春の章1
切磋琢磨《せっさたくま》
学問や技芸を練り磨くこと。
また、志を同じくした仲間同士が互いに励まし合って学問や仕事に励むこと。
太陽の表面を覆うガスのことを「コロナ」というそうだ。
密度が薄くて、目では見えないらしい。
春の章(4月15日、水曜日、晴れ)
趣味は人間観察。我ながら悪趣味だと思う。
ただ、成績は中の上、得意なスポーツは無し、ルックスは中の下。人より格段に劣っているものもなければ、秀でているものもない。あえて言うなら、人を見る目が少しばかりあるくらいだ。
で、人間観察だ。誰だって自信のあることを趣味にしたがるだろう。それと同じだと思えばいい。
四月の教室というのは、そんな俺の目が試される場だ。
特に、中学一年、入学したての一週間というのは、素晴らしい観察環境と言えるだろう。
周りには名前も知らない新しいクラスメイト。中学校という新しい場所。これ以上ないくらいの好環境だ。
そんな中、俺の興味を引いたのは、高宮瞬だった。
入学式の日、教室に入ってすぐに分かった。ああ、あいつが太陽か、と。
どこにだってこんな奴はいるだろう。スポーツができ、頭もいい、友達も多い、カリスマ的なものを身につけた奴。そういうのを俺はクラス替えの度に見てきた。彼らは自分を中心にして色んなものをぐるぐる回し、光を分け与え輝き続ける。その光の強さでクラスの勢いとかそういうものが全部決まってしまうんだから不思議だ。
そして彼、高宮瞬は今まで俺が見てきたどんな太陽より輝いていた。
背が高く、白い歯が印象的なさわやか君でありながら、スポーツは万能。専門は陸上だそうで、噂によると去年、どこぞの大会の百メートル走で大会新記録を出したとか。もちろん勉強もよくでき、噂によると都内の有名私立中学に受かっていながら、両親の都合でここに通っているとか。さらにその話術は恐るべきもので、彼の周りには大勢の人が集まり、常に談笑が絶えない。
神は二物を与えずなんて誰が言ったんだろう。こんなのおかしいじゃないか。一体何を与えればこんな完璧人間が出来上がるんだ。あ、もしかしたら「完璧」というのを与えられたらあんなふうになるのかも知れない。うん、そうだ。そんなスペシャルアイテムなら一つで充分全ての才能を備え付けられる。そうか、そうだったのか、なるほど。
これが俺の中学校生活一週間分の成果だ。もう、クラスメイト達の微妙な力関係や女子達のグループ分けなどはできあがってきていて俺の把握も抜かりがない。最近は部活動や教師、先輩の観察も行っている。本当に、四月っていうのは飽きなくていい。
さて、ただ今11時50分。空腹を抱える腹の音がグルグルとうるさい4時間目である。
中学の体育というのは、小学校ほど楽しいものではない。不運なことに4時間目なんてところに居座っているもんだから、動こうにもエネルギーがない。空腹を忘れるくらい夢中になれればいいのだが延々と50メートルのタイム取りばかりをする授業を楽しくて仕方がないと思えるようなら、そいつはきっと走り中毒だ。
「はい、次。」
これは・・・・・確か11本目だ。そろそろ肺の限界が近付き始めている。
「位置について、用意・・・・・・・・・」
まだか、まだか、まだか!この教師、やたらとタイミングを外したがるのだ。
「パン!」
ピストルの音が高く鳴った。
こんな体育の50メートルごときにピストルなんか使っていいんだろうか。テスト中のクラスもあるだろうに、バンバンバンバン・・・・・・。と要らぬ心配をしながら肺に優しい走りを始めた俺の隣で「シュッ」という音。一瞬にして風が通り過ぎる。
なんだ、なんだ。顔を上げると、力強く地面を蹴る後ろ姿がぐんぐんと遠ざかっていくところだった。
げっ、高宮瞬だ。完璧なまでの美しいフォーム。躍動感あふれる足の運び。間違いない。
俺は慌ててギアチェンジする。一緒に走った奴に応援されながらのゴールインなんて、みっともないにも程がある。
50メートルは二人ずつ順番に走っていくという単純なものだが、このクラス、男子の人数が十七人なのだ。最後の一人を余らせるわけにもいかないので、必然的に二人組の組み合わせがずれていくことになる。ああ、もっと早く隣を確認していれば・・・・・・
後悔してももう遅い。相手は大会新記録保持者なのだ。限界近くの俺なんかがちょっと頑張ってみたところで何の効果もないことは目に見えている。
「頑張れー!もうちょっとー!」
前から声援が聞こえてきた。やっぱりこうなったか・・・・・・。
俺は最後の力を振り絞って前のめりにゴールした。
急なギアチェンジは想像以上の負担がかかっていたようで、もうこれ以上走れそうにないくらい足が重い。
まったく、11本目にもなって本気出したりすんなよ。こっちまで真面目に走らなきゃならない。世の中省エネの時代だっていうのに・・・・・・。
軽く睨んでみると高宮はもうストップウォッチ係の生徒に記録を聞いているところだった。結果が読み上げられる。
「えーっと、一着、6秒48。二着、12秒05。うわっ、6秒台かよ!すげーな。」
・・・・・・12秒台はマズイだろ。いくらなんでも。
「え、6秒48?よっしゃ。新記録!」
高宮は嬉しそうにガッツポーズなんかしている。
周りの奴らが祝福と羨望の眼差しを向け、口々に「やったな」とか「おめでとう」とか言いながら集まってきた。
普通、優れたものを持つ人というのは周りから反感を買いがちだが、高宮はなぜかそれがなかった。
今のように好記録を自分で喜ぶ姿というのは見ているだけで微笑ましい気分になってくる。きっと「さっきのは新記録だったのか。だからあんなに速かったんだ。」と納得することで自分との力の差を少しでも小さくすることができるからだろう。
誰だって、自分より足の速い奴が「うわー、7秒台だ。ぜんぜんだめじゃん。」と落ち込むところを見せつけられれば、じゃあ8秒台の俺はどうなるんだよ、とイライラしてくると思う。
自分の成功をしっかり喜び、失敗は嘆かない、これも高宮が太陽であるゆえんなのだ。
それにしても、6秒48って・・・・・あんたは化け物か。
五、六人に囲まれながらスタート地点へと戻っていく高宮を目で追いつつ、俺は必死で重い足を動かした。
まったく、なんでこういつもいつも誰かに取り囲まれているんだろうか。それも特定の奴とツルんでいるわけでもない。たまたま近くにいる奴がまるで吸い寄せられるように集まっていくのだ。窮屈だとか、うっとうしいとか思わないんだろうか。
それに何より、なんで常に話をしていられるんだ。ネタが尽きることはないのか?
その時、ふいに高宮が振り返った。なんでそうなったのか、ただの偶然だったのか、そんなことは知らない。
ただ、その視線がすぐ後ろを歩く俺のものとぶつかったことは確かだ。
いきなりのことでとっさに立ち止まる俺。
真っ直ぐな視線が空中で絡み合う。それは一瞬のことだったのに、妙に濃密で俺の記憶にこびりついた瞬間だった。
俺は見てしまったのだ。あの目を。
人を見下す氷の目を。
「・・・・・・」
春の生暖かい風が砂埃と共に流れていく。
バン、というピストルの音が遠くでかすかに聞こえる。
俺はしばらく、その場から動けずにいた。
あれは、あの目は、俺が見てきたような太陽の目じゃない。
太陽が、それもあれだけの輝きを持つ奴が、取り囲まれ、楽しそうに話しながら、あんな目をするはずがない。
でも、あの時、高宮の目には確かに相手を軽蔑し、嘲るような光があったのだ。
なぜ?どうしてそんな目をする?
俺の経験を持ってしても、分からない。未知の領域。
知りたい。
高宮瞬。あんたはどんな人間なんだ?