【現状と認識】 認識の位
「さて生き返った事だし、本題に入りましょうか」
食堂からプレハブへ生還した者達は、昨日のように円陣を組む形で椅子を並べ、向かい合っていた。
「本題?
これからの事か?」
ティアの迂闊な一言に、凛の射抜く眼光が突き刺さった。
「…問題を後回しに出来るほど余裕なのかしら、貴方は」
余りな認識不足。
そんな見解を口にしたティアを、凛は辛辣に責めた。
「問題か。
…たしかに問題だね、そのお気楽な考え方。
どうして今まで生き延びてこられたのが、フシギだよ~」
凛に同調するのはビィーナ。
ティアはいつの間にか孤立していた。
「どういう意味だよ」
「…ランニングの前、私は提示したわよ」
凛はワザと大きく嘆息をついてみせる。
ティアは血が頭に上るのを感じたが、ビィーナやカイルまでが非難がましい視線を投げかけてくるので、自分に咎があるのではと思考を切り替え始める。
だが、具体的な失言理由は浮かべられないでいた。
シルーセルだけが、ティアと同じような顔をしていた。
理解していないのは2人だけだった。
「忠告というより、警告よ。
訓練をこなす事を目的にしてないかしら?
そんな意識では、こなしても成長の度合いが知れているわ」
「…別に軽視していた訳では」
「なら、たかがランニングと侮ったのかしら?」
凛は反論を許さなかった。
確かにティアは何処かで侮っていた。
それが死に繋がると知っていながら…。
「私はチームを組んでも、馴れ合う気はないわ。
各々目的があり、それ故生き延びる必要がある。
そうよね?
なら、その手段を提示して挙げるわ。
でも、提示した案について来られない者を、内に飼っておくつもりはないわ。
ティア、貴方はどうしてランニングの最後、プレハブへ直進してきたのかしら。
罠について、考慮しなかった?」
考えた。
だが、目的地を視界に納めたことで、意識に盲目的な指向が生まれた。
注意点に関与されるよりも、先にゴールに出来ると思案してしまったのだ。
「微かでもその考えに至らなかったなら、規定外ね。
オシメも取れていない赤ん坊を育てる気はないわ。
でも、その様子では浮かでいたみたいね。
にも拘らず、それを選択肢から除外し、プレハブを目指した。
時間が無かった…、そんな筈はないわ。
貴方がプレハブに辿り着いたのは、開始から40分程度だった筈。
ならば、その注意すべき問題を除外した理由は何かしら?」
答え等あるはずも無い。
ティアは其処まで思量すべき訓練として、ランニングを捕えていなかったからだ。
「もう一度、言うわ。
馴れ合いをする為、チームを組む気はないわ。
ランニングに託け、他のチームがポイントを狙って襲撃してきた場合、貴方は同じように沈黙した答えを出すのかしら?
その時、糧にされて大地の肥やしとなるのよ」
容赦など差し挟まない、辛辣な言葉の応酬。
だがそれが真実なだけに、ティアに反論の余地がなかった。
「ランニングを始める前に提示しておいたもの、覚えているわよね」
「認識だよな」
「認識。
これをなくして、現状を打開する方法は無いと覚えておきなさい。
貧困な想像力では辿り着けない領域。
それが私達の立っている地点だと、それを認識しなさい」
ティア、シルーセルには、凛の訴えている内容の輪郭がぼやけており、理解まで及んでいなかった。
そこへ、ビィーナがヒントを口にする。
「そうか。
リンが言っている領域に立っていなかったら、入学できなかったもんね」
そこでやっと、ティアは2人が掲げる認識の輪郭を捉えることに成功した。
「脳開発か!」
「そう、私達は脳開発を受ける事で脳を開花させ、常人の3倍に認識を設定された」
脳開発。又の名をパイオニアブレイン。
それは、血塗られた鉾に入学する為に出される試験。
内容は至って簡単。
脳開発呼ばれる装置に入り、その恩恵を受けいれるか否か、それが試験内容となる。
人間の脳は、通常生活に支障をきたさない、3割程度の能力で制御されている。
その制御された能力こそ、細胞を効率よく生かす適度な出力。
それらの能力を統括する脳。
これに細工を仕掛け、人間の能力を最大限まで引き伸ばすシステム。
それが脳開発となる。
これを受けることにより、脳を100%使用可能となり、そして認識が上書きされる。
柔軟な思考の持ち主でなければ、脳は認識を拒否し廃人となる。
10人中6人もこの認識を受理出来れば、その年の入学生は豊富と言えた。
だが、認識を理解出来た者が、必ずしも入学出来るとは限らない。
その理由は認識が3倍に設定されたことに起因する。
3倍の能力を理解せずに、いつも通りに動かすと肉体はその反応についていけず、筋肉は断裂し、神経が千切れてしまう。
細胞は急激な変化に対応出来ず、崩壊を始めてしまう。
例を挙げるならば、コップを掴む行動を、脳開発を受けた人間が通常思考で行えば、手を伸ばした瞬間に腕がその行動に耐え切れず、腕の筋に激痛が走ることだろう。
そして握った瞬間、コップの耐久値を簡単に超え、握り潰してしまうだろう。
もしコップを掴みたいなら意識し、ゆっくりと手を伸ばし、綿を掴むように優しくしなければならない。
この認識を把握してない者は、肉体の制御を誤りスクラップ状態となってしまう。
半年間、筋肉と骨の増強、それに耐え得る腱の構築、細胞が持つエネルギー保有量の増加。
肉体を創り変えられた者こそ、真に血塗られた鉾の入学者と言える。
「私達は、認識を受け入れただけ。
そこが限界の者は自ずと消えていく。
それが競争世界の常識。
なら、争う者同士、同じ土俵で足掻こうとすれば、才の差だけが優劣を決めるわ。
さて、本当に優劣は才だけで決まるのかしら?」
「違う」
ティアはそれに間髪いれずに反論していた。
何故なら、自分がそうだからだ。
もし才と言うものだけで優劣が決まるなら、自分はもっと上位の成績を納めている事だろう。
これは自惚れでなく、客観的な視点においての自分の評価であった。
「どうしてそう想うのかしら?」
「分からない」
違うと断言出来るが、理由に辿り着けない為に、ティアは言葉が続けられないでいた。
「言い切ることは出来ても、答えは知らない。
そうね。
私達は意図的に情報を抜かれているわ。
それを感じることが出来たのは、認識改竄を受け入れる事が出来た証と言える。
なら、脳開発を受け入れられた者と、受け入れられなかった者の差は何かしら?」
「常識に囚われない、柔軟性だな」
「そう、それは視点の違いでもあるわ。
才能の溢れる者も、視点が低ければ才なんて無意味でしかない。
それなら同じ立場、同じ能力である場合、差を生むものは?」
「…それが認識の高さか」
「正解、…とするのは大雑把ね。
まあ、今の時点ではそんなものでしょう。
つまり、より俯瞰であるものが勝者となる。
まぁ、それが血塗られた鉾の狙いでもあるのだけど」
「狙いだと?」
「貴方、この学園に入ってから自分の目的を忘却した事があったのかしら?」
「……」
沈黙は肯定。
目的がすり替わり、思考は生きる事に占有されつつあった。
「私は無かったわ。
でもね、生き延びる為に俯瞰的な視界を持ち続ければ、自然に洗脳され、機械的に成らざるを得なくなる。
それがこの学園で生き延びた者の末路。
血塗られた鉾と言う企業に組み込まれる為の部品になるの」
属している機関への不審発言。
だが、それよりも視点について興味を覚えたティアは、その話題を横に置いておくことにした。
「高い視点を持つのにか、何故だ?」
「それが盲点だからよ。
高い建物から見下ろす風景。
その場合、地を歩く人はどう見えるのかしら?」
「点だな」
「では、その点に見えた人の事を理解できるかしら?」
「っ!!」
「それが盲点。
俯瞰であればある程に、全体像は捉えるが出来ても、決して本質に近づけない。
俯瞰は人を酔わせ、高みからの景色しか認識させなくなる。
そして人は感情を失い、人でなくなるのよ」
「おい、オレ達のいる場所を全面否定かよ」
シルーセルがそこに触れた。
明らかに血塗られた鉾を否定する意見だからだ。
立っている場所を認識させられたことによる、不安から出た言葉でもあった。
「別に血塗られた鉾自体を否定しているわけでないわ。
唯、認識を誤れば、目的を見失うと警告しているのよ。
私は自分の目的を果たす為に自己を誇示したまま、上り詰めたいの。
そしてそれは貴方達もそうじゃないのかしら?」
「たしかに、自分を見失ったら意味がねぇな」
「話が随分と逸れたわね。
認識と大きく括るとしっぺ返しくる。
その事を頭に隅にでも置いておきなさい。
最後の一線、防波堤ぐらいには成ってくれるかもしれないわ」
凛は一度言葉を切り、本題へと移る。
「さて、私が認識させたいのは分類。
代えられない誓いと変えていける姿勢」
「「「……?」」」
カイル以外は、凛の言葉を消化不良した顔になる。
「…そんな認識では、この場所は煉獄よ。
回避したいなら、それなりの自己を確立させる為の覚悟と、それを成す為の覚悟の構築をしなければならないわ。
もう1度だけ訊くわ。
何故、罠があるかもしれないと危惧しつつ、それを考慮から外したの?」
これだけ長々説明されれば、馬鹿でもそれなりに気付くというものだ。
ティアは混乱しかけている思考を纏めていく。
(要約するに、己で自分の欠点を見極めろ。
常に考察を怠るなということか…)
「考え方の姿勢が緩いこと。
だから、安易に目の前の目標物に気を捕られ、思考を簡潔してしまった」
「そう。
それで?」
「考察力と洞察力を身に付ける。
そして選択可能な項目を増やす…、これが課題だな」
「まぁ、合格点はあげるわ。
ビィーナの造った罠は見事ではあったけど、所詮は即興。
不審な点があった筈よ。
…私の場合のそこを逆手に捕られたのだけど。
つまり、考察するだけのチャンスがありながら、それを見す見す逃した。
訓練という甘い響きに騙されてね。
気構えは戦場を想定しなさい。
私達第2学年には、安全な場所が無い。
その事を肝に命じておきなさい。
仕方ないなんて感性は、唾棄すべきものよ」
※
(…ビィーナの言う通りかもしれないな。
この女、配慮が行き届いてやがる。
なのに、底を見えねぇ。
そんな手札で、オレらに最低限の信頼を抱かせるとは…)
シルーセルは、ティアと凛のやり取りを聞きながら、その事に気が付いた。
そして、凛という人間の輪郭が見えてきたお陰で、ある確証を得る。
(この女は、姑息な手段を用いて裏切ることはない)
ポイント欲しさに手段を講じたり、闇討ちを掛ける事を決して行わない。
それは威厳を秘めた言葉一つ一つから滲み出ていた。
(なんて気位の高い女だ…)
こんな環境でカイルを付き従わせ、ビィーナに支持させた理由をシルーセルは見た気がした。
(求心力だな。
この女は上に立つ者に必要な求心力を、こんな環境においても発揮している。
恐るべきは、それを維持する精神力か)
シルーセルは驚嘆していた。
そして、あれだけ反感していた気持ちが薄れていた。
(面白いな。
突拍子もない訓練。
とんでもない発想力。
全てに意図を含み、展開出来るだけの能力を持つか。
これがリン サカキ)
「自分で自分が自覚できない者の行く末は、知れているわ。
常に自分を客観的に見るようにし、それを踏まえた訓練しなさい。
表層的なモノなのだから、馬鹿でも可能でしょう」
(一言余計なヤツだ…)
深層心理を解析しろ、等と難題を吹っかけていないと凛は言いたいのだろう。
(オレの場合も、課題が山積だな)
特殊技能である事象戦略盤は発動基準が定まっていない。
普段から当てにしてはならない代物だった。
だからこそ注意力を高め、己の五感を武器とした索敵能力を磨かなければ成らない。
更に、ビィーナとのハンティングで明確になった能力差は、眼も当てられない代物だった。
(やっぱ、何処かで甘えが生じていたか。
事象戦略盤なんて当てにならないものに縋り、自分を特別視していたってことかよ)
「シルーセル、もう着眼点を説明するつもりはないわよ」
「結構だ。
目標点が見えている」
認めてしまう事で、シルーセルの蟠りは吹っ切れていた。
「そう、なら講義はお仕舞いね。
では、今日の予定を消化しましょうか」
凛はそう告げ、カイルに視線を送る。
「これを」
カイルが立ち上がり、抱えていた紙を配る。
そこには5人の成績表を纏めたプロフィールが記載されていた。
「これってオレ達の成績表のまとめだな。
こんな命取りになる情報を渡して、何をするつもりだ?」
「紙に書かれているものは、所詮は表面上の事実。
私は知りたいのよ、実践においての貴方達の実力をね。
午後から第3闘技場の使用許可を貰っておいたわ」
ティアは脳内に高らかに鳴り響く警笛に、眉を顰めた。
「…実践においての実力を知りたい。
そして闘技場の使用許可か」
「まさか遊ぶ為に場所借りた、…な訳ねぇよな」
ティアの言葉に続くシルーセル。
2人は顔を見合わせ、天井を仰ぐ
「そう、ここまでお膳立てしておいたのよ。
やる事は一つよね。
貴方達、私と戦いなさい」
ティアは凛の言葉に引っ掛かりを覚える。
その部分に対し、シルーセルが追求していた。
「ちょっと待て!
アナタ達って、こっちは4人いるんだぞ!」
引っ掛かりはそれだった。
私は個数で、貴方達は複数。
「あら、別に順番に戦うのだから問題は無いでしょう?」
「そういう問題じゃない!」
「もしかして貴方達、勝てる気でいるの?
ビィーナなら兎も角、ここにいる男如きが不遜なことね。
臍で茶が沸きそうだわ」
空気が一瞬で凍り、亀裂が生じる。
(…く、空気が重い)
ティアは心で悲鳴をあげる。
「どういう意味だ!」
「どういう意味ですか?」
片方は苛烈した烈火の如き怒声、片方は寒々とした氷河の如し詰問。
シルーセルとカイルの声がダブって鼓膜を揺らす。
「耳掃除はした方が良いわよ。
不遜だって言ったのよ」
耳を穿るジェスチャーを交えながら、凛はハッキリと宣戦布告した。
「ここにいる男集に敗北する姿なんて、私には想像も出来ないわ」
「調子に乗るなよ!」
「凛、口が過ぎましたね」
(…火に油が、火が炎に)
最下層を奔っていた所為か、こういった挑発に敵愾心を覚えないティアは1人、この雰囲気に胃痛を覚えていた。
1人、凛の評価から除外されたビィーナを見やると、にこやかにその殺伐とした情景を眺めていた。
「カイル、貴方、私に1度でも勝った覚えがあるのかしら?」
「いつまでも昔のままとお考えなら、後悔しますよ」
「するのは、どっちなのかしらね?」
空寒い遣り取りが繰り広げられる。
そんな中、ビィーナが正論を投下してくる。
「どっちの言い分が正しいかなんて直ぐわかることだよね?
さっさと第3闘技場に行こうよ~」
「「「……」」」
熱くなっていた3人が、その正論に沈黙してしまう。
「そうね。
そうしましょう」
凛は自分が醜態を晒していた事に赤面し、颯爽と立ち上がりプレハブから出て行く。
(…あの光景のリンとはなんか違う感じ。
タガが1コ、外れてるのかな?)
ビィーナは凛の様相が感情を含む片鱗があることに気が付き、疑問を抱く。
(チョウハツがサクリャク的じゃないし、本音がマじってる)
ビィーナは寂しさと羨ましさが交じり合った視線を、出て行く凛の背中に送っていた。
それに習い、カイル、シルーセルもプレハブからさっさと逃げ出していく。
「面白いね、人間って」
ビィーナの感性に、疲労を覚えながらティアがつっこみを入れていた。
「…どこら辺がだ」
あの雰囲気の中、そう思えるこの女のずぶ太さが羨ましく想うティアだった。