断罪の場で、壊れた私は嗤いーー貴方を壊す
※この作品はハッピーエンドではありません。
復讐・破滅・断罪が主軸となるダーク系ストーリーです。
苦手な方はご注意ください。
「公爵令嬢フィリーディア、其方との婚約を破棄する」
学園の大広間。
壇上に立つ王太子カーペルの声が、静かな空気を震わせた。
その下で、フィリーディアはゆっくりと顔を上げる。
凍りついたような銀の瞳が細まり、薄く、笑った。
──あの日と同じ人間だとは、思えないほどに。
***
「君がフィリーディアだね。僕はカーペル。
これからよろしく」
婚約が正式に決まった日のこと。
彼は穏やかな笑みとともに、そう挨拶した。
金色の髪が春の光を受けて揺れ、
翠の瞳には、優しさと、王太子にしては珍しいほどの無垢さが宿っていた。
その笑顔に、フィリーディアは思わず目を見開き、固まってしまう。
ハッとしてスカートをつまみ、慌ててカーテシーを返した。
「こちらこそ、よろしくお願い致します、カーペル様。
至らぬ面も多いですが……精一杯、努めさせていただきます」
腰まで伸びた白金の髪が、ふわりと靡く。
春の暖かな風が二人の間を抜け、柔らかく通り過ぎていった。
彼は、決して優秀とは言えなかった。
けれど、努力と真摯な姿勢だけは誰にも負けなかった。
分からないところは、人一倍時間をかけて理解しようとする。
睡眠を削ってでも、公務にも学問にも真面目に向き合う──
そんな、誠実な人だった。
「カーペル様、ここの問題、間違ってますよ」
学園の図書館に寄ったとき、机の上のノートが目に入り、
フィリーディアはそっと指した。
「ここ、この公式を応用すると、すぐに解けます。やってみてください」
そう言って彼の方へ振り向いた瞬間、
カーペルは一瞬だけ顔を歪ませ──
すぐに、取り繕うように微笑んだ。
「あぁ。そうか。……ありがとう、フィリーディア」
(……カーペル様?)
そのわずかな表情の乱れに、なぜか胸がざわついた。
数日後。
夕陽が差し込む、静かな教室で。
机にうつ伏せて眠る彼を見つけた。
金の髪が、沈みゆく陽を受けて透ける。
淡く、揺らぐように輝いていた。
フィリーディアの胸に、ふっと暖かい灯がともる。
銀の瞳を細め、眩しいものを見るように彼を見つめ──
そっと、自分の上着を肩に掛けた。
好き。
……大好き。
もっと──そばにいたい。
この人の婚約者になれて、本当によかった。
ずっと、ずっと……隣で支えていこう──
二人を包む優しい空気が、静かに教室を満たしていた。
だが、その日を境に──
フィリーディアの幸せだった日常は、
唐突に終わりを告げた。
隣の教室に転入生が入ってきた。
その知らせは、フィリーディアの教室にも届いたが、最初は気にも留めなかった。
ただの些細な情報のはずだったのに──
それが、彼女の心を蝕む最初のほころびとなってしまう。
「カーペル様! なんでそんなに頑張るんですか?」
学園の庭から、弾むような声が聞こえた。
桃色の髪に空色の瞳をした、例の転入生が、
カーペルの腕を軽く引きながら話しかけている。
「今まで、たくさん努力してきたんじゃないですか? 辛かったでしょ?」
「あなたは、あなたのままでいいんですよ」
微笑みながら告げられた、その、言葉に……
カーペルは、大きく目を見開き──
次の瞬間、泣き出しそうに、顔を歪めた。
その表情を見て、フィリーディアの胸に、鋭い衝撃が走る。
重い鉛を飲み込んだように、喉がひくりと鳴った。
それから、ふたりが一緒にいる姿を、頻繁に見かけるようになった。
中庭に広がる、弾んだ声。
屈託なく笑う、明るい表情。
ほんのりと色づく頬。
……愛しいものを見るような、熱のこもった瞳。
今まで積み上げてきた関係が、
少しずつ。
少しずつ。
剥がれ落ちていく──。
フィリーディアの心には、重たい鉛が積もっていった。
どうして。その女を、そんな目で見るの?
私には、一度だって見せたことがないのに。
楽しそうに声をあげて笑った顔も、
あんな優しいまなざしも──
どうして……私には、向けてくれないの?
震える手を、フィリーディアはぎゅっと握りしめた。
……胸が苦しい。顔がこわばる。
涙がこぼれそうになるのを、必死に噛みしめて……堪えた。
二人の笑い声から逃げるように、彼女はそっと踵を返す。
自分の半身を失ったように心は塞がり、
感情は──少しずつ。少しずつ。
……麻痺していった。
そんなある日。
廊下を歩いていると、ふと空き教室の方から声が聞こえた。
「やったわ! カーペルルート、もう少しで制覇よ!」
カーペルという名に、足が止まる。
そっと覗くと、例の転入生が両手をギュッと握り、嬉しそうに跳ねていた。
「カーペルを攻略したら、続編で最推しのアンデル様が出てくるはず!
きゃあっ、どうしよっ。待ってて、アンデル様!」
言っている意味は、理解できなかった。
けれど──ひとつだけ確かだった。
彼女は、カーペルのことをまったく見ていない。
むしろ何かの踏み台にしようとしている。
身体が、硬直して動かない。
視界がぐらりと揺れ、
世界が崩れ落ちるように、目の前が真っ黒になっていく。
その後、カーペルは努力するのをやめた。
公務も、勉強も、何もかも。
その時間のすべてを──彼女と過ごすために使うようになった。
二人の距離は、どんどん、どんどん近づいていく。
ある日。渡り廊下を歩いていると、フィリーディアは見てしまった。
中庭で、彼が大切なものに触れるような優しい表情で、
彼女の頭に、そっと手を置いていた。
──その瞬間。
世界が、暗転した。
どうしても、私を見てはくれないのね。
あなたは、そんな自分勝手な女がいいのね。
義務も、責務も......全部捨ててしまうほどに。
あなたを堕落させる......その、女を。
フィリーディアの銀の瞳に、昏い影が広がっていく。
唇が薄く開き、静かに弧を描く。
なら、いい。
そんなあなたは──いらない。
私を好きになってくれないのなら......
私が、あなたを──壊してあげる。
広間に、静寂が落ちた。
フィリーディアは壇上のカーペルを見上げ、わずかに首を傾ける。
「理由を、お聞きしてもよろしいかしら?」
冷ややかな銀の瞳が、一直線に彼を刺す。
カーペルはその視線にたじろぎ、しかし意を決したように声を張り上げた。
「君は、ここにいる男爵令嬢ローゼを階段で突き落とそうとした!
彼女を虐める現場を見たという証言もある!
そんな君は、王妃に相応しくない!!」
広間に、再び静寂が落ちる。
フィリーディアは一度、そっと俯いた。
次の瞬間——
「……ふふふ。あ——っはっはっはっ!」
広間中が凍りついた。
教師も、生徒も、誰一人として息を飲む音すら立てられない。
涙を指で拭いながら、フィリーディアは薄く口角を上げる。
「殺人未遂? いじめ? 私が?
……くだらないわ。
貴方は、そこまで堕ちてしまったのね」
カーペルの頬が、羞恥と怒りで赤く染まる。
「証拠も証人もいる! 罪を認めろ、フィリーディア!!」
「罪? やっていないことの何を認めろと言うの?
私は——私の人生も、命も全てかけて、無実だと断言するわ」
そして、静かに手を掲げる。
「姿を現しなさい。……王の影」
その声に応えるように、空気が震えた。
広間に黒衣の男が現れ、生徒たちのざわめきが波のように走る。
王の影。
王にのみ忠誠を誓う、影の組織。
その姿を見た瞬間、カーペルの顔から血の気が引いた。
「王太子の婚約者である私と、王太子であるあなたには——
常に影がついていたのよ。監視と護衛のために」
フィリーディアはゆっくりと笑う。
その笑みは冷たく、美しく、どこか哀しみすら帯びていた。
「もし本当に私が彼女を害したのなら……
王に、すべて報告がいっているでしょうね?」
カーペルの喉がつ、と鳴る。
フィリーディアはさらに一歩踏み出し、嗤った。
「まさか——王太子ともあろうものが……
そんなことも忘れてしまっていたの?」
カーペルの表情が、みるみる崩れていった。
歪んだ顔。強く噛み締める歯。震える息。
隣の桃色の髪の女が、悲鳴のように叫ぶ。
「王の影?! 何それ、そんな設定聞いてない!」
真っ青になった彼女は、縋るようにカーペルの腕を掴む。
「本当なんです! 信じてくださいカーペル様。
私、フィリーディア様にずっと虐められて——」
「そのような事実はない」
影は、短く告げると、空気に溶けるように姿を消した。
広間がざわめいた。
ヒソヒソと交わされる声。
一瞬で空気が反転する。
カーペルは真っ青なまま。
心だけどこか遠くに置き去りにしたように、何も言わない。
隣でローゼが何か喚いているが——もう耳に入らなかった。
コツ、コツ、と規則的な足音が響く。
雪のような白金の髪を揺らし、薄く嗤いながら——
フィリーディアは、ゆっくりと歩いてくる。
「何が——証拠?」
乾いた音がひとつ。
足音が、さらに近づく。
「何が——いじめ?」
また一歩。
冷たい床に音を鳴らす。
「誰が、誰を殺そうとしたって?」
最後の一段を上がると、フィリーディアはゆっくりと顔を上げた。
昏い銀の瞳のまま、カーペルの目の前に立つ。
カーペルは震えていた。
逃げようとしても、足が動かない。
瞳も……どこか遠くを見るように、定まらない。
「……私を、見なさい」
ゆっくりと、彼の瞳を覗き込む。
「私を——見ろ!!」
鋭い声が広間を切り裂いた。
カーペルの瞳が大きく見開かれる。
翠の瞳いっぱいに映るのは、フィリーディア──ただひとり。
「あ……ああ……」
震える手で頭を抱え込む。
「そんな……まさか……僕は……そんな……」
衝撃によろめく彼を、蔑むように見下ろしながら、
フィリーディアは、トドメのひとことを口にした。
「あなたは公務も責務も放り出して——
ただ“ラクになりたかっただけ”。
……それだけなのよ」
「あああああああああっ!!」
絶叫が、空気を割る。
そのすぐそばで——
フィリーディアは、満足げに微笑んだ。




