骨肉の争い
地味な顔立ちのせいで気づかなかったが、間近で見る皇太子の顔色は悪く、目は濁り、吐く息の匂いまで漂ってくる。この距離の近さに気味の悪さを感じつつ、ふと遠い昔の事を思い出した。
もしかしてこの人と……つい考え込んでしまいそうだったが、間近に見る皇太子の鬼気迫る表情が私を現実に引き戻した。
「ジェラルド殿下は関係ありません。私は強制されて何かを押しつけられるのが嫌なだけです」
両肩にかかる力が強くなった。ソファに縫い止められたような私の顔に、皇太子の顔がゆっくりと近づいてくる。
「気の強い女だ。だがそういうのも嫌いじゃない。……しかし君は何も知らないんじゃないか?」
「何をですか?」
「ジェラルドは人殺しだ。あんな奴に義理立てすることはない」
「人殺し」という言葉が響き、私は大きく動揺した。いつも軽くてヘラヘラしているジェラルドに、まったく似つかわしくない言葉だった。
皇太子の目は血走り、ジェラルドを憎々しげに思っている事が手に取るように分かるほど、厳しい表情をしていた。その凄みは嘘を言ってるように見えない。
「そんな……まさか」
「ではなぜ王族のあいつが一人でフラフラと旅をしていたと思う。自分の犯した罪を償うために、ほとぼりが冷めるまで追放されてたのだ」
皇太子の言葉はとても説得力があり、私はさらに動揺した。確かに一国の王子があんな気ままな一人旅をしているのがおかしかったのだ。アルブムに帰りたがらなかったも、それが原因かもしれない。
「あいつのせいで俺は……大事な物をなくした……」
ふと漏らした皇太子の声はか細く震え、表情はとても切なかった。先ほどまでの荒々しさがなりを潜め、切なくなるほどの哀愁を感じる。
突然与えられた情報に混乱しつつ皇太子と見つめ合っていると、突然扉を荒々しくノックする音が聞こえた。
「兄上失礼します」
聞こえてきたのはジェラルドの声。扉を開けようとして鍵がかかっているために、ガチャガチャと音を立てて乱暴に開けようとしているのが聞こえる。
「開けてください兄上。そこにマリアがいるのでしょう? 開けないなら壊してでも入りますよ」
言葉は丁寧ながらも、焦りを感じる声で、その内容は凶暴だ。見上げると皇太子は舌打ちをしつつ、不満げな顔で私の上から離れた。ほっとした私は慌てて扉に向かって、鍵を開けた。
扉の向こうにいたのは悲壮な顔をしたジェラルドだった。顔は青ざめ、表情は鬼のように怒り、いつもの軽い空気はみじんも感じられなかった。
「マリア! 無事だったんだね」
そう言いながらジェラルドが伸ばした手を私は後ろに下がってかわしていた。「人殺し」と言われたあの言葉がよみがえり、ジェラルドの手が赤く染まっている気がしてならない。
怖いという気持ちが先に立って、反射的に逃げ出すように離れた。
「マリア……」
悲壮な声でジェラルドが見つめている。とても悲しくて辛そうな声に心が折れそうだったが、私はそれに何も言えずに部屋の隅で縮こまっていた。
「マリア。こっちに来て」
ジェラルドの後ろから声が聞こえてくる。見ればソフィア様の姿があった。
「ソフィア!」
私以上にソフィア様の存在に驚いたのは皇太子だった。慌てて彼女に近づこうとして、ソフィア様に睨まれた。いつも気だるげなソフィア様がキツく睨むと、それは恐ろしい物だった。
「ラルゴ……君はまた同じ過ちを繰り返す気だったの?」
「違う! ソフィア聞いてくれ。君は勘違いをしてるんだ」
「言い訳なんて聞きたくない」
ソフィア様にキツく言われて、皇太子ラルゴは明らかに落ち込んで見えた。
「マリア行こう」
ソフィア様が近づいてきて手を伸ばす。何がなんだか分からなかったが、皇太子やジェラルドより、今はソフィア様の方が安心できた。だから彼女の手をとってその後に続いた。
「ソフィア待ってくれ」
皇太子の声が響いたが追ってはこなかった。
しばらく歩いているうちに最初は早足だったのが、ゆっくりになっていく。そして突然ソフィア様が振り返って言った。
「驚いた? 皇太子の事呼び捨てにして」
「いえ……。だってジェラルドの事ずっと呼び捨てにしてたし」
そう……彼女はずっとジェラルドと親しげだった。その姿が妬ましいくらいに。
「私の父は学院の理事長で、ラルゴとジェラルドの家庭教師だったんだ。父に連れられて子供の頃から二人と会っててね。まあ……幼なじみみたいなものだよ」
「そう……なんですか……」
「さっきジェラルドを避けたね。ラルゴに何か言われた?」
ソフィア様にそう聞かれて反射的に首を横に振った。幼なじみのように親しいソフィア様にはジェラルドの悪い噂を聞きずらかった。
「とりあえず当分家に来ると良いよ。ラルゴも私の家に手出ししないだろうし。近くにいる方が安心だ」
「私……別に……平気です。皇太子殿下に何かされたわけじゃないし……」
実際は脅迫的に命令されたり、押し倒されたりしたのだが、ソフィア様に向かって悲壮な声をあげた皇太子の悪口を言うのも気が引けた。
そんな様子を見たソフィア様は今まで怖かった表情を和らげ笑った。
「マリアは優しいね。無理しないで甘えていいからね」
ソフィア様の優しい言葉に、色々たまっていた物があふれ出して、思わずしがみついて泣き崩れてしまった。




