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高嶺のお兄ちゃん  作者: 明智あきら
第1部
3/31

第1章 (2)

『うん、で……結局、かりんはどうしたいの?』

 わたしは成田のロビーで、ミタ中のアイリと電話してる。

「いや会いたいは会いたいんだけど。どんな顔して会ったらいいかわかんない」

 準備期間は結局まるで足りないまま、当日を迎えてしまった。


 考えすぎて寝不足のせいか、頭の回転もちょっと鈍ってるような気がする。学校でも若葉とかに心配されちゃったし。それでこうして待ってる間、気分転換がてら相談というか、話し相手をしてもらってるのだった。いまもそわそわしてどうにも落ち着かない。


「そりゃいろいろね、地元もだいぶ店とか替わって雰囲気違うし案内してあげようとか、たまにはご飯ぐらい作ってあげようとか、服買うの付き合ってあげようとか思ったりもするけど。なんつーか……単純に2年顔見てないし、兄妹ってどんなだっけ、みたいな」

 なんかわたし言うこと要領を得ないな。どうしたいの、っていま訊かれてるのそういうことじゃないよな。


『ずいぶんお兄ちゃん想いなんだね。仲良かったんだ』

「昔はね」

 ってもな……どう上手くぼかして説明したもんか。


 言葉を選びかねるわたしに気を遣ったのか、アイリはそのまま話を続ける。

『でも何度かロスには遊びに行ったんでしょ? そのとき会わなかったの?』

「あー……わたしとお母さんが向こう行くときは、お兄ちゃんがこっち戻ってたから。わたしたちがいない間、家の管理してた。いつも」


 それを言い出したのがお兄ちゃんなのかお母さんなのか追及はしなかったけど、お母さんと夏休みや冬休みに1週間ぐらい向こうへ行くときはそういうことになってた。そんで向こうのお兄ちゃんの部屋には鍵が必ずかかってたし、お母さんはあの通りだし、わたし自身が虎次郎兄ちゃんの話題を避けてきたこともあって、実情はほとんど不明のままだ。


『うーん……ひとの家の問題に口出しする筋合いじゃないけど……それさすがにおかしな感じするよ。血のつながった家族なんだよね?』

「もちろんそうだよ。でも、そこはいま言いたくないんだよね。自分から電話しといてごめん……そのうちアイリには言うから」

 そりゃ変に思うよな。お兄ちゃんがいること自体、いま初めて言ったんだし。


『じゃそれはいいけど、メアドとか知らなかったの? ケータイでもPCでも』

「知らない。向こうから連絡してきたこともないし。わたしのはお父さんに教えてあるけど、あのひとメールとかほとんどしないから、もしかしたら伝えてもいないかも。まずお父さんがお兄ちゃんのアドレス知ってるかも疑問」

『でも電話番号ぐらいわかるでしょ?』


「それも知らない。お母さんは知ってるかもしれないけど……あんま訊ける雰囲気じゃなくて」

『ケータイじゃなくて向こうの家にかければよかったのに』

「そうだけど。気分の問題」

 お父さんに取り次いでもらう気分にはなれなかったのだ。なんとなく。


『気分、ね……じゃ、ほんとに会うまでなにもわからないんだ。それ大丈夫? 顔わからなかったりしないかな。……ところでどんなひと、やっぱりカッコいい?』

 やっぱりってのはよくわからないけど、残念でしたアイリ。虎次郎兄ちゃんは、見た目はちっともカッコよくないんだな。


「ぜんぜん。背も低いし太ってたし、向こうでカロリー高いもんばっかり食べてさらに横だけでかくなってたらどうしようって感じ。そんで中身はだいぶ人間離れしてる。でも10年会わなかったとかならともかく、顔ぐらいわかるってば」

『人間離れって……え、悪い意味じゃないよね?』


 あ、ちょっとアイリ引いちゃったかも。

 あれはめちゃくちゃすごいひとだけど、一般に女子が興味を持つタイプじゃないんだよね。可哀相だからフォローしとくか。もしかしたら会う機会があるかもしれないし。


「良い意味で。あのひと天才なんだよ。テストで100点じゃないの見たことないし、中2で向こう行って2年で、もうこないだ高校卒業したっていうし。小さいときから向こうにいたらいま頃は大学まで出てたとしても不思議じゃない。そんで超もの知りだし、絵とか作文とか賞もらいまくってたし合唱コンでお兄ちゃんだけソロパートがあったりした」

『……冗談でしょ? あなたの好きなアニメとかの話じゃないんだよ?』


 そりゃなかなか信じられないよね。でもいるから大変だったんだよ。

「ほんとなんだって。あれがガ○ダムだとしたらわたしなんかザ○」

 いやグ○ぐらいあるかな。○クとは違うのだよ、と言えるようにずっと頑張ってきたわけだし。


『もう、わたしその手の喩えわからないっていつも言ってるじゃない。でも……そういうひとって、ちょっと生きづらそう。余計なお世話かもしれないけど』

 アニメって自分で振ったくせに。でもやっぱ鋭いな。それとも自分がそうなのかな。種類は違っても、アイリも学校とかでかなり浮いちゃいそうだもん。


「よくわかるね。うん、なかなか理解されないひとだった。でも優しいんだよ」

『そっか。じゃきっと大丈夫かな、妹にも優しくしてもらえそうだし……ふふ。あなたのことちょっとわかったかも』

「わかったって?」


『ブラコンだったんだ、かりん。それで口悪いのか』

「ちょっと。人聞き悪いこと言わないでよ」

 そうじゃなくてわたしはお兄ちゃんっ子な。素だと口悪いのは認めるにしても、似てるようでぜんぜん違う。これ重要。


「まぁある意味で憧れてはいたけど、まじそれないから。あのひと頭良いわりに頼りないし、ガチまでいかないけどわたしと違ってかなりのオタだし、そういう目で見るの厳しいんだけど。もし『立川にメイドカフェあるじゃん、連れてってよ』とか言われちゃったらわたしどう接すればいいのか」

 昔のままならそのぐらい言いかねないんだよな。わたし自身オタの部類ではあるにしても、ゆるオタ女子的に越えちゃいけない気がする一線てのもあるわけよ。


『それガチオタって言わないのかな。一緒に行ってあげれば?』

「行かんわ!」

 実はちょっと興味あるけど。

『冗談。……いずれにしても、帰ってくるってことは、お兄さんだってかりんに会いたくないわけじゃないと思うよ? なにがあったにせよ、向こうは案外気にしてないかもしれないし。ちゃんと仲直りしてあげなよ』


 うーん、とわたしは再度、少しだけ言葉に迷う。

 そう言ってくれるのは嬉しいよ。でも残念ながら、なにも気にしてないなんてことは絶対にあり得ないんだよね。

「そのつもり。ありがとアイリ、ちょっとすっきりした」

 だから最後だけ嘘をついた。大切な親友には、あまり心配させたくない。




 お兄ちゃんの乗った便が到着したので電話を切った。

 やがて入国手続きを終えたひとたちが、続々とロビーに流れてくる。待ち合わせらしいのもそれなりにいて、嬉しそうに手を振り合ってるのを見てるとこっちまでなんだか優しい気持ちになる。お兄ちゃんの姿はなかなか見えない。


 ベンチを立ってきょろきょろ見回しつつ、自分の格好をチェックしてみる。

 空色のチュニックからエロくならない程度に覗かせたオフホワイトのホットパンツ、これは久しぶりのお兄ちゃんへのサービス。それからプロに教わったナチュラルメイクに加えて髪もゆるく巻いてきた。

 だから今日も目立ってるはず。自覚はちゃんとあるのだ。


 ただお兄ちゃんは背が小さいから、残念ながら足元はヒール3㎝のサンダルで妥協しておいた。

 そりゃまぁ虎次郎兄ちゃんはひとつ年上で成長期の男子だし、身長だって伸びてるだろう。それでもせいぜいわたしと同じぐらいか、もしかしたらまだちょっと低いかもしれない。いまよりは小さかった2年前のわたしより、さらに10㎝ぐらい低かったのだ。


 お兄ちゃんが自分の容姿にコンプレックスを持ってたことは知ってる。帰ってきてそうそう変なストレスを与えたくはない。

 あんなことがあったのに戻ってきてくれるんだから、ちゃんと笑顔で迎えてあげようと決めてる。わたしだけでも優しくしなきゃね。


 いやまじわたし良い妹すぎて泣けるわ、とか考えてるところに。

 ……おぉ……なんか、すごいなあれ。

 めちゃくちゃ目立つ男のひとがこっちに歩いてくるのが見えた。


 ブレイズに編み込んだ髪を肩まで下げ、ほどよく日焼けした肌に絞りの入った開襟シャツが良く似合う。足の長さを際立たせるローライズの7分丈パンツにスケーター系のスニーカー、繊細な造りのシルバーネックレスに大きめのサングラス。身長はたぶん180㎝ぐらい。髪型のせいでちょっと頭大きく見えるけど、顔は小さいから実際は9等身とかあるかも。


 端的に言ってそのひとはすごく絵になってた。雰囲気は大人っぽい一方、なんとなく若くも見える。20歳前後ってとこだろうか。

 ぱっと見はモデルかロックスター、でも身体のラインも鍛えられてるっぽいし、プロサッカー選手ってのもありかもしれない。


 とはいえしっかり見たのはせいぜい2~3秒ぐらい。わたしは小さい頃から注目されるのに慣れてるので、よっぽどじろじろでなければ気にならない。でもみんながみんなそうじゃないのはわかってるから、見知らぬひとを凝視したりしない。一応まだ視界に入ってても、視線はもう逸らしてる。


 だから真っ直ぐこっちに向かってきても、わたしは顔を向けない。けど視界の端に手を振る姿が見えてしまい、つられてその反対側を見た。

 だって気になるし。いったいどんなひとがこれを待ってたのか。

 そんなタイミングで。

「かりん」


 わたしと同じ名前じゃん、とつい振り向きそうになってしまった。

 ありゃ。声もいいな。わりと低めで少しかすれた感じでも、発声が良いせいかよく通るので暗い印象はない。そいや虎次郎兄ちゃんはキンキンした高い声で、そのくせぼそっと喋ることが多かったから、わたしは別にいやじゃなかったけど聞くひとによっては耳障りらしかったな。お母さんとか。……っていうかこのひとなんでわたしの前で立ち止まってんの。


「かりんだろ? お待たせ」

 繰り返されて、そのニュアンスには聞き覚えがある、といまさらに思った。

 華麟、ひらがなでかりん。発音するぶんには同じようだけどぜんぜん違う。漢字のつもりで言えば硬い響きがするし、ひらがなで言えば柔らかくなる。

 そしてわたしは柔らかいほうの響きが気に入ってるから、大事なひとたちには出来ればそっちで呼んでもらいたいのだ。名付けた両親は無理でも、アイリとか――お兄ちゃんとか。


「わかってたつもりだけど……びっくりした。すごく綺麗になった。かわいかったのは昔からなのに、ちょっと本気で見惚れちゃったよ。知らなかったら恋に落ちるところだった」

 振り返ったわたしに目の前のひとはそんなことを言う。褒め言葉には慣れてるつってもさ。


 もちろんこの状況で、相手が誰であるか気づかないほど間抜けじゃない。でもわたしは軽く放心状態で、身体というか本能が理解を拒絶してる感じ。いまのセリフといいツッコミどころが多すぎるっていうかほんとなに言ってんだこのひと。


「あれ? もしもし? ……あ、ごめん、これのせいでわからなかった?」

 と言ってその存在が悪い冗談みたいなひとはサングラスを外し、口元をゆるめ微笑みかけてきた。素顔も見事に整ってたけど目鼻立ちには知った面影がある。

「おれだよ?」


 顔を覗き込まれ、わたしはなんとなく半歩後ずさった。表情を作るのも忘れ、ぽかんと口を半開きにしたまま目をぱちぱちする。

「あんた誰?」

 ってなに言ってんだわたし。そうじゃねぇだろ。目の前にいるのは自分のお兄ちゃんだろ。……たぶん。


 でもその単語がなかなか出てこない。それどころかこの2日間念入りにシミュレートした、2年半ぶりの会話を始める言葉もすっかり頭から消えてしまった。

 えーと。再会の挨拶ってどうやるんだっけ。

「……忘れちゃったか。ごめん、ずっとほったらかしだったもんな。高嶺、虎次郎です。一応きみの兄貴なので、出来れば早めに思い出してくれると嬉しい」


 ちょっと。実の妹に向かってその挨拶なんだよ。バカにしてんのか。

「……知ってるってば」

 ジト目で言ってやったのは精一杯の演技。するとお兄ちゃんはアメリカ人がコメディ映画でやるみたいに肩をすくめ、それから目を見て優しく手を差し出す。妙に気恥ずかしくなったわたしは少しだけ視線を外した。


 一瞬ためらったあと上目遣いにおずおず手を伸ばし、指の長い、大きな手と握手を交わす。2年の間に自分の手が小さくなったみたいで変な気分。

 それからお兄ちゃんは反対の手でわたしの髪に優しく触りながら素敵な声で。

「会いたかったよ、かりん」

 なんだよこの展開。おかしいだろ。



 成田からの特急列車に乗ってる間、わたしはほとんど喋れなかった。どころかまともに顔を見ることも出来ず、窓の外をぼーっと眺めながら混乱してた。話したいこと、訊くべきことは山ほどあるのに、肝心なことはなにも言えず、お兄ちゃんがたまに声をかけてきても空返事を繰り返すばかり。そのうち向こうも話しかけてこなくなった。

 でもこれじゃわたしがお兄ちゃんを歓迎してないみたいだ。そうじゃないのに。


 新宿で中央線に乗り換えた頃、ようやく落ち着いてきたわたしは多すぎる疑問をひとつずつほぐしてくことにする。だって本題よりいまはこっちが問題だよ。

「あのさ」

「うん?」

「なんでそんなでかくなっちゃったの?」


「ああ、見ての通り伸びたんだよ。そっか、こっちだとこれでもでかいほうだもんな。向こうだと普通だから、ぜんぜん気にしてなかった。昔はおれのほうが小さかったし、それでわからなかったんだ」

「伸びすぎだっつーの……」

 先に言ってくれてればこのサンダルじゃなくて一番かわいいパンプスで迎えたのに。ひとの気も知らないで、どうしてこっちが見上げる格好になってんの。


「確かに2年で30㎝近く伸びたしな。カロリー高いものばっかり食べてたせいかな。それにあっちはいろいろでかいから、アメリカ尺度に身体が合わせたのかも」

 食べ物はともかくんなわけあるか。適当だなあんた。

「なんにせよこれならもう、一緒に歩いてもそんなに恥ずかしくないよね」

「は?」

 なに言ってんの。兄妹で一緒に歩くとか普通じゃん。


「だってかりん、昔から背高いから。もう弟とか言われなくて済みそうだろ?」

 おい。

 ちょっとカチンときたぞ。それひどくね? 言ってる意味がわからないわけじゃないけど、恥ずかしいとか……そりゃわたしは小学生の頃から目立ってたし、ちんちくりんだった虎次郎兄ちゃんはいつもチビチビってからかわれてたにしても。


「なにそれ、自分がでかくなったからって仕返しのつもり? つーか妹相手に恥ずかしいとか言ってあんた情けなくないの?」

 いきなり嫌味みたいなこと言うなよ。さっきといいバカにすんなよな。

「でもかりん、目立つだろ。おかげでおれもすぐ見つけられた。それにさっきからかなり注目されてるみたいだし、さすがだと思うよ」


 悔しさのせいで言葉が荒くなってしまったわたしにも、お兄ちゃんは顔色を変えなかった。昔だったらすぐへこんでたのに。誰だよこんな大人知らねぇよ、と思うとこっちこそ情けない態度を取ってるみたいで、また顔を背けてしまった。

 とはいえ実際、わたしたちふたりは注目されてる。わたしが見られるのは珍しくないけど、いまはお兄ちゃん効果で普段の倍ぐらい。特に女の視線がな。怖ぇよ。


 ……ちぇ。なんか変な悔しさ混じってきた。

 そりゃさ、見た目だって大事だよ。与える印象でひとの態度が変わるのはしょうがないし、わたしだってそれを利用してる部分もある。でもぱっと見チビデブでオタのお兄ちゃんの良さなんて、わたしだけが知ってれば良かったのに。


 そんで覚えたモデル知識を活かしてダイエットに協力したり、おしゃれ覚えてもらったりといろいろ磨き上げて、昔バカにしたひとたちにざまぁみろって言ってやりたかったのに。

 これじゃわたしの出番ないじゃん、と思ってると小声で呼ばれた。

「かりん」


 なんだよ急に。せっかくいい声なんだから、ぼそぼそ喋らないで普通にしてりゃいいのに。

「ん?」

 しょうがないからわたしも耳を近づけると。

「もしかしてカップルに見えたりするかな」

 ……てめぇアホか!


「んなわけあるか変態! もうあんたロスに帰れ! あとその顔近づけるな!」

 だからわたしはブラコンじゃねぇっつーの!

 へこみかけたところにふざけたこと言いやがってと思い、むぎゅうと顔を押しのけた。声が大きくなったせいで余計に見られるし何人かくすくす笑ってるし。これたぶん痴話ゲンカだと思われてるよね? 違うのに!


「いや顔近づけたのかりんだよ、ひどくない? おれ帰ってきたばっかりなのに」

「ひどくないし。超優しいし。今日だってちゃんと迎えにきたし」

「うん。ありがとね」

 くっそ。やりづらいにもほどがあんだろ……。でもいいや続き。まだ話ぜんぜん終わってねぇし。

「も、もういーからんなこと。それに身長だけじゃなくて! ほら、髪型とか」


「友達にスタイリスト志望がいてさ、やってもらった。似合う?」

 超似合ってるけど。日本人でブレイズやドレッドとかがチャラくならずクールに大人っぽく似合うのってかなりのレアケースなんだけど。ほとんどの場合まず似合わないか、それなりに似合っても「おれってワイルドでイケてるだろ?」的な嫌味が透けて見えちゃうんだけど。釈然としないわたしはそんなこと言ってやらない。


「別に。向こうじゃどうか知らないけどこっちでそんなの汚く見えるだけだし」

「あ、だめ? そっか、残念」

 残念がるな。まずわたしの好みなんて訊くな。

「まぁいいけどね。どうせ切るから」

「え、切っちゃうんだ!?」

 思わず食ってかかってしまった。だってもったいないじゃん!


「なんで驚くの。面談にこの頭で行くのはさすがにどうかと思ってるよ?」

 驚くに決まってんだろ。面談とかなんのことかわからないけど……それもあとでいいや。

「うるさいな。あと痩せすぎ」

 なんかもうツッコミどころしかねぇ。どんな改造手術受けてきやがったこいつ。


「けっこう鍛えたから。痩せすぎってことないと思うけど、かりんって実はデブ専なのかな」

 違うわ。つーかさっきからほんとなに言ってんの? 2年の間でバカになっちゃったの? それともわたしが気づいてなかっただけで、実は昔からシスコンの変態野郎だったの?

「あんた妹をなんだと思ってんの……」


 しかし見れば見るほど睫毛長ぇなこのひと。知ってたけど。つーか思い出したけど。虎次郎兄ちゃんはもともと顔の造りが悪かったんじゃなくて、太って顔が丸かったのと手入れがされてなかったのとで、たいていのひとは気づかなかったのだ。

 それにあの頃はいつも暗い顔してたし、目の前のこれとは印象が完全に別人。


「はぁぁ……」

 思いっきり声つきのため息が出た。最近わたしため息多いな。

「声だって昔とぜんぜん違うじゃん」

 わたしも男だったらそういう声が良かった。なんでこんなんなっちゃうんだよ。


「声変わりしたから。それだけじゃないけどね。おれ自分の声が嫌いでさ、意識的に低い声で喋るようにしてたんだよ。でも日本語ふうの、喉しか使わない発声で低い声出してもぜんぜん通らなくて、目の前の相手にもよく聞こえないらしくて。それで外人の発声とか研究してたらこうなった。かりんがいやだったら直すけど」

 へぇ。そんなやり方もあるのか。研究熱心なのは相変わらずだな……。わけあってわたしは発声について勉強してるので、いまのは頭の片隅にメモ。


 と、それはいいんだけど、なんで余計なひと言がいちいちくっついてくんの。疲れるわ。

「いやじゃないけど」

 考えるとだんだん頭が痛くなってきたので、本題のほうもあと回し。とりあえず一番最初に訊くべきだったことだけ尋ねておくことにする。この様子だと少なくとも、妹に対して悪意を持ってるわけじゃないみたいだし。頑張れわたし。


「わたしのことはほっとけと。……で、結局なんで帰ってきたの?」

 するとお兄ちゃんは美術の教科書で見たルネサンス絵画の美女みたいに笑う。

「かりんに会いたかったからだよ」

「バカじゃないの?」

 だからめんどくせぇよ。もうやだこのひと。


 駅を降り、帰り道でもそのままずっとそんな感じだった。わたしの受け答えがだんだん雑になってたとしても悪いのはお兄ちゃんだから知らない。

 まったく、やっと出来たと思った兄妹の会話がどうしてこれなんだよ。


 いったいどうしろっつーんだ、とは思うものの、虎次郎兄ちゃんは小さい頃から本心をなかなか口にしないひとだった。この言動もどうせなにかのカムフラージュなのだ。理由を明かすつもりがないならいまはそれでいい。いいけど……


 ……それじゃあのときと一緒じゃん。あの頃だって、このひとは見てるだけじゃなにもわかんなかったじゃん。

 隣を歩くお兄ちゃんを睨みつけてやった。

「どした?」

「別に」


 わたしが子供っぽく拗ねてるのは自覚してる。こんな態度や言葉遣いで迎えたくなかった。でも悔しいものは悔しい。あんなに頑張ってきたのに。出来ることはぜんぶ自分でやるようにしてきたし、苦手な数学で満点取れるようにもなった。

 そんな努力のぜんぶを、まとめてバカにされてるような気がしてしまう。頼まれたわけじゃないし、逆恨みなのもわかってるけど。


「やっぱり、怒ってるかな」

「顔を覗き込むなっつーの。……怒ってないし」

 そりゃ本音を言わないのはお互い様にしてもさ。

 苛立ちをまぎらわすように足早になってたことに気づいて、スーツケースを引きずる相手に合わせて歩調を落とす。ほら、やっぱりわたし優しいし。


「ごめんな」

「怒ってないって言ってる。だから謝んなくていい」

 これじゃわたしが悪者みたいだ。これまでずっと反省も後悔もしてきたんだよ? 悪いのはお兄ちゃんでもわたしでもない。だからもういじめないでよ。


「でも謝るよ。早く謝らなきゃって思ってた。ほんとうにごめん。ぜんぜん構ってやれなくてごめん。ずっとほったらかしにしてごめん。ふたりだけの兄妹なのに」

「え」

 ……怒ってるって、そっち?


 なにバカなこと言ってんのあんた。それこそわたしに怒る資格なんてないのに。

「あ、そんなの……だって仕方ないじゃん。お兄ちゃん、あんなことあったし。わたしなにも出来なかったし……」

 どころか謝りたかったのはこっちだ。

 わたしはあのときほんとになにも出来なかった。ひたすら無力な役立たずの子供で、目の前で起こったことに対してなにひとつ言えず、ただの傍観者にしかなれなかった。


「……もう帰ってきてくんないと思ってた」

「かりんはなにも悪くないよ。そこは間違えないで」

 そっちこそ間違えんな。そんなふうに言うな。わたしが悪くないならお兄ちゃんたちだって悪くない。なにも知らない子供だったわたしたちが、大人のエゴに振り回されたあげく責任を背負う筋合いなんて絶対にない。だから――


「確かにね、親父がこっち戻ったあともおれは残ろうかって考えたことはあるよ。ごめんな。でもやっぱり、かりんのことが忘れられなかったから」

 ――せっかく肝心な話に入れそうだったのにまたか。髪触るな。頭なでるな。

 乗せられた手をわたしは振り払う。

「そういうのいい加減にして欲しいんだけど?」

「あれ。おれのこと嫌いになっちゃった?」

 ……そろそろ首絞めるぞ。


「あのね。わたしは妹。アイムユアシスター。ドゥーユーノゥ? アーユーシスコン?」

「Of cause I know you're my pretty sister I love. だから妹の心配をするのは当然だよね。それとも、もうおれにはそんな資格もないってことかな」

 流暢な英語に虚を突かれた。プリティとかラヴとか聞こえたけど日本語じゃないからたぶんニュアンスが違うはず。それはつまり……えーと。


「資格とかって、そんなの」

 兄妹なのに。優しいくせに変なところ頑固なのはぜんぜん変わってない。

 外見や雰囲気や声がいくら変わっても、やっぱりこのひとは虎次郎兄ちゃんか。

「わたしのこと……心配してたの?」

 うまく説明出来なくて、結局、言われたことをそのまま返してしまった。

「うん。だめ?」

 だめなわけないじゃん。


 あんた天才なんだからわかって欲しいよそのぐらい。わかんないの知ってるけどさ。バカ。こっちこそ嫌われてると思ってたのに。泣くぞ。

「だめじゃない。わたしも、お兄ちゃんが心配だった」

 だから正直に言った。

「すごく……すっごく心配だった」

「ほんとに?」

 念を押すなバカ。やっぱ届いてない。


「当たり前じゃん。妹だもん。兄の心配ぐらいするよ」

 あの頃だって。ずっと心配してたのに相手してくれなかったのあんただろうが。

「そっか。なら、帰ってきて良かったんだ」

 お兄ちゃんは泣きそうな顔をわたしに向ける。なんだ、泣き虫なのも相変わらずかよ。でもいま泣きそうなのはこっちなんだからそんな顔すんな。


 そうこうしてるうちに家の前まで着いた。鍵を取り出し、

「当たり前でしょ? お兄ちゃんの家だよ、誰がなんと言おうとわたしは帰ってこないで欲しいなんて思わないよ。だからなにかあったらわたしに言って」

 扉を開けてあげたところで。


「……あ、そうだ」

 そうだった。大事なことまだ言ってなかったの思い出した。

「おかえり、虎次郎兄ちゃん。待ちくたびれたよ」

 やっと笑顔で迎えられた。


 お兄ちゃんも吹っ切れたような顔で笑う。さっき拒否したばかりなのに髪なでてくるけど、特別にいまだけ許してあげるからお兄ちゃんも早く言え。

「ただいま。かりん」

 そうそれ。こういうのって大切だよね。

「うん。ほら入っ……」

 ……そんでハグされた。ん、なっ。


「ふざけんなバカ調子に乗んな! つーかいまなにしようとした! 妹に!」

 慌てて突き飛ばす。絶対キスしようとしてた! 勘違いじゃない!

「いやほっぺただよ?」

 だから簡単に言うな!

「そういう問題じゃない! ここは日本!」

「ちぇ」

 ちぇじゃねぇよ。ほんとあんたいったいなにしに帰ってきたんだ。



「華麟? 帰ってそうそうずいぶんうるさいわね」

 玄関先でぎゃあぎゃあやってたらお母さんが出てきた。

「近所迷惑だから。さっさと入りなさい」

 家にいたんだ……いやいてもおかしくないけどタイミング悪いな。出来ればもうちょっとあとが良かったのに。いや決してこのバカといちゃいちゃしたかったわけじゃなくて。


 文句の続きを言う気を削がれたわたしはスーツケースに手をかける。これはどちらかというとお兄ちゃんより、お母さんに対するパフォーマンス。

「大丈夫だよ。自分で持つ」

「うるさい。いいじゃんこんぐらい。疲れてんだろうし休めば?」

 自分で運ぼうとするお兄ちゃんから引ったくって家に上がった。


「部屋、掃除機だけかけといたから……」

 階段を昇りながら振り向いてみれば、お兄ちゃんは靴を脱いでもいない。それをお母さんが腕組みで見下ろしてる。

 あぁもう。予想してたことではあっても、いざこうなってみるとやっぱり憂鬱。


 肩を落とすお兄ちゃんと、それを威圧的に眺めるお母さん。

 ――どうしてちゃんと言わないの虎次郎!

 ――言うほどのことじゃ、ないから。

 かつて何度も見た光景に、ちくりと心が痛む。


 ただ受ける印象は少しだけ違うようにも思えた。ふたりがいまは無言だからだけでなく。

 お兄ちゃんの背が伸びたせいかお母さんが小さく、虚勢を張って見える。

 でも、ふたりともなんか言おうよ。お母さんだって「大きくなったね」とかあるでしょ? わたしひとり勝手に消えるわけにもいかないし、こんな重たい空気いつまでも吸うのいやなんだけど……しょうがない、助け船を出すか。


「ほら、ただいま、でしょ。早く上がんなよ」

 わざと明るく言うと、お兄ちゃんはちらっとわたしを見て片眉を上げた。それから真面目な顔で、正面の相手に向き直る。お母さんがちょっとびくっとしたのを隠そうとして見えたのはたぶん気のせいじゃない。わたしはそれをにやにや眺める。


「ただいま、母さん」

 ふふん。よくやったお兄ちゃん。お母さんは弱いひとだからここはあんたが先に折れるべきなのだ。万事解決とはいかなくとも、ここで即モメるのとかさすがに勘弁して欲しい。


「……おかえりなさい。あとで話があるから。落ち着いたらわたしの部屋に来て」

 いや、どうしてお母さんそうやってさぁ。ちょっとは空気読め。

「ねぇもう明日でいいじゃん。今日ぐらい休ませてあげないの?」

「明日はわたしが忙しいの」

 お母さんはこっちを振り向きもしない。感じ悪いな。

「わかった。じゃあとで」

 お兄ちゃんも簡単に乗っかるし。やめりゃいいのに……。


 いきなりの修羅場とならずに済んだとはいえ、先が思いやられる。といってここでわたしが逃げるわけにもいかない。わたしには兄妹普通に仲の良いところを見せつけて、どうしようもない勘違いをお母さんに反省させる義務があるのだ。

 まぁ、それは継続的な課題として、ひとまず落ち着いてゆっくりしようかね。


 2階へ上がってお兄ちゃんの部屋に案内する。わたしたちのいない間とはいえ何度か帰ってきてるんだから、自分の部屋ぐらい覚えてるだろうけど。これは様式美みたいなものだ。

 ついでに言うなら、積もる話に備えてわたし用のクッションも用意してあったりする。あとはお茶を入れれば完璧。そいや虎次郎兄ちゃんて紅茶とコーヒーどっちだったっけ。


「ありがとな」

 記憶を探りながら扉を開けると礼を言われた。

「ん? こんぐらい気にしないでよ」

「じゃなくて。助けてくれたんだろ?」

 あ、さっきのか。


「助けたっていうか。あんなところで始まったらわたしの立場ないから」

「そうだな。でもありがと」

 殊勝じゃん、とせっかく思ったのに、また頭に手を乗せられたのではたき落としてやった。さっきは特別だっつーの。こんなん何度も許すと思うなし。


「ちょっと。もうそれやめてって言ったでしょ」

「……そっか、もう中3だもんな。悪かった。昔は頭なでると喜んだから。つい」

 理解が早いのはいいけど、ついじゃねぇし。あんたいつから時間止まってんだ。

「あとかりんの髪が綺麗で触りたくなる。やっぱり高いシャンプー使ってるの?」


 使ってるけどさぁ……まじぐったりするわ。なんて言えばやめるんだこれ。それより先に、まずこんな扉開けたまま廊下で立ち話とかじゃなくて早く中に入れよ。

「わたしのシャンプー絶対使わないでよね。1本4000円もするんだから」

「わかった、ひと休みしたら自分の買ってくる。かりんも休んで」

 そう言うとお兄ちゃんは部屋に入り、わたしを廊下に取り残して扉を閉めた。


「え……あれ?」

 休めって。2年ぶりの再会これで終わり?

 もうちょっとなんか話すことあんじゃないの? さっきの様子じゃ、あの頃の話をするのはまだいやなのかもしれないけど。せめてこれまでお互いどうしてたとかそういうのは……

 ……虎次郎兄ちゃんはコーヒーにミルク少々、砂糖なし。思い出したのに。



 仕方ないのでわたしも部屋に戻り、スマホをチェックしてみる。LIMEのグループについてるコメントに目を通したあと、アイリから届いてたメッセを開いた。

〈お兄さんと仲直り出来た?〉

 あー。うーん。仲直りっていうか。どう説明したもんか。

 ベッドでしばらくごろごろしながら返信を試みるも、書いては消し書いては消しを繰り返すばかりでちっともまとまらない。結局、文面で説明出来そうにないから通話にしてみる。


『もしもしかりん? 電話ってことは、いまお兄さんと一緒じゃないの?』

「うん、もう帰ってきた。お兄ちゃん当座の荷物整理とかしてんじゃないかな」

『で、どうなの?』

「なんて言ったもんかわかんないけど。とりあえず仲悪くはないみたい」

『そっか。じゃ良かったね』

 良かったのか。いや基本的には良かったんだけど。違う問題がさ。


『……かりん? どうしたの黙って。なにか変なこと言われた?』

 ええ変なことばかり言われましたとも。でも2年ぶりに会ったお兄ちゃんがなぜかいきなりわたしのこと好きすぎてやばい、とか友達に言えるか。

「そうじゃなくて……大丈夫。たぶんアメリカ呆けでおかしくなってるだけ」

『ふぅん。よくわからないけど』


 むしろそのままわからないでください。アイリは勘が鋭いだけじゃなく洞察力もあるから、ほのめかす程度のヒントも出来れば与えたくないのだ。

『で、お兄さんカッコよくなってた?』

「ぶぐっ!」

 いきなりピンポイントで急所を突くな! まだ説明考えてる途中なのに!


『だってかりんのお兄さんでしょ、そうなってもおかしくないじゃない。アメリカンサイズに合わせて、背もすごく高くなってたり。でロスだし、頭ドレッドとかにしてワイルドな感じになってたり。ね、どう? 当たり?』

 当たり?じゃねぇよ、あんたどっかで見てたのかよ!

『それは冗談として、今度わたしにも会わせて欲しいな』

 そんな期待に満ちた声音で怖ろしいこと言わないでお願いだから。


「違う、違うんだって! 昼にも言ったじゃん、虎次郎兄ちゃんはチビデブのキモオタなの。アイリが想像してるようなイケメンどころかいっそうだめさに磨きがかかってんの。だから恥ずかしくて会わせらんないの。つーかあんたみたいな美人に会わせたら『デュフフ、アイリたんて言うのでござるかもうかわいすぎて拙者生きてるのが辛いハァハァいっそ踏んでくだされ!』とかたぶんそんな感じだよ?」

 あれなんでわたしこんな嘘八百並べ立ててんだろ。


『え……う、うーん……そっか。カッコよくなくたって、一度会っておきたかったんだけどな、かりんの尊敬する素敵なお兄さん。ところでそれ嘘ついてない?』

「ま、まぁちょっと言いすぎたかもしれないけど……別に素敵じゃないし、会わせてもきっとアイリがっかりするだけだと思うからやめたほうがいいよ! わたしも辛いし!」


 がちゃ。

「かりん、ちょっといい?」

「ひょあい!?」

『あれ? いまの声もしかしてお兄さ』

 ぴ。


 やべ、勢いで通話切っちった。あとでフォローしなきゃ……なんでお兄ちゃん勝手に入ってくんのここ日本だからってノックぐらいしろよ!

「……なんか辛いことあった?」

「盗み聞きすんなバカ!」

「ごめん、最後のとこだけ聞こえた。でも相談ぐらい乗るよ」

「乗らなくていい。関係ないから」

 ほんとは大ありなんだけどな。もうあんたの存在が辛いわ。


「かわいい妹が困ってるなら役に立ちたいよ? そのために帰ってきたのに」

「困ってない。わかったから黙れバカ」

 あんたのこと以外ではな。許可もしてないのに座るし……。

「つーか床に直接座るな。そこに黒いクッションあんでしょ」

「あ、いいんだ。勝手に使ったら怒るかと思ってさ」


 そんなの気にするぐらいならもっと先に気にすることあんだろ。ほんとズレてんな。それにそのクッションはこの部屋でのお兄ちゃん用に昨日買ってきたんだっつーの。同じデザインで色違いのがあんたの部屋にもあったの気づかなかったのか。

「しかしさっきからバカバカって、かりんずいぶん口悪くなったな……せっかく美人なのに、それじゃ彼氏が可哀相だよ?」

 用件はどうしたよ。余計なこと訊きやがって。


「そんなのいません。いますぐ欲しくもないけどわたしモテるのでお気遣いなく。妹より自分の心配したら? どうせモテなかったんでしょ? あんたオタだし」

 日本でこれだったらそりゃ引く手あまただろうけどアメリカじゃそんな簡単にはいくまい。だいたいせっかくのルックスも残念な性格が帳消しにしてるし。


「まぁそうだけど。でもガールフレンドぐらいいたよ」

 いたのかよ!? なにそのひとどんな奇人? それとも神なの?

 この意味不明生物と付き合えるとかもうそれだけで尊敬なんだけど。つーかわたしに彼氏がいないのになんでこいつにいんの。いや普通に考えているわけないでしょ。うんいない。


「お兄ちゃん」

「ん?」

「脳内彼女の話は訊いてないよ?」

「いないってそんなの!」

「そうなの? あとアニメヒロインはあんたの嫁じゃないからね?」


「だから違うって。ひとり目はタイワニーズでふたり目はヒスパニック。アングロサクソンとアフリカンには残念ながら相手にされなかったけど」

 は? なに? ふたり?

「ゲスかあんた!」


「同時に付き合ってたわけじゃないよ? それに、日本で言うところの恋愛関係とはニュアンスちょっと違うから。そりゃガチ恋愛してる奴らもなかにはいるけど、ほとんどは大人ぶって酒飲んだり夜遊びしたりする延長。ただの通過儀礼だよ。こっち戻ってくるの決めたときに別れたから、気にしないで」

 わたしがなにを気にすんだよ。そんなのどうでも……よくない。いや変な意味じゃなくて、通過儀礼とか簡単に言うけど……

 ……だってほら、ねぇ?


 そりゃ文化が違うって言えばそれまでなんだけど、でもアメリカとかで男女が付き合うってことはさ。

「じゃ、お兄ちゃん……け、経験済み……なの……?」

「経験って?」


「だから……ど……童貞じゃないってこと?」

 言った瞬間から恥ずかしすぎて超後悔した。あぁもうなに言ってんだわたし! じゃなくてなに言わせてんだ妹に!

「……ばっ……いや、そうだけどさぁ、訊くなよそんなの兄妹で!」

 ななななななななあぁんだと!


 さすがにちょっと慌ててるお兄ちゃんを見て、もし冷静ならしてやったりと思うとこだけどわたしはそれどころじゃなくてほとんど脳内パニック状態。自分の言ったことのせいだけじゃなくてこれ今日一番ショック。だって他のことはともかくそっち方面のことで、よりによって虎次郎兄ちゃんに先を越されるなんて絶対あるはずないと思ってたのに!


「でもこの話の流れからすると、かりん、もしかしてまだ処」

 ばふん、と全力で投げた枕がお兄ちゃんの顔面にクリーンヒット。言わせるか!

「それ以上言ったら殺す! もうこの話おしまい!」

「自分は言わせたくせに……」

 首を傾げながら枕を差し出してきた。ちゃんと返してくれるのは偉い。


「おしまいって言ってんでしょ。それよりなんの用? わたし忙しいんだけど」

「そういえばさっきの電話大丈夫だったの? いきなり切ってたよね」

 それこそあんたのせいだろ。

「かけ直すからほっといて。だから用件」

「ああ。帰りに言うの忘れてさ。かりんモデルだから、良いヘアサロンとか知ってるだろうと思って。明日髪切りたいから紹介して欲しいんだよ」


「やだ」

 明日って。帰ってきたのもそうだけど急すぎんだろ。だいたい、なんでせっかく似合ってる髪切りたいのかもわかんないのに協力なんて出来るか。

「即答って……冷たいな。でも面談にこの髪じゃまずいだろ? ここ日本だし」

「でもじゃなくて。さっきも言ってたけどその面談てなによ」


 冷たくねぇし超優しいしってこっちもさっき言っただろうが。ひとの親切引き出したいならまずは自分の説明責任を果たせっつーの。そういうとこも昔から変わんねぇな。

「え? 高校のだよ。明後日面談だから」

 なに言ってんだあんた。ぜんぜん説明になってねぇよ。


「は? 高校卒業したんじゃないの?」

「したよ。……あれ、聞いてない? こっちじゃまだ大学受けれないみたいだし、ヒマになっちゃうから日本の高校通うのも経験かなと思ったんだけど」

 ……先に言ってよお母さんそんぐらい。なんでわたしだけのけ者なの?



「……はい、ごめんなさい、急なお願いで……すごく助かります。ありがとうございます」

 終業式直後なんて絶対混むから無理だと思いつつ一応行きつけのサロンに電話してみると、なんと開店直後の1時間なら空いてるという返事がもらえた。


「明日11時に原宿。1時間しかないから面倒な髪型とか諦めてよね」

 頭のラインに沿って綺麗に編み込まれた、お兄ちゃんのブレイズを眺める。こういうのって一度ぐらいはやってみたいよな。

「大丈夫、短くしたいだけだし。ほんと助かった。ありがと」

 お兄ちゃんは上機嫌だけどわたしはちょっと不機嫌。こんなのが似合ってるなんてなかなか見れるもんじゃないのに、たった1日で見納めとかすっごい残念。


「こっちの高校なんて行かないでバイトでもすればいいのに」

「社会勉強としてはそれも選択肢のひとつだけど……おれ金あるから、たぶんモチベーション上がらなくて続けられる気がしないんだよ。だってこっちの接客業とかほとんど奴隷みたいなもんでしょ? 理不尽な客とか殴っちゃうかも」

 そんな暴力とか振るう虎次郎兄ちゃんは知らない。ただアメリカの、というか日本以外の、接客のゆるさはわたしも客として経験があるからわからないでもない、にしても。


「お金あるってなんで? お父さんからそんなお小遣いもらってんの?」

「あ……。まぁかりんには言ってもいいか……もう小遣いはもらってない。向こうでこつこつデイトレードやって増やしたから」

「デイトレードって」

 株とか? そういうの仕組みはわからないけどなんかいやな予感がした。


「えっと……ちなみにどんくらい?」

 つい小声で訊くと、お兄ちゃんもちょっとためらいがちな小声になる。

「日本円だと1500万ぐらい」

「せ!?」


 せん、ごひゃく、まん!? 聞き間違ってなきゃそれって15000000? いやいやちょっと待て! わたしだって働いてるからこの歳ではかなり羽振りいいほうだけど! 文字通りケタが違う……なんなの……。

「あまり大声出さないで、金の話は母さんに聞かれたくない。親父にもまだ小遣いもらってることにしてくれって言ってある」

 ああ。そっか、そうだよね。


 実家が貧乏で高校も行けなかったお母さんはお金の話になるとめちゃくちゃ過敏で、わたしが初めてもらったギャラを伝えたときもちょっといやな顔をされた。

 お父さんの稼ぎはまぁまぁあるみたいだし、お婆ちゃんの遺産も含めればうちはそれなりに裕福なほうだと思う。とはいってもあのひとはあのひとで結構な苦労人だ。お兄ちゃんが汗も流さず作った……かどうかはともかく、そういうやり方で作った大金の話なんてしたらどんな顔をするかは容易に想像がつく。


 自分で驚いておいて言うのもなんだけど、これが虎次郎兄ちゃんなのだ。お母さんに対して思うところある一方、同情しちゃうのは主にこのあたり。

「そういうわけだから。さてと、邪魔しちゃったな」

 そのお兄ちゃんはもう立ち上がり、ドアノブに手をかけてる。

「ほんとありがと。じゃ買い物行ってくる。晩飯出来たらまた呼びにくるから、あんま長電話しないでくれな」


「うん、そんな長くはなんないと思う。でも今度はノックして」

 わかった、と出てくのを見送りつつアイリのアカウントを呼び出す。コール音を聞きながら言い訳を考えるつもりで、違うことをわたしは考え始めてる。お金の話じゃなくて。


 今日の晩ご飯、お母さん作るんだ。びっくり。そんなのあり得ないだろうと思ってたから、お寿司の出前でも取ってお兄ちゃんと食べるつもりだったのに。

 だって虎次郎兄ちゃんとお母さんとで家族団欒とか不可能だし……ってことはきっとまた、わたしは食卓で調整役だよね。まぁ当面は仕方ないか。やれやれ。




 でもそうはならなかった。

「……美味しいじゃん」

 1階のダイニングにはお兄ちゃんとふたりだけ、お母さんは「仕事があるからあとで食べる」と部屋に引っ込んでしまった。食卓には大皿のペスカトーレにカプレーゼ、鯛のカルパッチョなんてメニューが並んでる。プロ仕様とまで言わないにしろ盛りつけも綺麗。作ったのはお母さんじゃないし、もちろんわたしでもない。


「なんでこんなちゃんとしたのが作れちゃうの?」

 口をつけるまではアメリカっぽい大味さ(高級な店には入ったことないから偏見かもしれないけど、町中の小さい店とかはわりとそうだった)を予想してたのに、ぜんぜんそんなことなかった。


「かりんの口に合って良かった。レシピはネットで見たそのまんまだけどね」

 箸ならぬフォークが進むなか、作った当人はなに食わぬ顔で言う。そりゃわたしもパスタにカプレーゼぐらい作るけど、魚まで捌いたことはない。

 それにレシピ通り作ってちゃんと美味しくなるというのもセンスなのだ。クック○ッドとか見ながらやってみても、コツを掴むまではたいてい分量も時間も「このぐらいでいっか」みたいなブレブレになって残念な結果を迎える。ちなみにソースはわたし。


 料理なんてしょっちゅうするんだからもっと頑張ればよかった。なんかここでも負けた気がして、お兄ちゃんのまともな手料理なんて初めてな上に美味しいのに素直に喜べない。

「カレーぐらいしか作れなかったくせに」

「いまも作るよ。でもスパイス揃えなきゃなんないからまた今度な」

 スパイスの調合からかよ。進化しすぎだろ……昔から凝り性ではあったけどさ。


「いいから。夏だしすぐ傷んじゃうし」

「ん、じゃ涼しくなったら」

 むー。そうじゃないのに。期待しちゃうじゃん。

「じゃ期待しないで待ってる。でもなんでお兄ちゃん帰ってきていきなり料理とかしてんの?」


 きっと向こうでいつも作ってたんだろうとは想像つくし、この腕だったらこれから当番制にしたらわたしもだいぶ楽になるなとも思ったけど、今日ぐらい休んでればいいのに。ひとには休んでろって言ったくせになに頑張ってんだ。

「気にするなよ。どうせこれから家事全般おれの仕事なんだし」


 は? 家事全般てなに。主夫?

「待って。じゃ明日もお兄ちゃんが作んの? つーか掃除も洗濯も?」

「そうだよ。母さんこれも言ってないの? 明日どころか今後おれがこっちにいる間ずっと。そういう条件で帰ってきたんだけど」

「はあ!?」


 なんだそれ!

 ほんとにあのひとどうして虎次郎兄ちゃんが絡むとわたしになにも言わないの!

 それに条件てなんのつもりよそんなの逆だろ、お兄ちゃんがこっちに条件出して帰ってきてくれたっていうならまだしも! 昔の続きやってまた追い出そうとでもしてんのかよ!?


 ――食べたくないなら自分で作ればいいのよ。

 ――わかった。そうする。

「そんな驚かないで。かりんのためにも頑張るからさ」

 違ぇよ。わたしのことなんてどうでもいいんだよ。

 まじなんなんだよいい加減にしろよ。


 頭に血が昇ってくるにつれ、だんだん味もわからなくなって手が止まる。

 ――またそうやって勝手に! 嫌味ばかり!

 ――自分で作れって言ったのは母さんだよ。

 がちゃん、と音を立ててフォークを置いた。

「……もう限界」


 だめだ。無理。作ってくれたお兄ちゃんには悪いけど、このまま大人しく食べてられるわけない。せっかく帰ってきたのに、玄関先のあれに続けて今度はこれか。あのひと自分の息子のことなんだと思ってんだ……!

「ちょっと文句言ってくる!」

 立ち上がった勢いで、手をついたテーブルが思いっきり揺れた。お兄ちゃんが驚いたように見えたけどわたしは怒りで涙が出そうだから目を背ける。


 歯を食いしばったまま早足でダイニングを出たものの、階段に足をかけたところで後ろから手を掴まれた。

「待てって、なんで怒ってるんだよ。飯不味くなかっただろ?」

 バカかあんた! 違うだろ!


「そんな話してない! だってお兄ちゃん家族でしょ! 手放せ!」

 腕をぶんぶん振っても、お兄ちゃんの力が思いのほか強くてほどけない。どころか両腕抑えられて、強引に正面を向かされてしまう。

 これじゃヒステリー起こしてなだめられてるみたいだ。みっともないから放せ。

「だから待って。どうしてそれがかりんの怒る理由になるんだよ」


 どうしてって! あんたが怒らないからに決まってんでしょ!

「どうしてって、どうしてじゃないよ、ほんとバカじゃないの? 家族でしょ? お母さんの子供でわたしのお兄ちゃんでしょ? 雇われのお手伝いさんじゃないでしょ? なに当たり前の顔でそんな、条件とか! 受け入れてんの? 意味わかんねぇよ、つーかあんたがまず文句言えよ、ふざけんなよ!」

 ふたりしてなめんな。バカにすんな。ハブんな。悔しい。悔しい。悔しい。


 あ、だめ……もう泣く……。

「泣かないで……」

「泣いてないし!」

 強がっても涙はぽろぽろ、あとからあとからこぼれてくる。


 ああもう、頭なでんなっていったい何度言えば……。こっちが慰められてる場合じゃないのに。

「うぅ……」

 こんなんじゃぜんぜんだめじゃん。

 2年も経ったのにちっとも強くなれてないじゃん。力になれないじゃん。


 ゆっくり手を引かれ、ダイニングに戻って座らされた。お兄ちゃんはわたしが落ち着くのを待ってるのか、こっちに背を向けてお茶を淹れ始める。

 まだぐずってるわたしは涙を止めるのに精一杯で、なかなか言葉が出てこない。食べかけのパスタが伸びてくのを見ると罪悪感があるけど、食事の続きをする気にはなれなかった。


「ほら」

 お気に入りのジャスミンティが出てきた。ここでコーヒーでも紅茶でもなくハーブティとかなんでこんな無駄に気が利くんだよ。

「頼むよ。かりんを泣かせたら、おれが帰ってきた意味がなくなる」

 そんなの余計に意味わかんねぇし。


 熱いお茶に息を吹きかけ冷ましながら、抗議のつもりで睨みつけてやった。この程度で懐柔されると思うな。

「……とりあえず、なんか勘違いしてるみたいだから落ち着いて。別におれ、母さんに対して贖罪とか、そういうつもりないよ? 向こうはどう思ってるか知らないけど」


「じゃあ……なんだってのよ」

「さっきも言った通り、おれが謝りたいのは母さんじゃなくてかりん。忙しいんだろ? 成績はオール5だしモデルの仕事も頑張ってるって、親父から聞いてるよ」

「……聞いてたんだ」

 そいやその話さらっと言ってたっけ。知ってたなら連絡ぐらいよこせってば。


「しょっちゅう嬉しそうに言ってる。ネットで画像集めて保存してたりするしな」

「ちょ、バカなことさせてないで止めてよもう……」

 そりゃお父さんは昔からわたしのこと大好きだけどさ……雑誌だってちゃんといつも送ってあげてるのに。恥ずかしいじゃんそんなの。

「いやおれも集めてるけど」

「削除しろいますぐ!」

 あんたもかよ! 親子でなにやってんだ!


「無理だよPCまだ届いてないし。とにかく、おれがうちで一番ヒマなんだから、家事ぐらいやらせといて楽すればいいんだよ。それに」

 そこでお兄ちゃんは天井……いや、おそらくは2階の奥、両親の寝室を見上げた。わたしもつられてそっちを見る。


 顔を戻すと、少し皮肉な感じで笑うお兄ちゃんと目が合った。

「……母さんは相変わらずあんな感じだろ? だから顔を立ててそういうことにしたんだよ。言い出したのはおれ。条件なんて言い方が気に食わなかったなら謝る。ごめんな」


 そっか……そういうことなんだ。画像は今度目の前で削除させるとして……それならそうと最初から説明してくれたらいいのにさ。いきなりキレたわたしこそバカみたいじゃん。

「先に言えっつーの……」

 虎次郎兄ちゃんは基本的に説明上手なんだけど、ひとの気持ちに鈍感だから説明そのものをなかなかしてくれない。そのせいで昔もよくひとを怒らせてた。


「だから任せて。そのぐらい負担にならないし、下着だってちゃんと洗うから。……あ、でもひもパンとか出てきたらさすがにお兄ちゃん照れちゃうな」

「なっ……履くかそんなの! なに想像してんだ変態!」

 一応持ってはいるけど! 見せる相手もいないのに履けるわけねぇだろ!

「つーか洗うな。自分でやって部屋に干すから見るな」

「お。元気出たな。盗んだりしないから安心して」


 バカ。それで元気づけたつもりか。

 出ねぇよ。もう泣いてないし怒ってもないけど。

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