もさることながら、情報管理送還装置の使い方すらなってないとは…。
仕方ありませんね。
情報管理送還装置の方は追々と慣れて貰うとして、門の遣い方については修正しておきましょう。
このままでは、廃人になってしまいますからね」
と告げると、カイルは思案を始める。
(最低限のレベルまで引き上げるには…。
全制御をさせようにも、情報管理送還装置を熟知していないティアには不可能。
だが、代謝である以上、全制御は必須。
他の門なら、工程を省く事が可能なのですが…。
ものには順序もありますし、地道に進みますか)
結論付けると、ヒントになるものを検索する。
「門の基本操作とその過程、53ページ、第3項を検索して下さい」
「えっ?」
何のことか測りかねるティア。
そこで、今朝あった事件を思い出す。
(あぁ、あれに書いてあったのか…)
カイルに言われたものを検索すると、脳にしまってある抽斗から知識が忽然と現われる。
「【歪曲され、その空間に接触するものは、行使した力の影響を受け、その指向は抵抗に打ち消されるまで持続をする】、か」
「そうです。
では、どうぞ」
「どうぞって、何が?」
講師はもうやるべきことはやったと言わんばかりに、腕組みをしてティアを観察している。
ティアは訳が分からず、文句を口に出そうとして留める。
(待て、今朝の出来事から考えるに、もうヒントは出ているんだ。
文句は吟味してからだ)
ティアは考えもせずに、答えを求めようとしていた口を結ぶ。
(単語だけ抜き出してみると、歪曲、空間、接触、行使、影響、指向、抵抗、持続だな。
この単語を当て嵌めるのは、さっき俺が遣った門の遣い方だな。
俺は情報管理送還装置で、空間とそこに在中している物体の情報を確認後、算出された抵抗値らを計算して、種の成長を促す力を送り込んだ。
だが、変化する状況に情報誤差が生まれて、脳にダメージの影響から歪曲の持続を断念した。
…歪曲させ、空間と接触、行使し影響、ここまでは大丈夫だな。
なら問題は、この後の指向は抵抗に打ち消されるまで持続、って項目だな。
…打ち消されるか。
力は持続しない訳だから、持続するっていうのはどういう事だ?
っ、カイルの云いたいのはそういう事か!)
ティアは再び種を手にし、門を開く。
今度は芽が出、そして成長をグングンと続けていく。
だが、途中で芽は緑から茶に変色し、枯れてしまう。
種に保存されていた栄養が尽き、成長に耐え切れなくなったのだ。
種はそのまま枯れて、軽く握ると粉々になってしまう。
「正解です。
基本的に持続して遣うのではなく、瞬間的に把握し行使する。
それを何段階にも分ける。
代謝だと、肉体が基準になる所為か、常に情報管理送還装置で状況変化を把握し、制御をしないと崩壊してしまう恐れがあります。
その為、最も行使の難しい門とされています。
ですが、指向等は最初に制御した指向が抵抗に打ち消されるまで、その指向力を失うことはありません。
それはどの門でも然り。
世界に繁栄された門の力は、世界の法則に従い、持続する。
これが答えです」
そう言うと、カイルは机の上にコップを置き、水を注ぐ。
「初めは単発的、次に連続、そして持続。
それが最終的にこの位にまで昇華されます」
コップに収まっていた水が歪みに触れ、玉になって浮上していく。
カイルはそこに先程出た緑色の芽と、粉砕した枯れた芽を放り込む。
玉の中に緑色と茶色の線が複雑に回転している。
色は混じる事なく。
それぞれの回転が独立している証拠だった。
「この中には、30もの回転する指向を織り交ぜています。
これだけの回転が凝縮した水球なら、並の装甲板ぐらいなら穴を穿てます。
いきなりは無理です。
だから、毎日段階を駆け上がってください。
毎日1歩駆け上れば、2ヵ月後には戦闘で門が使用可能になるでしょう」
緑と茶と透明な螺旋の玉は静かにコップの内に戻ると砕け、濁った色の液体が満たされる。
「その為に情報管理送還装置の使い方を熟知して貰う必要があります。
暫くは門を行使するよりも、こちらを優先しても訓練します。
門も情報管理送還装置も、一概に言えることがあります。
期間が限られている以上手早く進みたいのですが、これはそう言う訳にはいきませんから」
何となくだが、カイルの言いたいことが分かる。
「…熟練度か」
「はい。
特に門は、情報管理送還装置で得た情報を正確に把握することが前提です。
逆を言えば、情報管理送還装置さえ的確に使用出来ていれば、門の反動を受けることはありません」
「大きな力の所為で見落としがちだが、本当に重要なのは情報管理送還装置の方って事か」
「誰しもが絶大な力を目の前にすれば、其方の方に視線が行くものです。
それ故に、慣れるのに時間を有してしまう。
冷静に見れば、門を行使して門に慣れるのではなく、ミスを少なくする方法を学び、万全を期して望む方が正解です。
フィードバックを受けながら慣らしていては、脳に過度な負担が掛かる上に、時間を無駄に費やしてしまいます。
弓というものがあります。
あれは先ず姿勢、それを基盤に体制を模り、素引きと呼ばれる矢の番えていない状態で弦を引く練習をします。
姿勢を間違えれば首や指、女の人なら乳房を弦で切り飛ばしてしまいます。
体制も又然り。
素引きで流れを読み取り、姿勢の崩れないように何度も沁み込ませる。
その鍛錬の後に、矢を番えることを許されます。
反復練習により描写が肉体に宿っていれば、どんな状況下に置かれようが弦が己を傷つけることはありません。
力とは、本来そこまでして行い、安全と己で御せるようになってから使用すべきなのです」
カイルの話し方は、凛とどこか似通ったものがある。
本質は語らないで考える箇所を造る他は、説明に筋を立てようとする部分は似通っていた。
「矢を番える前にか…。
情報管理送還装置を熟知すれば、自然と門は扱えるようになる、だな」
「残念ながら、それとこれとは話が別です。
門のエネルギー容量と流れを読み取るには、やはり慣れが必要なのです。
私が語ったのは、ミスを範疇内に収める為の伏線。
何度も矢を番えて撃つ他、真に上達する術はありませんよ」
「…左様ですか。
事前準備、基本が確り出来ていれば先に進むのは容易だということか。
今朝の俺に対する揶揄と同じかよ…」
引き合いに出されたことを根に持っていたティアは、愚痴っておく。
「良い例がありましたので」
カイルはシレっと言って除ける。
「俺には隙が多いってことか…。
改善しなければならない箇所が多過ぎて、適わんな」
「それだけ可能性があると解釈をすれば良い。
2ヶ月の間、私達がしっかりサポートします。
後は、君がこの道をどれだけの速度で昇る、かです」
「…お前らって、飴と鞭の使い方心得てるよな。
その気になる」
「仕向けていますから」
「…厭味な奴」
「褒め言葉として受け取っておきますよ。
さて、情報管理送還装置の熟練度を昇華させましょう。
自分で画策して下さい、と本来なら言いたいところですが、時間が限られていますし、訓練内容はこちらから提示させて貰います」
「わかった」
「…肉体制御が儘ならい。
丁度、門も代謝ですから、常に肉体の変化に情報管理送還装置をかけて下さい」
「肉体制御と代謝…、そうか。
皆は、指を動かすのすら意識して行ってるんだったな。
俺がやるのは情報管理送還装置で筋肉、神経の動き方を数字やイメージで捉えて、自分の躰を把握すること。
心音、呼吸、血と情報変化に富んだ肉体なら情報管理送還装置を熟練させるには好都合。
そしてそれと同時に肉体制御も学べる。
肉体をメインとする代謝の伏線にもなるという訳だな」
(やはり馬鹿ではありませんね。
考える力も理解力もある。
道が分からなかっただけですか。
ならば、常に自分で思案する能力が授かれば、もしかすれば化けるかもしれませんね)
そこで、持ちそうになる淡い期待を打ち切っておく。
手にしていないファクターを考慮にいれるには、この場所は危険過ぎる事をカイルは思い出す。
「暫くは門の事は忘れなさい。
情報管理送還装置も、常に情報が頭の中を駆け巡り、脳を酷使します。
情報管理送還装置を疎かにする事なく、訓練を行います。
情報管理送還装置を躰に使用しながら、肉体を動かして下さい。
そして情報と照らし合わせ、確認して下さい。
自然と肉体限界や、使われていない部分が明白になってきます。
今日中にそれらを理解するように。
何でしたら、組み手ぐらいはお付き合いしますよ」
「了解。
そん時になったら声をかける」
早速情報管理送還装置を起動させ、ティアは1つ1つの行動を確かめていく。
素直に意見を受け入れ、それを実行する姿にカイルは呆れと感心を覚える。
呆れは素直過ぎる点。
感心はあっさりと自分の弱点を認め、貪欲に求めようとする姿勢。
(これが最下位か…。
意外に金の卵を拾ったにかもしれませんよ、凛)
ティアの作業はそれから3時間、通しで行われた。
凛達がシルーセルのピクリともしなくなった体を引き摺って帰ってくるまで延々と。




