【覚悟と信念】 ビィーナ VS ティア、シルーセル
【覚悟と信念】
「そんな批難的な視線を贈られなくても、4戦目は臨みませんよ」
1日に身体加速を2度発動させた体は鉛のように重く、凛は横臥した状態から動かすのも億劫だった。
心中では、このまま泥のように眠りたい気分だった。
「当然じゃな。
医師として、もはや責任は持てぬわ」
「…でも、困ったものね。
今日中に、全員分のデータを試算したいのだけど」
凛は目を閉じ、疲労した肉体を蘇生させる為、大きな呼吸で酸素を取り込む。
(これ以上は肉体が潰れるわ。
続行は無理か…)
全身の細胞に応答を求めた結果、危険信号が還ってくる。
張り詰めた筋肉系、神経系、どれもが疲労のピークにあった。
(残りはビィーナのみ…。
ランニングで、その能力の高さは確認済み。
…目処は立ったとすべきかしら)
「何をそんなに焦っておるのじゃ」
急性に事を進めようとする凛に対し、テリトは疑問をぶつけてくる。
上半身を起しベンチに腰を据え座ると、凛はワザとらしく大きな溜息をついてみせる。
「私が焦る原因の1つは、リー先生、貴方の所為です。
このチームの発足理由を知っている者ならば、危機的状況だという事は理解できるでしょう。
そして貴方が顧問になった事を、私は運命だと告げましたよ。
それがヒントですよ。
さて、ビィーナとは後日に回すしかないかしら…」
「ねぇねぇ~、別に実力を知りたいだけなら、観戦でもいいんじゃないの?」
(…観戦ね、成程)
ビィーナは、未だ戦闘可能なティアとシルーセルを指差していた。
「それが妥協点かしら。
本来は、私が直接に確かめたいところだけど。
ということで宜しく頼むわ」
と、凛から開催の確定を言い渡されていた。
「ちょっと待て!
オレたちの意見は」
「権限があると思っていたの?」
容赦のない一言が、ティアとシルーセルに突き刺さる。
醜態を遺憾なく見せてきた2人は、沈黙で了承するしかなかった。
「リンちゃん、ちょっといい」
ベンチで横たわっているカイル。
その診察をしていたキアヌからお呼びが掛かる。
「どうかしましたか?」
「彼、鎖骨が砕けているのだけど。
これ、治療しちゃっていいの?」
「構いません。
代謝の治療用に、栄養を普段から摂取させていますから遠慮はなさらずに」
それを聞いたティアとシルーセルは、ギョッと凛の方を向く。
「ま、まさかその為に、今朝あんな劇薬を飲ませたのか?」
「ランニングで無様を晒した人間が、この催しで無事でいられるとでも私が思っていたのかしら?
あの有様を見た後なら、怪我するのを前提に物事を進めておくのは当然でしょう?」
肯定である発言をされ、2人は固まる。
「相手はビィーナ、骨折程度で済めば御の字ね」
2人は今から治療を受けるカイルに、ギギギと音のしそうな固さで顔を向ける。
そこにはキアヌが空間を歪め、門を開こうとしていた。
カイルの右肩に標準を定めると、固定し発露させる。
皮膚の下が青く染まり、腫れていた肩があっという間に正常な状態へと戻っていく。
換わりに、カイルの顔が目に見えてこけていく。
代謝能力を肥大させ、瞬間的に骨をくっ付けてしまう荒業。
治療の代償として、それを執り行うに必要な栄養を変換してしまう。
何ヶ月もかけて行う代謝を一瞬で終えてしまう為、膨大なエネルギーが身体から失われてしまうのだ。
(あ、あれが未来図か…)
固まる2人。
それを余所に、凛はその光景を眺めていた。
(あれがライセンスAの代謝増幅。
微塵の乱れもなく、他人の身体に門を定める事が出来る情報処理能力。
…私もまだまだという事ね)
凛は自分の未熟さを痛感しながら、掌を覗き込む。
(なんて小さな手かしら…。
そう実感してしまうのは、自信がない証拠だわ。
もっと、もっと…)
その弱気を握り潰すように、凛はキツク拳を握りこむのだった。
※
カイルを無理やりに叩き起こし、放送室を占拠した凛達。
より詳細に観戦する為に、フィールド映像がモニター出力される放送室へと雪崩れ込んでいた。
凛は直ぐ様マイクを手にし、ボリュームを調整する。
「ちょっとリンちゃん!
それは私の!」
キアヌの癇癪を起した子供のように、マイクを奪い返そうと飛んでくる。
「企業の物を私物化しないで下さい、キアヌ先生。
それよりも、こんな狭い部屋に4人もいると狭く感じるわね」
フィールドに3人の戦士。
そして観戦者は、全員この放送室に集まっていた。
「なら下へ行きなさいよ!
私とリー様の愛の巣に侵入しないで!」
(…なんと恐ろしい事を)
テリトは悪寒を奔らせ、2人っきりの危険性に改めて認識するのだった。
それを耳にした途端、凛の顔が微妙に緩む。
それに気が付いたカイルは、僅かに身震いをし、後に起こるだろう悲劇に黙祷した。
それが悪魔の微笑みであると知っているが故に。
「キアヌ先生。
確か一階の治療室に、ベッドがありましたよね。
そちらの方が、愛の巣にピッタリじゃありませんか?」
テリトの顔面が蒼白になっていく。
「リンちゃん!
性根が腐ってるだけの人かと思っていたけど、アナタみたいな親切な人、私知らないわ!」
「どんな目で私を見ていたんですか…」
と、抗議をしつつ、テリトが逃げられないように、唯一の出口を塞ぐように立ち位置を移動する。
そしてそれに賛同するように、カイルはテリトの脇を固める。
「き、きさまら!」
「この方が効率が良さそうなので、加担させて貰います。
生贄として捧げられて下さい」
無情な声音。
正確には余りな仕打ちから目を逸らすことで、無感情を装うカイル。
「さあ、リー様!
好意は素直に受け取りましょう、さあ!」
「悪意じゃろうが!」
テリトは、にじり寄るキアヌに追い詰められていく。
出口を掌握した凛は、邪魔者を排除できると晴れやかな表情を浮かべていた。
(こ、この悪女めが!)
テリトは隅に追い詰められ、女性とは思えない膂力で腕を捕まられる。
その勢いで担がれ、キアヌは血走った目で出口を確認した。
それを見た凛は、祝福の意を込めて出口を開放した。
「ごゆっくり」
「幸せになるわ!」
カイルは見てしまった。
キアヌの肩に担がれた、哀れな子羊の瞳を。
(生気を吸い取られて、息絶えないで下さい…)
想わず視線を逸らしてしまう。
「これで、邪魔者の排除は終わったわね」
「……」
加担したとはいえ、珍しく罪悪感がカイルの胸を擡げる。
凛はモニターをチャックし、カメラの微妙な角度を機材で調整していく。
(…明らかにテクノロジーのレベルが違う。
生徒がアクセス可能な箇所は、世界で使用されているような、ローカルテクノロジーばかり。
強ち間違いではないかもしれないわね、あの推理も。
この世界の矛盾と、このオーバーテクノロジーを有している血塗られた鉾の成り立ちは似ている…)
凛は、胸元で煌びやかに光るペンダントに触れる。
一本の槍に絡みつく蛇を模したペンダント。
それが血塗られた鉾に所属している者の証。
そして、門を遣う際に必要不可欠な情報収集ツールでもあった。
(神の創世記か…。
答えは近くにあるかもしれない。
そして、あの女が探している真実の経路。
…馬鹿みたい。
どうして轍を追っているのかしら、私は)
調整を終えるとフィールドで準備をしている3人に、マイクを通して呼びかける。
「シルーセル、フィードバックによるダメージは抜けたかしら?」
「あぁ、さっきの戦いの間にほとんど治まった」
集音マイクがシルーセルの声を拾い、凛に届ける。
「そっちの2人は?」
「オッケーだよ~」
「こっちもだ」
簡潔な答えが、ビィーナとティアから返ってくる。
「勝敗は目に見えてはいるけど、ビィーナの実力の片鱗くらい拝ませ欲しいものね」
自分の計算が正しければ、瞬間で決着は着く。
それ程までに、ビィーナ トイアムトという女の実力は跳びぬけていると、凛は評価している。
(相手は、入学前に血塗られた鉾の先鋭を破っている兵。
まかり通れる実力者)
「公平を喫する為、ビィーナのプロファイルを教えておくわ。
門は振動。
属性は音。
得意武器は刀。
…又、古風なものを」
「え~、刀は大和の芸術品だよ!
薄く、何層にも構成された刀身。
斬れ味だけなら、東洋系の武器で並ぶものはないよ。
でも難点なのは繊細だから、打ち合いには向いてないことかな。
そんなことしたら、内部の層が歪んで持ち味を殺しちゃうの」
「説明、ご苦労様」
ビィーナは模擬刀を腰から抜き、武器をアピールする。
血塗られた鉾で使用されている模擬刀は、頑強なアダマンタイトが扱われている。
硬度12を誇っており、ダイヤモンドを越える硬度を有している。
刃を潰している模擬刀とはいえ、その硬さだけでも十分な凶器となる。
「怯えなくても、手加減できると思うから~」
朗らかな笑顔で、模擬刀を掲げてみせるビィーナ。
「ティア、このアマをぶん殴るぞ」
「…善処はする」
強面になりながら、シルーセルが静かに告げる。
ティアはその声音に押され、最良だと思われる返事を返しておく。
「では、開始して」
凛の合図で、シルーセルは自分のスタイル通りに銃口をビィーナに向けた、筈だった。
(居ないっ!
一時すら目を逸らしてないのに!)
忽然と視界から消えてしまったビィーナに、シルーセルは焦り辺りを見回す。
だが、何処にもビィーナの姿はなく、焦燥感だけが募っていく。
(これが存在しない敵!
予想以上だわ。
本当に視認すらさせてくれないなんて…)
凛も、ビィーナの姿を見失っていた。
放送室全モニターを確認しても、その影すら捉えることが出来ないでいた。
(速いのかしら?
それにしてはビィーナが居た場所に、高速で移動した形跡が見当たらないわ。
人間の目には、確かに死角が存在する。
でも、これは何!?
明らかに、その類のものではない…ならば、この現象は人の認識外に身を置く事なのかしら?)
自分の推理が既知の外側へと向かうのを覚え、凛は戦慄する。
傍観する身でも、この恐怖を感じているのだ。
シルーセルの恐怖は、並ではないだろう。
「ど、どこにいるんだ!」
声を荒立て、シルーセルがフィールドで取り乱していた。
(シルーセルにも見えていないのね)
「カイル、視認は?」
「否定です。
光がある中で、影すら捕えられていません」
(…ここまでとは)
噂に、嘘偽り無し。
過去の一度、血塗られた鉾を破り、勝利を齎した姿なき死神の実力を垣間見た瞬間だった。
「勝負にならないわね。
気配、姿、影、何も認識させてくれないのでは、戦いは成立しないわ。
相手が悪かったと言うしかないわね、正直」
凛は知らず自分の肩を抱き、少しでも震えを押さえ込もうとしていた。
(まさか、命を削って生きている私が恐れを抱くなんて)
とっくに亡くしてしまっていたと想っていた感性が、凛を震撼させていた。
(面白いわ。
これは人の業。
私はそれを知っている。
ならば、打ち破る術は必ずある!)
恐怖すら餌とし、糧とする獣。
次第に震え質が恐怖から、勇へと変貌していくのだった。
※
「何をしているんだ、シルーセル!」
ティアは慌てふためき、眼前の敵を認識していないシルーセルに警告を飛ばしていた。
(どうして何もしない!)
訳が分からなかった。
敵を正面にして、何の行動も起さないシルーセルに。
無防備にゆっくりとシルーセルに迫るビィーナの行動にも。
「目の前だ!
シルーセル!」
「えっ!」
ティアの警告に反応する前に、ビィーナの模擬刀がシルーセルの鳩尾に収まっていく。
鳩尾の攻撃にを日に2度喰らったシルーセルは悶絶し、地面をのた打ち回る。
それから数秒後、沈黙を持って、意識が痛みに耐えかね停止したことを告げる。
シルーセルを沈黙せしめた人物は無機質な瞳を擡げると、感情の欠片も窺えない声音を発する。
「…見えているんだ、アタシのこと」
機械の駆動音に似た、無骨な響き。
とても感情豊かに話しかけてきていたビィーナと同一人物とは想えない。
瞳は虚ろで、世界を捉えているようには見えない。
「奇怪しな事を言うなよ」
「…声も捉えるんだ」
「…不気味な事を言っているな。
まるで、俺が幽霊とでも会話しているかのような言い草だな」
「……」
肯定するかのように、ビィーナは沈黙する。
妙な沈黙に耐えかね、ティアはビィーナに駆け出す。
(幽霊だと!
じゃあ何か、シルーセルにはビィーナが見えなかったとでも?
馬鹿馬鹿しい。
それこそ幻視してたんじゃないのか?
…それとも、幻視しているのは俺か?)
擡げる考えを払拭し、ティアはビィーナに迫る。
(間合いは敵の方が上。
なら、牽制して懐に飛び込む!)
ティアはセオリー通りに、最も有効な手段で攻撃に移る。
だが、ビィーナが腰溜めに構え、閃光のような一撃を見舞ってくる。
(速いっ!)
居合いの構えから放たれた一撃は、左手を鍔代わりにし抜き放たれた。
咄嗟に突進を停止し、地面を抉りながら後方へと反動で跳び去る。
胸を掠めながら、模擬刀が過ぎる。
(なっ、この激痛は!)
掠めただけの胸の傷から、予想以上の激痛が迸る。
まるで神経を直接撫でられたかのような痛烈さ。
居合いを躱し、その直後に懐に飛び込む算段だったが、その激痛で次の反応が遅れてしまう。
ビィーナは模擬刀を直ぐに翻し、2打目が来る。
この流れる反応から、先程の居合いは手加減されたものだと悟る。
本気ならこんなに速く体制を建て直し、2撃目へと転じられる訳がない。
痛みが足を奪い、逃げ道を塞ぐ。
(間に合わないっ!)
模擬刀が振り下ろされる筋に左腕を置き、篭手を構える。
そこへスッと模擬刀が下りてくる。
そして優しく篭手に触れると、篭手越しに衝撃が駆け巡る。
「グハァ!」
(そ、そうか…、これが振動…)
全身に電撃が流されたように、行動が封じられてしまう。
筋肉が強張り、脳からの指令に反応しない。
「おしまい」
無機質な声が告げる、終了の合図。
動けなくなった者の首筋に手刀が落ち、ティアの意識は暗闇に誘われていく。