第2章 (1)
「ここだよね」
「ここだね」
土曜の午後。わたしは午前授業のあと一度帰って着替えてから、待ち合わせしたアイリとふたり東高の門をくぐった。
「1ーC。間違いないよね」
「間違いないね」
東高の1年C組は、お兄ちゃんと今日子さんのクラスだ。念のためもらった校内地図付きのメッセにもそう書いてある。
「かりん、知ってたの?」
「いや? お兄ちゃんも教えてくれなかった」
電話での今日子さんの反応が気になったから、それはあの日のうちに訊いてみたんだけど、「楽しみにしてて」としか言われなかったんだよね。
「その割に驚いてないね」
「予想はしてたからね」
やたら張り切ってたというお兄ちゃん、見られたくないという今日子さん。
その答えは目の前の、教室の扉横に立てられた看板にある。
『メイドカフェ 放課後のティータイム』
なんつー名前だ。これはお兄ちゃんの仕業じゃないことを願おう。
しかしいま思えば、アイリとの秋葉原もこれが関係してたのかも。
「入るの? かりん」
「え? 入るよ。当たり前じゃん」
言わんとするところはわからなくもないけど。
「女ふたりで? メイドカフェに? わたしオタじゃないんだよ?」
「男と来るよりいいよ。あんた今日子さんのメイド見たくないの?」
皮肉を言ってやると一瞬アイリはわたしを睨むも、すぐ表情を戻した。
「……見たいかも」
「素直でよろしい」
勇んで扉を開けると、ドレスシャツにボウタイを着けた受付のお兄さんがわたしたちを笑顔で迎えてくれた。
「お嬢様、おふたり様です!」との声に続き、スタッフの皆さんが声を揃える。
「「「お帰りなさいませ、お嬢様!」」」
席に案内され、ふたりで店内を見渡す。
「……ピンクだね」
「そうだね」
窓を覆うカーテンは薄いピンクでテーブルクロスはショッキングピンク、その上に置かれたメニューも表紙こそ焦げ茶色だけど開いてみると肌色がかったピンク。ついでに言うとわたしが今日履いてるパンプスもピンクである意味保護色。
テーブルはぜんぶで7卓、お客さんはわたしたちを含めて3組だけ。まだお昼どきなので、お茶よりしっかり食事出来る店にひとが流れてるのかもしれない。
「ご注文はお決まりですか?」
メニューを横に向けてアイリと眺めてると、店員がやって来た。
「わたしはアイスティにチョコシフォンでお願いします」
昼ご飯もまだなのに、アイリはケーキを注文しやがった。挑戦的な奴だな。
「わたしは……ブレンドでいいや」
「デザートはよろしかったですか?」と店員。
「うん、いらない。ところでさ」
わたしが店員にタメ口なのには理由がある。
「ここ、メイドカフェだと思って入ったんだけど」
「仰る通りです、お嬢様」
わたしはその相手に問う。
「んじゃなんで執事がいんの?」
受付は別として、店員はメイドさんばかりだ。作業場らしきパーティションの向こうからは男の声も聞こえるので、裏方スタッフは男子なのかもしれない。
ただわたしたちが着席した瞬間に颯爽とやってきたのは、燕尾服に白ネクタイを着用した、短髪オールバックに伊達メガネの長身イケメン。
もちろん虎次郎兄ちゃんだ。まだ夏で、部屋の冷房も弱めなのにそんな格好でよく汗ひとつかかねぇなこいつ。
「わたしは構わないよ? ……とても似合ってます、虎次郎さん」
「アイリ様も。仕事でなければ手に口づけのひとつもしたいのですが」
そのリアルお嬢様をリアルメイドカフェに連れてった奴がよく言うわ。
今日のアイリコーデは薄藍色のチャイナ襟ノースリーブをトップに、スカートはほとんど白に近いレモン色の片側スリット入り膝丈タイト。普通の日本人が着たらコスプレ紙一重な格好してもちゃんと高級感あるおしゃれに見えるんだからこいつやっぱ格が違う。
「ふふ。いいんですかそんなこと言って。かりんの前なのに」
「かりん様にはいつもしてますので」
「してねぇから!」
ちょっとだけ店の一部がざわめいた。主に男子の声で。替われとかあいつやっぱ殺すとかは聞こえなかったことにしよう。
「かりん……それは聞いてないんだけど?」
「だからされてねぇし!」
いつもはな。一度だけされたことあるけど。殴って説教したけど。
「つーか様はやめろ。気持ち悪い」
「いまは仕事中ですので。ご了承くださいませ」
お兄ちゃんは真顔のようで、メガネの奥の目だけが笑ってる。
「……はいはい。んでさっきの質問の答えは?」
「あるひとの強い要望により」
「ふーん」
ちぇ。やっぱお兄ちゃんのファンいるんじゃん。
わかってたけど。アイリの言う通り超似合ってるし、っていうかわたしも前からこういうの似合うかもって思ってたし。あとで写メ撮ろ。
「とりあえず注文は以上で。それから給仕はあのひとでお願い」
と言ってわたしはとあるメイドさんを指さす。
「わたくしになにかご不満でも?」
「黙ってさえいればないよ。でもあのひとがいい」
だってこいつの給仕じゃ家と大して変わんねぇし。
「そうですね、わたしからもぜひ」
と言ってアイリも嬉しそうに同じひとを指さす。
その指の向かう先は言うまでもないだろう。
「かしこまりました。ではわたくしはこれで。あとでまたご指名いただければ幸いです」
残念そうな顔で注文を受けながらも、お兄ちゃんは大人しく下がった。
それから2、3分、わくわく顔でわたしたちは待ち続ける。
「きょうこちゃん、2番テーブルお願いします!」
やがて作業場からの声を合図に、ひとりのメイドさんがパーティションの向こうに消える。再び姿を見せた彼女は、がっくりうなだれながらわたしたちのところへ来た。
ふっふーん。ふっふーん。
全力笑顔のわたしたちに視線をまったく向けず、メイドさんは品物を並べる。
「……ご注文の品は、以上でよろしかったですか……」
「はい。いただきます先輩」
えへへ今日子さん。そろそろこっち見てくれていいんですよ?
「ぶひ、ぶひ、ぶひぃ」
「かりん、声に出てる」
おっとやべぇ。間違った。
「こほん。今日子さん、こんにちは」
「……うん、いらっしゃい。ふたりとも」
苦い顔を上げた、胸前の名札にはポップなフォントで『きょうこ(ハートマーク付き)』
なお昨日のあれは夕食後に電話で謝ってる。「せめて一言ぐらいはフォローしてあげて欲しかったな」と小言をもらったものの、怒ってたわけじゃなさそうなので助かった。
「先輩は様付けじゃないんですね」
「大丈夫。そんな言葉遣いしてるの、あの外道だけだから」
外道て。あの、ってことは、あれだよね。
振り向いて見ると、お兄ちゃんはにこやかに手を振ってきた。そっちに親指だけ向けながら今日子さんに戻って問いかける。
「もしかして、その格好って」
「そう。あいつにやらされてる」
「先輩、もっと笑顔のほうが素敵ですよ」
「……アイリ、いまの覚えておきなよ」
脅し文句のあと、今日子さんはお兄ちゃんを半目で睨みつける。ふむ。
「わかりました。……お兄ちゃん、こっち」
「どうなさいました、かりんさまぶっ!?」
喜色満面で駆けつけたお兄ちゃんの肝臓あたりに全力の左フックを叩き込んだら店内がまたちょっとざわめいた。ざまぁはともかくご褒美じゃねは聞こえなかったことにしよう。
「……かりん、なんで……?」
不意打ちだったからか、今回はけっこう効いたらしい。
「いまのは今日子さんの怒り。でもわたしからは良くやったと言っておく」
「かりんちゃん? 良くやったって?」
「え? だってかわいいじゃないですか」
今日子さんを含め、店内にメイドさんは4人。執事を入れれば5人。ほかのスタッフが何人いるにせよ、クラスの人数を考えれば時間で交代してるのだろう。たまたま今日子さんのいる時間に来れたのは僥倖。ナイスわたしの体質。
で外道だのやらされてるだのっていうのは、他のメイドさんがスカート長めでクラシカルな装いなのに対し、今日子さんひとり違う路線になってることを指す。
おもむろにアイリがスマホを取り出して言う。
「写真撮りますね」
「だめだから!」
今日子さんの悲鳴と同時に、お兄ちゃんがスマホのカメラを片手で遮った。
「お嬢様、撮影はご遠慮ください」
ちなみにわたしも取り出したところだった。
「え? いいじゃん別に。減るもんじゃないし」
なんのために来たと思ってんだよ。せっかく今日子さんの晴れ姿なのに。
「わたしの心がすり減るから!」
「きょうこさん、語尾」
「…………」
お兄ちゃんに命令っぽく言われると、なぜか今日子さんは黙った。
不思議に思ってるところに、お兄ちゃんはわざとっぽく店中に通る声で言う。
「申し訳ございませんお嬢様。当店に限らず、室内での撮影は特に説明または許可のない限り禁止となっております」
それからわたしに向けてこっそり付け加える。
「おれが撮ったやつあとであげるから」
「ならいい。絶対だよ」
「……この兄妹は……」
小声でこぼしたのち、今日子さんはわたしたちのテーブルに少し身を屈めた。
「2年前だったかな、やっぱりメイドカフェやったクラスで盗撮騒ぎがあったらしくて。そのときはスカートもかなりミニで、エンタメ系だったのもあったみたい。だから写真はほんとにNGね。うちがこういうクラシカルな方向で許可取ったのもそれで」
なるほど。でもさ、と思うわたしより先にアイリがツッコむ。
「でも先輩、スカート短いですよね」
「言わないで」
そうなのだ。今日子さんだけすげぇ短い。うかつにしゃがんだら下着見えそうなレベルで短い。
そのスカートの後ろから伸びた飾りをわたしは手に取っていじくる。
「かわいいですね、これ」
一方アイリは今日子さんの頭をよしよしなでる。
「先輩、カチューシャ似合ってますね」
「嬉しくないから」
「ほんとに似合ってますよ。超かわいいですってば」
「だから嬉しくないってば!」
「きょうこさん、語尾」
「嬉しくない………………にゃ」
ぶっはそれか! 破壊力やべぇ!
思わずアイリとふたり、しばらく下を向いて笑いを堪えた。
顔を上げると今日子さんは見事に赤くなってる。超ミニのおしりからはふさふさのしっぽ、頭にはネコ耳付きヘッドドレス。
というわけでひとりだけ、なぜかネコ耳メイドなのでした。あー癒やされる。
「あんたいったい今日子さんのどんな弱み握ってんの? にゃ」
「わたしもそれすっごく気になります。にゃ」
ふたりで尋ねると、お兄ちゃんは今日子さんに目配せする。
今日子さんはわたしたちを恨みがましく見たのち、やはり意味ありげな視線をお兄ちゃんに返した。アイコンタクトはちゃんと通じ合ってるようで、昨日言われた通り仲が悪いわけじゃなさそうだ。
じゃ種明かし、とばかりにお兄ちゃんはわたしたちに向き直った。
「まぁ、取引をしたんだよね。十六夜さんがその格好をする代わりに、おれもこの格好で店に出る、って」
「虎次郎さんのその姿なら、女性客が集まりそうですからね」
その言葉でアイリは納得したようだ。甘いな。
「つまりこいつの卑劣な誘導尋問に引っかかったというわけですね」
代わりに正解を言ってやると、今日子さんが深く頷いた。
「かりんちゃん……わかってくれるんだね……」
「わたしもよくやられましたから」
「……そうなんですか? 虎次郎さん」
「どうだろ? 覚えてないな」
どの口で言うかあんたは。その手でおやつとかお兄ちゃんの好きな夕食のおかずとか何度も奪われたわ。ちなみに同じことを龍一兄ちゃんに仕掛けたときは普通に殴られて泣いてた。
「わたし抵抗したんだよ? 抵抗したのに……」
「言質を取らせるのが悪いんだよ」
切実さが伝わる今日子さんの泣き言を、お兄ちゃんは当然のように切り捨てた。これもわたしが昔よく言われたやつ。同情はします。
「ところで、なんで今日子さんなの?」
「単純に人気の問題。多数決の結果とも言える」
「あんなの多数決じゃないよ……絶対仕組まれてたよ……」
そっか。まぁひとりだけのほうがレア感もあるしな。
「学校には内緒なんだよね? これ」
口コミ狙いの客寄せパンダ(いや猫か)なのはわかるけど、いいのかね、と思って訊くと、お兄ちゃんは例のごとくいたずらに笑った。
「あと十六夜さんなら教師受けが良いから、最悪ばれても目こぼしが期待出来る」
理解した。そうやって転入生がいきなりクラス(のおそらく男子)を掌握してみせたのか。1部のディオ様を彷彿とさせる悪党っぷりだな……。
「でも似合うだろ? これ」
と言ってお兄ちゃんはネコ耳さんを指さす。
それにしても似合う。今日子さんは雰囲気や喋り方こそ大人っぽくても、顔立ちそのものはわりと童顔なのだ。丸い目元や細い手足と相まってもう完璧。いっそ最初からこれで生まれてくれば良かったのに、って思うぐらい。そしたらうちで世話する。一生。
「最高。まじGJ」
「わたしも、これは認めざるを得ませんね」
親指を立てて頷くと、アイリも同意した。今日子さんが憮然として言う。
「自分は着なかったくせに……」
「まぁまぁきょうこさん。おれも女だったら一度ぐらい着たかったよ?」
「なんならいま着てもいいんだよ?」
そんなグロ画像見たくないです。
「お兄ちゃんには似合わないと思います。女だとしても」
顔立ちが濃すぎるから、普通のならまだしもネコ耳は無理だろ。
「残念。かりんなら似合うだろうな」
「あんたよりはね」
わたしは日本人顔だからな。この今日子さんみたいにはなれないだろうけど。
「あ、興味あるん」
「でも着ないよ?」
食い気味に拒否してやると、お兄ちゃんはあっさり諦めたらしく目を移す。
「そっか。……アイリも似合うよ、きっと」
「虎次郎さん?」
冷たい口調で返されると、こないだは断られちゃったけど、と前置きしながらお兄ちゃんはテーブルに手をついた。
「言っただろ? 綺麗なだけじゃない、かわいいアイリが好きなんだよ」
うっわ始まったよ……。
「すぐそういうこと言うんですね。兄妹揃って」
いやこいつと一緒にすんなと。でもちょっと照れてね? 大丈夫か? それにあんた外見は白人でやっぱ顔濃いから微妙じゃね?
膝を落として顔を近づけ、甘い声でお兄ちゃんは続ける。
「ファンタジー映画みたいに見えるだろうな、アイリなら」
「もう。……まぁ、まったく着てみたくもない、というわけじゃ……」
「あ、バカ!」
「え?」
え?じゃねぇよ! 言ったばっかなのに思いっきり引っかかりやがった!
「言ったねアイリ?」
お兄ちゃんはいたずらどころか犯罪的に邪悪な笑顔を見せる。
罠に決まってんだろこんなの! つーか流れで気づけよ!
「みんな聞いたか! アイリが着るぞ!」
うおおおおおおおお!とパーティションの裏から怒号が響く。
「さすが高嶺! おれたちに出来ないことを平然とやってのける!」
「そこにシビれないでください憧れないでください!」
じゃなくて営業中に遊ぶなよ!と思って見ればお兄ちゃんはドヤ顔で某13巻の表紙立ち。左手と右手の角度は平行にするのがポイントらしい。
「待って虎次郎さん! 嘘でしょ?」
立ち上がろうとしたアイリの肩を、後ろから今日子さんが抑え留める。
「言ったよねアイリ。笑顔で着たらきっと素敵だよ?」
「先輩の笑顔が怖いです!」
「嘘じゃないよ。こんなこともあろうかと思ってさ」
言うとお兄ちゃんはパーティションの裏に一度引っ込み、ネコ耳メイド服を2着持ってすぐ戻ってきた。2着?
「わたしは着ないって言ったよね?」
「わたしが着るのは既定路線なの?」
「あんたは着たいって言っちゃったじゃん」
「先に言ってよそういうゲームだって!」
いやアイリならわかるかなって思ったし。普段の鋭さ出せよ。
「まさか自分は着ないつもりなの? わたしだけ生け贄にするの?」
「いい機会じゃん。お兄ちゃん喜ばせてやんなよ」
ふへへざまぁ。いい加減こいつの性格悪さに気づけばいいんだよ。
苦々しく歪む金髪碧眼の美貌を楽しんでると、今日子さんが片手でアイリを抑えつけたまま横に回り込み、空いた手でわたしの肩も掴んできた。……あれ?
「だけじゃないよアイリ」
そして謎の黒いオーラを出しながらその手に力を入れる。
「親友もお姉ちゃんも見捨てて逃げるような悪い子じゃないよね? 昨日もあんなに頑張ってわたしかりんちゃんのフォローしたよね?」
目が闇堕ちしてますよ! しまった……逃げ遅れた……。
結局着せられて、ネコ耳3姉妹爆誕。いっそ泥棒にでもなればいいのか。
「お帰りなさいませにゃ、ご主人様」
恥ずかしい語尾を堂々と言いながら、アイリは表情を変えずに接客する。
今日子さんとはまた違った路線ながら、思いのほか似合ってた。ネコ耳メイドというより、お兄ちゃんの言った通りファンタジーに出てくる獣人美女がメイド服着てるみたいな感じ。
「アイスコーヒー2つ、お待たせしましたにゃ」
わたしも普通に接客する。ほくほく笑顔のお兄ちゃんを見ると腹立たしいけど、こうなった以上は照れたほうが負けだ。半ばやけっぱちな面もあるものの、将来を考えれば芸の肥やしに出来るとも言えるし。あとであいつ絶対泣かす。
「また来てくださいにゃ、ご主人様」
今日子さんもすっかり元気でぱたぱた走り回ってる。
「「「お帰りなさいませ、ご主人様!」」」
「申し訳ございません、すぐお席片付けますので、少々お待ちください!」
つーか忙しい。テーブル7卓に対してメイド(と執事)も7人いるのに、絶え間なく訪れるお客さんのせいで冗談を言うヒマすら接客時を除けばほとんどない。さっきのゆるいムードが嘘みたいにひたすら満卓状態が続いてる。
どこから広まったのか(おそらくLIMEだろうけど)教室の外には行列が出来てるらしく、現在は1卓20分の時間制限までかかってる始末。
そんで各席から似たようなコメが小声で延々飛んでくる。
「かりんちゃんの……ネコ耳メイド……」
ええまぁそうですがなにか?
「ネコ耳の……外人……しかも超かわいい……」
もうそっちばっかり見ててください。
本来ならアイリが圧倒的に目立ちそうなものだけど、東高における特殊な知名度のせいで、注目度は5:4:1ぐらいでわたし。こんな形で勝ちたくなかったわ。なお1は今日子さん。あのひと元気出たのってたぶんそのせいだよね。
「かりんちゃん、おひとり様2番テーブルへ!」
「はいにゃ!」
呼ばれてわたしは受付のほうへ駆け出す。
そこで事件は起こった。
「え……お前、なにしてんの?」
順番待ちの先頭にいたのは、昨日最悪な初対面を果たしたメガネ男子。
今日子さんの弟、和樹だった。
なにしてんのじゃねぇよ見てわかんだろネコ耳メイド姿で接客してんだよ。……ってほんとなにしてんだろうなわたし。
くそぅ。よりによってこいつに見られるとは。
考えてみれば、身内も通ってる志望校ってことはわたしと同条件なんだから、これは普通に予想出来たことだったのに。
「……こちらのテーブルへどうぞ」
目を合わせたのは一瞬だけ、すぐ振り返ったわたしは相手への返事をせずに席へ案内した。なにげに貴重な体験をちょっと楽しんでる部分もあったのに、妙に冷めてしまった。
「ご注文お決まりになりましたらあちらのメイドをお呼びください」
早口で言って、わたしは今日子さんを指さす。
「いやもう決まった。ジンジャーエールとチーズケーキで」
メニューを開いたかと思ったら即言われて、テーブルを離れる隙もなかった。
男子ってこういうとこあるよな……。せっかちというか、メニューを選ぶところから楽しむ文化がないというか。昔はお兄ちゃんたちも外食するときいつもこんな感じだったっけ。帰ってきてからの虎次郎兄ちゃんは悩むわたしに合わせてくれるようになったけど。
「つーかまじでなにしてんの? お前中学生だろ?」
ほっとけ。あんたお姉ちゃん目当てじゃねぇのかよ。
今日子さんをちらちら見ると、知り合いなのか、遠いテーブルの4名様に話しかけられてるようでまだこっちに気づいた様子はない。店内は騒々しくなってるし、おそらく声も聞こえてないのだろう。
はぁ。立場上、無視するわけにもいかないか。
「罰ゲームに決まってんでしょ。好きでやってると思うの?」
「ふぅん。まぁいいけど。似合うじゃん」
「嬉しくないから」
「語尾に『にゃ』とか付けないの?」
「……ジンジャーエールとチーズケーキですね。かしこまりました」
わたしは全力で煽り耐性を発動させて、パーティションの奥に下がった。
「……参った……」
注文をスタッフに伝え、休憩用の椅子に腰掛けたところでつい呟く。
そこにお兄ちゃんがやってきて、わたしの頭へ手を乗せた。
「疲れちゃったかな。もう上がっていいよ。ありがとな」
優しい言葉の誘惑に負けそうになりつつも、手を払って答える。体力的にも少し消耗してるとはいえ、いま来た疲れは精神的なほうだ。
「ううん、あと10分だし。大丈夫」
頑張って笑顔を作ると、お兄ちゃんも笑顔で接客に戻った。
実のところ、この格好はゲームに(アイリが)負けたせいでも、接客までする義理はない。身内とはいえ部外者だし、ルール違反にノリで付き合ってるだけだ。
あまり話題になって問題に発展しても責任は取れないし、今日子さんの交代時間までという約束の、言ってみればお遊びだ。
ただそのお遊びを本気でやるからこそこういうのは楽しいのも事実で、引き受けてしまった以上、中途半端なところで放り出すのはわたしのポリシーに反する。
「かりんちゃん、2番テーブルいいかな」
スタッフに声をかけられて椅子を立つ。そっと店内の様子を窺うと、今日子さんはさっきの卓を片付けてるところで声をかけられそうにない。
よし。ちゃんとやる。
両手で頬を軽く叩き、行ってきます、とわたしはトレイを受け取った。
「お待たせしましたにゃ」
品物を並べながら、わたしは真顔で言ってやった。
「ぶふっ! まじで言いやがった!」
「真面目にやってんの。笑わないで」
ここでまたモメるのは今日子さんに対してあんまりだ。それに、ひと様のお祭りにわたしの個人的な感情で水を差すのは普通に考えて避けなきゃいけない。
「それより今日子さん呼ばなくていいの? いまなら替われそうだけど」
さっきのテーブルは片付けが終わって、そこに次のお客さんを案内するのが横目に見えた。お嬢様3名だったから注文もすぐには入らないだろうし。
弟くんも今日子さんのほうへ目をやる。
「お前明日もそれやんの?」
それからわたしに顔を戻して言った。相変わらず質問に明後日の方向から返す奴だな……。
「やらないけど。いまだけ。なんで?」
「じゃ今日はお前でいいや。姉ちゃんは明日にする」
今日は! お前で! いいや!
ほんといい度胸だわこいつ。わたし男のひとからそんな扱い受けたの初めてなんですけど? とはアイリじゃないから言わないけど。
「……それはどうも。でもうちエンタメ系じゃないからミニゲームとかもないし、見ての通り忙しいからあんま長くは話してらんないよ?」
「……なんかお前詳しそうだな」
いや詳しくねぇよ。でも興味を持ったらまず調べろ、が口癖だった虎次郎兄ちゃんのせいでうっかりググっちゃったことがあるんだよ。まさか客として行くより先に働くはめになるとは思わなかったけどな。
「そういうわけじゃない。知り合いに好きな奴がいて聞いただけ」
これはあながち嘘でもなくて、こないだお兄ちゃんに、アイリと行ったときの話ついでにいろいろ訊いたのだ。
「なんだ、てっきり隠れオタなのかと思った。お前いろいろテンプレだし」
「隠してないよ。わたし普通にゆるオタだから。今日子さんと一緒。あとテンプレ言うな」
そこで弟くんは急に、眉根を寄せて怪訝な表情になった。
「……ゆるオタ?」
……出 た よ。
唐突に去年の話だけど、「はなちゃんオタなんだからオタ男子と付き合えば?」といずみに言われたことがある。
ある意味道理だと思いながらも、いきなり男子トークはいろいろハードルが高そうなので、まずはオタ女子トークにトライしてみた。彼氏とか以前に、同好の士が欲しかったからだ。
そんですぐうんざりした。だってあいつらめちゃくちゃ排他的なんだもん。
だいたいなんでわたしが近づくだけで露骨に壁作るんだよお前ら。いいじゃねぇかよオタがおしゃれしたってカフェ巡りしたってモデルやってたってさ。「高嶺さん自分のことオタって言うけど、わたしたちと違うし……あ、ごめん悪い意味じゃなくて、ちょっと世界が違うっていうか。それにこっちゆるくないから話合わないと思う」じゃねぇよ。
意訳すると「オタ公言出来る時点でぜんぜん業を背負ってないよね、つーかあんたみたいなリア充が来んなよゆるオタとかふざけんなにわかが」とかだろ?
はいはいガチ勢すげぇすげぇ。
「ひとの趣味にケチつけないでくれる?」
絶対こいついじめられっ子だよな。昨日のあれは今日子さんからも説教したって聞いたし、いまのも仕返しのつもりじゃなくて、きっと天然なんだろうけど。なんつーか無自覚にケンカ売るスキルレベル高すぎ。
「は? なんでまたキレてんの?」
「キレてはいないよ。あんたがなにもわかってないことがわかっただけ」
やっぱだめだ。これ以上話してたら昨日に引き続きやってしまいかねない。
「じゃわたし行くから。ごゆっくりどうぞ」
これもうポリシーうんぬん言ってる場合じゃないわ。あとはお姉ちゃんに任せて逃げよう、と思っておじぎしようとしたら、途中で後ろから肩を掴まれた。
「ご主人様。うちのかりんがなにか粗相なさいましたか」
そしてよく通る声とともに、お兄ちゃんがわたしを背中に隠すように回り込む。
言葉遣いこそ丁寧なものの、声のトーンが妙に重い。あれなんか威嚇してね? あんたそのガタイでやると怖いよ? いまのやりとり聞こえてたのかな……。
「え、いや。そいつがなぜかいきなりキレて」
だからキレてねぇっつーの。表情の変化からして弟くんはちょっと引いてるっぽいものの、なお出てくる言葉がこれなんだから処置なしだ。
「……かりん、こちらの方がどうかされた?」
お兄ちゃんが振り向いて尋ねた。これは信用されてるってことなんだろうか。仮にわたしの態度が悪かったとしても、理由なしにそうはならない、という。
でもわたしは口ごもってしまう。この妹バカに事実をありのまま伝えたら、変なスイッチが入って事態を悪化させかねない気がする。
話のどこをどの程度伝えるか迷ってると、
「つーか、昨日もだったんだけど」
空気を読めない弟くんが、例の無自覚スキルを発動した。
「バカ、ちょっと黙れ」
あの件はお兄ちゃんには教えてない。昨日の時点では今日子さんとの関係に微妙な雰囲気を感じたから、その弟とのいざこざなんて言って、無駄にこじれたら困ると思ったのだ。それはわたしも今日子さんも気まずいし、お兄ちゃんにとっても望ましい結果を生むまい。
伊達メガネの奥で、お兄ちゃんの目が不穏に光る。
「昨日も? 知り合い?」
とはいえこうなった以上、これはわたしがフォローせざるを得ない。善意の不告知が不幸を招くのはもうごめんだ。
「まぁ、うん。したっていうかされたっていうか、お互い様っていうか。こいつはそう思ってないみたいだけど……でも実際、わたしにも非があるのは確かだよ」
具体的なところは長くなるので省き、結論としてそうまとめた。
公平に見て昨日のあれは、最後のひと言を考慮すればわたしの分が悪い。だから関わりたくない相手でも、この場で会ってしまったからには和解を目指したかったのだ。でなければとっくに問答無用で今日子さんを呼んでる。
あとで思えば、最初からそうするべきだったんだろう。
「そっか。わかった」
優男顔で言ってから、お兄ちゃんは改めて弟くんに顔を向ける。
「帰っていいよ。きみ、客じゃないから」
「え?」
「は?」
わたしと弟くんは同時に間抜けな声を出した。今回はハモらなくて良かった……じゃなくてなんでそういう話になるの?
「は?じゃない。うちはそういう日本人の悪癖に付き合うつもりはないんだ」
「ちょ、待ってよお兄ちゃん」
穏便に済ませようとした矢先にこれはほんとに意味不明だ。怒るツボ、ってあんたのほうがよっぽどわかりづらくね?
止めようと袖を掴んだわたしの手に、お兄ちゃんの大きな手が被さる。
「ここは日本、はやめてくれな。甘やかすからバカがつけ上がるんだよ」
手つきこそゆっくりで優しかったものの、こっちを見ないまま力ずくで引きはがされた。
ぽかんとしてた弟くんが、そこで我に返ったように言う。
「客に向かってバカって……って、お兄ちゃんて、お前ら兄妹かよ?」
「いまはそんなこと関係ない」
いいか?と声をさらに低めて、お兄ちゃんは両手をテーブルについた。
「百億歩譲って、かりんが昨日、きみを怒らせるような真似をしたのだとしよう。けれどここはカフェ営業の店で、客が来店するのは対価に見合う飲食物とそれに伴う接客を受けるためだ。従ってかりんを気に入らないというのなら、ほかの店員を呼んであるべきサービスを受ければそれで済む。ところが見たところ、きみはそうしようとはしなかった」
あ、やっぱ見てたんだ……。もしかして、一度裏に引っ込んだときから。
「もちろんきみにクレームをつける権利はあるし、それが正当なものならこちらも謝罪する。が少なくともうちの労働条件に、プライベートの報復を受け入れることは含まれてない」
気づけば昨日のスタバみたいに店内は静まり返って、ほかのお客さんもメイドさんたちも、スタッフさんたちも顔を出してこっちの動向を見守ってる。
そのなかにはトレイに商品を乗せて出てきた今日子さんもいて、またパーティションの裏に消えるのが見えた。お兄ちゃんが誰を相手にしてるのか気づいて、接客を後回しにすることを選んだのだろう。
あるいは弟くんは、その状況を味方につけた気でいたのかもしれない。
「いやいや……なに言ってんすか、お客様は」
「神様って言いたいのか?」
お兄ちゃんは強い語調で、弟くんの反論を先読みで潰した。
「あのな。接客側がそういう姿勢で仕事にあたることが悪いとは言わない。けど自分で自分を神様なんて言う奴はニセ宗教の教祖か、でなければ頭が病気だ」
「ねぇほんとやめてお兄ちゃん、わたしが悪かったの」
再び袖を掴んだところ、今度は手に触れさえしてこなかった。強く引いても、大きな身体はびくともしない。
「待って、ごめん高嶺くん」
早く来て欲しいと願ってた今日子さんが、ようやく現れて止めに入った。
「この子、弟なの。話はあとで聞くから、いまはわたしに預けて」
これで助かったかも、というわたしの思いは、しかし容赦なく裏切られる。
「弟? ……これが、例の?」
『例の』?
その意味をわたしが考えるより先にお兄ちゃんは動いた。
「じゃあ、なおさら出てってもらわないとな」
言いながら弟くんの襟首を掴み、片手で引き起こして椅子を立たせる。
「え……ちょっ……苦しい」
「やめて高嶺くん、お願い!」
「お兄ちゃん! やりすぎだから!」
ねぇみんなこれなんで黙って見てんの? 確かにいまお兄ちゃん怖いにしても、日本人の悪癖って、こういうとき揃って野次馬になることのほうじゃないの?
アイリも助けろよ、つーかあいつどこ行った!
「悪いけど無理。……和樹だっけ? ここで殴られないだけありがたいと思えよ。姉ちゃんに礼言っとけ」
そのまま弟くんを引きずり、お兄ちゃんは出口専用になってるほうの扉へ向かおうとする。わたしと今日子さん、ふたりがかりで袖を引くのも完全に無視。
それでもなんとかその場に足止めしてると、入り口側の扉が勢いよく開いた。
入ってきたのは大人がふたり。お客さんのようには見えないから、巡回の教師陣だろうか。なぜかその後ろにアイリの姿があった。
先生らしきふたりは教室のなかを見渡し、やや間があって怒声が響く。
「なにをやってるんだ! このクラスは!」
かつて不登校児だったお兄ちゃんの、初めての文化祭はそうして終わった。




