箱入りお嬢様卒業
「スパイスの利いた料理には同じくスパイス入りのお茶が合うよね」
「そうね。それにこの紅茶香りが少なくて物足りなかったけど、こうやってアレンジして飲むには、濃厚なコクと程よい渋みがあってミルクに合う」
今日の夕食はジェラルドのワガママで南方のククルスという国の料理になった。スパイスの利いた辛口な料理は美味しかったが、口の中が辛さで痺れている。ミルクと砂糖のたっぷり入った甘いミルクティーが食後によくあった。これもジェラルドのリクエストだ。
ジェラルドの味覚はとても鋭敏だ。一度飲んだ紅茶の飲み方や料理との相性を一口で見抜く。これは長年茶商をしていてもなかなかできることではない。
初めはジェラルドのワガママを聞いてるだけだったが、最近はよいアドバイスになると期待して、積極的に色んな紅茶を出している。
「でもククルスの料理って初めて食べるけど、よく材料とか手に入ったわね。こんな味付けの香辛料初めて食べるけど、珍しい物じゃないのかしら?」
地球の過去の歴史でも香辛料が貴重で金と同じくらいの価値がある時代があった。この世界の物価とか基準がよくわからないが、こんな田舎の街で貴重な香辛料とか手に入るんだろうか。
私がふと漏らした疑問にジェラルドは驚いて、それからティーカップを置いておもむろに尋ねた。
「もしかしてマリアは街に出た事ないの?」
聞かれて気づく。そう言えばロンドヴェルムの街や港に行った事はなかった。街に行くよりも茶畑でお茶を作る方が楽しかったのだ。
「ないわね。屋敷と茶畑以外の所に行った事ないわ」
ジェラルドが冷やかすように口笛を吹いた。
「これはとんだ箱入り娘だ」
馬鹿にされたようでちょっとむっとしたが、確かに世間知らずな事は否定できない。私が無言で黙り込むとジェラルドがへらりと笑って言った。
「じゃあ明日は一緒に街に出かけない? 結構楽しいと思うよ」
街に興味がある訳ではない。ただ箱入り娘と馬鹿にされた事が気に触った。それでつい頷いてしまった。我ながら単純なヤツだと思う。
翌日私とジェラルド、そしてお目付役のようにキースもついて来た。ただキースはいつも以上に無愛想で何も言わずにそっとついてくる感じだった。私は初めて行く街に緊張していた。ジェラルドだけが陽気に口笛を吹きながらのんきに歩いている。
館は山寄りの小高い場所にあるので、街に行くには下って行く事になる。坂道を降りると次第にちらほらとれんが造りの民家が増えて行く。この地方に多い白と赤のレンガ作りの建物は、青く晴れた空の下でひときわ映える。
民家が密集し始め人が賑わってくると、市場が見え始めた。いつも遠くから眺めている時は気づかなかったが、かなりの活気にあふれている。人の多さもそうだが、服装の違い、人種の違い、色んな人、色んな文化が入り交じって、独特の雰囲気を醸し出していた。
果物一つとっても凄い色んな種類があり、一目で異国の食べ物だろうと分かる物が並んでいた。市場は物であふれ活気に満ちていた。
田舎の街だと思い込んでいただけに、それは驚くほどに魅力的な光景だった。
「ロンドヴェルムはね東西南北を繋ぐ交易の中継港なんだよ。都へもここを通って色んな物が流通している。だから世界中の物がここに集まるんだ。香辛料だってここでは日常的に売られているんだよ」
ジェラルドの言葉に呆然とする。そんな事知らない。父も母もキースも、家庭教師達もそんな事は教えてくれなかった。私は読み書きと礼儀作法を習った程度で、それ以外の勉強をまともにした覚えがなかった。
お嬢様というのはそう言う物かもしれない。でも……。そんな無知な自分が無性に恥ずかしかった。
「でもね……ロンドヴェルムがこんなに活気あふれる町になったのは最近なんだよ。マリアの父上オズウェルド男爵がこの街の領主になる前は、ここはただの補給港で船は通り過ぎて行くだけだった。茶畑もなく、山も開発されてなくて、貧しい街だったんだよ」
「え……そうなの?」
「うん。オズウェルド男爵が自由貿易港に港を改造して、交易にかかる関税を撤廃して商人を呼び寄せたり、手つかずの山を茶畑に改造して特産品にしたり。そうやって今の豊かなロンドヴェルムがあるんだ」
父はそんなにやり手だったのですか! いや……私の作った紅茶もいち早く目を付けて普及させたりしてたけど。のほほんとしたただの親バカにしか見えなかったからな……。
でもそこでふと思った。ジェラルドはなぜこんな事を教えてくれたのだろうか? 私が箱入りすぎるから? それともなにか理由があるのだろうか?
「どうしてこんな大切な事教えてくれたの?」
「君はお茶の事しか興味がないみたいだったけど、世界は広いんだって知って欲しかったからかな。ロンドヴェルムだけじゃない。世界にはもっと色んな国や街があって、いろんな人々が住んでいる。君が作った紅茶は今はロンドヴェルムでしか広まっていない。でももっと世界中に広めてみたいと思わない? もっと多くの人に君のお茶を……」
その言葉はひどく魅力的な提案に聴こえた。前世で私は紅茶の輸入販売の仕事をしていた。紅茶を作る事以上に、それを売る事が楽しかった。消費者に本当に美味しい紅茶を飲んでもらって、幸せな顔を見せてもらうのが嬉しかった。
今までは家族やジェラルドだけしかいない世界が、急に広がっていく。私は甘い夢を見た。世界中に紅茶を届ける幸せな未来を。それがどんなに甘い認識かも知らずに。




