オオカヅラ焼却作戦
東の空がまだぼんやりと薄明るくなり始めた頃、港の外れにはすでに騎士団の姿があった。
潮風に混じって、昨日積み上げたオオカヅラの死骸から立ちのぼる生臭さが漂ってくる。巨大な山と化したそれは、遠目にも異様な存在感を放っていた。漁師たちは、不安げにその様子を遠巻きに見つめている。昨夜、燃やそうと試みたが、まるで水分を含んだ木材のように煙ばかりで一向に火がつかなかったのだ。
「よし、俺の出番だな!」
ガレスが勢いよく腕を振り上げ、地面に両手をついた。
「風向きは海から内陸に向かってる……。町に煙が流れないよう、この位置でお願いしますね」
シリルが周囲を見渡して確認する。その言葉に、ガレスはニヤリと笑った。
「任せとけって」
魔力が地面に伝わると、ズズ……と重い音を立てて大地がうねりを上げた。土が盛り上がり、唸りながらぐぐっと形を変えていく。まるで生き物のようにうごめく土が、四方を囲むように立ち上がり、分厚い焼却炉のようなものを形づくっていく。
あっという間に、頑丈な土の壁が完成した。
ガレスのこめかみを汗がつうっと伝い、彼は一度だけ深く息を整えた。
「空気の通り道も忘れてないぞ」
壁の下部に空いた数か所の隙間が、海風を取り込み、煙を町と逆方向へ流すように設計されている。炉の内部には、山のようなオオカヅラの死骸が見える。
遠巻きに見ていた漁師たちから、どよめきが漏れた。
「……なんだあれ、本物の土か?」
「ひとりでこんなの作るって、どうなってんだ」
「しかも、ただの壁じゃねぇ。風の流れまで考えてやがるのか?」
ガレスが手を払って立ち上がる。
「できたぞー。次、ジュード!」
ジュードが前に出て、炉の内部に視線を落とした。ただ一言、「炎よ、集え」と呟いて手をかざすと、彼の掌から放たれた微かな魔力の光が、炉の底で魔法陣の形をなした。
次の瞬間、ゴウッと音を立てて魔法陣から炎の塊が噴き上がり、燃えにくいオオカヅラの死骸をものともせず、瞬く間にその山を飲み込んでいく。
その間、ジュードの額には微かに汗が浮かび、目は炎の一点を見つめたまま微動だにしなかった。
「うそだろ、あんなもん一瞬で燃やせるのか…!」
「昨日、たき火にくべてもちっとも燃えなかったんだぞ!」
炎の渦はまるで生きているかのように、オオカヅラの死骸の山全体をくまなく舐め尽くしていく。最初は黒煙が上がったが、燃焼が進むにつれてそれも薄まり、白煙とともにパチパチと乾いた音が響き始めた。
熱波が立ち上り、炎が渦巻く中、あれほど不快だった腐敗臭が薄れ、代わりに焼ける魚のような香ばしい匂いが漂い始めた。やがてそれも煙と共に消えていく。
ジュードは、炎が完全に消え、灰だけになったのを確認してから、ふうっと大きく息を吐いた。
「すげー炎だ……これで終わったんだな」
ある漁師が、感慨深げに言った。その声には、憑き物が落ちたような安堵がにじんでいる。
「……こんなに簡単に終わるのか」
「いや、簡単じゃない。騎士団がすごすぎるんだろ」
漁師たちの表情に、驚きとわずかな悔しさが交錯していた。
それからしばらくして、熱気が落ち着いたころ、シリルが炉に近づき、焼け残った灰を指でつまんで鑑定する。
「この灰、ちゃんと使えそうです。肥料としても、海に戻しても問題ないでしょう」
「畑にも撒けるのか?」
「ええ。魚の骨や身から出たものですから、むしろ栄養になりますね」
説明を聞いた漁師たちが互いに目を合わせる。
「それ、町の農家にも分けてやれねぇか?」
アデラインが腕を組んでうなずく。
「いいわね。せっかくだから、有効活用しましょう」
騎士団の面々も、その言葉に頷いた。
「よし、それじゃあ、集めるぞ!」
ジュードがそう声をかけると、漁師たちがバケツやシャベルを持ってくる。騎士団と漁師たちは協力して、まだ温かい灰を丁寧に回収していく。
全員で灰を回収し終えると、ジュードが手を振る。
「ルーク、頼んだー」
「はーい!」
ルークが両手を上げると、海の方角から心地よい風が流れ込んできた。炉から上がっていた残り香が、ふわっと軽やかに吹き払われていく。
生臭さを含んだ湿った空気が消え、代わりに清々しい潮の匂いがすっと通り抜けた。
「うわっ、なんか急にさっぱりしたな」
「……空気が軽い」
「変わったな、確かに」
町の方からも、少しずつ人々が歩いてきていた。朝市の準備をしていた人々が、港の様子に気づき始めたのだ。
「え?臭くない……」
「昨日までとは全然ちがう」
子供たちが駆け寄ってくる。
「空気がきれーい!」
「ほんとだ、くさくない!」
アデラインとシリルが最後に前に出て、水魔法を使い始めた。
ざばーっと勢いよく水が港全体に広がり、隅々まで行き渡る。流れる水は灰や煤、汚れをざっと巻き込み、排水溝や石畳の隙間へと押し流していく。
「まあこれで十分でしょ」
アデラインが手を止め、額の汗をぬぐった。
作業を手伝っていた漁師の一人が、洗い流された石畳を見て呟いた。
「きれいになってる。すごいな、騎士団」
町の人々から、感謝の声が次々と飛ぶ。
「騎士団の皆さん、ありがとう!」
「まさか2日で……」
ホセ町長も港に現れていた。すっかり空気が変わった港を見つめ、しばし言葉を失っていた。
「これほどとは……」
小さく漏れたその声には、戸惑いと警戒、そして認識を改める気配が入り混じっていた。
カルロスも様子を見に来ていた。
「すげぇな……ほんとに匂いがしねぇ」
若い漁師たちが声を上げる。
ジュードが仲間たちをぐるりと見渡した。
「お疲れさん!」
「ふぅ、良い仕事したなー!」
ガレスが腕を組んでにんまりと笑う。町の人たちの喜ぶ顔を見ていると、胸の奥が温かくなった。
「これで、町の人たちも少しは気持ちよく暮らせるようになるといいな。こんなに喜んでもらえるなら、やった甲斐があったってもんだ」
港を吹き抜ける風は、もはや悪臭を運んでこない。
清々しい潮の香りだけが、朝の空気に溶けていった。




