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アースボアの角煮と鑑定の謎

森での食材採集から一夜明けた朝、リーナは「アンナの食卓」の厨房に立っていた。


目の前のまな板には、昨日持ち帰ったアースボアの肉塊がいくつも並んでいる。


解体した個体の中からは、もも肉や肩肉といった煮込みに向いた部位を中心に選んできた。

今扱っているのは、特に質の良かったもも肉。拳ほどの大きさの塊がいくつもあり、鮮やかな赤身の中に白い筋がうっすらと走っている。


一つを手に取ってみると、ずっしりとした重みが手のひらに伝わった。表面はきめが細かく、だが筋繊維は明らかに太くて硬い。普通に焼いたくらいでは、きっと噛み切れないだろう。


「でも、この肉なら……」


リーナが肉に目を凝らすと、視界に薄っすらと文字が浮かび上がった。


『アースボア』

『部位:もも肉』

『品質:上級』

『特性:筋繊維が太く硬質だが、長時間煮込みによってとろけるような食感に変化する』


「……角煮、だよね」


祖母の店で何度も作った、あの味を思い出す。豚ではない魔物の肉でも、基本の工程はきっと同じはず。


リーナはまず、大きな肉塊を包丁で三センチ幅ほどに切り分けていった。太い筋に刃が引っかかるたび、指に力を込めて押し切る。そのままでは獣臭が強いため、たっぷりの湯を沸かし、肉と長ねぎの青い部分、皮付きのまま薄くスライスした生姜を加えて下茹でする。


ほどなくアクが浮き上がってきた。丁寧にすくい取りながら、コトコトと火を弱める。しばらくゆでたところで、肉をざるにあげて流水で洗い、ぬめりと脂を落とした。


「よし、ここから本番」


別の鍋に、下茹でした肉と、ジャン・砂糖・酒・水を合わせて注ぐ。ほんのりと香ばしい発酵の香りが、調理場に立ちのぼる。


火加減は中火。ひと煮立ちさせてから蓋をして、ごく弱火にする。煮立たせずにじっくり――それが、角煮をとろけさせるコツだ。


「焦らず、ゆっくり……ね」


鍋の中で静かに揺れる肉の塊。時間をかければかけるほど、筋がほどけて、旨味が染み込んでいく。


* * *


昼の営業時間になると、いつものように騎士団の面々が訪れた。


「よう、リーナ!今日は何かうまいもんあるか?」


ガレスが元気よく店に入ってくる。続いてシリル、アデライン、ルークも揃って席についた。


「いらっしゃいませ。今日は定食をご用意していますが……実は、ちょっと特別な料理を仕込み中なんです」


「特別?」


「昨日のアースボアの肉、煮込んでみてるんです」


「煮込むって……あの筋だらけの肉をですか?見ただけで分かります。歯が立ちませんよ」シリルが眉を上げる。


「噛めたもんじゃねぇだろ、あんなの」ガレスも呆れたように首を振った。


「ちゃんと手順を踏んで、時間をかければ、とろけるような角煮という料理になるはずです」


リーナの自信に満ちた表情に、騎士たちは目を見合わせた。


「そういえばさ」ジュードが思い出したように言う。


「リーナって、魔物の肉とか、山の食材とか、やたら詳しいよな。前に拾ったきのこだって、調理法とかまでピタッと言い当ててたし」


「僕も気になってました」シリルが眼鏡を押し上げる。


「鑑定ですよね?」


「……あ、はい。食材限定ですが、鑑定ができるんです」


「俺も鑑定使えるけどな」ガレスが手を挙げる。「でもアースボアの肉見ても、ただの『アースボアの肉』って出るだけだぞ」


「私のも似たようなもの~」アデラインが髪をかき上げる。「せいぜい価値の目安くらい?」


「僕の鑑定でも、『アースボアの肉』としか表示されません。それ以上の詳細は……」


「え? 本当にそれだけ?」リーナが驚いて尋ねる。


「リーナさんには、どう見えてるんですか?」シリルが身を乗り出した。


リーナは厨房から肉の端切れを一切れ持ってきて、手のひらに載せる。そして表示された内容を説明した。


「『品質:上級』『調理時間:長め』『特性:長時間煮込むことで柔らかくなる』……って感じで、具体的な調理法まで出るんです」


「マジで……?」ガレスがぽかんとする。


「すげぇな、それ」ジュードが感心したように口を開く。「まるで料理の説明書みたいじゃん」


「そ、それって、すごい特別な鑑定じゃ……」ルークが真剣な顔で唸る。


リーナは内心ざわついた。


(やっぱり……私の鑑定って、普通じゃない?でも、なぜ料理だけ?物とか武器には何も出ないのに……)


「ま、何でもいいじゃん」ジュードが笑う。「うまいもんが食えるならそれで十分だろ」


その言葉に、リーナの胸がふっと軽くなった。


(そうだよね。誰かを喜ばせられるなら、それが一番)



* * *



昼過ぎ、鍋の蓋をそっと開けると、甘く香ばしい香りが立ちのぼった。とろみのついた煮汁がゆらゆらと揺れ、肉の表面は琥珀色の艶を帯びている。ナイフを軽く押し当てると、抵抗もなくするりと通った。


「うん、もう少し……」


リーナは大根と人参を切って鍋に加えた。


大根は、薬味として使われる辛味の強いカライモとは違い、火を通すと甘みが増して煮物にぴったりの根菜だ。人参のやさしい甘さも合わされば、角煮全体の味わいがより深くなる。


火加減はそのまま、さらにじっくりと煮て、野菜にも味をしみ込ませていく。



煮汁は時間をかけて煮詰まり、深い甘みを含むようになった。厨房いっぱいに芳醇な香りが広がり、静かな火加減でとろとろと煮え続ける角煮の鍋からは、まさに至福の香りが漂っている。


――しばらくして。


「よし、完成」


鍋の中には、艶やかに照り光る肉と、出汁の色に染まった野菜たち。煮汁はとろみを増し、まるで蜜のように肉に絡んでいる。


* * *


夕方、騎士団の面々がふたたび集まった。


「リーナ、来たぞー!」


「例の煮込み、できたのかしら~?」アデラインが楽しげに笑う。


「お待たせしました。アースボアの角煮、完成です」


大皿に盛られた肉は、ほろりと崩れそうなほどやわらかそうで、煮汁がきらきらと光を反射している。そのまわりには、大根と人参が彩りを添え、湯気の中に甘辛い香りが漂っていた。


「おお……これは期待できそうだな」


ガレスがフォークを手に取り、一切れを口へ運ぶ。そして――


「うっまあああああっ!!」


叫びにも似た声を上げ、目を見開いた。


「なんだこれ……噛んだ瞬間、ほろっと崩れて、口の中で溶ける……!」


「ほんと?」とアデラインもフォークを伸ばす。「……うわ、これ、すごいわ。柔らかいだけじゃなくて、味の深みがすごいの」


「調味料の香ばしさと、肉の旨味が見事に溶け合ってる……まるで高級料理ですね」シリルが驚いたように呟く。


「煮汁もすっごく美味しい!野菜にまで味がしみてて……」ルークが頬を緩ませる。


「このニンジンも甘くてとろける~」アデラインが笑う。


皿を囲んだ一同は、言葉も忘れて夢中でフォークを動かしていた。静かだった店内は、あっという間に喜びと驚きの声で満たされる。


「捨てられてた肉が、こんなになるなんてな……」ジュードがしみじみと呟く。


「料理って、すげぇよ。魔物の肉でも、こんなに化けるんだな」


「それも、リーナさんの鑑定があったからですよ」シリルが頷く。


「普通だったら、こんな調理法、まず思いつきません」


リーナは少し戸惑いながらも、皆の笑顔に胸が熱くなった。


(この力……やっぱり特別なのかもしれない。でも、どうして私だけ?なぜ食材だけ?)


ふと、アンナがそっと声をかけてくる。


「リーナちゃん、どうしたの?元気がないみたいだけど」


「あ……いえ。ちょっと考え事をしてただけで」


「理由はなんであれ、美味しい料理をありがとうね。みんな、すごく幸せそうじゃない」


「……はい。そうですね」



* * *



その夜、リーナは自室で窓辺に腰を下ろし、今日のことを振り返っていた。


アースボアの角煮は大成功だった。硬くて食べられないと思われていた肉が、時間をかけた調理で絶品料理に変わった。


そして、自分の鑑定能力についても、少し理解が深まった。他の人より詳しい情報が見える。でも、なぜなのかはまだ分からない。


(きっと、これから少しずつ分かってくるのかもしれない)


窓の外に広がる街の夜景を見つめながら、リーナは心に誓った。


この不思議な力も、前世の記憶も、すべては美味しい料理を作るため。みんなの笑顔のために使おう。


フェングリフの唐揚げから始まって、出汁、蒸し料理、そして今日の角煮。まだまだ作ってみたい料理がたくさんある。


醤ベースの煮物、山菜の天ぷら、きのこ料理、魚の煮付け……


「料理の可能性は……無限大、かもね」


リーナは小さく呟いて、明日への期待を胸に抱きながら、静かに眠りについた。

今日も読んでくださってありがとうございます!


今回はアースボアの角煮、大成功でした!

煮込んだ肉の柔らかさや、騎士団のみんなの反応を書いていて、とても楽しい回になりました。


評価やブックマーク、とっても励みになっています。本当にありがとうございます!


もし「美味しそう!」「気になる!」と思っていただけたら、

ぽちっとリアクションや、ひとこと感想をもらえるとすごく嬉しいです。

創作の元気になります!


次回も、美味しい料理をお届けできるようがんばります!

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