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高嶺のお兄ちゃん  作者: 明智あきら
第1部
5/31

第2章 (1)

 そんなふうにわたしたちの夏休みは始まった。

 お兄ちゃんは面談をつつがなく終え、もうアメリカで高校卒業してる上に帰国子女枠というやつで学力試験は免除、簡単な小論文だけで2学期からの編入が決まったという。もし試験があったとしてもこのひとには関係ないだろうけどね。


 変態シスコン発言は相変わらずだけど、スルーするのにもだんだん慣れてきた。なのでまぁ仲良くやってると言えなくもない。毎日ご飯は美味しいし、掃除や洗濯の手際もすごく上手とまでいかなくても悪くない。

 ぜんぶやってもらうのはなんだかな、と思いつつも助かってるから、夏休みの間ぐらいは好きにさせようと思う。もちろん下着は洗わせてないぞ。


 お母さんとの間は依然ぎくしゃくしてるとはいえ、少なくともわたしの見る限り露骨な悪意を向けられることはないようなので、当面は平穏。帰ってきたお兄ちゃんとまだ一度も食事をともにしてないのも、お母さんなりに気を遣ってるつもりかもしれないと考えることにした。あれでも大人だしね。


 数日経ってロスからの荷物が届き、梱包を開くのをわたしは手伝ってる。

「なんか……楽器多いね」

 ギターが2本とベースが1本、それとあまり大きくないキーボード。

「もしかしてドラムセットとかもあんの?」

「まさか。でも少しは叩けるよ。家にドラム置いてる奴らもいたから」

 さすがUSA。確かに虎次郎兄ちゃんは音楽も好きだったけど……。


 アニメのブルーレイとかマンガやラノベだのがたくさん出てくると思ってたのにそういうのは少しだけで、楽器のほかに出てきたのはアナログレコード(当然と言うか洋楽ばかり)及びそのプレイヤー、用途不明な機械の数々と何本ものケーブル、それからデスクトップとノートのパソコンが1台ずつと、そのデスクPC用の大きなスピーカーにヘッドフォン。


 大好きだったゲーム機すら1台もないのには驚いた。もうPCゲームしかやらないのかな。向こうのネトゲのゲーム実況とか見てると、ほんとハリウッドのアクション映画みたいなのをそのまま動かせる感じでクオリティすごいもんね。ああいうのお兄ちゃんがプレイしてるとこ見てみたいかも……


 ……って、まさかエロゲやってたりしねぇだろうなこいつ。……いやそこはツッコむまい、実の兄の性癖なんて知りたくないし。

 でも待てよ、逆に知っといたほうがいいのか? もし妹ものとかだったらわたしの部屋に鍵つけるの真剣に検討するべきだし。うぅどうしよう。


「……向こうでバンドとかやってたの?」

 しばらく迷った末に追及はやめ、違う質問にした。いくらなんでもそこまでガチの変態じゃないと信じたい。つーか信じさせろ頼む。


「ああ、パーティ用のカヴァーバンドは何度かやった。オリジナルはやってない……というか、結成したけど続かなかった。おれわがままだから、曲の雰囲気とかアレンジ勝手にメンバーが変えるの好きじゃないんだよ。それでカッコよくなればいいじゃん、って言う奴も多いけど、もとのイメージとぜんぜん違っちゃったりすると萎えるんだよね」

「ふぅん」

 ちぇ。お兄ちゃんの作った曲あるなら聴きたかったのに。


 ものがひと揃い出てきてパソコンの接続なんかが始まり、手持ちぶさたになったわたしはなんとなくキーボードに両手を置き、昔覚えた曲をぽろぽろ弾いてみる。電源入れてないから音は出ないけど。そいや1階のピアノしばらく触ってないな。


「……懐かしいな」

 気づくとお兄ちゃんは作業の手を止めてこっちを見てた。わたしの手も止まる。

「へ? 音もないのになに弾いてたかわかんの?」

「じゃなくて。かりんがピアノ弾いてる姿……ほら、やめちゃったから」

 なんだびっくりした。運指見ただけで曲わかるほどになったのかと思った。


「あ、教室はね。でも音楽の授業でバンドやったりしたから。それでまた、たまに弾くようになったんだ」

 幼稚園の頃から習ってたピアノをやめたのも、やっぱり昔の件が理由と言える。といっても直接つながりがあるわけじゃなくて、単にわたしが落ち込んで習いごとどころじゃなくなったからなんだけど。


「また見せてよ。そんなおもちゃみたいのじゃなくて下のピアノで」

「やだ。もう下手になっちゃったから」

 それでもまだお兄ちゃんより上手いと思いたいけど、どうだろ。自前のキーボード持ってるぐらいだから、けっこう弾きこんでるんだろうか。


 自分は教室で習ったわけでもないのに、始めた頃のわたしが何日もかけて覚えたフレーズをたった2日の見よう見真似で弾かれたときの悔しさはいまでも忘れられない。それから猛練習を重ねて、遊びで弾くだけのお兄ちゃんをだいぶ引き離したけどね。

 怖いからこっそり練習しとくか。幸いうちにあるのは消音出来るエレピだし。


「そんなのいいよ別に、発表会じゃないんだから。ただ綺麗になった妹のいいとこ見たいだけ。なんか親父の気持ちがわかってきた」

「……そうか、お父さんに似てきたのか……」

 悪影響を与えやがってバカ親父め。


 当時わたしの真似をしてピアノを弾き始めた虎次郎兄ちゃんは、自分も習いたいとの要求をお父さんの「お前のピアノなんて知るか、おれは娘が父親のために弾いてる姿を見たいだけだ」という理不尽な一言で撥ねつけられたのだった。お兄ちゃんに対してお母さんみたいなことは言わなくても、子供たちへの愛情の注ぎ方に差があったのは否めない。


「まぁ親子だしな。あ、もう弾かないならそれこっちにくれるかな」

 お兄ちゃんはわたしが手を置いたままのキーボードを指さした。これってやっぱパソコンにつなげるやつなんだ。そうかもとは思ったけど……ってことは。

「ね、DTMとかやってたりすんの?」


 DTMというのはデスクトップミュージックの略で、ざっくり言うとパソコンに打ち込んで作った音楽のことだ。つまりボカロとかもその一部ということになる。そのまま『打ち込み』って言う場合もあるらしいけど細かい定義とかは知らない。

「DTM? ……ああこっちじゃそう言うんだっけか。かりん、それは和製英語。向こうではcoming up with songs on PCとかcomputer musicとかって言うよ。DAWって言葉を使うこともあるけどちょっと意味違うかな」


「そんなうんちくはいらない。だからやるの?」

 キーボードを手渡しながら重ねて訊いた。へぇ、とは思ったけど自分で作るわけじゃない。脳が文系なわたしにはああいう作業、頭の痛くなりそうなイメージがあるし、外人とそんな話する機会があるとも思えないからそこはどうでもいい。

「なんか食いついてるな。もしかして興味ある?」


「うん。まぁ。つーかお兄ちゃんの曲聴かせてよ、あるんでしょ?」

 へっへー、やったー。バンドやろうとしたってさっき言ってたし、環境しっかり揃えといて自分の曲がないなんてことはあるまい。なにしろこいつ小学生の頃からオリジナルのリフとか作ってたんだから……。

「あるけど。だめ」

「なんでよ!」


 まさかこの妹バカに断られるとは。むしろいまこそ「好みに合うかわからないけど、愛する妹の頼みなら喜んで」とかだろ。普段のノリはどうしたよ。

「たぶん、かりんが想像してるようなのとは違うから」

 いやまだなんの想像もしてねぇし。そりゃロスで音楽やっててJ-POPとか出てくるとは思わないにしてもさ。


「いいから。わたし洋楽もいける口だよ?」

 詳しいとは言えないものの、洋楽に偏見や苦手意識は持ってない。なかなか通じない英語に悩むわたしが以前うっちーに相談したところ、ビートルズやカーペンターズなど覚えて歌うと良いトレーニングになる、と言われてから動画サイト使ってたまに試してるおかげだ。


 あとこれは単純に好みの問題だと思うけど、海外の音楽って『音そのもの』の質感というか立体感がほとんどのJ-POPとかと違ってて、わたしはそれがけっこう好きなのだ。


「うーん……やっぱだめだな」

 なんでそんな意固地になるかな。そりゃ期待はしてるよ? だからって仮にいまいちだったとしても、バカにしたりなんて絶対しないのにさ。

「やだ。聴かせろ。あんたの大事な妹がお願いしてるんだから聞き入れなさいよ。今日だって荷物出すの手伝ってあげたんだからそんぐらい当然でしょ」

「そうきたか。それは確かに断れないな」

 お兄ちゃんは後ろ頭を掻く。よっしゃ!


 と内心ガッツポーズしてみたけれど、お兄ちゃんの頑固は終わらなかった。

「でも今日はごめん。今度かりん好みの曲作って聴かせるからそれで勘弁してよ」

「はぁ? なにそれ、いいじゃんそんなのわたしはいま聴きたいの。だいたいあんたわたしの好みなんて知らないでしょうが」


 帰ってきたお兄ちゃんの前で音楽聴いたことはまだない。ピアノの関係でうちはわりと防音もしっかりしてるので、よほど大音量じゃなければ音が漏れて聞かれることもないのだ。それにわたしの部屋には、昔に買ってもらったクラシック名曲集とジャズが数枚ぐらいしかCDもないから、最近どんな音楽が好みかなんてわかるはずもない。


「それは今後リサーチする。許して、愛する妹のために頑張るからさ」

 ぶー。この様子じゃどうゴネても今日は無理っぽい。勝手にパソコンの中探るとか悪趣味なことしたくないし。ほんとこのひと一度決めると譲らないな。

「バカ。けち。……しょうがないなぁ、じゃ夏休みの間には絶対だからね」

 まったく。なんだかんだ言ってわたしはお兄ちゃんに甘い。




 さてこれまでお兄ちゃんの話ばかりしてきたけど、当然ながらわたしは二六時中あのひとと一緒にいるわけじゃない。どころかさっきの引っ越し手伝いみたいなほうが例外だ。


 再会する前は2年のブランクを埋めるため、いろいろ世話してあげようと思ってたものの、どうやらその必要はなさそうだし。むしろ適度に距離を置いたほうがいいんじゃないかとさえ思い始めてる。それはそれで複雑なんだけどね。


 というのを別にしても、わたしは夏期講習に行かないから受験に向けて自分で予習しなきゃいけないし、夏休みの宿題もさっさと終わらせたいので、撮影その他の仕事や用事で出かけるときを除けば基本的に引きこもってたりする。


 そんで毎日の勉強ノルマをこなしてから、録画しておいたアニメを観たりお気に入りの音楽プレイリストを流しながら積んであるマンガやラノベを読んだり、たまに気分転換でニコ動へインしたりブクマしてあるまとめサイトをチェックしたり。

 いまもまさにそうしたルーチンワークをひと通り終えて、出かける準備をしてるところだ。


 今日は楽な格好がいいのでジーンズにTシャツで充分。ジーンズはユニク○だしTシャツも古着屋で買ったチープなやつだけど、色の合わせ方、ベルトや靴との組み合わせ、小物使い、サイジングを工夫すればこれでもある程度ちゃんとして見えるのはおしゃれ好き女子の常識。もちろんアニメTなんて着ないぞ。


 ちなみにアニメはそこまでたくさん観てない。わたしはシンプルなバトル系が好きなのに、そのつもりで試した新作で「またハーレムものか……」と思うことが重なって、そういうのが悪いとは言わないにしても、ちょっとめんどくさくなってしまった面があるのだ。


 ほんとはこれじゃいけないのはわかってるし、好きな声優さんが出てるものはもちろんチェックする。それにわたしが知らないだけで、中には好みどストライクな作品も隠れてるに違いないとは思う。でもガチオタ勢みたいに莫大な数の作品を片っ端から当たるのは、時間的にも労力的にも厳しい。


 一度アイリにそういう話をしてみたら「それもう立派なガチオタなんじゃないかな」なんて言われちゃったけど違うんだって、あいつらの全力さに比べたらわたしなんてオタクカーストの最底辺だよ。


 とか思ってたらアイリからの着信。わたしこういうタイムリーなの多いんだよね。村上春樹がどっかで書いてたように(一般文学も少しは読むのだ)、偶然が頻発する体質みたいなのは確かにあってどうやらわたしもそれらしい。

「はろーアイリ、ちょうどあんたのこと考えてたとこ。どした?」


『すぐそういうこと言って。同じことクラスの男子にでもしてあげればいいのに。かりんがそれ言えば2秒で彼氏ぐらい出来るよ?』

 むぐ。同じこといずみにも言われたことあるけどそんなわけねぇだろ。

「ほっとけ。じゃなくて昼間っからなんかあったの? わざわざ電話にしたってことは急ぎの用件だったりすんでしょ?」


『メッセでもよかったんだけど、もしまだ出かけてないなら電話のほうが早いかなって。今日水曜だし、吉祥寺まで出るよね? わたしも出るから久々にふたりでお茶でもどうかな』

 確かにその通りなんだけどさアイリ、スケジュールまで把握してるとかどんだけわたしのこと好きなのよ。


「ん、いいよ、あとには特に用事もないし。わたしのほう終わるの5時だから、半に北口駅前のスタバでいい?」

 三鷹に住むアイリにとって隣りの吉祥寺はホームみたいなものなので、説明は簡単でも特に困ることはない。


『スタバか……ねぇかりん、もしかしてデート相手がお兄さんじゃないからって手抜きしようとしてない?』

「違うし! だって新作のフラペチーノ試してないから行きたかったんだもん。アイリがどっかかわいい店見つけたって言うならそっちでもいいよ」


 なにを疑ってんだこいつは。あんな嘘ついてまで誤解招かないようにしたのに、なぜかあれ以後アイリは電話でお兄ちゃんの話が出るたびに、わたしがブラコンとの確信を深めてる節がある。わたしじゃなくてあいつが度を超えたシスコンなんだっつーのに。いい機会だし、面と向かってちゃんと説明するか。


『それこそスタバぐらいお兄さんに連れてってもらえばいいのに。最近は新しい店も発掘してないし、仕方ないからわたしごときはそれで我慢しますかね。あーあ、親友だと思ってたのに、かりんも結局は友情より男を取るタイプだったか。残念』

 残念じゃねぇよ取ってねぇし。そうじゃなくてこないだの件のせいでお兄ちゃんと出かけるの怖くて出来ねぇんだよ。あれから何度か買い物とか誘われたけどぜんぶ断ってるわ。


「だから兄妹だっつの。ほんとそういうのあり得ないからやめてよ……あとで説明するから、アイリの思ってるようなことはないの。ただちょっとまぁ、混乱はしたけど」

『冗談だってば、気にしちゃったならごめん。かりんの家っていろいろあるみたいだし、言いたくないことまで言わなくていいよ』

「うん……こっちこそごめん。とりあえず5時半ね」


『北口のスタバね。じゃまたあとで。ボイトレがんばってね』

 アイリはいつも最後には優しい。北風と太陽じゃないけど、そう言ってもらえるとこっちも話しちゃっていいかなって気になれる。一番クリティカルなポイントは難しいにしても、さてどこまで話したもんか……あれ、アイリからメッセきた。


〈お兄さんの写真撮ってきてね。会うのがだめでもそれぐらいはいいでしょ?〉

 ……え。……ええー。




 わたしが時間通りに到着すると、アイリはもう来てた。

 そんで壮絶に注目されてる。その目立ちっぷりはわたしの比じゃないのだ。


 身長こそ若干わたしより低いながらも足の長さは変わらず、細くてもメリハリのある身体のラインに加えてマネキンかってぐらい小さな顔、そこへギリシャ彫刻の如く配置されたパーツ、輪郭に沿って流れ落ちるプラチナブロンドの細く柔らかいロングヘア。


 肌の色も透き通るようで西洋白人にしか見えないけど、イギリス……スコットランドか、のひとを母親に持つハーフで、本名は藤崎アイリーン。ジーンズに七分丈のざっくりしたカットソーを合わせただけのラフな格好でも、そこだけ違う空気と時間が流れてるみたいに見える。


「アイリお待たせ。相変わらず美しいねー、どきっとしたわ」

 あながち冗談でもなく、この絶世の美少女とさえ呼んで差し支えないのが憂いを帯びた表情でひとり読書してたりするのは正直、女でも見惚れる。


「ありがと。かりんこそいつもながらかわいいよ。ちょっと手抜きな気もするけど、過去の女に対する扱いなんてこんなものだよね。でもいいの。わたしが会いたくて呼び出したんだから仕方ないと思うよ」

 言いながら、アイリは読みかけの文庫本を閉じた。中身の何倍も値が張りそうな革のブックカバーのおかげで、タイトルはわからない。


 周囲の視線が一瞬わたしに集まり、それから霧散する。なにを期待してやがったんだお前ら。待ち合わせの相手が男じゃなくて悪かったな。いや良かったのか。

 こっちも全力のモデル仕様で来ればそこまで見劣りしないはずなんだけど、今日の姿じゃその対応もやむなしというか。アイリこそ手抜きじゃん、と言ってやりたくても、だからこそ素材の差が出てしまうのは否定出来ない。


「いきなりそうくるか。意地悪」

 といっても別に気分は害してない。アイリ自身が途中から半分笑ってたぐらいで、こういう冗談が好きな友人なのだ。

 名前が長くて覚えられないなんちゃらフラペチーノにストローを挿し、わたしも笑った。


「知っててそういうこと言うんだからね」

「ふふ。ごめんね。かりんの顔見ると、どうしてもこういうの言いたくなっちゃうんだよね。申し訳ないけど諦めて」

「学校にもそういう奴ひとりいるわ。もう慣れてるからいいよ。よくないけど」

 もちろんその友達とはいずみだ。ただ似たようなこと言われてもわたしの態度が違うのは、アイリの場合なんか愛があるんだよね。いずみのは毒。


「ところでなに読んでたの? エロいやつ?」

 本をバッグにしまう姿を見ながら、なんとなく訊いてみた。個人的にはシェイクスピアとか読んでて欲しいな。余分に一言くっつけたのは仕返し。

「ちょっと、あまり大きな声で言わないでよ。……すっごい興奮するけどかりんも読む?」

「えぇ!? まじで?」

 むしろあんたがそんなの読んでることに興奮するよ!


「嘘に決まってるのに……びっくりしすぎ。でもかりんのそういう単純なとこ好きだよ」

 嬉しくねぇ。くっそわたしこういう勝負ほんと弱いな。

「ところでかりん、例の写真撮れた?」

 アイリはにこにこしながら両肘をテーブルについた。


 ええまぁ撮りましたよしょうがないから。「待ち受けにでもしてくれるの? おれもかりんの画像拾って待ち受けにしてるからおあいこだね」なんて言われる拷問に耐えながらな。その場で削除させたけど、どうせまた拾ってくるから意味ないよねきっと。

「……これ」

「やった! どれどれ……」


 お兄ちゃんの写真を開いた状態でスマホを手渡し、そっぽを向いてそわそわしながら反応を待つこと数秒。

「……かりん」

 心なしかアイリの声が冷たい。あれ、どうしてだろうな?


「は、はい……?」

「どういうつもり?」

 口調に説教ぽいニュアンスが混じり始めた。あ、やっぱそうなっちゃう?

「ちゃんと撮ったよ? ブレてないでしょ?」

 言いながらわたしは相手のほうを見れない。

「うん、綺麗に撮れてると思うよ。……後ろ姿のバストアップが」


 ですよねー。

「ごめん! でも本人が顔出しNGって言うからこれが限界、やっぱオタだから恥ずかしいんじゃん? せっかくアイリみたいな超絶美女に見てもらえるっていうのにほんとバカだよね! あーもったいないもったいない」

 嘘だけど。これが限界だったのわたしなんだけど。


「ふ~~~~~ん。そっか。それならしょうがないか」

 スマホをわたしへ返すついでに身を乗り出し、冷たい目を向けてきた。あまりの美貌に加え見た目が外人なせいか、機嫌を損ねるとやたら怖い印象を受ける。

 早くこの話題離れたいよ、と思ってると、アイリは口元だけ半笑いになった。

「じゃ今度は隠し撮りだね。よろしく」

 無茶言うな! 実の兄を盗撮とか変態すぎるだろ!


「やだやだ絶対! つーか! なんでそんなうちのお兄ちゃんにこだわんのよ」

 逆ギレ気味に拗ねて見せた。確かにわたしの態度は変かもしれないけど、アイリもずいぶんしつこい気がする。普段なら相手が明らかにいやがってる段階で引いてくれるのにさ。

「だいたいあんた、ぜんぜん男に困ってないじゃん。なのによりによって虎次郎兄ちゃんとか意味わかんないっつーの。突然オタに目覚めたわけでもあるまいし」


 出会って1年以上経っても、わたしと違いアイリが彼氏を切らしてることはめったにない。ただいつも長続きしないみたいなのは、レベルが高すぎて相手が辛くなっちゃうとかそういうやつだろうか。連れて歩けば鼻高々でも、プレッシャーだってありそうだもんな。


 それにSっ気強い皮肉屋だから、打たれ弱いひとだとすぐ傷ついちゃいそうだし……なんていらぬ心配してる前で、アイリはいつの間にか真顔になってる。

「だってすごくカッコいいんでしょ?」

 ほえ? あんたなに言ってんの? わたしそんなの一言も口にしてないぞ。ご飯が美味しいとかサロンの謝礼に服買わせたとか、そういうこまごましたやつは言ったけど。


「え、だからオタだよ?」

 呆けて口が半開きになってしまう。首を傾げるわたしに合わせてアイリも角度をつけると、青い瞳をさっきより冷たく細めて顔を覗き込んできた。

「いつまでとぼけてるの。あーあ、冗談で済めば良かったのにな……」

「いや冗談てなにが?」

「お兄さんの話に決まってるでしょ。早見さんに聞いたよ」

 う、うわぁ……それ盲点だった……。


 もともと早見さんと知り合ったのはわたしたちの撮影の際スタイリストとして一緒に仕事をしたことからで、その関係でアイリも早見さんとたまに連絡を取ってたりする。でもわたしと違ってアイリはその後も以前から行ってたサロンを普段使いにしてるので、この線はまったく気にしてなかった。しまった……。


「あのひとそんなことわざわざアイリに言ったのか……」

「連絡したのわたしからだけどね。こないだ電話で、早見さんのところにお兄さん連れてったって言ってたでしょ? だから気になって訊いちゃった。ああいう仕事しててもなかなか見れないレベルだった、って早見さんちょっとショックみたいだったよ。ふふ、あのひとかりんのファンだもんね」

 訊いちゃった(はぁと)じゃねぇし。


 テーブルに突っ伏してしまいたい気分。でもアイリがやたらにわたしとお兄ちゃんの間のことを聞きたがるからいけないのだ。もちろんきっかけを作ったのは空港での電話だし、最初は心配してくれてるのかと思ったんだけど。

「早見さんのことはいいから。ごめん、嘘ついたのは謝る。にしてもさ、だからなんでうちのお兄ちゃんをそんな気にすんのよ」

「そりゃ、心配だから」


 あれ即答かよ。そんだけ? アイリは演技も上手いからわたしはよく冗談に騙されたりするものの、そういうこと以前にいまのは空気で本気だとわかる。

「あ、うん。ありがと。ごめん」

 なので反射的にまた謝ってしまった。だってわたしが穿った見方してたんだとしたら申し訳ないし……写真ぐらいちゃんとしたの撮ってあげればよかったかな。


 なんか悪いことしちゃったかも、と自然に声のトーンも落ちてしまう。

「心配かけちゃってたんだ。でも大丈夫。仲良くやってけそうだし、もうわたし自身そこまで深刻に考えてないんだよね。だからアイリも、もう気にしないで」

 これも嘘なんだけどね……とセンチメンタルになってるわたしに向けて、アイリは浅い息を漏らす。ありゃ。わたしそんなに暗かったか。なんか気まずいな。ほんとごめんね?


「かりん、仲良いのはわかってるの。わたしが心配してるのはそこじゃなくて」

 今度は呆れ声で言われた。ん? わたし勘違いしてる?

「そこじゃないって、どこ?」

「だから……わかりやすいよ? すっごく」


 わかりやすいってなにがよ。話噛み合ってなくね? わかりやすいわかりやすいってアイリだけじゃなくいずみにもよく言われるけどわたしにはあんたらの言うことがわからんわ。

 頭に『?』がたくさん飛んでるわたしを、アイリは驚きの目で見る。なんで?

「もしかして自覚ないの? うわ……重症だ……」


「自覚もなにも。まず目的語を言えと」

「もう……。ただでさえ魅力的な上に外見までカッコよくなっちゃったお兄さんをよその女に紹介するのがいやなんでしょ? だから余計どれほどのものか見たいの。早見さんがあれだけ言うぐらいだし、同情の余地はあるけどやっぱりだめだよそんなの」

 な……またか!


「ちょっとっ!」

 それ愛じゃない! 猛毒!

 紹介するのがいやって……だからいやなんだってば!

「待てアイリ。それ違う。逆。そうじゃなくて」

 やっべうっかり立ち上がっちまった。また視線が集まるけどそんな注目のされ方いらないからお前らアイリだけ見てろよ。


 座り直して冷静を装う。ぶっちゃけ内心はもうこの場で暴れ出したい勢い。

「会うひと会うひとそういう反応だからめんどくさいの。カッコよくなったのはほんとだし、確かに最初はびっくりしたし……みんないきなりあれを見たら誤解するのも無理ないって理屈ではわかるけど、こっちは昔のぜんぜんイケてなかった頃から知ってるんだからそんなふうになるはずないの。わたしがブラコンなんじゃなくて――」


 そうしてお兄ちゃんのどシスコンがいかにわたしを悩ませてるかについて伝えた。とりわけ若葉といずみに見られたときのくだりを念入りに。


「――と、いうわけよ。わかった?」

 やれやれ疲れた。言い終えたわたしは身体を背もたれに預けて脱力する。

「なるほどね……そっか、一応わかった。お兄さん面白いね」

 なにがそんなに面白かったのか、アイリは話の途中からずっと上機嫌だった。一応ってのがまだ引っかかるものの、わかってくれたのならまぁいい。


「他人事だと思って。実際やられるとすげぇぐったりするよ?」

「そういうものなのかな。聞いてるぶんには羨ましいとしか思わないよ? だってそんな王子みたいなお兄さんに守ってもらえるとか素敵じゃない、もうそれファンタジーの域。いいなぁかりん、わたしにもお兄さんいれば良かったのに」


 ファンタジーは育ちまでお姫様なあんたの存在だろ。虎次郎兄ちゃんなんて見た目は確かに王子でも、性格は変態どMだし。

 ……あれ、もしかしてわりとお似合いだったりする? ……いや待てそんなわけあるか。アイリとお兄ちゃんとかねぇわ。


「守ってもらうって、あんたの彼氏そんなんばっかじゃないの?」

「そんなことないってば。みんなあれこれ物くれたり、いろんなとこ連れてってくれたりするけど、なんて言うか……捧げてもらうのと大事にしてもらうのって違うんだよね。捧げられるのって気分良いの最初だけだよ、すぐ飽きちゃう。わたしはコミュニケーション取りたいのであってご機嫌伺って欲しいわけじゃないのに」


 うわ大人なコメントきた。でもそれあんたが彼女じゃしょうがなくね? わたしだって「姫、ご機嫌麗しゅう」とか言いたくなる気持ちわかるもん。

「へぇへぇ。わたしもそんなん言ってみたいわ。さっすが男性経験豊富……」

「ちょっとかりん、変な言い方しないでよ。それにそういうあれこれも、結局はわかりやすい見返りが欲しいだけなのかなって思うとつまらなくて。だからいつも続かないんだよね」


「そんなのアイリ様と付き合えるだけで、もう充分な見返りだと思うけどね。……ところで、わかりやすいのってどんな?」

 だいたい想像つくけどあえてツッコんでみた。わたしだってみっともない思いさせられたんだからこのぐらいの辱めは当然でしょ。


「どんなって……そりゃ、身体とか……」

 だよね。うへへ。どんなプレイとか要求されてんのかな。こんな場所で生々しい話させたいわけじゃないけど、この顔が照れてるのってめっちゃ嗜虐心そそられるじゃん。


「……なに喜んでるの。もう、恥ずかしいから言わなかったけど」

 アイリは拗ねた表情をゲス顔のわたしに近づけ、声を落として続けた。

「わたしまだだからね? まぁ、そりゃキスぐらいは……」

 へ? まだって……。


「嘘つけ。あんたこれまで何人と付き合ってんのよ」

 わたしが聞いただけでも4、5人いたはず。しかも年上が多いから、相手がうぶで迫って来れないみたいなこともないだろうし。

 なんとなくわたしもずずいと顔を近づけ、いまや息がかかりそうな距離。これ周りから見てどうなんだろうな。


「だからそれは……わたしも興味はあるけど……例えば彼とふたりでいて、そういう雰囲気になってきたとするじゃない? でもそこで相手の様子に『やった、今日こそもらった!』みたいのが見えると一気に冷めちゃうの。さっきも言ったように、わたしと会ってたの全部これのためだったの?って。で、拒絶すると向こうも不機嫌になるでしょ? そこまでは仕方ないとしても、そのくせ逆にまたこっちの機嫌取ろうとするの。それってわたしからすれば、今日はだめでも次回こそ、とか考えてるように見えるから、そういうことじゃないのにな、って思い始めて……そのうち相手への気持ち自体が冷めて終わり。その繰り返し」


 一気に言い終えてアイリは離れた。へ、へぇ……そうなんだ。わたしにはそこまでの経験もないから実感出来ないけど、鋭いぶん余計にそういうのが見えちゃうのかも。


 でも意外。お嬢様育ちだけど男関係わりと積極的っていう、男のひとが内心理想に(個人差あるにしても、一般的に)してるタイプだと勝手に思ってたのに。

「かおりさんあたりに言わせると『そんな屁理屈こねてる時点でお子様、偉そうなこと言うのはいっぺんやらせてあげてからにしたら?』って話なんだけどね」

 わたしが返すべき言葉を探してると、自嘲気味に言われた。


 かおりさんとはわたしたちの大先輩で、たまにドラマに出演したりタレント業もしてる人気モデル。単に美人ってだけじゃなく人間力もある、姐さん、って感じのひと。最近は向こうが忙しくてなかなか会えないけど、以前はわたしもよく相談に乗ってもらってた。


「あー、言いそう。あのひとに言われたら逆らえんよね」

「だよね」

「「はぁ」」

 思わず同時にため息をついてしまった。わたしも美人に類する自負はあるし、目の前にいるのはアイリなのに。黙ってても注目されるふたりが、あと半年ちょっとで高校生だってのに揃って未経験とか情けなくないか。あのバカですらあるのに。


「かりん」

「うん?」

 勢い頬杖までついてわたしがへこんでる一方、アイリはそうでもないらしい。いつの間にか目に輝きを取り戻してこっちを見つめ、ここから本題、とでも言いたげにしてる。


「そんなわけでわたし、つい最近も彼氏と別れちゃったんだけど」

「うん」

 さっき話聞きながらも、自分のこととはいえ実感こもってるなーと思ったし、まぁそうなんじゃないかと想像はついてた。


「夏休みだっていうのに寂しいじゃない」

「そう?」

 そりゃわたしだって寂しいけどな。でもあんた最近までいたんだし、別れたのも自分のせいみたいなもんじゃん。


「寂しいよ。遊びに行く相手ぐらい欲しいもん」

「誰か誘えば? アイリが呼べば100人ぐらいついてくるでしょ」

 頬杖ついたままわたしはにやけて見せる。心配だのなんだの言って、結局そういうことか。ちょっと元気出てきたぞ。もうあんたの本題ぐらいわかったっつーの。


「そうじゃなくて。だからさ、お兄さんのこと紹か」

「だめ」

「ちょっと! ちゃんと最後まで言わせてよ!」

「え? やだよそんなの。だって自分のお兄ちゃんと親友が付き合ってるとか気持ち悪いし。それにすぐ別れたりしたらわたしどっちにも気まずいじゃん」


「そう言わないでよ。さっきの話聞いてて、このひとなら大丈夫じゃないかな、って思ったんだもん。なんか、甘いだけじゃない優しさっていうか」

 そうか? あいつマシュマロにハチミツぶっかけたみたいに激甘じゃね?


「さっきの話のどこ聞いてそう思うのかわかんないけど、だとしてもそれはわたしが妹だからじゃん? 付き合い始めたら案外すぐ迫るかも。あいつひどう……アメリカ帰りだし」

 あいつ非童貞だし、と口走りそうになって言い直した。危ない危ない。


 アイリもわたしの言わんとするところを察してくれたらしい。

「でもいざそうなったら、それは経験あるひとのほうが、助かるっていうか……」

「男のひとにとっても女が初めてってめんどくさいらしいけどね」

 自分のことを棚に上げて、わたしはしれっと言った。


「もう、かりん? 話逸らさないでよ。そんなのあとから気にすればいいことでしょ? 会ってみなきゃなにも始まらないんだし。仮に付き合って上手くいかなかったとしても、かりんに迷惑かからないよう気をつけるから……」

 そこで言葉を切って、アイリは少しだけわたしを睨む。

「それともなに? お兄さんがわたしと会うだけでいやがる理由でもあるの?」

 え、また? それもう終わったじゃん!


「だからないってばそんなの。あんたの心配してんのに。それすっごい心外」

 わたしも睨み返すと、今度は逆に天使みたいな笑顔が返ってきた。

「ならいいよね。ありがとかりん。ふふ、楽しみ」

「あ、うん。わかったけど……あんま気まずくならないようにしてよね」

 そんな顔で言われたらこれ以上断れんわ。アイリのバカ。




「ね、お兄ちゃん」

 帰ってふたりでの夕食中、プチトマトとスモークサーモンの冷製カッペリーニをフォークで巻きながら切り出してみる。毎度ながら美味しくて嬉しい時間。

 これで食後にデザートまであったら言うことないのにな、なんて考えてしまうのは、贅沢というより話の続きをためらってるからかもしれない。


「なに?」

 お兄ちゃんはサラダをわたしのぶんまで取り分けてくれる。市販のドレッシングは使わず、オリーブオイルと塩こしょうだけのシンプルな味わいでヘルシーかつグルメな気分。

「ひとつ質問」

 しかし無駄に緊張するな。こいつの言いそうなことなんて予想つくのに。


「うん。どうしたの、改まって」

 もうめんどくせぇな、と思いながら、取ってもらったサラダに目を落とす。

「あのさ、こっちでも彼女作りたいとか思ったりする?」

 なぜかちょっと小声になってしまった。レタスにフォークを刺したまま、行儀悪く肘をついた右手をぶらぶらさせる。お兄ちゃんの手も止まってる様子だ。


 そいや最初は気づかなかったけど、このひと食事のペースわたしに合わせてくれてるっぽいんだよな。昔は家族で外食してもさっさと食べ終わって「かりん遅い」とかだったのに。


「かりん、おれのそういう話が気になるんだ」

 そりゃ年頃の女子だし、恋バナが気になるのは当然だけどさ。あんたその返し方ってたぶん前提が間違ってるよね?

「ん、だってわざわざ別れてきたって言ってたし。寂しいかなって」

 でもここで混ぜっ返すと話進まないしな。とりあえずスルー。


「いないよりはいたほうがいいけど。いまは、わざわざ頑張って作ろうとまで思わないな。かわいい妹がいればそれで充分だよ」

 はいはい出た出た。面を上げるとお兄ちゃんはいつも通りの優男顔で、幸せそうにわたしを見てる。だから妹相手にそういう顔すんなし。

「アホか。わたしの話なんか訊いてねぇっつーの」


 まったく、そう言うんじゃないかとは思ってたけど。だめだこいつ。

 ……しょうがないからセッティングぐらいしてやるか。親友の頼みだしね。

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