仕方が無いの
ティークリッパー参加船が強行軍と言った言葉は文字以上に『強行軍』だった。ロンドヴェルムが最後の補給港でそこからアルブムまで船はノンストップで進み続ける。
補給の量も最低限の分早く着かなければ生死にまでかかる。天候を読み、風を読み、潮を読み、海の男達はティークリッパーに命をかけていた。
船は基本帆船であり、帆が追い風を受けて進み、風がない時や港の近くで細かい走行が必要な場合、短時間船員達が船をこぐ。風頼み、天候次第と言う訳だ。
そして今綺麗なまでに海が凪いでいた。
「困ったわね……」
海が静まり返って1日。他の船も同じく凪なら良いのだが、こうして停滞している間に抜かれてしまっては困る。それにこのままでは食料や水が先に底をつきる。命にも関わる重要な問題だ。
「こういう時風の魔法使いがいればね……なんて言っても無茶な話だが……」
「風の魔法使い?」
船員達の愚痴がつい耳に入り聞いてしまった。
「何せクリッパーレースは風次第で大きく左右されるからね。大金払って優秀な風魔法使いを雇う船もいるそうだ。もっとも魔法使いのそれも風限定となると、珍しいからなかなか雇えないらしいが……」
それを聞いて気づいてしまった。いるじゃないか、その珍しい珍獣が。
「ジェラルド!」
思い切り客室の扉を開けると、寝床でだらだら寝そべってたジェラルドが不思議そうな顔で「ん? 何?」と返事をした。
「今外は凪なの。風がなくて船が全然進まないの」
「みたいだねぇ。ぜんぜん揺れないもん」
「ジェラルドの魔法の風で船を進める事はできない?」
「できなくはないけど……やだ」
「どうして?」
「まだ仕事したくない」
「そんな事言ってるぐらいなら早く魔法使って」
私が脅し半分に恐い顔で言うと、ジェラルドは思い切り首を左右に振りながら慌てて弁解する。
「前にも言ったけど、魔法の事は他の人に知られたくないんだ」
「ああ……そうだったわね。でもこのまま船が進まないと、港に着く前に食料が底をついて餓死するわよ」
「それは困るねぇ」
ジェラルドも苦笑いという感じの笑い方をして首をひねった。そこでふと思いついた。
「魔法だと気づかれないように風をおこして船を進める事はできない?」
「……」
ジェラルドはぴくりと体をこわばらせてそっぽを向いた。
「出来るのね」
「……嫌だ」
「どうして? どうして嫌がるの?」
「……誰かに貸しを作るのが嫌だ」
よくわからない理由に拍子抜けした物の、ジェラルドの表情がシリアスにこわばっているのを見て、単純に怒れないな……と思った。
「じゃあロンドヴェルムに長居してた、その間の滞在費用の分働けって言ったら? それなら貸しにならないわよね?」
ジェラルドは本当に困ったような表情をして悩んだ後、はあーっとため息をついた。
「その貸しを今ココでチャラにしてもいいなら。でもいいのこんな事で使っちゃって」
「いいわよ。十分すぎる価値があるわ。船を動かす事なんて私にどうにも出来ない事だから」
「わかった。後悔しないでね」
そう言ってジェラルドとそのまま相談した。本当なら今すぐ魔法を使って欲しい所だが、いきなり風が吹いたら怪しいし、自然な風の変化を装うなら時間もかかる。魔法を使ってる所を一目に見られたくないから、目立たない夜にするという事になった。
その後ジェラルドが準備があるといって船内をうろうろし始めた。目立たぬ所に小さく目印みたいな物を船の色々な所に書き記していく。こっそり他の人に気づかれないように話しかけた。
「魔法にこんな事が必要なの?」
「一瞬の突風なら簡単な詠唱だけですむけど、長時間船を動かすほどの力の風をってなると大掛かりになるからね。こういう土台が重要なんだよ」
それから早めの夕食を食べると日が沈む頃にジェラルドは魔法を使うと言って部屋にこもった。こっそり部屋を覗くと、前に一度見かけた時は青い光がきらめいていたのに今度は光はなかった。
ただ室内だというのにジェラルドの髪や服がはためいていた。しばらくすると船が揺れる感覚がしてきて、ばたばたとせわしない足音が聴こえた。
「風がふいた! 今のうちに早く進むんだ!」
船員達のその大声から魔法が成功した事がわかった。ほっとしてジェラルドの部屋の前で座り込むと、キースが歩いてきて言った。
「お嬢様こんな所にいたのですか。探しましたよ」
ヤバい。キースにジェラルドの姿を見せる訳には行かない。
「うん。ちょっと暇だったから船内を散歩してた。それより騒がしいけど何があったの?」
「やっと風がふいて船が動くそうです」
「そうなんだ。よかった。あ……キースもし船員さん達が忙しそうなら手伝ってあげて。私の事は良いから」
「……? はい。わかりましたお嬢様」
キースは首を傾げながらその場を立ち去った。わたしもしばらく様子をうかがってから外へ出る。さっきまで全くふかなかった風が気持ちのよいくらい吹いていて驚いた。
前のように光る事も無い極自然な風だったため、自然風が吹いたのかと錯覚するほどだった。
そうして風を受け船はアルブムまで真っすぐに向かって行った。




