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高嶺のお兄ちゃん  作者: 明智あきら
第1部
4/31

第1章 (3)

 翌日、夏休み初日。

 西東京の片田舎ではアホほど目立つ虎次郎兄ちゃんも、原宿ともなればそこまでずば抜けて注目されはしない。それはわたしも同様で、人混みが好きなわけじゃなくてもなんとなく渋谷原宿あたりは気楽なのだ。おしゃれなひと多くて目にも楽しいし。わたしも都心に出る以上、そこはもちろん昨日と同様に気合を入れてる。


「なんか機嫌悪くない?」

 のだけど、お兄ちゃんがこれを訊くのは3度目。わたしも同じ返事を繰り返す。

「別に」

 ほんとはそこまで不機嫌じゃない。でも上機嫌とは言えない。


 理由は当然、事情はわかったにしろお兄ちゃんがせっかくの髪を切っちゃうことと、もうひとつは昨日気を遣ったヒール9㎝を履いてきたのに気づいてないこと。不本意なのに協力してやってるんだからあんたはもっとわたしに気を遣え。


 表参道を下る途中で裏道に入り、コンクリート打ちっ放しのマンションの2階にあるのが、わたしの行きつけのサロン。こじんまりとした目立たない店でも業界ではまぁまぁ知られてるらしく、本来なら予約はわりと早めに取らないといけない。


 ドアを開けると、担当の早見さんが出迎えてくれた。

「かりんちゃんいらっしゃい、ごめんねこの時間しか空いてなくて。あ、そちらがお兄さん? ……え……うわまじで?」

 うう。やっぱ男のひとの目から見てもそうなのかこれ。くそぅ。


「早見さん驚きすぎですから。今日はそういう営業トークいらないです。このひと調子に乗るんでお世辞言わないでください」

「お世辞じゃなくて。これやばいでしょ。まぁかりんちゃんのお兄さんだし、当然っちゃ当然なのかな。いやいやでもこれは……ちょっと逆に緊張するな」

 わたしが恥ずかしくて緊張するっつーの。


 ただそう言う早見さんもなかなかのイケメンで、しかも腕利きのスタイリストとあって噂では彼女が何人もいるとかいないとか。

 実はわたしも何度かそれとなくアプローチされてるのだけど、女癖が悪いのとかいやだし、下手に気まずくなって相性良いスタイリストさんをまた探すのも大変そうなのでのらりくらり気づかぬふりでかわしてる。


「お兄さん、こっち座ってください。かりんちゃんそっちのソファで待ってる? じゃお茶と雑誌出すから」

「はい、ありがとうございます」

 せっかくの原宿だし、本来なら服でも見に行きたいところだ。でも我慢の利かないわたしは見て気に入ったらどうせ欲しくなるし、結局こないだ靴も買っちゃったので、今日は大人しくしようと決めた。


 それにしても、と思いつつお兄ちゃんの頭を見る。あーあ。

「こちらこそ急なお願いで済みません、よろしくお願いします。かりんはぜんぜん褒めてくれないですけどね。この髪もぼろくそ言われちゃって」

「うるさいなぁ。なんでお兄ちゃんの髪なんて褒めなきゃいけないのよ。いいから早見さん、さっさとその汚い頭どうにかしてやってください」


「まぁまぁかりんちゃん。……お兄さん、どうします? ちょっと時間の関係でカラーリングとか出来ないんで、もしそういうの希望ならまた日を改めてになっちゃいます」

「とりあえず清潔感があればなんでも。かりんもああ言ってることですし」

 真に受けんなバカ。切るならもう切れ、ちゃんと見届けてやるから。

「じゃもったいないけど、パーマの部分落としちゃいますね」

 やっぱそう思いますよね……あ、ハサミ入っちゃった……。


「明日学校の面談て聞きましたけど、大学の編入ですか?」

 じゃきじゃき言うハサミの音に混じって、会話が耳に届く。いつも思うけど美容師さんってあれだけ喋り続けながら手元狂わないのすごいよね。

「いえ。一応まだ、高校生です」


「え、高校生? ほんとに?」

 じゃきん。

「早見さん、そいつまだ16ですよ。老けてるけど」

「じゅうろくさい!? ……うわかりんちゃんも大人っぽいけど、すごいね……」

 じゃきんじゃきん。


 そんで待つこと1時間。

「……お疲れ様でした。さっきのワイルドなのも良かったけど、こういう好青年な感じも似合いますよ。ほらどう? かりんちゃんの目から見て」

 てっきり坊主に近くなっちゃうかと思ってたのに、髪の根元のほうは案外伸びてたらしく、結果として前髪が額に半分かかるぐらいの短髪になった。


 パーマのかかってた部分を切り落とし、長さが不揃いになったところを上手くデザインしてみせるのはさすがプロ。ずいぶん爽やかにはなったとはいえ、地味な印象はない。むしろ顔の造作が前面に出るぶん、誰にでもわかりやすい美男子になったとさえ言える。


「まぁ、早見さんの腕がいいから。髪型は悪くないと思います」

「あ、こっちのほうが好み? 良かった」

 と言ってはにかむお兄ちゃんは確かに、見た目だけは完璧な好青年だった。多少は若返ってなんとか10代に見えるし。

「だからわたしの好みとか関係ねぇし。面接受けのことだけ気にしろっつーの」

 ほら心配してやってんだから、そんな腑に落ちない顔すんな。


「……早見さん、かりんっていつも、誰にでもこんな口悪いんですか? 兄としてはちょっと心配なんですけど。ほんとは良い子なんですよ」

 あのねぇ。誰のせいで口悪いと思ってんの? だいたいあんたに言われるまでもなくわたし超良い子だし。って早見さんもそこで吹き出さないで!


「くく……。いや、大丈夫ですよ。かりんちゃん落ち着いてて大人だし、見た目もそうだけどこれでほんとに中学生なんだからすごいよね、ってうちのスタッフもみんな言ってますから。僕からすれば、かりんちゃんにもこういう面があるんだな、って驚いたというか……ちょっと微笑ましいですね」

 早見さんはわたしに意味ありげな視線を送る。な、なんですかそれ。


「それなら良かったです。済みません、かりん、せっかくすごい美人に育ったのに彼氏いないらしいから、もしかして性格悪いと思われてるのかなって」

 あんたわたしに恥をかかせるために帰ってきたのか!

「その話はもうやめろとあれほど!」

 お兄ちゃんの顔面目がけて雑誌投げつけそうになるところを、ここが店の中だと思い出して危うく踏み留まる。


「うーん……」

 早見さんは腕を組み、ちょっと考え込むような仕草をした。それからわたしたち兄妹の顔を交互に眺める。

「まぁ、仕方ないかな、とは思いますけどね」

 早見さんまで! わ、わたしそんな性格悪くないもん!




 ちょっと、いやけっこうへこんだ。善意で来たのになんでこんな目に。

 店を出てからずっと無視で、早足で歩くわたしをお兄ちゃんが追いかけてくる。

「そんな怒らないで、人前で余計なこと言ったのは悪かったよ。ごめん」

 わかってんなら最初から言うな。謝ればなんでも許すと思うな。


 新しい靴にまだ慣れてないせいで歩幅が違うからか、後ろから簡単に追いつかれてしまう。それがまた腹立たしくなって歩調をさらに早める。

「だから待って。そんな速く歩かないで」

 うるさい黙れどっか行け。てっ……。

 いっそ走り出しそうな勢いになったところで、ヒールが引っかかって躓いた。

 あっやばこれ転……


「と、ほら。そんなヒールで急いだら危ないって」

 ……ばなかった。お兄ちゃんが後ろから手を回してわたしを支えてる。

「あ……うん。もういいから。放して」

 ばつが悪い。姿勢を正して立ち止まると、お兄ちゃんは回り込んで目の前に立て膝で座り、なにか探すようにわたしの足下を吟味する。

「足ひねったりしてないか?」


「してない、たぶん。つーかなんでしゃがんでんの。みんな見てんだけど」

 周りから見ると、わたしが男のひとをかしづかせて偉そうに見下ろしてるみたいな格好だった。

 人通りの激しい表参道だからそこまでじろじろ見られるわけじゃなくても、子供っぽい振る舞いを咎められてるみたいな気がしてしまう。


「だってせっかく似合ってるのに、汚れたり壊れたりしたらもったいないだろ」

「は、はぁ? 似合ってるってなにが」

 またなに言ってんのこのひと。似合ってるのはあんたの新しい髪型だろうが。

「この靴。かわいいのに。おれ好きだよこれ……大丈夫っぽいな。良かった」


 ってそりゃかわいいと思って買ったけどさ。なんだ、ちゃんと見てんじゃん。そう思ってるならもっと早く言えばいいのに。

「別にあんたに見せるために履いてるんじゃないから。わたしが好きで履いてるだけだから。勘違いしないで……でも、まぁ……ありがと」

「うん。すごく似合う。綺麗だよかりん」

 やっぱ言わなくていいし!


「そっちじゃない! ……だから、助けてくれて」

「気にしないで、そのために帰ってきたんだから。それより」

 だからもうそれいらねぇっつーの、と返す間もなく、お兄ちゃんは立ち上がって続ける。

「わざわざ原宿まで来たんだし、服でも買おうと思ってたのに。どんどん先に歩いてっちゃうからさ。な、行こう? おれ店とかわからないんだよ」

 あ、なんだ……へぇ、虎次郎兄ちゃんでもそういうのはあるんだ。


 まぁね、向こうから送った荷物届くまであと何日かはかかるって言ってたし、それまで着るもの少ないんじゃ可哀相だもんね。仕方ない、付き合うか……とはいうものの、正直なところ男のひとに服を見立てたことなんてない。はいはいどうせ彼氏いないし。


「でもユニセックスの店だったらいくつか案内も出来るけど、メンズの専門店とかはわたしもわかんないよ?」

 助けてもらったばかりで嫌味もみっともないなと思って素直に言ったところ、お兄ちゃんはなんだか的外れな言葉を返す。

「ん? ああ、じゃついでにおれの服もちょっとは見るか」

「いやついでって、自分の服でしょ?」


 そこで一瞬きょとんとしたあと、お兄ちゃんは少しいたずらっぽく笑った。あ……それ、懐かしい。

「なに言ってるんだよ、かりんにお礼するのに決まってるだろ。サロン予約してくれたのと、あと怒らせちゃったからそのお詫び。ちょっとぐらい高くても、知っての通りおれはまったく問題ないぞ」

 嘘。なにその素敵すぎる提案。


「……いいの?」

 一応、ためらいがちに訊いてみた。お兄ちゃんは笑顔を崩さない。

「もちろん」

「まじで?」

「うん、まじで」

 なんだよ。そんなの言ってくれてればさっき下見に行ったのにさ。ほんと肝心なことは先に言えよまったく!


 服買いすぎはどうしたなんてツッコミは知らない。自分で買うわけじゃないし、これはノーカウント。

 わたしすげぇ簡単じゃね?とも思うけど、こんな誘惑に勝てる女子なんてこの世にいるわけないから仕方ない。そりゃ機嫌も治るっつーの。




 買い物を済ませて地元に戻るともう夕方だった。

 時間はかかったけど、そんなに大量の服を買い込んだわけじゃない。スカートとパンツを1着ずつ、そのボトムスの両方に合わせられるトップスを1枚だけ。調子に乗ってたくさん買いすぎると癖になりそうで怖いし。


 でも文句ひとつ言わずに荷物を持ってくれてるのは偉いので、また一緒に買い物してあげてもいいかなと思う。うん、持つべきものはお兄ちゃん、するべきものは兄孝行だ。


 なんて上機嫌で都合の良いこと考えてたせいだろうか、人波をかきわけて前から歩いてくる姿に気づくのが遅れてしまった。

「え、え……? はな、それ」

 ん? 呼ばれた? ……あ、若葉。といずみ。

「はなちゃんの彼氏だ!」


 なぜかふたりはすごい勢いで向かってきて、わたしたちの足を止めた。だから彼氏は募集中だと……え? ちょっと、まさか!

「なにこれどういうこと! 聞いてないよ、説明!」

 若葉顔近い。いずみは目を輝かせながらわたしとお兄ちゃんの顔を見比べて、うわー、とかほえー、とか言葉になってないなにかを呟いてる。


「待って若葉それ違う! 誤解!」

「なにが誤解か! あんた……面食いじゃないとかふざけろ! なんだこれ!」

 お兄ちゃんを指差しながら、若葉は鬼気迫る表情でわたしに詰め寄った。当のお兄ちゃんは自分で自分を指差して「これ?」と寝ぼけたことを言う。


「あの、はな……高嶺さんの、彼氏さんですよね?」

 いずみ顔が超笑ってるよ! 絶対面白がってるよね!

「かりんの友達かな。よろしく。ほらかりん、彼氏だって」

 あんたも一緒に笑ってないで否定しろし! 若葉は睨むな! 説明するから!


「安心して若葉、違うのこれは。彼氏じゃなくてただのお兄ちゃん。髪切りたいって言うからサロン紹介して付き合ってあげてただけ」

 安心ってなんだよちくしょうむしろ残念だわ。わたしだって会わせろ会わせろって友達からしつこく要求された末に緊張する彼氏を紹介してちょっと照れたりとかしてみたいわ。


「ふぅん……お兄ちゃん、ねぇ」

 いやでもまじ焦った。夏休みなんだし、地元で一緒にいたらこういうこともあるかも、とはちょっと考えたけどさ。やれやれ新しい服のせいで油断してた。

 ……あれ若葉、説明したのに顔がさっきより険しくなってるのはなんで?


「そんなしょうもない言い訳が本気で通用するとでも思ってんのかこのどアホ! はな母親とふたり暮らしだよね? その袋だってこないだ欲しいって言ってたブランドのじゃん、買ったばっかの靴履いておしゃれして男に荷物持たせて嬉しそうに仲良く歩いてどっからどう見ても完全にデートだろ! 首絞めるぞ!」

 絞めながら言うな! それに嬉しそうになんて……してたかも……。


 やばいこれ言いづらくてお兄ちゃんのこと内緒にしてたの裏目に出た。つかちょっとやめて苦しいまじで……。

「はなちゃん、この期に及んでそれは見苦しいよ?」

 見殺しかよ……さすがいずみとか関心してる場合じゃなくてほんとに息が。


「あーごめん。事情はともかく、なんかリアルに苦しそうだからそのへんでやめてあげてくれないかな。かりんがどんな恨みを買ってるのか知らないけど、おれにとっては欠けがえのない妹なんだよ。勘弁してやって」

「は?」

「え」

 割り込んだお兄ちゃんの言葉にいずみの口が開き、若葉の首を絞める手もゆるんだ。慌てて引きはがしたけど、急に息を吸いこんだせいで少し咳き込む。


「あのー……。ほんとにですか?」

 いずみはまだ疑うように言う。若葉に至っては、今度はお兄ちゃんまで睨みつけてまったく信じてないのが丸わかり。

「ほんとだよ。正真正銘、血のつながった実の兄……大丈夫か、かりん」

 まだけほけほ言ってるわたしの背中を、荷物を置いたお兄ちゃんが大きな手でさすってくる。


「もっと、早く助けろ、っつーの……」

「悪かったよ。ごめんな? でも言い訳はあるよ。だってかりんの彼氏と思われるなんてさ、おれもずいぶん出世したもんだなって感激するだろ。それで遅れた」

「感激するだろ、じゃねぇし。妹の彼氏とか言われて喜ぶってあんたどんだけ変態なのよ」


 いろんな意味でダメージを受けて軽く涙目なわたしの視界に、ちょっと気まずそうにしてる若葉の姿が入る。あんた絶対復讐してやるからな。

「……あ、あれー、なんかほんとに兄妹? みたいな?」

「うん……そうっぽいけど……なんか微妙にふたりの世界、だよ?」

 いずみも気まずそうなのは一緒だけど……それ変なニュアンス入ってない?


「……あ、そっか」

 わざとらしくいずみは胸の前で柏手を打った。ねぇなんでちょっと頬染めてんの? いやな予感しかしないんですけど?

「実のお兄さんが、はなちゃんの彼氏なんだ。それは確かに内緒だよね」


「違う! あんたわたしを社会的に抹殺する気か!」

 往来でなんてこと言うのこの子! 周りのひとたち振り向いちゃったよびっくりした顔で!

「あ、あぁー……なるほど……ごめんはな、ぶっちゃけ引いた」

「引かないでお願いだから!」

 もうやだ帰りたいよぅ。


「安心して、はなちゃんの名誉のために、ちゃんとわたしたちも内緒にするから。若葉だっていまはちょっと驚いてるだけだよ、なにしろ女の友情は不滅だもんね」

 不滅じゃねぇよあんたのそれめっちゃ脆いやつだろ、つーかお兄ちゃんもさっさとフォローしろ、と思って見ると口元押さえて笑いを堪えてた。


 ばちこんっ!

「だから助けろつってんだろ!」

 思いっきり頭ひっぱたいてやった。

「え? これおれが悪いの? ふたりとも冗談言ってるだけだよね、こんなのかりんがムキになればなるほど面白がられるんだよ?」

 いまのがまるっきり冗談に聞こえんのか大した脳みそだなおい。だいたい妹に殴られてまだ笑ってるってシスコンの上にどMとか鉄骨入りの変態かよ。


 それはともかく。

「助けるって言ったよね?」

 真顔で言うと、お兄ちゃんも合わせたのか軽薄な笑みを消した。

「言った。……ふたりとも」

 それから若葉といずみに向き直る。


「さっきも言った通りおれとかりんは兄妹で、もちろん彼氏でも彼女でもないよ。急ぎの用でどうしても今日中に髪を切らなきゃいけなかったから、それでかりんの行ってる店を紹介してもらったんだ。服買ったのもそのお礼をしただけなんだよ。まぁこれをデートと言うならそうなのかもしれないけどね」


 きちんと説明されて、ふたりはようやく納得したように見えた。柔らかい口調と落ち着いたトーンのせいかもしれない。やっぱいい声してるわ。

「デートじゃないけどそれ以外は合ってる。ほらいずみも若葉も。わかった?」

「うん、まぁ、わかったけど……お兄さんいるなんて言ってなかったじゃん」


 そうだけど。どうしよう、とお兄ちゃんを見ると、今度はすぐ助けてくれた。

「いろいろ事情があってね。昨日2年ぶりに再会したばかりなんだよ。それもけっこう急な話だったから、かりんも言い出しにくかったんじゃないかな」

 見上げる若葉の目線に気を遣ったのか、膝を抜いて自分の目線も少し下げたのがわかる。


 へぇ意外、こういうの出来るひとになったんだ。でも初対面の相手にあんま顔近づけんのはやめろ。若葉はあんたの妹じゃねぇぞ。

「え、はい……あ……」

 軽くあとずさりながら若葉は口ごもる。ほら困ってんじゃん。日本の女子中学生との距離感をアメリカ基準で考えるなっつーの。


「急だったって自覚はあるんだ。こっちにも都合があるんですけど」

 友達を助けるつもりで、横から口を挟んだ。さっきの首絞めを忘れてはいないけど、それとこれとは話が別。


「ね、はな、もうわかったからいいよ。ごめんね。詳しい話は今度でも……ううん、言いたくないならそれでもいい。お兄さん、邪魔してごめんなさい」

 若葉はぺこりと頭を下げた。いまさら恥ずかしくなってきたのか、顔が赤いようにも見える。さっきまでの剣幕とのギャップもあってなんかちょっとかわいい。

「いずみも、もう行こ?」

 そう言っていずみの手を引こうとする。そんな慌てなくてもいいのに。


「そだね、うんうん。よくわかったし。ふふーん。それじゃ行くね」

 いずみもいずみで素直についてく様子だ。でも見送る前に、どうにも引っかかる含み笑いの邪悪なニュアンスについては追及せねばなるまい。

「ちょっと待ていずみ。まだなんかあんの? いま言った通りだよ?」

 なにしろ裏がある奴だからな。誤解はここで確実に解いておかないと。


「ん? それはもう疑ってないよ。そうじゃなくて……やっぱいいや。だってこれ言ったら、はなちゃん絶対怒るもん」

「いいから言ってみ?」

「いいの? 怒るでしょ」

 わたし完全に釣られてるよな。わかってるけどここで止めたら余計気になるし。


 いずみは、えー、どしよっかなー、とか楽しそうにもったいぶりながら、上目遣いでわたしとお兄ちゃんの顔を見比べる。昼間にも似たようなことなかったっけ。

「内容によるけど。気になってこのまま帰せない」

「うん、じゃあ言う。はなちゃんてツンデレなんだね。そうだと思ってたけど」


 つ、つん……

「ふ、ふふざけんな! 実の兄にツンデレとか意味わかんねぇし!」

 すかさず捕まえようとするも、タイミングを読まれてあっさりかわされる。そのまま若葉も放置して、いずみはダッシュで逃げて行ってしまった。

「あいつ……学校で会ったら許さん……」

 って夏休みじゃん、くっそこのヒールじゃ走れないし。まさかそこまで読み切ってたとでもいうのか……。


「ま、まぁ、はなも落ち着いて。いずみのあれは前からわかってることだし」

「いやそうだけどさぁ」

 返事をしようとしたら、若葉はもうこっちを見てなかった。

「ほんとに済みませんでしたお兄さん、またの機会に。それじゃ、失礼します」

 そう言って再び頭を下げ、いずみを追いかける。


 こんなしおらしい若葉まじ珍しいな、と驚いたらなんだか毒気を抜かれてしまった。さっきのがよほどみっともないと思ったのか……まぁいいやもう疲れたし。とりあえず今度会ったら超からかってやる。ふふーん。


「……さてと。うるさいのもいなくなったし、いい加減に帰ろっかね」

 地面に置いたままだった紙袋をひとつ手に取る。持ってあげるっていうかわたしの服だし、甘えてばかりもいるのもどうかと思うし。

「だな。飯の支度もしなきゃいけないし。ところでかりん」


「なに?」

「もうちょっとデレ多めのほうがおれは好みだよ?」

 持ったばかりの袋をフルスイングして、お兄ちゃんの顔面をジャストミート。

「だから違うわ! やっぱそれあんたが持て!」




 部屋に戻る頃には、わたしの心は完全にグロッキーだった。よくぞ帰ってこれたと自分を褒めてやりたい。

 普段なら買った服でひとりファッションショーをやるとこなんだけど、まずは気力がゼロになる前に長文で文句のメッセをいずみに打ってやろうと思い、スマホをチェックした。


 早見さんからのメールが1件ある。開けてみると、

〈そういう年頃なのかもしれないけど、もっと素直に甘えたほうがお兄さんだって喜ぶと思うよ〉

 わたしは力なくベッドに倒れ込んだ。これが、最後の藁……か……。


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