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「じゃあな、切磋琢磨。掃除、よろしくな。」
「おう、じゃあな。」
走っていく音が遠くなり、教室には俺一人が残された。
誰もいない教室っていうのはなかなか落ち着く。ぼんやり聞こえてくる吹奏楽部のへたくそな不協和音もいい感じだ。
なぜ、こんなことになっているのか。
こんな契約をしたからだ。
「なあ、切磋琢磨。ちょっと話がある。」
「何だよ。」
「俺は今日、見たいドラマの再放送がある。授業終わってダッシュで帰れば間に合うかも知れない。でも今日は掃除当番だ。」
「つまり?」
「当番を代わって欲しい。」
「わかった。じゃ、はい。」
「何だよその手は。」
「百円。」
「・・・・・・しょうがねぇなー。ほらよ。」
「毎度~。またのご利用お待ちしております。」
おわかりいただけただろうか。
こういう訳で、掃除をしているのだが・・・・・
何で俺一人なんだ。
おかしい。これは絶対におかしい。当番は他に四人いたはず。みんな登校していたから、教室に俺一人というこの状況はあり得ない。
・・・・・・もしかして、俺、ハメられた?え?ハブられた?
何とも言えない恐怖や不安がぞわぞわと這い上がってくる。
しかし、この時の俺は知らなかった。
ドラマの再放送を楽しみにしている人間が少なくないことを。
そして、当番をサボるのにいちいち誰かに代わってもらったりする律儀な人間が意外と少ないということを。
「・・・ドン。・・・ドン。・・・ドン。」
明日のクラスメイト達の態度を心配しながら戸締まりの確認をしていた俺の耳が鈍い音をとらえた。
「・・・ドン。・・・ドン。・・・ドン。」
それは一定の間隔で聞こえてきて、その度に振動が伝わってくる。古くなったドアがガタガタと音を立てる。
「・・・ドン。・・・ドン。・・・ドン。」
何事だ?ゴジラの行進か?
どうやら、それはアリジゴクから聞こえてくるようだ。
俺はもう掃除どころではなくなっていた。だって気になるじゃないか。ゴジラが学校を踏み潰したらどうする。
俺は、ゴジラの侵略を阻止するために教室を飛び出した。その足は真っ直ぐに屋上へと向かっている。
ここで、アリジゴクの説明をしておこう。
この学校は、実におかしな造りをしている。
まず、カタカナのロを想像してもらいたい。漢字の口でもかまわないが。それが我が校を上空から見た形になる。体育館と「コ」の字型の校舎が真ん中の空間を囲んでいるのだ。その空間がアリジゴクだ。ずっと昔からそう呼ばれているらしい。
しかし、このアリジゴクは、周りを高い校舎に囲まれているため、日が射さない。無駄なことを極度に嫌う学校は口の内側の壁に窓もドアも全く作らなかった。
つまりアリジゴクは、入ることも出ることも、校舎の中から見ることもできないのだ。アリジゴクを眺めるには、屋上に上がり、フェンスから身を乗り出さなければならない。
まあ、教室の半分の広さしかないアリジゴクをわざわざ見に行くような物好きなんて、いないに等しいのだが。
階段を二段とばしに駆け上り、屋上のドアの前にたどり着いた。ここは鍵がかかっている。でも、問題はない。
三日程前に廊下ですれ違った二人組の先輩達の話を思い出す。
「なあ、知ってるか、屋上のドアの秘密。」
「何だよそれ。」
「あれ、鍵かかってるだろ。でも、この学校ボロいから、鍵もかなり古くなってる。」
「開くのか?鍵が無くても。」
「コツさえ掴めばな。まず、ドアノブを九十度回す。」
俺は正確に九十度ドアノブを回した。
「それから、上に持ち上げる。」
ドアノブを両手で持ち、足を踏ん張って持ち上げた。
「そうすると、ドアと床の隙間が広がるから、そこに足を突っ込んで、その足でドアをガタガタ揺する。」
ドアの重みが全部、突っ込んだ足にかかって痛かったが、何とか耐えてドアを揺らした。
「ドアノブを百八十度回して、思いっきり引っ張る。」
バキッ!嫌な音がしてドアが開いた。
・・・まさか、壊れたんじゃ・・・
いや、そんなことより。
急いでフェンスまで駆け寄り、下をのぞき込む。
「・・・ドン。・・・ドン。・・・ドン。」
ゴジラの正体は、サッカーボールを壁に蹴り続けている高宮瞬だった。