お別れ会(後編)
リーナを見守っていた騎士団の面々は、少し離れた席で小声を交わしていた。
湯気を立てる皿の向こうで、笑い声や木の床の軋む音が混じっている。
「リーナってば、本当にお人よしなんだから」
アデラインが肩をすくめる。けれど、その声はどこか柔らかい。
「それが良いところなんですけど……」
ルークは真剣な面持ちで頷く。
「いつか騙されそうで、ちょっと心配になります」
「だな。人を疑うってことを知らなそうだ」
ガレスが腕を組み、低い声で言った。
「リーナさんの対人スキルは非常に興味深いですね」
シリルが眼鏡を押し上げる。
「まあ、それも含めてリーナの魅力なんだよなぁ」
ジュードはアンリと笑い合うリーナを見やり、口元を緩めた。
その時、樽を転がす音が近づく。
「よし、みんな! 本格的に飲もうじゃねーか!」
ディエゴの声に、香ばしい酒の匂いが一気に広がった。会場の熱気がぐっと高まる。
「おお、それじゃあ遠慮なく!」
カルロスが真っ先にジョッキを手に取り、豪快に飲み干す。
数杯目を終えたころ、頬を赤らめたままリーナの前へやってきた。
「リーナさん!」
大きな声に振り返ると、カルロスは真剣な顔で言い放った。
「俺さ、毎日リーナさんの料理が食べたいんだ! 一緒に暮らして……俺の獲ってきた魚を食べてくれ!」
直球すぎる口説き文句に、場がどっと沸く。
「おい、カルロス!」
ジュードが慌てて割って入った。
「何言ってんだ、お前は!」
「なんだよ、ジュード。お前に関係ないだろ?」
カルロスがにやりと笑い、軽く肩を叩く。
「大いに関係あるんだよ!」
「ほほう、それはなぜだ?」
「それは――」
ジュードは一瞬、言葉を飲み込んだ。
真っ直ぐリーナを見据えるが、野次と笑い声が飛び交い、頬がみるみる赤く染まっていく。
「素直になれ!」
「そうそう、男なら堂々としろ!」
視線を受けたリーナも、思わず顔が熱くなった。
困ったように笑みを浮かべながらも、胸の奥が少しだけ高鳴っているのを感じていた。
***
一方、別の席ではガレスとディエゴが腕の筋肉を見せ合って盛り上がっていた。
「さすが騎士だな!」
「いや、ディエゴさんも負けてませんよ!」
二人は袖をまくり、腕相撲を始めようとしている。
その隣では、ルークが年配の漁師たちに囲まれ、逃げ場を失っていた。
「ルーク君、この魚を食べてみなさい。ペスカードで一番美味い魚だよ」
「ありがとうございます。本当に美味しいですね」
「そうだろう。ところで、ルーク君はまだ独身かい?」
「え、はい、そうですが……」
「うちの娘がね、とても器量が良いんだ。一度会ってみないか?」
「いえいえ、僕はまだ……」
「何を言っている。若いうちに良い相手を見つけるのが一番だ」
「そうそう、うちの姪も良い娘でね」
次々と縁談を持ちかけられ、ルークは助けを求める視線を仲間に送る。
だが、みんな自分のことで手いっぱいだった。
***
シリルは別のテーブルで、町の男性たちと熱心に話していた。
「オオカヅラの生態は本当に興味深いんです。水温の変化に敏感で、産卵期には――」
あまりに専門的な内容に町民たちは首をかしげる。
それでも、その熱意に押されて思わず相槌を打っていた。
***
アデラインはアンリの元へ向かい、椅子を引いて腰を下ろした。
「アンリちゃん、ちょっと良いかしら?」
「はい、なんでしょう?」
「あのね、これからはちゃんとお仕事するのよ」
「はい……」
「若くて可愛いんだから、変なことで悩むより前を向きなさい」
声を潜めて続ける。
「それに、そのうちジュードなんかよりもっと良い男が現れるわよ」
「えっ……」
「焦る必要はないの。あなたに相応しい人は必ずいるわ」
アデラインの言葉に、アンリは小さく息を呑んだ。
胸の奥が熱くなり、これまでの出来事が次々と思い出される。
「私……本当にバカだった」
気づけば、ぽろぽろと涙がこぼれていた。
「もう、泣かないの!」
そう言いながら、アデラインの目も潤んでいる。
「なんで泣いてるんだ?」
筋肉談義を中断したガレスが首をかしげる。
「俺のせいか?」とジュードが心配そうに見やる横で、リーナは微笑ましく二人を見守っていた。
そんな賑やかな中、ロドリックが立ち上がる。
「皆さん、少しお聞きください」
会場が静まる。
「この素晴らしい夜を、私なりに表現させていただきたく――」
胸に手を当て、詩を朗々と紡ぎ始める。
「酒は人の心を解き放ち、真実を浮かび上がらせる海の如し。今宵、我らの魂は潮風と共に踊る。その波間に浮かぶ、ひときわ眩い光……それは、皆の心を繋ぎ、優しき光を放つ、一輪の花」
「長い長い! 詩はもういいって、カルロス!ミゲル! 歌え!」
ディエゴが笑い、ジョッキを掲げた。
「おう、任せろ!」
カルロスとミゲルが立ち上がると、漁師たちが一斉に声を合わせる。
重く響く低音と手拍子が場を包み、笑い声と酒の香りが渦を巻いた。
リーナも自然と笑みを浮かべ、輪の中で手拍子を打つ。
***
やがて夜も更け、窓の外は漆黒に染まっていた。
「そろそろお開きにしようか。明日も早いからな」
ディエゴの声に、名残惜しそうなざわめきが広がる。
「今日は本当にありがとうございました」
リーナが頭を下げると、拍手と温かい言葉が返ってきた。
「またいつでもおいで」
「今度はもっとゆっくりな」
潮風庵への帰り道、ランタンの明かりが揺れ、遠くから波音がかすかに届く。
少し酔いの残る一行は、笑い声を交えながら夜道を進んだ。
「ルークはモテてたなぁ」
「しー!やめてください! まだ縁談の話が続いてるかもしれません!」
「シリルの魔物講義も盛況だったぞ」
「興味を持ってくれる人がいると、つい熱くなってしまいます」
「アデラインさんとアンリは仲良くなれたみたいで良かった」
「当然よ。女同士、わかり合えないはずがないわ」
部屋に戻ったリーナは荷物をまとめながら、今日一日の光景を思い返す。
アンリとの和解、町民との賑やかな時間、仲間たちの笑顔――
そのすべてが、大切な思い出として胸に刻まれていった。




