7年の間に変わるもの3
それからしばらくラルゴの為に1日1回お茶を淹れた。初めは病人の胃の負担になるからと、薄めに入れて一杯だけで様子を見ていたのだけど、日に日に顔色が良くなっていくのがわかる。食欲も出て食べられるようになったから、元気もでてきて、調子が良ければ自力で上半身を起こせる程になっていた。
ここまで劇的に調子が良くなるなんて信じられないと、医者も驚いてるらしい。
「やっぱり病は気からなのかな? マリアのお茶が美味しいから、ラルゴも元気がでてきたのかも。ありがとう、マリア」
ソフィアが無邪気に喜ぶ姿を見て、ほっと安心した。父は小指の骨折が一日で治ったと言ってたけど、これだけの大病だと、治療にどれくらい時間がかかるのだろう?
でもこれだけ急に体調がよくなったとなったら……私の魔法の力が周囲に知れ渡るのは時間の問題だ。ジェラルドが力を尽くしてくれると信じているが、最悪一生アルブムを出られない覚悟をしないといけないかもしれない。
城の中で数日過ごすうちに、ジェラルドの噂を色々聞いた。まだジェラルドは独身で、周囲から何度も結婚を勧められてるのに拒み続けているらしい。皇太子の位も兄のものだと言い張って、今は代理だと突っぱね続けて。
昔は怠け者の凶状持ちの王子として、評判が悪かったのに、最近の公務での仕事ぶりは周囲も認める程で、将来の皇帝はジェラルドだろうと誰もが信じているそうだ。
遠目にそっと見る機会があったが、昔のようなへらっとした笑みは消え、精悍な顔つきになった。驚く程の変わりぶりに、なんだかジェラルドじゃないみたいな気分さえしてくる。
同じ城にいるのに、ジェラルドとの距離がとても遠く感じた。手紙の中のジェラルドの方が、ずっと身近に感じる。
一日一回ラルゴにお茶をいれ、ソフィアと少し話して、各所から届く手紙を見て返事を返す。それ以外する事の無い退屈な日々。
う……ん。ここまで暇な時間を過ごすのはどれくらいぶりかな。そんな事を想いながら夜バルコニーから星を見上げた。
ラルゴの専属茶師として働いていたあの時と同じ部屋に今住んでいる。ラルゴの部屋からも近いし、それにここは普段使われていないらしい。
バルコニーの下を見下ろして、アンネの事を想う。もし……アンネが生きてたら。きっと優秀な官吏としてジェラルドを支えて、結婚してたかもしれない。今忙しくて大変なジェラルドがどれほど救われただろう。会った事もないけれど、本当に惜しい人を無くしたな……と、思う。
ふわりと頬を撫でる柔らかい風を感じて、ふと横を見たら夜目にも青く輝く風をまとったジェラルドが、飛んできた。
「マリア! 会いたかった」
私の隣まで飛び込んできて、ぎゅっと抱き付く。あまりに突然で驚きすぎて言葉もでない。
「本当はすぐにでも会いに行きたかったのに。リドニーの奴、マリアの魔法の事を教えないからって嫌がらせで、僕に色々仕事押し付けてさ。本当にたちが悪いよ」
ぶーぶー文句を言いつつへらへら笑ってるジェラルドが、昔と何にも変わってなくて、緊張の糸が緩む。
「もう疲れたよ。お茶にしようよ。久しぶりにマリアと一緒にお茶したい」
「うん。私もジェラルドと一緒にお茶したい」
昔もこうして夜中に飛んできて、一緒にお茶したな……それを思い出すと、嬉しくて泣きそうだ。
「マリア……元気そうでよかった。君はちっとも変わらないね。少しだけ……日に焼けて、たくましくなったかな?」
「ジェラルドも……こうしていると変わらない……けど、真面目に仕事するなんて信じられない」
お茶を入れながらくすりと笑うと、ジェラルドが口をとがらせる。
「だってさ……。兄上が仕事できないなら、仕方ないじゃん。僕がやらないと、兄上は死んでも仕事しようとするし。でもマリアが来てくれたし、兄上が元気になったら僕もまたぐーたら昼寝し放題の生活に戻れるよ」
周りは将来の皇帝って信じてるのに、本人の望みがぐーたら昼寝し放題って……おかしくておかしくて。でもとてもジェラルドらしくて楽しい。二人分お茶をいれて差し出す。二人でお茶に口をつけて、ほっと一息。
「やっぱりマリアの入れるお茶は美味しいな……癒されるよ」
柔らかな笑顔で美味しいって飲んでくれるジェラルドの姿に嬉しくなる。誰かに私のお茶を美味しいって飲んでもらうの幸せだな。
「これ……私が作ったお茶じゃないけど」
「魔法の力なんてどうでもいいんだよ。気持ちの問題。マリアの淹れるお茶は美味しいし、一緒に飲めば楽しいし、元気貰えるでしょう」
「そうね……そういえばアルブムに来て、誰かとお茶を一緒に飲むのは初めてかも」
ソフィアは妊婦という事で、お茶は飲まない方がいいだろうと言われてたし、病人のラルゴとものんきに一緒にお茶できないし、城から出られないからリーリア様に会いに行く事もできない。
たった一人でお茶を飲む事しかできなかった。一人で飲むお茶は寂しくて、でもジェラルドと一緒のお茶はこんなに楽しい。
「兄上の容態は聞いてるよ。医者も驚く程の回復ぶりだって。本当にありがとう」
「私が役にたててよかった。ラルゴ様が元気になって、ソフィア様と幸せになってもらえたら私も嬉しい。それに赤ちゃんも産まれるんでしょう? ソフィア様も大変な時期だから支えられてよかった」
「うん。ソフィアも大変なんだ。妊婦っていうのと、兄上の病気の介護っていうのもあって、皇太子妃の仕事はほとんどしてないんだけど……。産まれてくる子供が世継ぎになるかもしれないって、周囲のプレッシャーが凄いからね。少しでも心を許せる相手が側にいるのは、とても心強いと思う」
ソフィアも本当に可哀想だな。私も少しは力にならなきゃって思う。
「もしも……もしも兄上が長生きできなくて、兄上の子供が男の子だったらね、その子が大きくなって立派な皇帝になるまで、ずっと僕が支えないといけないかな……って、思ってた。でもそれって果てしなく先の話でさ。そんなに長い時間こんな仕事続けられるのかな……って、自信が無くて。それでマリアの迷惑になるのわかってて泣きついちゃった。ごめんね」
「ジェラルドも大変だったんだね。よく頑張りました」
私が頭を撫でたら、凄い嬉しそうにジェラルドは笑った。遠目に見かけたジェラルドの精悍な顔つきは、ずっと無理してただけで、本当のジェラルドは何にも変わらず情けない。それが嬉しい。
「ジェラルドは……例えラルゴがいなかったとしても、皇帝になる気はないんだね」
「ない。僕には向いてないし、やる気もない。兄上やその子供の事がいなかったら、とっくに逃げ出してまた旅に出てたかも」
どれだけ国が傾こうが、知らない……なんて言うジェラルドに、馬鹿って怒りつつ、ジェラルドだから仕方が無いって思えちゃう。
「だから結婚しないの?」
「そう。下手に僕の子供なんて産まれたら、後継者争いで兄上の子供が可哀想だよ。それに結婚で僕も皇室に縛られるしね。僕は一生独身を貫くつもり」
「そっか……じゃあ、一緒だね。私も紅茶と結婚するから、一生独身だよ」
ジェラルドがぽかんと間抜けな顔をした後、ケラケラと笑い出した。
「紅茶と結婚か……本当にマリアらしいよね。手紙のやり取りだけだけど、マリアの活躍は見てきたよ。あのリドニーを手紙だけで説得して補助金を引き出すなんて僕には無理だ」
「ジェラルドだって協力してくれたんじゃない?」
「まあね……でも、僕のワガママだけで言う事聞く程、ヤツに可愛げは無いよ。マリアの陳述に価値があるって認めたんだ。だから本当に凄いんだ」
ジェラルドに褒めれて照れるけど嬉しい。あのしたたかなリドニー宰相が、私の茶師としての力を認めたというのなら、とても自信になる。補助金はただのお金の問題だけではない。国が茶産業を支援するという姿勢を見せた事で、自費で茶生産に力をいれようという地方も増えてきた。帝国内でお茶の生産ブームが始まりつつある。
それはとても良い事なのだけど、でも……あの魔法の事どうなんだろう。
「リドニー宰相は……魔法の事どう思ってるの?」
ジェラルドがへらりとした笑みを消して、困ったように溜息をつく。
「もうバレてる。マリアが来て兄上の病状が劇的によくなったから、治癒系の魔法がマリアの紅茶にあるって。だから今も脅してるんだよ。もしマリアを縛り付けようとしたら、僕が力づくで二人で逃げ出すからねって」
この男なら本気でやりかねない。ジェラルドの魔法は厄介だし、下手に私もジェラルドも怪我させられない。しかもジェラルドは大切な皇室の跡取りなわけで、私と二人で逃げ出されたら大打撃だろう。
やり方は荒っぽいけど、私を護る為に一生懸命努力してくれてるんだな……と思うと嬉しい。
「とはいっても……僕達に言う事を聞かせる為に、厭らしい手段はいくらでもある。それにリドニーだけならまだ理詰めで交渉もできるけど、他の人間にも知られるとね……厄介だよ」
「他の人にも気づかれてる?」
「たぶん……まだ気づいてる人は他にいないと思う。マリアの奪いあいで戦争でも起きる方が厄介だから、リドニーも今はそっちの方を警戒してるんじゃないかな……と、思う」
人間長生きしたいって欲求や、大切な人を救いたいって気持ちは止められないし、そういう感情同士のぶつかり合いがあれば、国内外問わず、争いが起こってもしかたがない。
「だからね……悪いんだけど、マリアに今後身辺警護をつける事にする。ちょっと息苦しいかもしれないけど、マリアに何かあってから対応してたら遅すぎるんだ」
誰かに気づかれれば、誘拐とか脅迫とか……想像しただけで恐ろしい事態だ。警護がつくのは仕方が無い。
それはいいのだけど……ジェラルドの表情が浮かない。
「実は……マリアに戻ってきてもらったのは、兄上の事だけじゃなく、もう一つ頼みたい仕事があるんだ。帝国一の茶師としてね」
私の魔法の力ではなく、茶師としての仕事……と聞いて胸が高鳴る。ジェラルドとの再会以上にときめくあたり本当に私はワーホリだ。しばらく暇してたから退屈で仕方がなかった。ジェラルドが何か言いたそうに渋い表情を浮かべ、ぐいっとお茶を飲んで言葉を飲み込んだ。そしてにこっと笑う。
「話すと長くなるし、今度詳しい話をさせに担当の官吏を向かわせるよ。せっかくのマリアとのお茶の時間に仕事の話とかしたくないしね」
せっかく仕事の話……と期待したのに肩すかしだ。へらっと笑ったジェラルドにいらっとして、ぽかりと叩いた。
そんな平和な深夜のお茶会がとても楽しい。