港町の調査
朝市でリーナと別れた後、石畳の道を歩く騎士団の足取りは重かった。漁師たちの活気ある声も、耳には遠く響くだけだ。
「……宿の件なんだが」
しびれを切らしたように口火を切ったのはガレスだ。その言葉に、アデラインがわざとらしく大きなため息をつき、肩をすくめてみせる。
「ああ、あの小娘のこと? 昨夜も今朝もジュードにだけ甲高い声でまとわりついちゃって。正直うんざりだわ」
「これは……少し度が過ぎるんじゃないか?」
ガレスがこめかみを押さえる。ルークもめったに見せない憤然とした様子で言う。
「僕たち、完全になめられてるんじゃないですか?」
シリルは眼鏡を押し上げ、眉間の皺を一本深くした。
「ジュードに取り入ろうとするあまり他をないがしろにする。実に不愉快ですね」
仲間からの同情的な視線を受け、一番の被害者であるジュードは「俺のせいじゃないんだが……」と力なく笑うしかない。
「宿を変えることはできないのか?」
ガレスの提案に、最年長のロドリックが静かに首を振った。
「ここは騎士団御用達で、団長からの紹介でもある。個人の感情で簡単には変えられんな」
「……よし」
ジュードが無理やり顔を上げた。
「今日の夕方にでもブルーノさんに直接話してみよう。まずは港の調査を続けるぞ」
***
港へと向かうと、朝の喧騒はやや落ち着いていたが、漁師たちは網の手入れや魚の選別に忙しそうだ。
「すみません」
ジュードが近くで作業する年配の漁師に声をかけた。
「俺たちはアードベルから来た騎士団です。港町の様子を調査していまして。少しお話を聞かせてもらえませんか?」
漁師は手を止め、日焼けで深く刻まれたしわだらけの顔をこちらに向けた。潮風に鍛えられたその表情には、長年の海の厳しさがにじんでいる。
「騎士団の方々か。わざわざこんな田舎まで、ご苦労さんだな」
「いえいえ。それで、最近何か変わったことはありませんか?」
ジュードの問いに、漁師の顔がわずかに曇った。
「変わったこと、か」
漁師は一度言葉を切り、腕を組む。
「オオカヅラってやつが、やたらと獲れるようになっちまってな。普通の魚がまるで獲れねえんだ」
ガレスが港の隅に視線を送る。そこには小山のようにオオカヅラが積み上げられ、腐敗が始まっているのか、潮風に混じって生臭い異臭が漂ってくる。ガレスは思わず鼻を押さえた。
「あれがオオカヅラか。ひどい匂いだ……山積みだな」
「そうだ。魔物だから食えねえし、ああして積んでおくしかねえ」
漁師が吐き捨てるように言う。
「魔物だから食べないんですか?」
シリルが問いかけると、漁師は当然だろうという顔をした。
「そりゃそうだろう。魔物なんて食うもんじゃねえ」
ルークが少し気まずそうに笑った。
「正直、俺たちも前はそう思ってましたけどね。でも今は、魔物の肉も立派な食材の一つですよ」
「調理の仕方次第で、どうにでもなることだってあるわ」
漁師は困惑したように、ごつい手で頭を掻いた。
「そ、そうなのか……? でも、この辺りじゃ魔物を食うなんて話、聞いたことがねえな」
「なぜですか?」
ジュードがさらに尋ねると、漁師は腕を組み、少し俯いた。
「なぜってなぁ……昔からそうだったからとしか言えねえな。魔物は危険なもんで、退治はするが食うもんじゃないって……そう教わってきた」
と、別の漁師が足早に近づいてきた。若い男で、先ほどの漁師とは対照的に苛立った様子を隠そうともしない。
「オオカヅラの話か? もういい加減にしてくれよ、親父」
「カルロス、お前、余計なことを言うな!」
「騎士団の方々ですよね?」
カルロスと呼ばれた若い漁師は、年配の漁師を無視してジュードたちに向き直る。
「この港の問題、知ってますか? オオカヅラが大量に獲れすぎて、普通の魚が全然獲れないんです。でも、年寄りたちは『魔物は食べるもんじゃない』って頑なで……」
「カルロス!」
年配の漁師が、港中に響き渡るような大声でその名を怒鳴りつけた。だが、カルロスは止まらない。
「このままじゃ港が破綻します。大量に捨てられて臭いはひどいし、観光客も寄り付かなくなる。何とかしないと」
「魔物を食べることを考えている漁師もいるんですか?」
シリルが身を乗り出して尋ねると、カルロスは周囲を見回し、恥じるように小声で答えた。
「……何人かで試してみたことはあります。でも……正直、うまくなかった。固いし、変な臭いもするし」
「それは調理の問題かもしれないな」
ロドリックが考え込むように呟くと、カルロスは弾かれたように顔を上げ、ロドリックの腕を掴まんばかりに身を乗り出した。
「本当ですか!? 内陸では、どうやって調理してるんです?」
「それは……」
ロドリックが答えかけたところで、年配の漁師が遮る。
「やめんか、カルロス! 魔物なんて食うもんじゃねえって言ってるだろ! 先祖代々、そんなことはしてこなかった!」
「でも親父! このままじゃ……」
「そこまでにしてください!」
険悪な空気が漂いかけたのを察して、ジュードが慌てて割って入った。
「貴重なお話をありがとうございました。また後日、詳しくお聞かせください」
騎士たちはその場を離れ、港の別の場所へ向かった。
「なるほど、新旧の対立ってわけか」
ロドリックが低く呟く。
「だが、内陸じゃ今は食べるのが当たり前になりつつある。情報が届いてないんだろうな」
ガレスが首をひねる。
「考え方の違い、ねえ……」
アデラインが思案顔で呟いた。
「とりあえず、もう少し話を聞いてみよう」
***
午前中いっぱい港で調査を続けた騎士たちは、昼食を取るため港町の食堂に入った。『波止場食堂』という看板が掲げられた、漁師たちがよく集う店だ。
「海鳥亭以外にも、こういう店があるんだな」
ルークが興味深そうに店内を見渡す。
「あの小娘の甲高い声がしないから、気が楽だわ」
アデラインはそう言って、こめかみを押さえていた指をふっと離し、肩の力を抜いた。
魚料理を注文しながら、騎士たちは午前中の調査結果を振り返った。
「オオカヅラの問題は想像以上に深刻だな」
ジュードが魚のスープをすすりながら言う。
「でも、俺たちも昔は魔物なんて食べないと思ってたよな」
「そうだな。でも今じゃ調理の仕方次第で十分食えるってわかったしな」
ガレスは湯気の立つスープにパンを浸し、ひと口運んでからうなずく。シリルが続けて言う。
「港の人たちは、それをまだ知りません。文化の壁というのは簡単には越えられないものです」
「一朝一夕には無理だろうな。だが、何かきっかけがあれば……」
ロドリックがぽつりと呟いたとき、食堂の主人が声をかけてきた。
「騎士団の方々でしょうか? 珍しいお客さんですね」
「はい。巡回任務でペスカードに来ました」
ジュードが答えると、主人はにこやかに笑った。
「それはそれは。海鳥亭にお泊まりですか?」
「はい」
「ブルーノさんのところなら安心ですね。娘のアンリちゃんも、きっと騎士団の方々を大歓迎してることでしょう」
主人の屈託のない言葉に、騎士たちは乾いた笑みを浮かべながら顔を見合わせた。歓迎されすぎるのも困りものだと、全員が思っていた。
***
午後遅く、騎士たちは海鳥亭へ戻った。扉の前で、ちょうどリーナと鉢合わせた。
「おかえりなさい! 調査はどうでしたか?」
「おう、いろいろ聞けたぞ! リーナは? マルクさんたちとはどうだった?」
ジュードが尋ねると、リーナは「うん!」と弾むような声を上げた。
「とっても元気で幸せそうだった。お孫さんたちも可愛くてね」
マルクたちのことを思い出したのか、その頬はほのかに赤らみ、目元も嬉しそうに和らいでいた。
「それは良かった」
リーナは続けて、アズールから相談を受けたことを話した。
「アズールさんっていう、マルクさんの義娘さんが明日相談に乗ってほしいそうです」
「俺たちも調査でオオカヅラのことを聞いたけど、同じ話かもしれないな」
ジュードが言うと、リーナは真剣な顔になる。
「オオカヅラ……」
「大量に獲れるのに、港町では食べる習慣がないそうだ」
ガレスが説明すると、リーナはすっと息を吸い、口元をきゅっと引き結んだ。
(魔物だから食べない——アードベルに来た時と、同じだ)
脳裏に、かつて廃棄されるだけだったフェングリフの肉がよぎる。
「確かにそれは……大きな問題ですね」
呟く声には、未知の食材への好奇心と、料理人としての使命感が宿っていた。
「明日、詳しい話を聞こう」
ジュードが決意を込めて言うと、奥からブルーノが現れた。
「おお、騎士団の皆さん、お帰りなさい!」
「あ、ブルーノさん、実は少しお話があります」
ジュードが真剣な顔で切り出すと、ブルーノも顔を引き締めた。
「なんでしょうか?」
「娘さんのことなんですが……」
ジュードは慎重に言葉を選びながら、アンリの過度な接客態度が、他の客やリーナに不安を与えていること、そして騎士団としても任務上、特定の個人への過剰な歓待は控えてほしいことを伝えた。
ブルーノは黙って話を聞き、やがて深々と頭を下げた。
「申し訳ない! 娘には厳しく言っておきます。リーナさんにも、本当にすまないことをした……」
「適度な距離を保って、他の客と同じように接してもらえると助かります」
「分かりました。騎士団の皆様にも、ご不快な思いをさせて申し訳なかった」
ブルーノの真摯な対応に、張り詰めていた空気がようやく緩んだ。ジュードが礼を言い、リーナもほっと肩の力を抜く。これで明日はアズールの相談に集中できそうだった。
「それじゃあ、明日はアズールさんの家だな」
「うん! みんなで行こう!」




