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*1* 百戦錬磨の彼女の初恋。

最近長編ばかり書いてるので、息抜きに短くまとまる恋愛を少々。

全話で一万文字ちょっとくらいかな?

 

 白黒二色の盤上を優美な手が横切り、バッサリと本陣まで斬り込んできた。なよやかな見た目によらず豪胆な攻めの手だ。


 白い駒を操りコツンと黒い駒を盤上に転がした相手は、形の良い唇を緩く笑みの形に持ち上げて開いた。


「チェック……これで私の三十戦三十勝ですわ、リーベルト様」


「あ、ああ。今夜も見事な一手だった、エーデル嬢」


 王都一と名高い高級娼館ルミリューズ。そこで働くエーデルは、話術、閨事、勉学、歌、舞、奏者と全てを修めた最高級の娼婦であり、取る客を選べる稀有な存在だった。


 煙る金髪は緩やかに波打ち、白磁の肌には染み一つない。豊かな肢体にくびれた腰、潤む琥珀の瞳と形の良い薄い唇が絶妙に配された顔は、場所がここでなければ深窓のご令嬢と言われたところで誰もが信じることだろう。


 その彼女の前で今夜も今夜とて項垂れるのは、王都の騎士団でも有数の使い手と称される叩き上げの騎士リーベルトだ。


 縦に大きく横にもそれなり。短く刈り上げた鉄錆色の髪と、この国では珍しい真っ黒な瞳。筋肉質ながら均整の取れた身体ではあるものの、娼婦達からの受けどころか、一般の女性からの受けも悪そうな目つきの鋭さと、冗談の通じなさそうな厳つさのある顔立ちである。


 しかし彼はその厳つい顔から想像できないことに、連日こうして勝負を挑みに来ては彼女に負かされるという行為を三十夜、飽きもせずに送っていた。最早そういうプレイの一つとしてルミリューズの名物になっていた。


 客に恋心を抱かないプロ根性を持つ彼女の心に少しでも残りたい。だが彼には愛を囁く口の上手さもなければ、女が見惚れるような顔もない。だからこそただ毎夜足しげく会いに来る。百夜続ければ少しは心を許してくれるだろうかという涙ぐましい男心であった。


 ちなみに毎夜訪れることができるのも、偏に彼が日中しっかりと仕事をこなして怪しい者達を検挙し、夜のこの時間を捻出しているためである。まぁ……単純に彼が恐ろしく勝負事に弱く、所要時間が短いために夜警の時間にほとんど穴を開けずに済んでいるという悲しい事実もあるのだが。


「また、明日もお相手願えるだろうか?」


「ええ、勿論。リーベルト様は床のお相手をせずにお小遣いを下さる大切なお客様ですもの。喜んで」


 蠱惑的な微笑みで男心を擽るだけ擽ったエーデルは、いつものように退室を知らせるベルを振ろうと手を伸ばしたものの、ふとその動きを止めて目の前で帰る支度を始めたリーベルトを見つめる。


 脱いでいた上着を羽織直す途中だった彼は彼女からの視線に気付くと、ほんのりと厳つい頬を染めた。こんな店にやって来るには初すぎる反応にエーデルは内心こう思っていた。


(リーベルト様、今夜もとても可愛いわ……)


 彼女は彼女自身も気付いていなかっただけで、ギャップ萌えのツンデレ属性だった。初めて自分と身体を繋げる以外の理由で足繁く通ってくる男を見て、今まで存在しなかった性癖の扉を新たに築き、開いてしまったのだ。


(この厳つい顔を蕩けさせてみたいわね。今夜こそ上手く負けてお相手をしたかったのに……また勝ってしまったわ)


 今夜も王都一の高級娼館の頂点に立つ彼女の矜持が、そうさせてはくれなかったのだ。そもそも彼女は簡単に肌を許さないことで有名であり、だからこそ絶対に抱きたいと群がる客が多いのである。


「あ、あの、エーデル嬢、俺の顔に何かついているだろうか?」


 挙動不審な初心男を前にした彼女はベルを手にすることを諦めて、テーブルの反対側にいるリーベルトの前に回り込んだ。手を伸ばせばすぐに抱きしめられる位置にやってきた彼女に驚きを隠せないリーベルトは、思わず一歩下がりかけた……のだが、彼女の動きの方が早かった。


 騎士服の襟に細い腕を伸ばしたエーデルは、もともと娼館の中で一番高いその身長をさらに爪先立つことで活かし、引き寄せた男の唇を奪うことに成功した。


 口付け一つで硬直するリーベルトの乾いた唇を、綻びる直前の花の蕾を思わせるエーデルの唇が塞ぐ。それどころか、彼女は小さなその舌でリーベルトの唇を舐めると、息を飲んだ彼の唇の隙間から捩じ込んだ。


 けれど挑発するように歯列をなぞった小さな舌先が、分厚い舌先に触れるより前に、正気に戻ったリーベルトによって引き剥がされた。


 ちゅ、と粘膜が離れる際に軽い水音を立てるのと、彼女の靴の裏が磨きあげられた床についたのはほぼ同時で。


 何故引き剥がされたのかと不思議そうに見上げるエーデルを前に、真っ赤な顔をしたリーベルトは若干震えながら紅の移った唇を開いた。


「は、敗者への気遣いなど、無用だ。いや……う、嬉しくはあるのだ! けれど貴女はもっと自分を大切にしてくれ。俺は無謀な馬鹿だから、こんなことをしてくれなくとも、明日もまた来る」


 涙目になったままそう言うや、テーブルに近寄ってベルを手にした彼は動揺の滲むままにそれを鳴らし、何事かと駆け込んできた店の人間に「負けた! 帰る!」と告げて逃げるように部屋をあとにしてしまった。


 一人部屋に残されたエーデルはすん、と表情を変えないまますでに勝敗を決した遊戯盤の乗ったテーブルに向かい、負けたリーベルト側の駒をじっくり眺めながら、このヘボい手に負けられる手はないものかと思考を巡らせる。


 そんな涼やかな美貌の彼女の内心が、


(ああ、駄目ね。我慢出来なくてつい口付けちゃった……。でも、口付け一つであんなに真っ赤になるなんて。本番になったらどんなに可愛らしいのかしら。早く負ける手を編み出さないと)


 ――という残念な内容だとは、この広い王都で誰も知らない。


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