ダンスなんて嫌いだ
フォルテの音色が部屋の中を響き渡る。フォルテは地球で言うピアノのような楽器だ。フォルテを弾くのが上手い召使いが弾いている。その音楽に合わせてダンスの教師が手拍子を叩く。しっかりとそのリズムを聴きながら、必死でステップを踏む。
間違わないように、背筋は伸ばして、音楽に合わせて。
フォルテの音が余韻を残して消えた瞬間、私はほっとして思わず座り込みたくなった。
終わった。いつもなら途中でどこかミスして、怒られて何度もやり直すのに、今日は一度も止められずに最後まで踊りきった。安堵感が胸一杯に広がる。
しかしダンス教師は、せっかくの私のいい気分を邪魔するように、冷たい言葉を放った。
「お嬢様。はっきり申し上げますが、お嬢様が上達されたのではなく、お相手のジェラルド様のリードが上手いからミスなく踊れたのですからね。お相手がいつもこんなにリード上手とは限りません。お嬢様がもう少し巧みに踊れるようになりませんと、お嬢様が恥をかくのですよ」
うう……やっぱりジェラルドのおかげか……。確かにいつもよりもずっと踊りやすかった。
「いいですか、視線は上を向いて。ステップを気にして足下を見過ぎです。それから動きが固い。もっと優雅に女性らしく。それから……」
まだまだ続きそうな教師の言葉をジェラルドが遮った。
「まあまあ言うよりも踊って体で身に付けた方がいいと思うよ。もう一曲ね」
ジェラルドはそう言ってから、私の耳元でささやいた。
「ステップとか気にせずに頭を空っぽにして。音楽に乗って、僕を見て、楽しもう。ダンスは遊びだから」
見上げるとジェラルドが、気の抜けるような無邪気な笑顔を浮かべてて、ほっと安心した。フォルテが旋律を奏で始めると、その音の流れに自然と乗るように踊り始める。
先ほどまではミスしない事ばかりに意識が向いていて気づかなかったが、腰を抱かれて密着したジェラルドの体は意外とたくましく、しっかり握られた手は固く、軟弱な表情とのギャップにドキドキした。
ジェラルドの呼吸にあわせるように、私も一歩一歩ステップを刻む。まるでフワフワと漂うようで、落ち着かない気分で。
ジェラルドが引くのに合わせて自然と踏み込み、踏み込まれるのに合わせて自然と引く。一度一緒に踊っているのもあるが、今まで何度も練習していたせいか、頭で考えなくても体が自然と動いて行く。
まるでジェラルドと会話をしているような気分になって行く。気恥ずかしくて、くすぐったくて、早く終わりたいような、目をそらしたくなるような。
でもジェラルドは最後まで私が顔を背けるのを許さなかった。
気づくとあっという間に一曲終わっていた。
「どうかな?」
ジェラルドがにやりと笑いながら聞くと、ダンスの教師は一切文句をを言わずに「お上手でした」と答えた。
及第点をもらえたおかげで予定よりもずっと早くダンスの授業が終わった。いまだ落ち着かない気分で慌てて逃げ出すように外の空気を吸いに行く。ジェラルドも勝手についてきた。
「マリアって不器用だよね……。あんまり思った事を素直に言えないでしょう」
「……な!」
言われてすぐかっとなったが反論できなかった。好きな事、お茶の話とかになると熱心に会話できるのだが、普段の何気ない会話とか実は苦手だったりする。特に本音は黙って飲み込んでしまいがちだ。
「ダンスも会話と同じだよ。相手の言葉を受け止めて返す。相手の動きに合わせて動く。一緒に踊ればその人がどんな人か良く分かる」
まるで自分の事を見透かされたかのようで恥ずかしい。私なんてジェラルドを意識しすぎて、そんな観察している余裕もなかったのに……。黙って俯く私にジェラルドの甘い声が聞こえてくる。
「マリア……」
手を握られて慌てて振り払う。ダンスの練習でずっと握ってたのに、今となれば恥ずかしい。それにこれ以上自分の中に踏み込まれたくなかった。
「茶畑に行って来る。ついて来ないで」
逃げるように走り出す。本当は畑に行く理由なんてない。ただ逃げ出せればどこでもよかった。一番居心地のいい所が茶畑だったのだ。
黄昏色に染まる茶畑を眺めながら、なんだか切ない気分になって来る。日本の童謡を口ずさみながらのんびり散歩する。私の手に残るジェラルドの大きくて固い手の感触。顔が赤くなるのは、夕日のせいばかりではなかった。
「ダンスなんて嫌いだ……」
呟いた言葉は誰にも届かない。
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